翌朝は今までの雨が嘘のように上がり素晴らしい秋晴れになりました。久しぶりに見る太陽の光のなんとありがたい事か!体中にエネルギーが充満してきます。しかし張り切った所で歩き遍路は今日の昼まで、午後は高松に向け帰らねばなりません。その夜、高松で会合があり役員である私は出席しなければなりません。ああ、欠席で返事を出しておけばよかったのにとつい思ってしまいます。
藤井寺は11番、次は12番の焼山寺ですが今回は到底無理なのでパス、13番の大日寺を目指します。JR鴨島駅から電車で府中(コウと読む)駅まで行き、そこからタクシーで大日寺へ。もう電車に乗るのも遍路衣装でも抵抗はありません。大日寺は焼山寺から歩いてくると20km以上あります。11、12、13番の間はいずれも長丁場なのでしっかり計画を立てていかないと安易な気持ちでは臨めません。宿泊、食事、水などの補給を考えておかないと途中にはコンビニもめったにありません。また焼山寺のあたりは携帯電話も通じにくいようです。
大日寺から14番の常楽寺へ2.3kmの道のり、道中国道沿いを歩くので大型トラックがゴーゴーと私の体から1mにも満たない距離をすり抜けていきます。トラックの巻き起こす風で体が押されそうになります。四国を歩いていて一番いやなのがこれです。
乗用車もそうですが歩いていると車というのは本当に脅威なのです。歩き遍路のための遍路道があるところは実にいいのですが一般歩道がなくすぐ横を車が走りぬけ、しかも道路の幅が狭くて身の危険を感じるところが沢山あります。
車は世の中を劇的に便利に快適にしてきましたが、車はもろ刃の刃、人はそれによって大きなストレスも受けています。車社会になって人間のエゴが一段と強くなったように感じます。トンネルの中は最悪でしょう。長いトンネルが遍路のコースの中にいくつかありますが排ガスをまともに吸ってしまうのでそれだけでも危険です。また暗くて狭いトンネルは視界が悪くドライバーがちゃんと確認してくれなかったら重大な事になります。
さて常楽寺で昨日の横浜から来た夫婦と再会しました。彼らは私におにぎりをくれましたが昨夜泊まった遍路宿は良心的で朝、昼の弁当に大きなおにぎりを作ってくれたのだそうです。大きくて食べきれないので良かったら食べませんかということです。
私は遠慮なくそれを頂き写真も写してもらいました。どうも他の遍路さんは私を見ると食べ物を恵んであげたいと思うようです。何故でしょうか?
彼らは私よりは長い計画で回っていましたが通しで回るのではなくやはり区切り打ちです。区切り打ちとはいくつかの寺を参拝して一度帰り、また次の機会に来ていくつかを回るもので大多数の遍路はそうしています。通しで回るとは一度に88箇所全ての寺の参拝を済ませる事です。歩きで“通し”をやるには体力、時間、お金、精神力を要します。本来四国88箇所は歩いて回るように設計されています。誰が考えたか実によく出来ています。
また四国は都の人から死国と呼ばれていたそうで四国を遍路するというのは死を覚悟で来ていたらしいのです。白装束の遍路衣装は何時死んでもそのまま埋葬できるように、埋葬した上に杖と菅笠と置けば墓標になるという具合です。盗賊や野獣も出没していただろうし途中で病に倒れて助からなかった遍路も大勢いたことでしょう。また昔は家を追い出されて四国に来て死ぬまで四国を回り続けた人がいたということです。実際四国遍路というのは命がけの事だったに違いありません。今は交通機関の発達で車を使えばかなり早く回れるけれども四国遍路の真髄を味わうためにはやはり歩くのが一番だと思います。
常楽寺を出て15番の国分寺へ、このあたりは札所間の距離が短く楽に移動できます。晴れた日の歩き遍路は気分も軽やか、1つ鼻歌でも、という雰囲気になります。
鈴も乾いた音を立てて上機嫌です。こうしてこの杖と共に四国を歩いていると本当に杖は相棒という感じになってきますが良く見ると私の杖はバナナのように曲がっています。
まる2日間雨に濡れたあと陽に当たって乾燥して反り返ってしまったのです。本当によく曲がったものだな、これはもしかして自分の心が曲がっているという事なのか?いや、やはり安物の木を使っているからだろう。でもこれだけ曲がると他の人のと間違えられることはあるまいなどと自問自答しながら小さな商店街を歩きます。
同行2人とはお大師様と一緒という意味ですが自分と一緒と言ってもいいと思います。私はチリンチリンと曲がった杖を突いて歩き、ついに今回の遍路行の最後の札所、観音寺に到着しました。観音寺は街中の小さな寺でどこにでもあるようなお寺です。ふと見るとさっき常楽寺で会った若い女性の歩き遍路が先に来ていました。彼女は関東のほうから来ていましたが話しをすると一昨日雨に打たれて発熱して昨日は一日宿で寝ていたのだそうです。どうも歩き遍路は東京をはじめ関東地方から来る人のほうが多いようです。まだ熱が引かないということでしたが遍路の途中では病気など予期せぬ出来事も起きるので最初の計画どおりにはいかないのです。葛根湯を持っていたので風邪薬あげようか?と言うと、いえ薬はもう飲んでいますからということでした。私はやはり人に何かを恵むより恵みを受ける方なのでしょうか、特に食べ物を?
これで今回の歩き遍路2日半は無事に終えることができました。殆どを雨に打たれ続けましたが実に充実した時間を過ごす事が出来ました。この後私はバイクを主に利用して残りの札所を回り終えることになりますが、四国を回るなら歩き遍路は他のどの手段よりも何倍も深く体験して学ぶことが出来るものだと思います。歩き出した瞬間から社会的地位や財産などから自由になれ、進むほどに心の裃が取れてきて素敵な笑顔が見られるようになります。頼れるものは自分の2本の足だけ、その足で歩いて得られるものはその人の人生の財産になることでしょう。
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