211
弘法大師 |
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日常生活の出来事にあれこれと心を砕いている自分、誰しもそれが自分というものの全てだと感じるのは当然であろう。実はそれは本当の自分の氷山の一角に過ぎず、大我あるいは本霊とも呼ぶべき大きなもの、それが本当の自分自身であり人生の大枠を決め総指揮を司っているのである。そしてそれは次元を超えて存在する。一般の人間にとって人生で遭遇する矛盾や不可解な出来事の意味するものはわからないが霊の眼で見ることが出来るならば本霊の意図を知ることが出来、それらが一本の線となって人生を貫いていることが理解出来るだろう。
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天照大御神 |
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この世には意識の進化のレベルが違う者が入り混じっている。それは実に千差万別であり動物から進化してきたばかりの者もいれば過去に神界に近いところから降臨してきた者もいる。彼らの魂の進化の差は地上時間にして何千年から何万年にも及び下のレベルの者には上のことはわからない。これら全ての者が画一的に学ぶ方法は無く一つの物差しを適応することはできない。地上に各ある宗教は真理を学ぶための下準備、心構えをつくるところで言わば出発点、そこから各自が置かれた環境の中で学び成長していかねばならない。人間一人一人の道は皆違い一人として同じ道を歩む者はいないのである。
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213
弘法大師 |
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人が歳をとり肉体が衰えやがて死んでいくということも生命現象の一つである。地上の人はそれを生命の終わりと捉えるが本当は死んでいくのではなく生命が肉体を脱ぎ捨て次の段階へと進化していく動きなのである。人の目には触れないがそういう現象の裏には深遠なる生命活動のエネルギーが満ちているのである。宇宙の全てのものは止まることなく進化を目指して生命活動を営んでいる。
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214
天照大御神 |
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行いの伴わない祈りは無意味である。何もせず唯祈っていても何も変わらない。人間はこの世では肉体を使って自分を表現するように作られているので思念だけで物事を動かすことは出来ない。人が真心から人間や世の中のためになることをしようとする時、援助を求めるために祈ることは効果があるがその場合も先ずは人間が最善を尽くさなければならない。神々と言えどもこの世の事は人間の手を借りなければ影響力を行使することは出来ない。
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215
弘法大師 |
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宗教も含めて全ての事はその時代が求めているものが現われるのである。昔の人間は宗教的儀式やその道具、作法などを必要とした。それらは当時の優れた表現方法であったわけだ。時代が進み人類も格段に進歩した現在においてはそれらのものの真の存在価値は無くなりつつある。当時の人間にとってはそういうものが真実であったが現代においては真実というものはもっと洗練されていて次元の高いものになっているからである。
何故なら真理というものは人間の進歩に伴い広く深く理解されてくるものであり限界のないものであるから。宇宙が常に進化を続けているのにいつまでも昔の遺骸にしがみついていては進歩は無い。昔の人の手によって書かれた経典も絶対視すべきではない。というのは如何なる経典も真理の一部を表現しているに過ぎないのだから。人々は私が真言宗開祖として1200年前の姿で高野山にいるなどと考えてはならない。今の私はそういうものを遥かに超越した世界にいるのである。
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216
天照大御神 |
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祈り
祈りが通じるためには自分へのこだわりを捨て神の懐へ飛び込むような気持ちになること。神と1つになろうとする心、これが大切。祈りの技術や口上が通じるのではない。心の底からの波動が届くのである。祈りは自分の霊格に応じて届く範囲が決まる。
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217
八幡神(亀山八幡宮) |
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素直な心には調和と平穏が近づいてくる。曲がった心には対立と不調和が寄り添う。
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218
弘法大師 |
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現在は大量の情報が瞬時に世界を駆け巡るので人々の反応が画一的になり烏合の衆と化している。情報の洪水の中で人は自分の頭で考える間もなく流されて正常な判断力を失っている。実際に見たわけでもなくその場に居たわけでもないのにその事件を体験したかのような錯覚に陥っている。社会全体が大きな勘違いをするようになってきている。
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219
弘法大師 |
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型を敬うな!形を拝むな!宗教人は目に見えるものを追いかけてはならない。
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220
弘法大師 |
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私に通じようとすれば心から”南無大師遍照金剛”と呼びかけてくれたらそれで十分。それ以外のものは必要が無く、飾りのようなものである。殆んどの者は”飾り”を敬い拝んでいる事に気付かない。
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221
天空より |
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全地球レベルで現在宇宙の高層界より地上の人間に真理が降ろされている。それはある特定の人間や宗教を通してではなく固定観念に縛られず意識の開けた者、霊的感性の優れた者に直接授けられる。はっきりしたメッセージの場合もあれば無意識のうちに自分の行動となって現われる場合もある。世界には各国特有の文化や宗教がありその国民の個性に合ったものが届けられる。日本人の場合は身近な存在としての国や土地の神々、あるいは先祖など霊的につながりのある存在からそれは届けられることになる。人類の意識の覚醒、浄化を目的として大霊団が組織されている。
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222
弘法大師 |
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近年は時間の経過が早く誰しも今までとは違う何かを感じているはず。物事の進展が非常に早くなり長引くと思われたことでも急転直下で解決したりしている。全てに変化が激しいがそれはこの次元に変化が現われてきたからである。
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223
天照大御神 |
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神と波長を合わせること、それが出来れば神意が理解できるようになる。世の実相が見えるようになり宇宙の摂理と調和することが可能となる。
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224
天照大御神 |
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世の中に起きることも人の身の上に起こることも、この宇宙での出来事は全てが必然であり偶然は無い。大自然の法則の範囲を超えて起きるものは何一つ無い。
