死後の世界

 38      霊界の救出班
10月末、私は事故により他界したある女性の人からインスピレーションをもらった。今までに面識は無いがその人の写真を見た途端、以前に何所かで会った様な不思議な感触を覚えた。そしてその人は私に何かを訴えているように感じたのである。そうするうちに朝の祈りのときにその人のイメージが目の前一杯に浮かび私に意思を伝えて来るようになったのである。最初はその人のイメージが視野の左上部に現われ次第に視野一杯に広がってくる。そしてその相手の意思がテレパシーのようにこちらに伝わってくるのである。そして一つの意識を互いに共有しているような感じになり、相手と自分との境界が無くなったかのように感じる。それは何時ものパターンであるが相手の個性によって感触が様々である。そういう心境を言葉で表現するのは極めて難しい事であり、一般の人には容易に理解できない世界かもしれない。
 
一人一人が違う波動(エネルギー)を持っていて個性を表現しているようである。その人の場合、手の平がポカポカと暖かくなってきたが私にとってそういうケースは始めてである。普段は指先や掌がチリチリし始め時には鋭利な物で皮膚を刺激されているように感じることもある。この時は何時もの感覚の上に暖かさが加わり、柔らかい感じがした。女性特有の優しさかもしれない。普段私の交信の相手は殆どが男性のようで何らかの威厳を感じさせるものであるがこの時はいつもとは違っていた。
 
そして後日メッセージの内容をパソコンに打ち込んでいると右手の薬指がジーンジーンと拍動し始めたのである。そういうことは初めてでありこれは今までになく重大なことに思えた。彼女の家族が存命中である上に通信の内容がかなり具体的であり間違いがあってはならないので私は慎重にならざるを得ず、色々な角度からチェックしてみたりしてメッセージをそのまま出す事にためらいを覚えたのである。しかし受けたものを出さずにしまって置くのは良くない。そのうち自然に答えが出るだろうと思っていたものの次第に重荷に感じ始めていたのである。
 
そうするうちに入浴中に(私は入浴中によくそういうことがある。)再びその人のイメージが現われて彼女の思いが伝わってきたのである。「こういうものは余計なことを考えてはいけません。受けたものを素直にそのまま出せばいいのです。それが貴方の良さではなかったのですか?いつもの貴方らしくありませんよ」。それで私は吹っ切れたのである。今回のメッセージの前にも私はその人から主に個人的な内容のメッセージを受け取っている。その時はどこかの中継ステーションを経て送られてきたような感じがしたが今回のものは相手が目の前にいるようで直通という感じがした。
 
序文
私は背後からの命を受け、人々の啓蒙を目的としてこのメッセージを渡しています。私が一人でやっているのではありません。霊界からの通信というものは様々な困難な要素があり完璧を求めることは出来ません。それは人間社会における意思伝達においても大同小異です。言葉のニュアンスなど小さな違いを指摘して全体をないがしろにすることなくその核心、本流を心で読み取って頂きたいのです。
 
本文
私は事故や災害などで突然死した人たちの救出や心のケアーの仕事をしています。生前に死後の世界というものを考えた事すらなかった人々は自分がその事態に遭遇すると茫然自失の状態になってしまうのです。何が起きたか理解することが出来ず、精神に大きな混乱が生じているのです。そこでそういう人たちを救出するために上からの指示でその状況や各個人に合った者が救出に差し向けられるのです。私達は被災者が最も親しみを感じていた人物の印象を作ることが出来ます。出来るだけ共感を得やすい姿をとって違和感のないようにして近づきます。被災者の性別は関係ありません。被災者は当初、気が動転しているので私達は当人が落ち着いた頃を見計らって働きかけます。
 
私とよく波長を合わせてください。自分を離れて、今あなたを取り巻いているエネルギーと一つになることです。(途中で、私に対して)
 
落ち着かせ状況を理解させた後にしかるべき所へ案内します。それは我慢と忍耐が必要な仕事です。どうしても言う事を聞かない人はその場で状況を理解出来るまで留まる事になります。自分が納得するまではそのままにして置かざるを得ないのです。人生はすべて自己責任ですからあくまでも自分で決断し行動しなければなりません。他の誰もその人間の自由意志を無視して連れて行ったりすることは出来ないのです。それが鉄則です。
 
日頃から我がままで頑固な人は他人のアドバイスを聞きません。それは死後も少しも変わりません。そういう人たちは私達の手を煩わせます。そういう仕事をしている霊界人の根底には愛があります。人類愛のある者がそういう任務につきます。
 
また今までに事故死によってこちらに来た人たちはその状況を自ら体験し、よく事情が分かっているのでそういう仕事に向いているということになります。事故や災害で死んだ場合、精神にトラウマが残ることがあります。そのトラウマを癒すためにこちらでは様々な施設があり対応できるようにしています。
 
東日本大震災の時
空前の救出活動が行われました。こちらでは亡くなる人はあらかじめ分かっているので事前に対策が講じられています。人は霊的意識の上では自分の死ぬ時期を自覚していますがそれが日常の意識に上がって来ないだけなのです。昔から自分の死期を予言した人達がいましたが自分の霊的意識を自覚出来ればわかるのです。地上の人の霊的意識は霊界に繋がっているのでこちらでは誰が何時死ぬかということは、ほぼ分かっているのです。病気であろうと事故であろうと人間は定められた寿命が来れば死ぬようになっています。不慮の事故というものはなく、自分の持っている因がある事態と引き合うという結果を生むことになります。それは因果律という宇宙の摂理の働きですが実際は地上の人が思うような悲劇ではないのです。
 
東日本大震災では今も自分の家や財産に未練を残したり、家族との離別が納得できない人達もいますがそれは少数派です。何処へ行っても疑い深く物分りの悪い人がいるものですがそれはその場に及んでも同じです。
 
今回は犠牲者の方の多くが高齢であり、ほぼ自分の人生をまっとうした人達でしたので状況を理解するのにさほど困難は無かったのです。こちらに来て安堵の気持ちが湧き、静かに自分の人生を回想している人もいます。幸せを感じている人のほうがはるかに多いのです。その人たちはもう人生の重荷から解放されたのですから。こちらの世界では不安や恐れなどネガティブな感情に支配されることがありません。こちらは喜びの世界なのです。ネガティブな感情は地上世界特有のものです。皆がその感情に巻き込まれ易いのです。
 
トラウマが深く残っているのは地上の人達のほうです。しかし地上に残された人たちは実際は亡くなった親族からの支援を受けているのです。彼らは今回の事によってかけがえのない霊的な宝物を授かったのです。いつかはその事に気付くことでしょう。
 
考察
以前私は義父の霊界通信を通じて他界した元僧侶が、新しく他界した地元の縁ある人達のあちらでの生活の指導や世話をしているという話を載せたことがある(死後の世界のセクションで冥界便りその5)。あちらで志のある人たちは奉仕としてそういう仕事をしているのではないかと思う。彼らはいわゆる指導霊であり霊界の先達ということになるだろうか。そういう導きや指導がないと物質一辺倒のこの世で、霊的な事など考えた事すらなかったというような人達は死後混乱状態に陥ってしまうだろう。その場で正しい状況判断ができないと自縛霊になってしまうことが結構あるらしい。故に日頃から正しい死生観を持つことは非常に大切なことではないかと思う。
 
更新日時:
2011/11/15
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Last updated: 2012/3/26