真理を求めて

 
 
20    再生 その1
 
よく貴方の前世は何々であったという前世リーディングの話が出てくる。貴方は昔の有名な高僧や武士の生まれ変わりだとか歴史に名を残した人物の名前が上がって来る。しかしよく考えてみると歴史上の英雄などが今の時代に平凡な一般人として生まれ変わってくるなどということはおかしいと思わないだろうか。彼らは一体何を目的に生まれ変わってくるのであろうか。
 
前世リーディングの信憑性は別にしてその発想の元になっているものは仏教の輪廻転生説であろう。人は悟れるまで何十回でも生まれ変わるという思想だろう。そこで疑問に思うのは生まれ変わって子供の時から成人するまでの過程をまた繰り返すということに意味があるのかということである。生まれ変わって性懲りも無く、再び子供の時からの人生を一からやり直すというのはあまりにも空しいことではないだろうか。前の生において成し遂げられなかったものは何かということを考える時、その足りなかった部分だけを補充する事はできないのかと考えても不自然ではないだろう。
 
私は今の自分というものがそっくりそのままの人格でこの世に再生してくることはよほど特殊な事情でもない限り、有り得ないと考えるようになった。その根拠になっているものは色々あるが自分が直に感じるところでは亡くなった自分の親や親類縁者の存在である。私は瞑想や夢を通じて彼らと接する事があるが、彼らは生前に比べて遥かに優しく、慈悲深く、円満な人格に変容しているのである。言葉で表現するのは難しいが彼らのエネルギーや、その霊妙な波動というものはこちらを優しく包み込んでくれる。その波動はうっとりするほどの心地良さであり、彼らの存在を身の回りに感じながら過ごす時間は私にとって至福の時であり、現実に戻った時はがっかりするほどである。
 
人はこの世の重荷から解き放たれ平安な環境に住み続ければ自然にこの世離れのした人格になっていくのだろう。彼らが生前持っていた幾つかのネガティブな要素というものは消え去っており、いわゆる煩悩というようなものはこの世に暮らす事によって後天的に付加されるものではないかと思う。このホームページの「死後の世界」の中の父との交信で「そちらの世の穢れを落とすのに10年かかった」という父のメッセージがあるが、この世というところはあちらの世界から見ると相当に穢れたところなのだろう。大多数の人はこの世を去って暫くすると煩悩から解放されるのであろう。そういう観点から推測すればこの世で行き抜く事は修行、それ自体が行なのである。
 
勿論何事にも例外がありそういう境涯にない霊界人たちもいるだろうが数においては少数派であろう。例外を除いてこの世の穢れが浄化され霊的に本来の姿に戻りつつある彼ら霊界の住民が、折角そこまで進むことが出来たのに何を好き好んで穢れに覆われたこの地上界へ舞い戻りたいと思うだろうか。それは後戻りを意味することであり、余程の動機と覚悟がなければ出来ないのではないだろうか。
 
 
更新日時:
2009/10/24

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Last updated: 2011/9/2