私が感じるところではやはり違いがあるようです。神様の場合は一様にそのエネルギーが強く圧倒的な力を持っているように感じます。特に以前早朝に伊勢神宮の荒祭りの宮に行ったときは怖いほどのものを感じました。人間が一人で相対するということが恐れ多いと感じます。この国の最高神として非常に気高く尊く表現する言葉が見当たりません。伊勢神宮は宇宙エネルギーが直接降り注ぐ場所、天照大御神は宇宙神と言ってもいいかもしれません。伊勢は別格としてスサノオの尊を奉ってある島根の須佐神社もすばらしい神気が満ちています。スサノオノ尊は神話では悪役のようなイメージで捉えられていますが実は優しいところがあり私は時々アドバイスをもらいますがやはり底知れぬパワーを秘めた神様という感じです。総じて神様は自然系の超高級霊(そういう言い方が適切かどうかわかりませんが)という感じがします。この自然系をコントロールしたりしているのかもしれませんがやはり根本には愛というものを感じます。祈ると風が吹いてくることが多く偉大な自然の力を実感します。
一方仏様の場合は神様のようなパワーというものは感じません。知らないうちに心が溶け合っているような感じといったらいいでしょうか(真言宗の入我我入という感じです)目の前に圧倒的な存在感を感じるということはありません。やはり人間に近い存在、過去人間をやっていたのかもしれません。言葉で言い表すとしたら愛、知恵、悟りです。
これはあくまでも私の主観でありまたそれぞれの働きについては仮説なので人によっては感じ方が違うと思います。神仏は全知全能、人知の及びもつかぬ存在という捉え方をされているようです。確かにそう感じますが、必ずしもオールマイティではなさそうでそれぞれ得意分野があるようです。仏教に13仏がある意味からしてもまた僅かばかり感情というものもあるように感じます。神仏に可愛がられる人間というのも確かにありそうで社会的地位などは関係なく素直で飾り気のない性格がいいようです。神仏に接するととにかく清らかなエネルギーを感じ、心に持っていたわだかまりが一瞬のうちに溶けていきます。明らかにこの世の波動ではないことが肌で感じられます。そして全てをお任せしていいのだという気持ちになります。その時意識は多分違う次元にいるのだと思います。何も考えるな、考える必要はない、素のままで、己のありのままでいなさいという波動を感じます。
神仏など超高級霊は過去、現在、未来の時空に束縛されることなく瞬時に全てを把握出来るのだそうです。例えば人が問題を抱えていて救いを求めたとするとこちらが何も言わなくても全てをわかっています。交信は全てテレパシー、どんな遠くにいても瞬時に伝わり言語は必要がないらしいです。人が神様にお願いをしようと神社に行った場合、神様はこちらがものを言わなくてもすでに全部お見通しというわけで一切のうそは通用しません。
前に薬師如来を奉ってある山岳寺院に行った時のことです。仏様は人が来たらその人がどこが悪いかすぐ分かるのですかと尋ねると「一目見ただけで分かる、頭の色をみたらその人間がどこが悪いのかわかる」という答えがありました。その時はおかしなことを言うなと思いました。頭が皆ランプのように光っているとは面白いと思いましたが後でオーラが見えるようになってその意味がわかりました。確かに人のオーラの色はそれぞれ違います。ピンク、グリーン、黄色、紫、青など様々でそれは人の感情や性格、肉体の健康を表すとされています。仏様は人を見る時そのオーラを見ているのでしょう。実に面白い話です。私が今の時点で分かったと思っているのは神仏の実態のほんの一部だと思います。人間の力で測れるようなものではありません。
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