死後の世界

 36      伯父の一周忌
 
伯父(実父)の他界後一年が経ちその法要の日が近づいてきた。彼は今どうしているのだろうと気になったので私は法要の二日前、朝の祈りの後で父を呼んでみた。我が家でそれをやる場合は必ず先に父を呼んでみて反応があったら次に伯父を呼んで欲しいと頼むことにしている。すると何時ものように彼は壮年の頃の姿で私の視野の左上部に現われたのである。「おう!ヒロシか、元気でやっているようだな!」とにこやかに微笑む。
 
彼の一番の関心事は子供達のことらしく、子供の名前が次々に出てくる。老妻のことは今は極楽状態でいると思っているらしく案じている様子は無い。「法事などに金を使って派手にやる必要は無い、一番大切なことは家族との心のつながりだ」と言う。その時以来彼と私の父の気配が身近に感じられるようになり場所に関係なく、すぐ傍にいるようであった。そして翌日いかにも教育者らしいメッセージが来た。
 
「夫婦や家族はお互いに長所を認め合ってそれを伸ばしてあげるようにしないといけない」。
 
「人生後半にさしかかった者は自分がそれまでに学んだものを世の中に還元していかなくてはならない」。
 
そして「長男夫妻には最後には迷惑をかけてしまった。彼らには心から感謝している」と言う。
 
さらに数時間後には「法事などの時は参加している人たちの心の中は丸見えでこちらからチェックされているようなものだ。こちらとしてはそういう時は子供達の心の成長具合を見るのが一番の楽しみ。寺の坊主は唯、法要という場を作っているだけである」。とのことである。
 
二日前から我が家の神の間と仏間に入ると父と彼(伯父)の気配が濃厚に感じられるようになった。どうも二人は法要の前から地上の家族のところに戻ってきていて皆が集まるのを楽しみに待っているような気がした。法要の行われる場所は我が家ではなく、かつての彼の家なのだが地理的な場所に関係なく霊的に波長の合う者の所に引き付けられるようで、私との間に磁力のようなものが働いているのかもしれない。
 
法要の当日はそれまでに私が経験したことがない位、彼からの語りかけがあった。その内容はプライバシーに関わることなのでこの場で公表するわけにはいかないが、お互いに愛で繋っている人間以外の人たちは、彼からは意識の外に置かれているようである。
そしてその場には他の先祖(彼の父)も来ているようであった。彼の父は去年の葬儀の折にも彼に付き添って葬儀場に来ていたようであった。先祖は自分の法要でなくても子供や孫達が集まると様子を見に来ているようである。勿論関心のない先祖は来ないだろう。
 
死後、肉体を離れるとこの地上世界(物質)の事には興味がなくなり家だの土地だのということはどうでもよくなるようである。我々は型どおりの儀式を終えて墓のほうに移動したがそこでは墓がリニューアルされて高価な石で作られたピカピカの石塔が何個も並んでいた。五月の太陽に反射して眩しいほどである。私は思わずその費用を尋ねてみた。「このくらいかかったの」と聞くと「そんなもので済む訳ないやろ」と一蹴された。これはすごいなと思って私は無意識の内に遠くの新緑の山々を眺めた。遠くの山を眺めると意識の波長をシフトすることが出来るのである。すると彼の声が聞こえてきて「墓などに金をかけて立派なものにしなくていい。墓は親族が他界した者を思い出すシンボルにすぎないのだから」。しかし私はこの話は伝えていない。
 
翌日からは彼らの気配はプッツリと消え去ってしまった。もう地上訪問は終わったということだろう。いつでも手の届く所にはいるけど、この世は親族が住んでいるという事以外、魅力のある所ではないだろう。
 
 
更新日時:
2011/05/16
前のページ 目次 次のページ

ホーム 真理を求めて インスピレーション 死後の世界 随筆集 意識の世界 プロフィール 遊びの話
フォトギャラリー 聖地を訪ねて 遍路の話 リンク集


Last updated: 2012/3/26