私は死後の世界は確実にあると思います。私が仏様を観想して得られた情報は次のようなものです。
「一般の人が考えている死ということは肉体がなくなるということで生命そのものは次の次元に移行するということである。多くの者は死んだということに気が付かない、何故ならまわりの環境は肉体を持ち地上界で生きていた時と比べて大きく変わらないように見えるからである。しかし死後の世界は肉体の束縛から自由になるので自分の想念がすべてを作る。自分の思うとおりの世界が現れるということ。例えば肉体を養う必要がないので金は必要なく自分がしたいことに打ち込むこともできるし行きたいところにも行ける。自分の意識の範囲内で自由であるということ」。
死ぬということは終わりではなく次の次元へのスタートである、または本来の所に帰るということではないかと私は思っています。弘法大師空海の言葉に「阿字の子が阿字のふるさと立ち出でてまた立ち帰る阿字のふるさと」というものがあります。これはご詠歌でもよく詠われています。人は阿字(真言密教でいう大日如来すなわち宇宙の命の根源)の分身でありその故郷からこの世に来ていたものが役目を終えて再び故郷(大日如来)に帰るということを謳ったものですが正にその通りであると思います。私の地方では中陰供養(初七日、二七日、三七日など)の時にこのご詠歌(梵音といいます)が唱えられていますがこれを唱える事によって死者を迷うことなく正しく導こうとしているのです。
以下は書籍などに一般によく書かれている死後の世界の説明です。
死者は自分の心の波動に合った所へ自動的に引き寄せられて行く。様々な煩悩や未練を持ったまま死ぬとそういう世界に行く。欲や恨みや怒りにあふれた世界、云わば地獄のようなところに行く事になり心が浄化されるまでなかなか上に行けない。そこにはこの世と全く同じものがあり自分が死んだという事が理解できない者もいる。一方死ぬまでに死後世界のことを理解し一応この世の欲などを卒業したものはもっと上のほうのレベルに進むことができる。これは閻魔大王が関所で振り分けるのではなく自動的にそうなる。魂は進化していくので次第に上のほうに上がっていくようになる。そしてある期間をあの世で過ごした後に本人が望めば再びこの世に生まれ出てくる。
最近の精神世界の主な説ではグループソウル(類魂)というものがありそこでは自分の仲間の集合体がある。霊の家族ともいうべきグループソウルは常に進化を目指しているのでいろいろな事を学ぶ必要がある。地上界でしか学べないことがあるのでそれを体験するために其の中の一人が地上に派遣されこの世で一生を過ごし学んだ事をその集合体に持ち帰り情報を共有する。派遣は本人の自由意志が尊重されるがテーマを与えられて地上に派遣される。自分の人生での宿命や生まれついての性格、考え癖などは自分ひとりのものではなく集合体として持っているものから来ている。派遣された者は死後に情報を持ち帰るだけではなく睡眠中に集合体本体に自分が得たものをフィードバックしている。
グループソウルは常に地上に派遣された者を見守りその喜怒哀楽をともにしている。派遣された者が死後迷った場合はグループソウルが助けようとする。最後はグループソウルに帰還して融合するが自己というものは失われることなく一個人として個性を維持する。そして再び進化の道をたどる。
|