真理を求めて

 
 
7    人の人生は決まっているのか
人は時々先に起こる事の夢を見ることがあります。世間で人が亡くなる前に虫の知らせがあったというのはよく聞く話です。またそれ以外にも社会で起きる事件を前もって夢で見たというのもよく耳にします。潜在意識は覚醒中は気が付かないが寝ているときはふるさとのあの世に行っていろいろな事を学んでくるという話を聞きます。潜在意識は次元を超えて広がりすべてのことを知っているが人間はこの世に生きているときは肉体の中に封じ込められ本来の魂(意識)が持っている能力の何分の一しか発揮できない。あの世、4次元の世界ではこの世のようにはっきりした時間がなく過去、現在、未来というふうにはっきり分れていないという説があります。それらの説が正しいとすれば寝ている間に潜在意識が4次元の世界に行き情報を収集してくれば未来を知ることが出来ることになります。唯目覚めた時にはその多くを忘れるようになっているようです。確かに歴史上多くの預言者がいます。また星占いなどでその人間の未来のことが結構当たるということを聞きます。そういうものが的中する(当たらないことも多い)という事はやはり未来はある程度確定したものがあるのかもしれないと考えるのも不自然ではないと思います。前から時空というものに関心を持っていたのでこれをお大師様に聞いてみました。人は自分の未来を知る事は出来るのですか?すると答えはこういう事でした。
 
「人の未来は大体の骨格が決まっていて後は自分の自由意志で肉付けして仕上げていくようになっている。また自分が将来こうしたいと思う事は未来からの波動を受けてそう思うようになっていく。人の人生の大筋はあらかじめ決められていて西に向かって進んで行くようになっているものが急に東に行くようなことにはならない。一時的にそうなっても後で修正の力が働く。人はそれぞれに目的をもってこの世に生まれてきておりその目標を達成しなければならないからである。もし自分の未来を予測したいならば今まで歩んできた道を振り返ってみればその延長線上に未来があるということになる。
未来の出来事を具体的に知るということは人間には原則的に出来ないようになっている。考えてみればよい、あるスポーツの試合で勝敗がわかっているなら誰が見に行くだろうか?自分の将来の出来事が、また政治や経済界で起きる事が予め全て分かっていたとしたら一切努力する必要はなくなるではないか。人は先のことが分からないから一生懸命に努力するわけで分かっていたら努力というものを放棄してしまうだろう。事を成し遂げた感動、勝利の喜び、敗北の悔しさ、別れの悲しさ等そういう喜怒哀楽は先の見えないこの環境のもとでこそ体験し学べるものであり人はこの世でそういう体験や感動を通して魂の成長をしていくようになっている。この仕組みは人の進化のための絶対不変の宇宙の摂理でありもしそれが崩れたら世の中は成り立たない。故に人は先のことはあまりわからないほうが良く、その日その日を精一杯生きればよい」。
 
もう60近くなると自分の先のことが見えるような気がします。確かに先の出来事が分かってしまっていたら日常の営みが意味を成さなくなってしまいます。私は人の人生というのは本当は多くのことは決まっているのではないかと思うことがあります。宿命という言葉がそうです。特に生まれる時、結婚相手と時期、仕事、人との出会い、死ぬ時期など人生の大きなイベントはあらかじめ決まったものがあるのではないかと前から思っていました。自分や家族の事を振り返ってみるとそれを強く感じます。あれは初めから決まっていたのかと。主要な人生のターニングポイントを振り返って見るとおぼろげながら自分のコースが見えてきます。大きな骨組みが決まっているならあとの肉付けをするのが自分の自由意志ということになります。
 
パチンコ台を連想してみましょう。はじき出された玉は釘に当たってカンカンと弾き返され何通りかあるルートのどれかを通って最後は必ず下の穴に転がり込むようになっています。釘は想定以外のルートを玉が通らないように巧妙に設置されています。自由意志は殆どありません。その玉が昆虫など下等動物の一生です。人間はそんなことはありません。それではあまりにもみじめです。地上で最も進化した生き物ですから自由意志で行動できます。しかしすべてに自由でしょうか。
 
後に出てくるお釈迦様のメッセージの7月28日、4:50pmのところに「人は自分の力で何でも出来るように思いがちだが実際はこの大きな宇宙の摂理の元に生かされているのである」というくだりがあります。
そして弘法大師の「人の人生の骨格は大体決まっていてあとはそれを肉付けしていくだけ」という啓示、そして私たちは結局因果律という秩序の中で生きているという事などを総合的に判断してみると定められた枠の中での自由ということになるのかもしれません。
 
そうだとすると将来を案じたところで意味がないことになります。私たちは人生の青写真で大方の事を決められてこの世に生まれて来たのではないかと感じます。それならばその決められたコースの中で精一杯やるしかありません。人生の岐路で迷い悩んだ挙句に決断して道を決めたということがよくあります。結果がわかっていたら何も苦労する事はありません。でもそれでは何の進歩もありません。だからそういうことを知らないほうがいいのでその最中にいるときは分からないようになっているのです。人は進化しなくてはいけません。それが宇宙の摂理のプログラムだと思います。一体どんな形でそんなプログラムを設定することができるのかそれは全くわかりませんが宇宙の英知は私たちには計り知れません。余談ですが私は今まで自分の寿命を方々の神様や仏様に聞いてみましたがこれだけは絶対に教えてもらえませんでした。神仏は知っているはずですがそれを教えるのはタブーなのでしょう。もしそれをやるとルール違反、私はこの世にいられなくなるのでしょう。とにかく余計な事を考えず一日一日を命輝かして精一杯生きるということが宇宙の摂理に合う生き方だと思います。
 
 
更新日時:
2007/10/14

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Last updated: 2011/9/2