最近のスピリチュアリズムのブームで一躍その名が知られるようになった神社ですが確かにここは清浄で強い神気に溢れています。主祭神は須佐之男尊でここ島根県の須佐は高天が原を追われた尊が降り立ったという伝説が残っています。土地の人の厚い信仰がこの神社を支えているようです。参拝殿がありそこが吹き通しになっていてその向こうに本殿があり神鏡や御幣を見ながら拝むようになっています。島根は神話の国、良い神社が一杯ありますがどこもシンプルで素朴、古代から人々が自然信仰をしてきたというそのままの形が残っています。研ぎ澄まされた自然の力を素直に表現したらこういう形になるのだろうというものをここ須佐神社では感じる事が出来ます。
この神社で感じるものを一言で表わすならば比類の無い力強さでしょう。そしてその力は極めて清浄でもあります。ここに来ると、何者も畏れるな、強くあれというエネルギーを全身で感じ百万の味方を得たかのような気持ちになります。本殿は出雲大社に比べるとコンパクトながら力強く溢れるようなパワーを感じるものです。今回拝殿で祝詞をあげた後ちょっと神様に質問をしてみました。これから先私はどういう心構えで生きればいいのでしょうか?という問いに対する神様の回答は一言で言って「偏りのない目で物事を見ること」ということでした。その後本殿の周囲を歩いて周り大杉の前に来た時、再び神様にある人の事を聞いてみました。それらの二つのメッセージを一まとめにして1月31日の「神仏の言葉」に記しました。
偏りなく物事を見るということは仏教でいう“正見”ですがこれは簡単な事ではありません。人は人生を長く生きるほどに物の見方はバイアスがかかってきて色眼鏡越に見るようになってしまいます。自分は正しい、相手が間違っているのだ、それに欲の心が入ってくるともう正しい判断力は失われます。偏り無く物事を見られるというのはすごい事ですがそうなったらもうこの世にいる必要はないのだろうと思います。私はもう少しこの世にいたいのでそれを目指すということにします。
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