人は年齢を重ねてくると自然に物事に対する執着心というものが薄れてくる。そしてすぐに忘れることが出来る。本当は覚えていられないだけなのだが、これこそは天の配剤というべきものであろう。人間は大体、この世での自分の使命、本分というものを尽くし人生も残りの方が少なくなると自然に枯れてくるようである。それは安らぎであり苦しみや葛藤の世界を卒業する準備をしているということなのだろう。高齢であってもなお情熱に燃えて第一線で活躍している人もいるが、そういう人たちは例外的な存在で特殊な使命があるのだろう。
私の事を例にとっても若い時は過去の出来事を思い出しては悔やんでみたり腹を立ててみたり、まるで自分が再びその渦中に舞い戻り、わざわざその嫌なことを追体験しているかのようなことがあった。誰しも若い時は感受性が強く受容力が十分でないために物事が容認出来るまでにストレスを感じるのである。許せない、我慢できないということになり結局は自分が悩み苦しむものである。社会経験を積み、歳を重ねるとそういうものに対する執着が自然に薄れ若い時のように後を引かなくなり大体の事はやり過ごせるようになる。
9月は敬老の日があり全国で敬老の行事が行われる。私も地区の役員をしているので去年から敬老会のお世話をしているが、メデイアを見てもそういう催しの場においても「百歳を目指して長生きしましょう」というような言葉が氾濫している。中には150歳を目指しますと宣言する人もいる。長生きをする事が何より幸せという空気が支配的である。
また私は自分の役目上葬儀もよく手伝うがそこにおいても同様で、亡くなった人が高齢であるにもかかわらず「もっと生きていて欲しかった、残念です、悲しい事です」というような表現が使われる。とにかく死ぬ事は不幸なことで、生きる事が何より大切という考え方が個人に、社会に深く染み込んでいるようである。
亡くなった本人は人生の重荷から解放されてやれやれと思っているであろうに。特別な場合を除いて「死は大いなる解放であり本当は悲しむものではないのですよ」と言ってあげたいことがよくあるのだが。最近は死の向こうに違う世界が広がっている事をうすうす理解する人が増えつつあるが、まだまだ死への恐れから何が何でも生き続けることが幸せと考える人が大半ではないだろうか。
人は肉体を持ち物質の世界に生きているために大きな重荷を背負っているのである。先ずは自分の肉体(肉体は借り物であり霊の注入がなければ物質である)を養わなければならないことから始まる衣食住の問題があり、現代社会ではそれを満たすには金銭というものが必要である。その金を稼ぐ為には大変な努力を要する。金を十分に稼ぎ今の社会で安定した暮らしをする為には小さい頃から受験戦争に勝ち抜き一流大学に入り卒業後は一流会社に就職するなど社会的エリートを目指さなければならない。望みの会社に就職出来たとしても他人を押しのけ、人間関係の泥沼の中を這いずり回って頑張り抜かなければ勝ち組みには入れないし、何時首になるかもわからない。
家庭を持てばさらに多くの事がついて回る。子供の教育費や家族の衣食住を賄うためにはより一層の努力を必要とするし、家族間においても物的、精神的に様々な問題が起こり対応に頭を悩まされる。その他にも身の回りには数え切れないほどの課題が次々と押し寄せてくる。
それから肉体の健康を維持するためにも努力しなければならない。病気にならないように日常生活に注意を払い、病気になると医療機関の世話にならなければならず、医療費がまた家計を圧迫する。最近では認知症の親を世話するために家族は多大な労力を強いられ、下手をすれば共倒れになってしまう。老人の世話は社会問題になってきている。
その他にも思春期の性の問題、人間関係のトラブルや自然災害など挙げればきりがないが、殆どは人間が肉体を持っていることから起きてくる問題であり、人間が肉体に宿り物的生活をしている故の宿命であろう。我々はそれでもこの重荷を背負って寿命が尽きるまで歩き続けなければならないのである。皮肉な事にそれは自分が選んだ道なのである。ウエートを手足に縛りつけて筋力強化を図るスポーツ選手のように、あえて試練に身をさらし自分の魂を鍛えるために自らこの地上世界を選んだのである。
我々が暮らしている地上の物質界というのは真理の光が通りにくい所である。真理の光が差し込んでもまだまだ人間の心が未発達な為に屈折して表現されてしまうのである。地球上の人間が心の進化(浄化と言ってもよい)をするに従い光の通りが良くなり真理が普及していくのであろう。それには何百年、何千年という月日を必要とするのかもしれない。
そういう物質界をやっと卒業して行ける人たちを祝福の言葉で送ってあげるべきと私は思うのである。「貴方はこれからは物質に絡んだ問題に悩まされる必要はありません。これからは何ものにも邪魔されることなく貴方の真実を生きてください。今まで本当にお疲れ様でした」。
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