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天照大御神 |
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真理と理解力
真理は人間の理解力に応じて授けられる。人類史上1つの真理が様々な宗教という形をとって表されてきた。それはその時代の人々の理解力に相応したものであった。真理への理解力は人の進化と共に高まる。
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182
天空より |
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生きた真理を
般若心経は中和と鎮静作用以外にさしたる意味は無い。瞑想状態を作るには良いがその意味を探ろうとして深読みしないほうがよい。祈りは生きた宇宙の霊力と向き合い、そこからインスピレーションを受けて内なる自己を啓発させるものでなければならない。難しい経の文句を如何に上手に唱えたところで、生きた霊力と通じていなければ単なる経読みロボットでしかない。
教義や経本はあくまでも誰かが作った方便であり、真理を知るには身をもって体験するしかなく、それらは代役はしてくれない。教義や教本を絶対視してしまうと自らをその範囲内に限定してしまうことになり、身の回りにある生きた真理から目を閉ざしてしまうことになる。宇宙の生命力も閉ざされたドアからは入れない。
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天空より |
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神、仏とは
古来より人々が神、仏と呼んできた存在は全て高級霊のことである。民族の神、国の神、地域の神と呼ばれるものは太古の時代に霊界から降臨した使者を神として祀り上げたものである。人も霊であり肉体をまとっている事が霊界の住人との違いであり、人に宿る霊は本質的には彼らと同じものである。人は皆霊的連鎖で霊界の高級霊ともつながっており、遥かな時を経て高級霊に進化する者も出てくる。
神仏と感応するための特殊な祈りや作法は必要なく、人々は未だに勘違いをしている。高級霊といえどもある意味、人間的存在であり、何よりも心に愛を持ち、人や世のために尽くせる人間を歓迎し導く。神(高級霊)の御心に近づこうと努めることがその繋がりを強めることになり、それは人生の目標でもある。
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184
天空より |
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祈りとは
祈りとは高級霊に導きを求めるもの、自らの意識の波長を霊界の高い階層に合わせようとすべきものである。例えばお経や祝詞を唱える時に祈る対象を霊的に実在するものとして感じているだろうか。霊的実在に対して意識の焦点が合っていなければ、世間でありがたいとされている祈りの文句を機械的に繰り返しても意味がない。祈りは自分を素直に表現することが最も望ましく、人々が後生大切にしている難解なお経の文句や呪文は実のところ高級霊にとっては意味不明なものである。
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185
弘法大師 |
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信仰の対象
将来の人々の信仰の対象は昔の人の手によって作られた人工的なものから実在するものへと変容していくだろう。壁が取り払われ霊的真理が次第に理解されるようになる。盲目的なものから理性的なものに、複雑なものから単純明快なものに、形式的なものから自由なものへと時間をかけながら移って行くだろう。
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天空より |
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霊力はあまねく
貴方のまわりに溢れる生命(霊)の力を感じてみましょう。目を閉じて少し瞑想をしてみましょう。すると貴方の周りには霊力が溢れていることに気が付くことでしょう。その霊力は貴方の気付きを待っているのです。貴方が心を開き受け入れる準備が出来ればその宇宙の力が流入して貴方を霊的に目覚めさせ真理の道へと導くのです。その力は限られた場所にしかないのではなく地上にあまねく存在しています。
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187
お釈迦様 |
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争いの心
心を静寂に、日に一度は自らを静寂な環境に置くこと。悪しき想念とは争わないこと。争わなければそれは出した本人に還り、自らの魂を汚す。争いの心は人間の魂の進化を阻害する。
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188
天空より |
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素直さが鍵
素直さが真理体得への鍵である。人は幼児のように純粋な心になれるなら容易に真理を知ることができる。人間は高等であるが故にあらゆる思考のバリュエーションを持つが生活環境によって思考回路に1つの傾向が出来てくる。そこで思い癖というものが出来る。それが固まってしまうと修正は容易ではない。先ずは素直な心になれるかどうかである。
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189
天空より |
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人は何故余計なことを考えてしまうのか
人間はある事に確信が持てない時、つい余計なことを考えてしまう。取り越し苦労というものだが次々と煩悩が泡のように吹き出すものである。しかし幾多の体験を重ね、霊的に向上するに従い、世の事も一身上の事にも法則が働き、未来に起きる事は今やっている事の結果であり、法則を越える事は起こらないことを知るようになる。やがてそれが確信に変わる。そうしてこの宇宙の法則と調和した生き方をするようになれば無駄なものにエネルギーを費やすことはなくなる。
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190
弘法大師 |
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新年に向けて
「不動の心」
揺れ動くものに心を奪われてはいけない。如何なる時も自分を見失ってはならない。”不動の心”で。
