室戸の宿に同宿していた中年のライダーのグループがドカドカとけたたましい排気音を残して出発した後ゆっくりと出発する。彼らはハーレーや国産のアメリカンバイクに乗って四国をツーリングしている連中である。バイクでも高級車?に乗っていると夜の間に盗まれやしないかと心配になるが我がホーネットであればそういう心配は無用、ツーリング遍路は余計な事に気を使わないのに限る。高知の室戸から足摺までは太平洋を見ながら潮風を一杯に受けて走れるのですこぶる気分がいい。思わず“南国土佐を後にして”の歌をヘルメットの中で歌っている。27番の神峯寺は難所でタイトな急坂が続く。道幅が狭いので車だと対向車に気を使うがバイクはそういう心配は無用、山上の駐車場に停め、料金はいくらと尋ねると「バイクはお金は要りません」とのこと。ここは高野山派の寺で山の上に立派な伽藍を構えている。
高知は広さの割りに札所の数が少なく、ちょこちょこと止まらなくてもいいのでバイクで走るには都合がいい。歩き遍路にとっては札所間の距離が長いので修行の場になるのであるが。神峯寺を出て阪神タイガースがキャンプを張る安芸市を通過、55号線は土佐くろしお鉄道に沿って高知市につながる。夜須町を過ぎると28番の大日寺があり近くに坂本竜馬歴史館がある。2年前に来たことがあるが今回もう一度訪れてみたが館内はリアルな蝋人形が歴史に残るシーンを再現しており訴えてくるものがある。
前に山口県の萩にある吉田松陰の資料館に入ったことがあるが吉田松陰の声なのか鼻にかかった声がしきりに語りかけてきてしようがなかった。蝋人形にはその人の霊が宿るのではないだろうか。龍馬の蝋人形からはそういう声が聞こえてくるようなことは無かったが龍馬という人はあれだけの事を成し遂げもう何も思い残すことはなかったのだろうか。吉田松陰も幕末に歴史を変えるべく活躍した人間を多く育てた人であるがあるいは無念の思いで死んでいったのかもしれない。その想いが蝋人形に込められているのだろうか。これは推測に過ぎないが、もう一度行ってみれば何か分かるかもしれない。何しろもう前の事なので。
このエリアは高知市近郊で29番から32番までが適度な距離をおいて散らばる。四国を回っていると寺の数が多いので一箇所にじっくりと留まるわけにはいかない。どうしても次のところへ行くにはどのルートを走ろうかと考えてしまう。そのせいか仏様の波動を感じたり何かのメッセージを得るということは出来にくい。寺の質のせいではないと思うが西国巡礼と比較すると違うものがあるようだ。ひとつの寺で十分に時間を過ごし仏様の息吹を感じるにはやはり西国のほうに軍配が上がると思うが西国と四国、どちらも巡礼には違いないがちょっと違いがあるのは確かだろう。五台山にある竹林寺、海が見渡せる禅師峰寺、それらを参拝し終えこの日は浦戸大橋を渡って桂浜に宿を取る。
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