随筆集

2010-05-21 Friday
葬式仏教 その1
 
先日深い血縁のある人があちらの世界に旅立った。彼は私の実の父で生みの親というわけだが、私は生後6ヶ月で親の兄弟夫婦のところへ養子に行ったので10歳を過ぎるまで真相を知らなかった。彼とは年に数回程度、盆や正月などの時に会っていたが子供ながらに本能的に深いつながりを感じていたものだ。彼は現代に生きる武士のような気風を持った人であり、その人生を教育に捧げ、地域では誰からも一目置かれる存在であった。教育者としての倫理を終生実践した人であり、私も子供の時からその人柄を尊敬していたものだ。そんな彼も晩年は老人施設で余生を過ごし、ついに90余年の生涯を閉じる事になったのである。
 
死の数日前2度に渡り彼からのメッセージがあった。彼の若い時の姿が私の寝入り際と朝の祈りの後に現れその思念が伝わってきたのである。内容は主に家族や縁ある人たちへの感謝の表現であり、自分は教育界に足跡を残す事が出来たことに満足していること、そしてそれは多くの人たちに支えられたお陰であったこと、それから自分は本当は皆が思っているほど強く立派な人間ではなく、常に目一杯で実際は余裕など無かったが、当時の教育者としての厳然とした態度を崩すことは出来ず、また親として人間的弱味を見せることも許されなかったという。そのメッセージは以前の彼からは想像できない人間臭さを感じさせるものであった。たまには羽目を外したかっただろうと思うが時代の状況や自分の置かれた立場からもそういうことは出来なかったのだろう。
 
彼(私にとっては叔父)は酒もめっぽう強かったが、いくら飲んでも決して乱れることはなく、その独特の武士のような雰囲気はいささかも崩れる事は無かった。私が子供の頃彼の家に遊びに行くと、剣道や居合道の達人であった彼は日本刀を持ち出してきて見せてくれたものだ。日本刀を持った時のその重さと迫力にゾクッとしたのを今でも覚えている。武道と音楽一家であり、剣道をやっていたやんちゃな兄などは木刀を振り挙げては何回も私の頭の上ぎりぎりのところまで降りおろし「目をつぶるなよ、絶対に当たらないから」とやっていたものだ。
 
お通夜も終わり次の日が告別式であった。式が始まり葬儀会場に流れる荘厳で静かな音楽とともに再び彼からの思念が伝わってきた。彼は誰かに付き添われて(おそらく彼の父)その場に集まった親族や付き合いの深かった人達に個別に別れの挨拶をしているようである。私のすぐ目の前に彼の気配が感じられて次のようなメッセージが感得された。「自分は激動の時代を生き抜いてきた。そして時代から時代への橋渡しの役をしてきたように思う。私のやってきたことは子供や孫達が受け継いでくれる。それを補って余りあるほどの人材が揃っている。何も言うことはない、皆これから仲良く助け合って生きて行って欲しい」。なるほど彼は今そういう心境になっているんだな、素晴らしいメッセージだなと感慨に浸っていると僧侶が入場してきて読経が始まった。その途端に彼との交流は途絶えてしまった。一種崇高ともいえる素敵な時間は鳴り物入りの一連の宗教儀式によって遮断されてしまったのである。
 
理趣経(真言宗の主要経典で葬儀の時は必ず唱えられる)をメインとした鳴り物入りの一連の儀式も終わり棺がきれいな花で満たされ、我々親族は奇怪な“いでたち”をして藁ぞうりを履き棺を霊柩車に運び込む。そして斎場に行き喪主である長男が火葬のスイッチをオンにして一連の儀式は終わった。そのスタイルはこの地方に伝わる風習から来るものであり宗教とは直接関係が無い。本来仏教は葬儀とは何の関係も無かったのである。仏教は葬儀に関わるようになってから道を外してしまったのではないだろうか。お釈迦様が日本で仏教が葬儀に関わっているのを見たら腰を抜かすだろう。人の生きる道を指し示すべき仏教が葬式屋になっているとは。 続く
 

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Last updated: 2012/3/17