真理を求めて

 
 
15    生命の姿と時空
今までに自分が理解できた範囲の事を簡単にまとめてみた。所詮小さな窓から大空の一部を垣間見たに過ぎないと思うが。
 
宇宙の生命力は宇宙全体に顕現しており多くは地球人が認識出来ない超物質、あるいは非物質と言えば良いか、とにかくそういう形で存在しているようである。この地球自然界は宇宙の生命が物質化して顕現している場所であり宇宙全体としてはユニークな場所かもしれない。地球上では生命の本質があらゆる生物や自然界の構成物に物質として形を表わしている。生命のエッセンスあるいは本質(その表現が適切かどうかわからない)が物質化するためにはある条件が必要で強い磁場やその他何らかのものを必要とするのだろう。それが無ければ物質としての形態を維持出来ないのではないだろうか。
 
人間は地球自然界で最も高度な生き物だが生命の本質(霊、あるいは意識)が人体に宿り人としての高度な精神的、肉体的活動を操っていると思われる。霊、意識は本来は神の一分子といってもよく、非物質の世界を本拠地とし次元や地理的条件に左右されず自由自在に活動できる能力を持っている。しかし一旦肉体に宿ればそのエネルギーの多くは肉体を維持し活動させる為に使用されていて若いときは特にその傾向が強い。そのために活動はほぼ物質の世界に限局されることになる。基本的にこの地上世界では死後肉体を去るまで霊本来の働きは押さえられ肉体を通じてしか自己を表現できないようである。
 
人間の本質は霊(生命)であり肉体と融合して出来たものが精神である。人の日常生活の思考や行動は精神が司り霊が意識される事は殆ど無く間接的に影響力を及ぼしているのだろう。精神は霊から派生したものだが肉体や人の生後の生活環境によって大きな影響を受ける。霊は本来ピュアーなものなので性格の歪みや悪事に染まる者などはどちらかと言えば後天的な要素が強いのかもしれない。レベルの高い順に霊、精神、肉体となる。
 
地球上の物質界は生命の本質が物質に宿りそれらを進化させ、自らが幾多の体験をすることによって成長を目指す場所なのだろう。生命が地球に来て物質に宿り体験を積んでは帰っていく。ある意味でそこは実験室と言ってもいいところかもしれない。高度の知性をもった存在が静かに成長を観察しているのかもしれない。
 
我々が感じている時間というものは人工的なものではないだろうか。社会活動の便宜上地域によって時差を設けたりサマータイムで時間を変更したりしているということからも絶対的なものではない。時間の測り方も現在時間として認識されているものは自分のいる所を座標軸として天体の運行を元に考えられたものだろう。地球の自転や太陽の周りを公転していることを基準にして一日や一年が作られ一日を24時間に分け、また一時間を60分に分け、1分を60秒に分けてというふうに。現代社会では厳格に時間を守らないと社会活動についていけないということから人は時間に縛られていると言えるだろう。
 
またもし他の天体に高度な生命体が生息していて彼らが時間を設定するとしたら地球時間とは全く違ったものになるであろう。天体の運行をもとに時間を考えるならば木星の時間、土星の時間、金星の時間というものが出来るに違いない。さらに太陽系、銀河系、銀河団というようになるだろう。以上は物質宇宙の話で物質の目で見るとそういう発想が出てくる。現われては消える寿命に限りのある物質の世界においては時間というものは無くてはならないものになる。
 
だが次元の違う非物質の世界においては話が違ってくる。全ては永遠に存在している、生まれることも滅することも無いという環境では地上世界のような時間は意味を持たない。物質という壁が無いので移動は瞬時、意志は距離に関係なく直ちに伝わるというのなら我々が考えるような時間は必要が無いということになる。過去も未来も無く今があるだけという事になりはしないだろうか。般若心経の不生不滅、不増不減が当てはまるような世界なのかもしれない。般若心経は日本では幅広く知られその意味を説こうとした書籍が多く出ているがどれを読んでもなるほどと思えるものは見当たらない。
 
般若心経
「人間が五感でもって認識している物質の世界は実在ではないのです。実在そのものである生命の本質は生まれる事も無く滅びる事も無く増える事も減ることもなく普遍的に永遠に存在しています。宇宙は命そのものでありその実在を知るならば、生命の実相を知るならば迷ったり苦しんだりする事なく心安らかに正しく生きられるのです」。
 
後半の部分は意味不明ではあるが私は般若心経は大体こういうことを説いているのではないかと感じている。意味は分からないが唱えていれば宇宙の霊力が現われるとする考えはもはや時代遅れである。意味が分かることで意識の働きが活性化して祈りが届くのである。現代人は先ず理性で理解して物事に取り組むべきであろう。盲目的な信仰は感心できる事ではない。意味も分からず闇雲に唱えても空気中に振動を起こすだけである。
 
以上のなかで頭を悩ますのは時間の解釈である。とにかく我々は生まれた時から時間を絶対的なものとして叩き込まれているのでその観念は強烈でその枠から出ることが極めて難しい。次元、時空というものを具体的にわかり易く表現できないものかと思っている。いずれもっとクリアーに理解、表現できる時が来るのではないかと思う。
 
とにかく宇宙生命は常にあらゆるものに顕現しようとしているようである。その力は言葉で表現しようのないもので森羅万象すべてにその生命力が現われているのである。人の死を生命の終わりなどと考えるのは大間違いでその後の進化が人の目に触れないだけのことである。常に新しい発見、進化を目指しそれは止まる事を知らないのである。
 
 
 
 
 
更新日時:
2008/11/14

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Last updated: 2011/9/2