元僧侶から
今、エゴの強すぎる人は厳しい裁きを受けるようになっています。社会の動きを見ればわかると思います。これは地球環境的にもこれ以上人間のエゴを容認することは出来なくなってきたのではないかと思います。そこでそういう動きが出ているのではないかと思うのです。人々がそれに気付いて反省してくれたらいいのですが。
仏教界でも様々な修行があり難行、苦行に挑戦する人がいます。何を目的に修行をするのか?悟りを得る、真理を知ることが本来の目的だと思いますが人間は肉体をまとって生きているあいだはいくらそういう修行をしても真に悟る事は出来ません。というのは私は今こちらの世界にいますがこちらでは仏教で言う中庸という状態でいることは難しいことではありません。何故ならこちらは本来そういう世界であって自然にその状態になれるからです。物事を地上の世界にいるときに比べて客観的に偏らない目で見ることが容易に出来るからです。死後は普通の人はいずれそういう世界に到達しますから無理して肉体をいじめたり命がけの修行をすることは意味がないとも言えます。
生きている間は日常生活の中から様々なことを学び取るほうが自然ではないかと私は考えます。修行を通じて何を学ぶのか、そのことが大切なのであって修行そのものが目的になってしまっては意味がなくなります。自己満足、宗教上の位を得る、誰かに認められたいという目的から修行をしても得るものは限られてくると思います。普通の人が日常生活のうえで心がけたらいいと思う事は出来るだけ偏りの無い目で物事を見るように努力することです。つまり常に心をニュートラルポジションに置くように心がけると良いのではないでしょうか。心が動揺することがあっても最後はその位置に戻るようにするのです。そうすれば自分の感情の動きを次第に客観的に観察出来るようになります。
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