真理を求めて

 
 
12    私と故郷小豆島
私のような凡夫に何故神仏がメッセージをくれたりするのか不思議な事です。今までそんな事があり得るはずがないと思っていました。これは妄想ではないのか、今まで何度もそう思い疑ってきました。しかし日常的にそういう事が度重なると信じないわけにはいかなくなってきました。私や私の家族が日常の出来事で問題への対応を考えているとその度に直接答えを教えるのではなく高い所から的確な指摘で真理を教え 人として生きる道を指し示してくれました。それは普通の人間の視点ではとうてい及びもつかぬ英知にあふれたものでした。どれほど今まで助けられてきたことでしょうか。
 
ある時知りたい事があって本屋に行くとします。すると立ち止まったところにそのことを書いた本がある。または自分が持った本を無造作に開けてみるとちょうどそこに知りたい事がかいてある。オーラのことを考えていたらインターネットでメールが来てオーラの入門書があったので注文して読むとすぐにオーラが見える。シルバーバーチのことを知り本を取り寄せたら今まで知りたかったことが全部書かれていた、そしてそれは去年感得したお釈迦様のメッセージの内容とほぼ一致していたことなど。
 
そういう事が続くともうこれは誰かがある目的をもって私を導いてくれているとしか言いようがなくなってきました。そしてそれは確信に変わっていったのです。そして私は次第にこういうことを自分のものだけにしていていいのだろうかと考えるようになりました。ちょっと躊躇したのが神仏のことなどを真顔で語ると神秘主義者、オカルト趣味と受け取られかねないことでした。まだまだ特に日本は精神世界の研究が遅れていると思います。医学の世界などでちょっとでもそういうことを言おうものならたちまち異端者扱いされてしまいます。今のところ私が得たものを科学的に証明する手立てはありません。しかし今の科学は精神世界のことは殆どわかっていないと思います。そういう事象は説明できないから存在しないとする考えかたは正しいのでしょうか。ガリレオは天動説を否定して迫害されましたが後で彼は正しかったことがわかりました。そういうことは古来枚挙にいとまがありません。人はそういうことを繰り返しながら真理を発見してきました。
 
今多くの人々は迷いの中で苦しんでいます。例え一人の人でも私の書いたものを読んでその人生に光明を見出す事ができたらそれでいいのです。これを読んで疑いの目で見る人のほうが多いかもしれませんがそれでもかまいません。心に残るものが一つでもあればそれでいい。そう思いついに勇気を奮って自分が今までに学んだものをまとめてみました。私は唯の上からの中継者、メッセンジャーに過ぎません。人より秀でたものなど何もありません。上からのメッセージを世に伝える、それが今の自分の使命だと思っています。私は怠け者で自由が好きで今まで自由奔放に生きてきました。海や山が好きでこれだけは若いときに堪能しました。ただ欲は少なく金も生活に必要なだけあればいい、名誉や権力というものにも全く関心がありませんでした。今は夕食のとき缶ビール一本とちょっとしたつまみがあれば十分、グルメの事も知りません。争いや競争は好まず夜は目が悪いしテレビを見ていたら眠くなるので10時過ぎには寝てしまいます。唯ちょっとだけ霊感というものがあったみたいです。
 
そういう人間だからこそ仏様が「今の世の乱れをなんとかしなくてはいけないが私たちの願いを人間に伝えるのに有能な人間は皆忙しそうにしていて私たちの話など聞いてくれない。あ、ここに丁度いいのがいた。能力は低いけど暇そうだしちょっと私たちのサインを受け取ってくれそうだ。メッセージの受信センターをこいつにしよう」。そういうことで私は受信機にされたのだと思います。唯もう少しすると「もうお前も年取って受信性能が落ちてきたな。もうこのへんでいいよ。今までごくろうさん」と言われるかもしれません。そうなるともう二度と私は仏様や神様の声を聞くことが出来なくなります。その前に何とか今まで学んだことをまとめておかないといけません。そして今までさんざん迷惑をかけ続けてきた自分を育て助けてくれた親や家族、周囲の人たちにはこうして自分に出来ることをする事が恩返しにもなると思います。
 
私が生まれ育った小豆島はやさしい自然の気であふれています。多分どこよりもそのエネルギーは優しく穏やかだと思います。海外にいる子供が帰る度に言います。「こんなに海も山もあって景色の素晴らしいところはどこにもないよ。本当にきれいだ」と言います。そして四国88箇所のミニ版、島88箇所があります。スケールこそ小さいものの素朴で景色は四国より綺麗です。また神気にあふれる神社もあります。伝統の農村歌舞伎や秋祭りの鮮やかな太鼓台の乱舞も存続し続けています。
 
朝は日の出の太陽のエネルギーを両手の平に受けて私の一日は始まります。夕日の神々しさは最近ひとしおのものがあり神を感じることが出来ます。私の神仏のメッセージは殆どこの島で授かったものです。小豆島の守り神は星ガ城という島の最高峰に鎮座されます。祭神はこの島に弥生時代に君臨したと言われる女帝“大野手姫命”です。古事記にも記載されています。
私はハイキングをかねて時々そこに行っていますが若々しく気取らぬ神様です。行くととても喜んでくれます。神様は「この島は将来癒しの島として島外からも癒しを求める人たちが集う場所になって欲しい、それがこの島の生きる道」と言われます
この島は近年過疎化が進み観光客も減り毎年500人くらい人口が減っています。このまま行けば将来危機的状態になるのは目に見えています。この島の財産それは美しく神気にあふれる自然と温和な人々、それしかありません。先ずは宗教関係の人たちが教派、宗派の垣根を越え力を合わせてそれを大きな力に変えていって頂きたいと願います。
 
人が信じるべきものそれは宇宙の真理です。そしてそれはシンプルそのもの、愛、調和、進化を目指す道です。ある人は宗教で、芸術で、ある人は自分の仕事で、又は日常の生活でそれを知る事が出来ます。日々明るく前向きに、自分の本分を尽くし、プラス思考で生きればよいのだと思います(伊勢神宮の神示から)。私たちは常に宇宙の摂理に囲まれて生活しているのです。最後に弘法大師の言葉です。「ある者は北からある者は南からそれぞれ進んで行っても必ず最後に両者は会う。なぜなら真理は一つしかないのだから」
    
 
更新日時:
2007/10/12

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Last updated: 2011/9/2