真理を求めて

 
 
3    神仏は実在するのか
私は以前から人の死後の世界など精神世界に対する興味を持ち、本などでは色々解説したものが多く出回っていますが唯そういうものを知識として理解するのでなく自分で直接見たり聞いたり出来ないものかと思っていました。また仏教にも親しんでいました。熱心に信心していたほうだと思います。するとどうしても出てくるのが本当に仏様はいるのだろうか?という疑問です。これは誰にでもあるのではないでしょうか?仏様がいないのであれば拝んでも意味がない、では死後の世界のことを仏様に聞いてみようと思ったのです。本当に仏様がいるなら教えてくれるだろう。今もそうですが当時私は観音様をとても信仰していました。そこで以下のようなことを試みたのです。
 
夜、家の仏壇の前で「観音様、人は肉体が死んでも魂は残り輪廻転生すると聞いています。しかし私は以前から疑問に思っていましたが人は多くの場合死期が近づくと精神の方もボケてきたりその機能は肉体と共に衰え死に向かっているように見えます。魂も肉体と一緒に無くなってしまうのではありませんか?どうか教えてください」と聞いてみたのです。するとその夜次のような鮮明な夢をみました。
 
10年以上前に亡くなった父が畑で懸命に農作業をしていてその横でこれも10年前に死んだ我が家の犬が若い時の姿で走り回っているのです。なるほど彼らは死んだけれどもこの世と違う所で生きているのだなと思いました。しかしまだ疑問点が残り、死ぬ時には魂は一体どういう状態になるのかわかりません。そこでその日の朝自室で瞑想し「観音様、そのとき魂はどんな状態になっているのか知りたいのです」。と心の中で再度質問をしてみました。するとすぐに以下のようなビジョンが瞼の裏に浮かんできました。脳の中で見るというか実際に肉眼でものを見るのとは違います。
 
プロペラ機が現われそれは着陸態勢に入っています。次第に高度を下げエンジンのパワーを落としゆっくりと着陸していきます。ビジョンはそれだけでしたが十分に理解することができました。魂は死という過程をスムースに通過できるよう飛行機のエンジンがパワーダウンしていくようにその活動を弱めていくということなのだろうと思いました。
そして観音様にお礼を言いました。その時以来さらに観音様との関係が深まり私は悩み事や問題が起きる度観音様に意見を伺うようになりました。そしてこれまで直接指導と言っていいほどに問題解決のヒントや人としての生きる道を教えて頂いたのです。
 
そうこうするうちに伊勢神宮に参拝する機会がありその素晴らしい神気に打たれそれ以来神道の世界にも入るようになりました。もともと日本は神道の国、寺と同じくらい神社があるのに寺だけ行って神社に行かないのは不自然だと感じていました。そして神社にも行き始めた頃、地元の神社で「神道と仏教は入り口が違うだけ、行き着く先は同じである」という神様からのメッセージを受けました。その後は一段と多くの神仏との交信が広がり現在に至ります。
人は本を読んだり人の話を聞いたりして知識を得ることができますが本当に身に付いたものにするためには実体験をすることが必要でありそこで初めて分かったと言えるのだと思います。私は医療人ですがこの業界においてもいくら勉強して知識を頭に詰め込んでもそれだけでは実戦においては殆ど役にたちません。全ての分野がそうであり信仰、宗教においても実際に自分が身を持って体験して初めて確信が持てるのだと思います。参考までに私が今までに受けた思い出に残るメッセージを次に紹介します。
 
伊勢神宮で 2006年2月
よくお参りに来られた。人にはそれぞれ本分があり人生においてそれを尽くすこと。日々明るく前向きに、物事のマイナス面を見るのでなくプラスの面を見るように、自分をよく知り長所を伸ばす事、そなたは子供達(私の子供達)を自分の力の範囲で導いてやりなさい。
 
西国巡礼、総持寺で 2006年11月
人は時々自分自身のことを客観的に見てチェックしなければならない。ともすれば独りよがり、自己満足に陥り易くそうなっていないか自己反省する必要がある。
 
西国巡礼、善峰寺で 2006年11月
人は過去のものを全て持っていては前に進めなくなってしまう。不要なものは捨て去らねばならない。
物事を理解するにはそれにふさわしい時期というものがありその時が来なければ本当に理解することはできない。
 
私はこれまで通常の方法で得た知識と実体験を比較検証しながら進んできました。実体験の骨格となっているのが神仏のメッセージです。そこから得た結論は神仏という存在は間違いなく存在すると思います。しかしこれを科学的に実証して見せることは出来ません。弘法大師、お釈迦様は歴史上人間として実在したことは間違いなく言い方を変えると人の霊との交信と捉えることも出来るでしょう。八幡神は応神天皇ということになっていますが天照大神、スサノオの尊など神道の神々はかつて地上に人間として存在していたことがあるのかはわかりませんから本当に存在するとしたら完全な神霊ということになります。精神世界の本などを見ると通常の人間が神など超高級霊と交信するのは不可能である。何故なら非常に次元の高い霊はその波動が霊妙すぎて人間の出す波動と合わせることは極めて難しい。神との交信をしたというケースは殆どが間に交信を中継する存在がいて双方の波動を調整する。その役を果たしているのはその人の守護霊であることが多いということです。私の場合もそうなのかもしれないと思います。
 
 
更新日時:
2007/10/13

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Last updated: 2011/9/2