随筆集

2009-11-17 Tuesday
終わりのない旅
 
還暦も過ぎると人生も最終局面に近づいてくる。仕上げの段階と言っても良いだろう。そして今、自分が若い頃にしたことを振り返ってみると未熟な点ばかりが目に付くのである。若気の至りという言葉で片付けてしまえばそれまでだが、親には迷惑を掛けっ放し、つまらない事で意地を張って人や世間と対立してみたり。今思えばそういう自分は何と浅はかだったのか、物事が見えていなかったのかと思ってしまうのである。自分の心の未熟さが問題を生み、その自分で作った問題と格闘し続けていたのだから。もしかしたらそれは今も続いているかもしれないのである。少しは進歩したのだろうか。まあ若い頃の愚かしさが分かっただけ進歩したのだろうと思う他はない。そう思いたいものだ。
 
近頃、身の回りの出来事を見て、はっとする事がある。これは昔自分がやったことの応報ではないのだろうかとピーンとくる時がある。人生も残りの方が少なくなってくるとこの世にいるうちに自分が今までにやってきた事を出来るだけ精算しておかなければとか、次の世には持ち越したくはない等と思う事がある。とは言え生きている限りは休む間もなく課題が出てくるのでそれに対応しなければならない。すると再び新たな原因をつくることになり、またその結果と対峙しなければならなくなる。結局、人間は定年退職しようが年齢を気にせず働き続けようが何所まで行っても課題が尽きる事はないのである。のんびりと老後を過ごすなどということは実際には不可能なのである。人の修行は永遠に続き、終わる事はない。霊界へ行ったからと言っても生活の場が変わるだけであり、進化の旅は果てしなく続くのであろう。
 
 
自分が過去に作った業などと言ってもそれは我々にはわからない。後でようやく気がつくことがある程度だろう。若い頃に作ったものを老後に精算しなければならないことは結構あるのではないだろうか。特別意識しなくてもそれは自然に現われて来るはずである。目の前に現われる課題を一つ一つ片付けていくことが過去の業を清算する事にもなっているのではないだろうか。人は日常的にそれと気付くことなく、そういう作業を続けているのだろう。これはあの時の結果かなどと一々考えてはいられない。
 
60歳も過ぎると五感が衰えてきて、若い頃のように鮮烈に体験が焼き付けられるということがない。加齢に伴い記憶力も低下するが様々な人生体験により、肉体壮健な頃に比べて物事を大らかに眺められるようになってくるのは確かである。脳の働きだけを見ると老化によって機能が衰えているように感じるかもしれないが、替わりに今まで眠っていた霊性が少しずつ目覚めてくるのではないかと思う。誰しも年齢とともに若い頃は一局面に限局されていた視野が広がりを見せ始め、薄ぼんやりと全体像が見えるようになってくるはずである。それは次のステージへ向けての準備なのだろうがそれもひとつのステップに過ぎず、私達の旅路に終着駅はないのである。
 

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Last updated: 2012/3/17