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弘法大師 |
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何故人は不安を抱くのか、先のことが分からないから、目隠しされているから、そして自分は一人であり誰の支援も受けられないと思っている。確かにこの世に修行に来ているのは事実、しかし自分を導き見守ってくれる大きなものがあることを知らねばならない。心を静かにして耳を澄ましてみればそれを感じ取ることができるはずだ。君の思い、行為に自然にその力が現われてくるのである。心がけるべきことは常に確信を持って大きな方向性を見ていくこと、小さな事に囚われていてはいけない。後でそれらは他愛も無いことであったとわかる時が来る。
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242
須佐之男尊 |
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人は試練の山を越えて真実を見る。その時今まで自分に絡み付いていたものが消え去っている事に気付くであろう。
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243
お釈迦様 |
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古来より宗教は大自然の摂理を表現してきたものであった。その時代、地域、民族の状況によって表現方法が異なるだけで本質はどれをとっても同じものである。またどの宗教をとっても所詮人間が作ったもので完全に真理を表現したものはない。現在多くの宗教が形骸化しつつあるのは高度な文明のなかに生きる現代人にとって昔の人の説いた教え、表現方法が合わなくなってきているからである。人が大自然の摂理を理解できるならば宗教という形のものは必要ではない。あえて宗教という言葉にこだわるならば大自然の摂理こそが真の宗教である。
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244
天空より |
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いつも神のほうを向いていなさい。何が起きようとも貴方を真に脅かすものはありません。
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245
天照大御神 |
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生きる事に喜びを。一日のうちで何か1つ自分の魂を喜ばせることをしなさい。
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246
天照大御神 |
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人間はつい目先の小さな事にこだわり本流を見失なうが、物事は見る角度によって如何様にも見えるもの。高いところから大きな視野で見ることが肝要である。
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247
弘法大師 |
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現在、世の中が不安定になり人の心も揺さぶられている。日頃から恨みや怒りの念を持ち続けていると低い意識の階層に感応し、そこに引き込まれて思いもかけぬ行動をとる者が出てくる。いわゆる憑依現象というものである。表面の現象だけを見ているとより一層不安な気持ちになり易いがこれらの出来事は社会に極端なものを見せているのである。人の心も2極化しつつあるが高い意識を保っていればこういう時期は一段と高いレベルに到達することができる。こういう時は実は天から啓示などを含め様々な形で導きが来ているのである。
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248
須佐之男尊 |
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難しいことは神に任せて日々を感謝の心で楽しく暮らせばよい。今、世の中に起きている事は全て必要があって起きているのであり次の段階に進むべく淘汰の動きである。
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249
天照大御神 |
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宗教をやっているから心が清いのではなく、宗教に入らずとも元来心の清い者は清い。宗教の世界に身を置いたからといって心の穢れは容易に取れるものではない。宗教人であるか否かは天から見て意味を持つものではない。
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250
観世音菩薩 |
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自分はこうしたい、こうありたいという目標のない人生はつまらない。目標を持ちそれを目指す事によって人は磨かれる。唯流されるだけという人生は進歩を放棄することである。人を含め全宇宙のものは進化を続けるように創造されている。
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251
須佐之男尊 |
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物事の本質は単純なもの、人間はそれを複雑化してわざわざ難しく考えてしまう。そもそもこの世の出来事は人の心が創造したもの、自分の身の回りに起きることは良くも悪くも自分が引き寄せたものであり誰のせいでもないのである。
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252
弘法大師 |
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私は崇められ、祭り上げられるのは苦手である。私はごく普通の人間であったのだ。唯、停滞することが好きではなく進歩、向上を目指していたがそれは今も変わらない。皆に伝えたいことの1つ、それは先入観と固定観念が心の曇りを生む。定期的にそれらを払いのけることが大切だ。
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253
天照大御神 |
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神というものはそなた達から遠い所にいるのではない。特別な修行をしなければ分からないというものではなく常に身近な存在なのである。皆、神の子なのだから。
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254
天照大御神 |
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人は神の摂理の中で生かされていることをよく知り神の意思に調和して生きるならば幸せを感じて生きられよう。またその力を受けて大きな事を成すことも出来る。逆にその摂理に逆らうと様々な苦しみや不調和が生まれてくる。全ては自分次第なのである。
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255
弘法大師 |
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人が人生で遭遇することは全て自分の身に相等しいことであり、他人と比較する必要は無くまた意味もない。自分の道を全うすればそれでよいのである。
