3年前の年の瀬も近い12月の半ば私は西国巡礼でまだ回っていない京都のいくつかの寺を回るために京都を訪れました。今熊野観音寺、清水寺、六波羅蜜寺、と殆どを歩いて回り清水寺の次に霊山にも寄りました。そこは幕末の志士の墓や資料館のあるところで坂本竜馬と中岡慎太郎の墓にもお参りをして霊山資料館にも入ってみました。
そこには例の近江家で坂本竜馬と中岡慎太郎が潜んでいたところを襲撃された時に架けられていた掛け軸が展示されていました。いまだに血痕が生々しく付着していてぐっと身に迫るものがありました。そういうものにはその事件の起きた時のエネルギーがまだ残っていて見るものに訴えてきます。私はそこを後にして疲れた体を引きずって六波羅蜜寺にも参拝し日暮れにようやく四条のホテルにたどり着きました。早朝5時過ぎに家を出ているので疲労も極に達しています。そのホテルは大浴場があり私は風呂が大好きなので疲れた体を大きな浴槽に沈めていい気持ちになることが出来ました。
他の客が皆出てしまい私一人になったので観音経や般若心経を気分よく唱えていました。浴室に反響して独特な雰囲気になります。すると読経に合わせてチーンチーンという鐘の音が聞こえてきます。あれっ誰が鐘など叩いているのだろうと思い読経を止めると鐘も鳴り止みました。気のせいか、風呂で鐘など叩くものがいるわけがない、疲れているからだろうと思い読経を続けました。するとまたそれに合わせて鐘がチーンチーンと鳴り始めました。これは変だぞ、一体誰が叩いているのか?ちょっと気味が悪くなってきました。
そこで恐る恐る読経を再開してみると待っていたようにきっちりと鐘が鳴り始めたではありませんか。湯気に煙る浴室を見渡しても私以外に誰も居るはずはありません。読経を止めるとそれはぴたりと止まります。それまで十分に温まったはずの体がゾクッとしてきました。わたしはすぐ浴槽を出てすばやく体を拭き脱衣室を出て横のサロンでマッサージチェアーに腰掛けました。そこに誰か居ればいいのに人影はありません。到底そこでマッサージをする気分ではありません。
すぐに部屋に戻り直ちにレストランに行きビールを注文しグラスのビールを一気に飲み干しました。やれやれやっと人に会えた、そこでは多くの客が楽しそうに夕食を楽しんでいます。この後自分の部屋に帰って一人で寝るのは気味が悪いなと思いながらビールに続いて酒を注文し、かなり酔ってから部屋に帰り疲れていたこともありベッドに横になりました。枕の横に観音様のお守りを置き「観音様、守ってください」とお願いしながら。と知らないうちに眠っていました。
後で思えば京都は古い歴史の街、これまでに幾多の戦乱があり人々の念が一杯蓄積していることでしょう。あの鐘の音はおそらく誰かが私の読経に共感してくれたのでしょう。悪意、敵意があってのものではなかったと思います。私は霊感体質なのでそういうものを感知しやすいのです。あの時は異次元の世界に足を踏み入れていたのでしょう。お経にはそういう力があります。その日に清水寺で買った千円の観音様の御札、私はそれを仏壇に置いていますが殆どの観音様のメッセージはその御札を通して降りてきたものなのです
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