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191
天照大御神 |
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新年に向けて
「真心と愛」
今は人の心が荒廃してそれが世の中を不穏にしている。”真心と愛”これはどのような時代においても、如何なる道を進もうとも人として最も大切なものである。
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192
弘法大師 |
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人々は今や金を信仰するようになってしまった。金に支配され金の為なら何でもするようになっている。そこからあらゆる問題が生じている。金が人間を幸せにするのではない。金はこの世での生活のための道具に過ぎない。こういう時期であるからこそ人々は今までの金に対する考え方が間違いであったことに気付いて欲しい。人が人生で目的とすべきことは人格形成であり、未来永劫持ち続けることのできるものは霊的成長によって得られた資産のみである。
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193
天照大御神 |
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霊の目と物質の目
殆どの人間は本来の自分という存在を正しく認識していない。今、自分が感じている世界を全てだと思っている。その世界は物質の世界であり実相の影なのである。物質の目で見る限り物質界という狭い範囲のことしか分からない。個人の身の回りに起きる出来事の奥には霊的真理が潜んでいて、それが真実に繋がる道である。。日々、物事を物質の目だけでなく霊の目でも見るように心掛けることによって人は次第に霊的真理に目覚めてくる。
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194
天照大御神 |
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この世に生きている者も無意識のうちにそれぞれの意識の階層で住み分けをしている。人は自分に合うところが最も居心地がよく、自然にそのレベルに収まりその中で活動するので他の階層の事は意識の外に置かれる。人は自分の意識が進化していくに従い過去において自分を悩ました問題の意味するものが分かるようになり囚われから解放される。逆に過去の恨みなどにいつまでも囚われるようなら、それは出来事の真の意味が理解出来ていないということであり、自分の意識が進歩していないということになる。
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195
天照大御神 |
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今は瞬時に世界中が同じ情報で満たされる状況になっているがそういう事は人類史上無かった。その為地球上に巨大な集合意識が発生しやすい。それが事態の進展を急激に、また一方的にしている。人々は出来事に過剰反応し、極端な事が起き易い。集合意識に飲み込まれてしまうと正しい判断は出来ない。こういう時代なればこそ真実を見る目が要求される
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196
弘法大師 |
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こだわりを無くして心を柔軟にするならば生きた教え、啓示が身近なところにあることに気が付くであろう。遥かな昔に作られた教えに縛られ続けることは過去に生きているということになる。今は個人のレベルで真理が降ろされる時代になっている。今、人々のすぐ傍にそれは届いていて心の開けた者は受け取ることが出来るのである。頑固な心はそれを拒んでしまう。
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197
天照大御神 |
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人類の心が形として表れたものが地上世界の様相であり、人の持つ心の総てが地上に反映されている。そこには調和と協調の欠如という人類の課題が表れているはずである。もし総ての人類が霊的に覚醒、成長すると仮定するならば進化した人間は地球上に生まれてくる必要がなくなり大半の人類が地上という三次元の世界から姿を消すことになるだろう。
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198
天照大御神 |
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現在の世界経済の混乱は人間が自ら招いたもの。自分のやった事の結果が現われているだけのことでそれ以外のものではない。世界の出来事も個人的な事も全ては神法(宇宙の摂理)に照らし合わせてした事の結果が返ってくるだけである。誰かが意図的に罰則を与えているわけではない。今求められているのは調和の心、人間同士や自然環境との調和である。
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199
天照大御神 |
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自我に目覚める時
故郷を出て最も離れた所に放り出されそこから故郷へ帰っていく過程が人の人生である。生まれた時が最も遠くやがて人生体験を積むうちに貴方は自分の中に宿る神の存在に気付く時が来る。自分の人生の目的、使命が分かるようになり今まで眠っていた神性が目覚め霊的向上を目指して活動を始める。自分は神の一部、宇宙の根源につながる無限の存在であることを自覚するようになる。それが本来の自分を知るということでありそこから貴方という存在の永遠の進化への道が始まる。
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200
天空より |
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仏教もキリスト教もイスラム教も存在しない。それらは人の観念の中以外には無い。 実在は大宇宙の生命のみである。
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201
天照大御神 |
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性格が歪んでいるとはどういうことか
