死後の世界

 34      初冬の海辺にて
 
珍しく疲れた午前の仕事を終え私は歩いて数分のところにある海岸に出かけた。対岸に屋島や五剣山が横たわり気持ちのいいところである。私は仕事で疲れたときには時々ここに来てリフレッシュすることにしている。寒いけれども爽やかな潮風が疲れた神経を癒してくれる。すぐ横の墓地の我が家の墓にも寄ってみた。ここの墓地は景色のいいこともあり陰気なものがなくサラッとしている。
 
墓石の前に立つと父の声がしてきた。声がしてきたと言っても五感の耳で聴くのではなく霊的聴覚といえばいいのか、とにかくそういう聴覚が働き始めるのである。
 
「変わりなくやっているか?墓やその他のシンボルはそっちの人間が気に済むようにしたらいい事だ。それはそっちの世界の人間にとって意味があるもので、霊界の人間がそういうものを要求したり注文を付けたりすることはない。寺や僧侶や仏事も同じ事でそれらの存在や行為が霊界に影響を及ぼしたりすることはない。あくまでもそっちの人間が必要と思っているだけのことだ」。
 
「人間はその時の自分の状況よりちょっと重いと感じるものを背負わされることになっている。少しばかり負荷をかけて歩き続けるのが人生だ。人間はそうしないと進歩がないからな。嫌だな、面倒だな等と言い訳したり逃げたくなる心に打ち勝って課題をこなす。そうすればそれを仕上げた時、心の底から喜びを感じる事が出来るだろう。逃げずにやって良かったと思う筈だ。そうやって少しずつ進歩していく、人生はそういうことの連続だ」。
 
更新日時:
2010/12/10
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Last updated: 2012/3/26