死後の世界

 1      死後の世界はあるのか
最近のスピリチュアル系の本などの影響で死後の世界は存在するということは人々のコンセンサスになりつつあると思います。死んだら全て終わりと考えるのと死後の世界はあると考えるのでは人生は全く違ったものになってしまいます。
 
以下は私の実体験から得られた死後世界に関する情報です。
父が亡くなってから15年近くになりますが今まで数え切れないくらい情報交換がありました。夢で、仏壇で、墓で死者は我々に情報を伝えようとしています。しかし普通はこの世とあの世では波長が違うので我々が普通この世で用いるような手段ではコミュニケーションをとる事は出来ません。夢で意思を伝えようとすることは多いようですが残念ながら多くの人は目覚めた時に内容を忘れてしまっています。
 
数年前に私は奈良の法華寺の有名な十一面観音の写真の入った額を仏壇に置いたことがありました。その夜夢のなかではっきりと父の声がして「応接間の風通しが悪い」というのです。はて応接間とは?と思いましたが、ああ仏壇の事かとわかりすぐにその額を降ろしました。父は見知らぬ仏像の写真を置く事が気に入らなかったのでしょう。それから西国巡礼にも行きたかったらしく遍路の衣装で私と父と2人で巡礼に行っている夢もありました。それ以後私は巡礼などに行くときは父のことを意識しながら行く事にしていました。当時は仏壇の前でお経を唱え始めたころでした。その頃は読経をしているとピシッとかバキッという音(いわゆるラップ音)がしょっちゅうしていました。夜一人でやっていたら怖かったものです。お盆の時は一段と大きな音が聞こえ蝋燭の向こうに影が写ったり家の飼い犬が吼えたりとそれは賑やかなものでした。今思えば先祖の方々で成仏出来ていない人達だったのかそれとも私が拝んだりするのでビックリしたのかもしれません。今は皆さん成仏されたのか実に静かです。
 
仏壇で位牌や写真を見て父の声や生前の姿を思い浮かべていると大体意識が繋がっているようです。瞼の裏にかすかにイメージを感じることができるようになれば繋がっていると考えて間違いないようです。今父がどうしているかというと、これはごく最近の交信です。
父はあの世で学校のような所に行き何かを学んでいるようです。人間関係や時間に束縛されることもなく自由に楽しく生活できるのだそうです。「自分の生前の事を思い出すと一般に人が人生で追い求めるものは大して意味のあることではなかった。様々な事で葛藤してきたが今思えばそれは空しいものであった。今はとても良い所にいて快適だ、知り合いで苦しんでいる者がいるけど早くこっちに来ればいいのに。今の家や将来の事でもお前が好きなようにしたらいい」。そして何か馬のようなものに乗って去って行きました。もうこの世の事には殆ど関心がないという感じで仏壇の事で注文を付けていた頃とは違います。見えるビジョンはレースのカーテンを3枚ほど重ねて見たという感じです。我々がこの社会で普通に人々と会話したり姿を見たりする事に比べるとその鮮明度は低いものです。
 
さて亡くなった人たちは一体どこにいるのでしょうか?空の上や月にいるのではなくすぐ傍にいるようです。コインの裏表と言ったらいいでしょうか。彼らのいるところは我々肉体を持っている者たちには普通感知できないようになっているようです。説明に適切な言葉を見つけるのは難しいのですが次元の違う所にいるということです。我々がいる所は3次元の世界、亡くなった人たちがいるのは4次元の世界で向こうからはこちらの事はわかるけどこちらからはあちらの事がわからないということです。しかし眠った時には意識が自由になり4次元の世界に行ったり来たりしているのだそうです。
 
その4次元の世界では時間というものはこの世と測り方が違い過去、現在、未来が全て一つのものとして認識できるらしいのです。4次元の世界の上には5次元、6次元というレベルがありさらに上に上がると宇宙の創造主のところに到達するようになっている。霊が進化していくにつれ上の次元に登っていくらしいのです。地上界(我々のいる世界)、霊界、神界というような構造になっているそうです。詳しいことはスピリチュアル系の本に分かりやすく説明されています。
 
さて昨夜と今日の朝父との交信がありました。内容をここに載せるにあたっては父の了承を得ております。
10月19日夜
「こちら(あの世)に来てからそっちの世界(この世)で積もった塵をきれいにするのに何年もかかった」。向こうに山がありそこにはチベット寺院のような建物がみえる。そこは眩しいくらい光にあふれていてその前で父がにこやかに微笑んでいます。
 
10月20日朝
山と波静かな湖が見え手前が草原になっていてそよ風が吹いています。草が風になびいています。そこに父が立っていて付近に美しい女性も含め何人かの人がいますが皆優しい笑みを浮かべています。父のメッセージです。
「ここには心を乱すようなものが何一つなく人々は皆仲良く協力しあって生活している。こちらの景色は実に素晴らしい。その美しさは実際にこちらに来てみないとわからない。地上界(我々のいる世)での生活はものの道理を理解することが大切であり結果はあまりこだわる必要はない。なぜならそちらは仮の世界、修練の場なのであり真実の世界はこちらにある。そちらでは努力の結果が正しく出るということが少ないがその過程において学ぶ事に意味がある。成功して何かを手に入れるということが最終目的ではないのだから」。
 
 
更新日時:
2010/05/13
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Last updated: 2012/3/26