法則に順応したり逆らったりしながら生きているのが我々の姿ではないだろうか。誰一人として完璧な人間はいないのだから。もし自由意志というものがなかったら人間は進歩することがないだろう。機械的に摂理のままに生きていくならば植物や下等動物と変わらないからである。人生は絶え間ない思考と判断、実行の毎日である。我々はその時正しいと思った事をするしかなく、やがてその結果が法則に照合されて返って来る。そこでその結果に対して新たな反応をしてまた結果が返って来る。失敗を重ねながらその都度反省して次には以前より良い結果を出せるようになる。それが成長、進化というものであり、それは完全を目指して永遠に続くのであろう。そして完全は永久に達成されることはないのである。
我々がもしある程度以上のレベルにあるならばこの地上世界に来る必要は無かっただろう。では死後は極楽浄土に行き、一切の煩わしいことから解放され毎日楽しい暮らしが待っているのであろうか?そうは思えない。人間というものは憧れていた生活を手にしても暫くしたら欠けているものが目に付き始めて物足りなくなるものである。誰しも経験すると思うが極上のリゾートに行き時間を過ごしていてもやがて、退屈さを感じてつまらないと感じるようになるのである。最初は極楽に思えたところがその内に極楽と感じなくなってしまうのである。つまりどこまで行っても際限が無いということになる。
そういうところを見ると人間というのは一箇所に留まることなく永遠に進歩を目指すようにプログラムされているようである。あちらの世界でもこの世で学んだことを基に常に向上を目指し、次々と新たな課題が見えてくるのではないかと思うのである。
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