性格が歪んでいる、ひねくれていると言われる人間は魂が未熟であり自分をどう表現してよいかわからないのである。エゴが強く自分中心にしか物事を見ることが出来ない。社会的地位や年齢に関係なくそういう者は魂の年輪が浅いということである。
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202
天照大御神 |
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人は皆神の子、その命(霊)は神から分かれたもので全ての人間の中に宿る。殆どの者はそれを知ることなく自らを物質の闇に閉じ込め、愚かな者は誤った考えから他人を傷つける。それらの者は自分の中の“神の火”が消えかかり闇の世界を彷徨い続けている。全ての人はそれぞれが神の分霊であり地上にその意思を表現するために現れたのである。人に宿る霊(命)は本来神そのものであること、そして如何なる極悪人といえども神との絆は決して切れることはない。分霊であるから切ろうにも切れないのである。人は総て神の子、その真実を知ることが何よりも大切である。
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203
天照大御神 |
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古いものを一旦壊さないと新しいものは生まれない。今はそういう時期である。出来うる最善のことをしておけば全ては良きに計らわれる。
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204
天照大御神 |
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未来は現在やっている事の結果、今存在しないものが忽然と未来に現われることは無い。現在一人でも目覚めるものが増えれば未来の世界は良くなる。また人間の進歩を目指す気持ちには限りがなく人の使う道具はより環境に適したものが発明されていくことだろう。
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205
天空より |
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今、貴方の前に現われている事、それが貴方が学ぶべきことなのです。寺や神社で拝んだり誰かに聞いたりすることではありません。貴方の周りに真実があるのです。貴方にとっての課題が今目の前に現われているはずです。それらを1つずつ解決していくことがこの世に生まれてきた目的なのです。
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206
天照大御神 |
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貴方達の人生は真の意味では自由自在ではない。またこの世で色々体験する事は実は自分一人だけの為ではなく他の誰かの為にもなっている。人は時々大きな力によってその方向に引っ張られる時がある。憑かれたように、磁石に吸い寄せられるようにその道を進んで行ってしまう。貴方達の目には不可解であろう。それが長い魂の歴史から生まれた因果律、宿命と言われるものである。
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207
天照大御神 |
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今地球上にいる貴方は本当の自分の中の一部であり貴方という存在の全てではない。貴方は他の次元で生活している自分の分身がいることを知っているだろうか。強い絆で結ばれ喜怒哀楽を共にし影響を及ぼしあっている者、それは水先案内人でもあり人生という事業の先駆者でもある。その者が地上時代にやり残した仕事を貴方は受け継ぐ。常に貴方と共にあり貴方を通じて事業の完成を目指す者、それが守護霊、次元を超えて共に体験を共有し学ぶもう一人の自分である。
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天照大御神 |
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歳を重ねると時間を速く感じる理由
本来時間というものは地上世界の尺度で、天体の運行を元に人間が定めたものであり人の観念の中に存在するものである。人は肉体が衰え始めるとそれまで肉体のほうに注がれていたエネルギーは意識のほうに少しずつ移動し始める。物質の世界に焦点を合わせていた意識は目覚めてくると肉体の束縛を超えて時には真理の光を見たりするようになる。
実は人間の意識にはもう一つの時間を認識する機能が存在していてそれが働き始めるのである。もう一つの時間とは本来の時間であり、時間とは実は永遠の現在なのである。過去、現在、未来と別れて存在するのではなく繋がっていて1つのものとしてあるのである。人は年齢と共に時間の感覚にずれが生じてきて時間が経つのを速いと感じるようになる。
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天照大御神 |
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人は誰でも使命を持ってこの世に来る。この世界で何らかの形で貢献をする為に、また自分に不足しているものを学ぶ為に。この世での人生には必要な体験が出来るようにあらゆるものが用意されており目の前に現われる事は必要があって現われるのである。いくつかの出来事は本人に気付きを促す為にある。人類は体験、理解、成長という循環を繰り返すが一つのことを理解するまでに何回も同じ内容のことを体験しなければならないことがある。
わかるということは魂のレベルでわかって初めてわかったと言えるものだからである。その種のものを早く学び終える者ほど進化しているといえるし何回も同じ事を繰り返すならば自分が未熟な証拠である。退歩といえる時期もあるが長い目で見れば進化を目指して進んでいるのである。そういう事を一体誰が指図しているのか?実はそれは自分が望み引き寄せているのである。宇宙意識に通じた大いなる自分がそれを求めているのである。
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亀山八幡宮(八幡神) |
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人間が一生のうちに出会う人間はすでに決まっている。一生を通じてお互いに陰に陽に関わり合う。全ての出会いは意味を持ちあたかもドラマのようにお互いの役を演じるようになっている。それは今生だけではなく遥か昔からの因果関係によるものであり本当はそれらの相手を深く知っているのである。人の出会いは完璧なタイミングで起きるはずである。
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