死後の世界

 40      共同作業
夕方の散歩は最近の私の日課である。真冬の夕暮れ時は寒いけれども空気が澄んでいて気持ちがいい。瀬戸の島々の向こうに沈む夕日が雲を赤く染めて、あたかも神話の高天原を連想するような神々しさがある。冬は外に出ている人は少なく、蝿や蚊など煩わしい害虫類も一切いないので自然に清浄な気持ちになれる。山道を下り墓地の近くの海岸に出ると海から冷たい風が吹き付けてくる。寒いが寒風が身を清めてくれるのでちょっとそこに佇んでいると父の姿が浮かんできた。何時ものように自分と父とが溶け合い一つになっているような感覚である。
 
父のメッセージ
 
「ある時には私はお前と共同作業をすることがある。共通の目的があるときは一緒になってやっている。こちらからそっちの状況を見て学ぶべきところもあるのでそれは有意義な事なのだ。お前が祈る時、私も一緒に祈っていることがある。こちら(霊界)に通じている人間がいる場合、それはこちらにとって希少価値がある。というのはその人間を通じて共に教えたり教えられたりすることが出来るからだ。実際にはこちら側が一方的に指導するというのではなくその逆もある。パイプ役を務める者がいないとそれは難しいことなのだ。世の中は分からない人だらけだが、出来るだけ人には優しくしてあげることが大切だ。前途には(私の今生と死後を含めて)お前と一緒にやらなければならない事が沢山ある」。
 
 
その後数時間に渡って父は私と一緒にいて翌日もその感覚が続いた。そういう状況を意識が融合していると表現したらいいのだろうか。とにかく適切に表現する言葉が見当たらない。昨年の9月、私が長女の入院に付き添った時も父は病院に現れじっと見ていてくれた。そして長女によれば一月ほど後の検査の時にも父が検査室に現われてじっと見守っていてくれたそうである。その時は誰かは分からないが他に数人の霊人たちが同席していたそうである。もちろん病院のスタッフにはそういうものは目に入らないが実際にはそういう場面ではあちらから見に来ているケースが結構あるのだろう。簡単な病気ならそういうことはないだろうが、一生の節目になるような病気の場合にはその場に来て見守っていてくれるのだろうと思う。人はどんな場合でも一人にされることはないのである。
 
長女は少女時代に家の中で祖祖母(50年前に他界)の姿を見ているがそういう感性があるようで、特に人間は入院中は肉体の活動が抑えられ霊的自我が目覚めやすい環境にあるので霊視が出来たのだろうと思う。実は我が家では以前から精神世界の書物で騒がれるような心霊現象は珍しいことではなく日常的な出来事になっている。私がこのHPを編集している時はよく空間で音がするが、編集しようとしている内容が妥当なものであるかどうかをその音で判断することにしている。問題が無いときはピシッという音でOKのサインがくる。自分が確信に欠けるときは無反応でありやはりこれは書かないほうがいいなと考えるのである。実際は他の家庭でもそういう霊的な現象が起きているはずなのだが気がつかないだけのことであろう。
 
更新日時:
2012/01/14
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Last updated: 2012/3/26