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225
天空より |
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2012年終末論についての見解
その意味するところは人類の成長、進化のための学びであり意識の覚醒が求められている。人類は常に進化しなければならずそれは苦難を乗り越えることによって成就されるものである。経済の混乱を始め全ての事はより良いものを生み出すための試練である。
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226
天照大御神 |
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人間は自分の心の持ち方しだいでどのようにでもなる。心を浄化して神に近づくこともできれば、悪しき想念に囚われて最低の次元に落ちることも可能である。
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富岡八幡宮 |
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祓戸大神 : 今の世界市場の混乱は歪みを修正するための動きであり不要なものが削ぎ落とされているということ。人はこれまで幻を追いかけてきた事に気付かねばならない。人間にとって本当に必要なものは無くなることはない。自然界に起きていることなども含めて真実の目で見れば何も恐れる必要は無いことがわかるはずである。
八幡神 : 秋祭りは住民の喜びを発揚させる場、人々は素直に楽しんでほしい。
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228
天空より |
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この先如何なる変化があろうとも今の混沌の中から真実を見出すこと。それが貴方が永遠に持ち続けることの出来るものだ。
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観世音菩薩 |
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人は人生で遭遇する局面、局面で自分が最善と思えることをすればそれでよく、それ以上のことを考える必要は無い。
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天照大御神 |
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地上世界のあなた達が感じている時間というものは物質の世界の時間でありその時間というものは物質と共に存在する。地上に生きるあなた達の目は現われては消える物質に焦点を合わるように出来ているので悠久の時を認識して物事の全体像や因果関係などを知ることは難しい。
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231
弘法大師 |
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自分にしか出来ないものを人は皆持っている。何気なく行っている生活の中にそれはある、あるいは隠れているはず。それが自分の宝、自分を一番活かす道。
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弘法大師 |
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霊界においては下層部を除いて各宗教は統一され1つのものになっている。そもそも地上の人たちが考えるような宗教というものは無く、かつて始祖と呼ばれた者たちは1つの真理(宇宙の真理)の元に協力しあっている。そこでは地上のように宗派や教派、時代の区別は無く、釈迦、キリスト、モハメッドなど偉大な指導者達はお互いに通じ合い人類や地球の進化向上の為の事業に当たっている。
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233
天空より |
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外部のことにあれこれ気を取られるよりも自分の姿を正しく知ることが大切。定められた各宗教の修行等をするよりも自分の日常生活の様々な出来事の中から神の摂理を学びそれを実生活の中で生かして行く事のほうが神の御心に沿う生き方である。神の摂理は貴方の日常生活のあらゆるものに具現しているのだから。
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234
天照大御神 |
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生まれながらの天分、資質は自分の魂の故郷から与えられたもの、その願いを知り自分がこの世に送り出された目的に気付き、それを成就できるように努めなさい。そして如何なる時も自分を導き、見守ってくれる存在がいることを忘れないように。
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235
観世音菩薩 |
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一生懸命やって生きがいを感じられるもの、楽しいものには実体がある、空しく感じるものは実体に乏しいと考えてよい。目の前に現われる事に正面から取り組んで行けば自然に道は開ける。
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236
天照大御神 |
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それぞれの人間には生まれながらにして多くの情報が組み込まれており各自の能力もほぼ定められたものがある。人はそれを大きく超えることは出来ない。懸命に努力して成し遂げたと思える事でも実はそれは計画の範囲内であったということになるのである。地上界にいる当人にはそれはわからないようになっている。
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237
天空より |
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真言やマントラ等を唱えると宇宙意識に通じる事が出来るのか?宇宙の深奥まで届くのか?それは昔からその宗派の宗教者や信者がそれを営々と積み重ねて出来た集合意識に届くのである。
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238
観世音菩薩 |
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日々、貴方の身の回りに起きる出来事はそれらが何の脈絡もなく単独で起きているのではありません。それらは皆意味があり繋がっているのです。貴方が心で想い行動した事は必ずある結果を引き寄せます。そしてそれに対する貴方の反応がまた新たな結果を生みます。作用と反作用が網の目のような宇宙のシステムの中で永遠に繰り返されます。宇宙に存在するもの全て、誰一人としてこの法則から外れるものはありません。
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239
弘法大師 |
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この世に生まれて唯ひたすらに一つの道を歩む者もいるがそういう者は外から大きな力が働いているのである。自分自身で道を選んでいるように見えても実際はその道は設定されそこを歩むように導かれているのである。自身は自らが選んだ道と思っていても陰にはそういう目に見えない力が働いているのである。
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240
天空より |
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汝がイエスキリストを念じて祈る、または釈迦を念じて祈ったとしてその祈りは届くであろうか。イエスに届くならば同時に釈迦にも届いているのである。その逆も同じである。
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