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256
弘法大師 |
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自分は偉いと思っているような僧侶はその実少しも仏に通じていない。驕りの心は仏との回路を閉じてしまう。
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257
天照大御神 |
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そなたも神の一部であり宇宙の全てのもの、自分の身の回りに起きる事も神の表れである。全ては1つでありそこから離れて存在するものはない。
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258
弘法大師 |
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自分がしたいと思う事をしたらよい。進みたい方に進めばよい。してはならないというものはない。潜在意識の声を聞きそれに従えばよい。それは自分本来の道につながっているはずである。
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259
弘法大師 |
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私が1000年以上前にやったことは天に導かれての事であった。誰かが私の為にそういう道を準備していてくれたという表現がふさわしい。そして私はその為に生まれてきてその道を歩めばよかったのである。歴史上何かを成す人間は皆その使命を受けて世に生まれてくる。そして天の導きのもとに自らの本分を全うするように出来ているのである。この事は全ての人において平等であり誰しも自らの本分を果たせばそれでよい。世に目立つ事をするのが偉大なのではなく天から見ればそれぞれの価値に違いは無いのである。
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260
弘法大師 |
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この世に完成された宗教は無く真言宗もまた然り。宗教というものは信じる者たちの心の中で育て、発展していくものであるから。形として残されたものを守り維持していくだけならば進歩は無い。各自が成長し学んでいくことが真の宗教の姿であり、それには心が自由でなければならない。宗教もまた時代と共に進化しなければならないのである。
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261
天照大御神 |
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国も宇宙の法によって裁かれる。過去の歴史を振り返ってみればわかるはずである。宇宙の法は存在するもの全てに及びその法に不調和なものは早かれ遅かれ必ず制裁を受ける。宇宙の法、それが神の働きなのである。
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弘法大師 |
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宇宙のあらゆるものは一つの法則の元に動いている。人が考え行動する事も全てこの法則の中にあり何人もその法則に逆らって存在することは出来ない。中国やミヤンマーの自然災害は偶然ではなく理由があって起きたのである。誰しもそれらの国の生き方を見れば思い当たるはずである。人の目には見えないがこれとて因果応報の現われであろう。自然が人間に反省を促しているのであって最近とみにその動きが加速しているようだ。多くの犠牲者の為に祈る心を持って欲しい。
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263
弘法大師 |
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普段の生活においてはなるだけ次元の低い事は考えないように。祈る時には万物の調和を願うとよい。
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264
天照大御神 |
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日々幸せに生きられることに感謝して喜びの心で暮らしなさい。
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265
天空より |
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世界にある主要な宗教の開祖は皆、天啓を受けて真理を知りその教えを広めようとしたものである。啓示を受けた個人によって表現方法が異なっても内容は大きく違わないはずである。何故なら真理は1つしかなくまた単純なものだから。宗教に関わる人間が多くなるにつれ本来の啓示は人間の思念によって純度が失われ複雑、難解なものとなる。それは真理と人との間に介在し人はその夾雑物を見てそれを真理と思ってしまうのである。
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266
天空より |
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宇宙と1つになるには形式や飾り物は要らない。迷信から心を開放して、自分の心に素直になり、ひたすら真実を求めなさい。そうすれば真実が貴方に近づいて来るのです。真実は天地自然の法則、これしかないのです。
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弘法大師 |
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事を成すには強い心を持たねばならない。己の弱さを克服しなければ何事も成らぬ。
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268
弘法大師 |
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真言宗は私を神のように祀り上げる事から卒業しなければならない。世の中あらゆる事が進歩しているのに真言宗は時を忘れたかのように止まったまま。あらゆる宗教は個人崇拝であってはならない。私は真理を伝える者であって真理そのものではないのである。
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269
観世音菩薩 |
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真実に目覚めていけば様々な宗教の虚実が明らかになるはずである。宇宙の法以外に真実は無い事を知るだろう。人は霊的に進化するにつれて、今までのような宗教を必要としなくなるだろう。
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270
弘法大師 |
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自分の周りに起きる出来事の中に宇宙の法則が現われている。偏りの無い目で見るならば見えるはずである。人により気付くか気付かないかそれだけのことである。
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