我々はよく神仏に色んな願い事をしますが本当に聞き入れてくれるのでしょうか。内容によるでしょう。近頃は自分勝手な願い事が多いと神職がぼやいているそうです。
自分のエゴから出た願い事はまず聞いてもらえません。願い事が人や世の中の役に立ち愛の心からなるものはおそらく叶うでしょう。但し結局は自分が努力しなくては成就しません。一生懸命やっているのに自分の手に負えないような障害が現れたときなどは神仏もよしわかったなんとかしてやろうと思うにちがいありません。そんな時霊験が現れます。
普段殆ど信仰心のない人でも危急のときは神様助けてくださいと手を合わせますがそれは潜在的に目に見えない大きな力というものが存在していることを感じているからでしょう。そういう時は普段傲慢な人でも謙虚で純粋な気持ちになっていると思います。
神や仏を敬うということは突き詰めれば大自然の偉大な力を敬うことで信仰の原点であると思います。また言い方を変えると神や仏というのは高次元の意識体ですからそういうものに通じる為には普段から通信回路を開いておかないといざという時に間に合いません。神や仏への通信回路、それが祈りです。祈りにおいてはお経や祝詞の上手下手より真心が何より大切です。
そういう神様や仏様でさえ因果の法則を超えて力を及ぼすことは出来ないのだそうです。神や仏でさえ因果律のルールを破ることは出来ないと考えてよさそうです。また神仏がこの世に姿を現したり直接手を下すということはありません。人を媒介としてその神威を現します。
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