6      FJ1100

このバイクを買ったのは確か85年あたりだったと思う。当時は日本の国内では750ccまでしか正式には販売されていなかった。それ以上の排気量のものを買う場合は輸入車しかなかった。日本のメーカーは当時も750以上のバイクを生産していたがそれらは全て外国への輸出用でそれらを手に入れるには逆輸入という形で買わなければならなかった。規制があるために国産なのに輸入しなけれはならないという変な形になっていたのである。
 
その頃は国内仕様の750CCは確か77馬力に規制されていたと思う。海外向けは排気量の規制もなく出力もフルパワーということで逆輸入車はバイク乗りのあこがれの存在だったのだ。当時のFJは最高出力125馬力、最大トルク10.5という今でこそ平凡なものだが当時としては桁外れのものであった。私はその性能にあこがれてFJを購入したわけだ。FJで方々にツーリングに行った。一番思い出に残っているのが信州へのツーリング、高速を吹っ飛んで長野県のほうまで出かけた。車を追い越そうとアクセルを開けるとすぐに180kmくらいになってしまう。そのときのヒュイーンという音は何とも心地よいものであった。
 
寒さに震えながらコーナーを駆け抜けた霧の志賀草津道路、煙たなびく浅間山を見ながら走った鬼押しハイウエイ。5月で残雪が残っている野沢温泉でスキーも楽しんだ。尻焼温泉の河原の露天風呂も思い出す。ちょっと苦い思い出としては軽井沢のガソリンスタンドでガソリンを満タンにしていざ出発しようと車体を傾けると突然エンストしてしまった。大きなタンクも満タン、後ろには荷物を満載ということで傾きかけたら止まらない。ここが重量バイクの欠点である。しまったと思う間もなくバイクはごろりと寝ているではないか。軽井沢は高地なので酸素が薄くエンストしやすいのである。
スタンドの人が飛んでくるのが見えたので必死でバイクを起こす、その重い事、重い事、多分250kg以上はあったろう。スタンドの人が大丈夫ですかと尋ねるのでああ大丈夫ですよと答えたものの腰が痛い。バイクを見るとサイドミラーがぐにゃりとゆがんでいる。工具を取り出して懸命に直したが気が付くと汗びっしょりになっていた。そのFJを手離してから10数年、思い出は遠くなってしまった。
 
更新日時:
2007/12/27
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Last updated: 2010/12/17