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インスピレーション、1 |
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全ての生命の根源、ここでは大霊と表現しましょう。万物は大霊からのエネルギーによって養われています。インスピレーションはそこからのエネルギーの一つと考えたらいいでしょう。一人の人間には幾つもの中継拠点を経て、届けられます。
人はインスピレーションを霊的身体で受信します。祈ることはその活動を蘇らせ活性化することになります。オーラが見えたり植物などの波動を感じたりするということは霊体が活動しているということで、霊界にある自分の意識の本体と通じやすい状態になっています。インスピレーションは誰もが受けています。誰でも何かの問題の解決策を思案している時にフッと解決方法が閃くことがあると思いますがその多くはインスピレーションです。
殆どの人はその閃きがこちらから送られたことに気が付かず自分の考えでそういう案が浮かんだと思っていますがそれでも構わないのです。気付かなくてもいいのですが本人が気付いてくれてこちらの存在をわかってくれたらやり易くなり、より良い関係が築かれることになります。人間一人一人にはそれぞれ霊のファミリー(類魂の仲間)がついて指導に当たっていると思ってください。
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死後の世界、3 |
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霊界は遠くにあるのではなくすぐ傍にあるのです。あなたも睡眠中は霊界に来て色々活動しているのですがそれを知らないのです。霊界では自分が心に思ったものが苦労する事なく目の前に現われます。誰しも夢でそういうことを体験しているはずです。地上の世界では心に描いた事を実現させるには大変な努力を要しますが、霊界では重い物質の影響を受けないので心に描いた事がストレートに実現します。但し自分の意識のレベルを越えるものには届きません。自分のレベルの範囲内で自由に思念を行使できるということです。
人は自分の意識が成長していくと直覚で物事を理解できるようになります。距離や時間など時空を越えて意識を届かせることが可能になりますが、そこまで到達するには長い年月が必要です。
そういう思念の世界に適応するにはこの世で心(霊性)を充分に磨いておく必要があります。霊性が未発達であるとそういう世界を認識することが出来ないのです。この世での様々な体験は霊性を開花させるためのトレーニングと思っておけばいいでしょう。悪感情や、偏った物の見方などはこの世にいるうちに浄化しておかないと進歩の妨げになります。とにかく地上の人生体験を経ることによって達した心の状態をそのまま持って人は後の世に移っていきます。
人は霊界に来てから真理の理解力が飛躍的に伸びてきます。真理というものは地上の目で見る限り限られた範囲しか見えません。地上人生を越えた視野で見て本当に理解できるのです。考えてもみてください、あなたが生まれてから今まで積み上げてきたものが死というものによって無に帰するということがあるでしょうか。それは次の成長のための踏み台であり、心の巡礼は生死を越えて永遠に続いているのです。人は霊であり何があろうと滅びる事はありません。死は肉体が滅びるだけのことで人間は決して死ぬことはないのです。
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死後の世界、2 |
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人は死ねば幽霊のようになるのではありません。今肉体を何層にも覆っている(重なっている)オーラの層の一つが肉体に替わって自己を表現する媒体となります。身にまとう霊的身体は肉体より強固で鋭敏であり実感を持っています。外観も生前と何一つ変わるところはありません。そのために自分が死んだ事に気づかない人が多いのです。
やがて先立った親族や友人やペットの出迎えを受け再会を喜び合うという歓呼の時を体験しますが、多くの人はその時に自分の状況を正しく把握するようになります。初めの内は地上に残してきた家族への惜別の念が残りますが、次第に新しい環境の素晴らしさに惹かれるようになります。
肉体を持たないので病気になる心配がありません。金や衣食住の事を心配する必要もありません。それらは全て肉体を持つが故の悩みでした。地上では様々な事情から出来なかったこと、趣味や旅行、芸術や文学などを存分に楽しむことが出来るようになります。生計を立てるために嫌な仕事をする必要もなく心から自由を満喫することが出来るようになります。
金や時間などこの世であなたをがんじがらめに縛り付けていたものから解放されるのです。人間の生老病死の苦しみは肉体を発生源としたものであったのです。肉体から切り離されると意識は本来の場所に帰っていきます。それまでは肉体を通して物事を見ていたので全体像が見えず目が曇っていました。息苦しい物質の世界から解放されると視野が格段に広がってきます。
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死後の世界、1 |
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人間が死後肉体を離れた当初は生前のままの状態ですが、肉体や物質の干渉を受けなくなるので次第に意識が本来の機能を発揮するようになります。霊的資質が目を覚まして今までに隠れていた大きな自我を表現できるようになります。一部の例外者を除いて肉体と共にあった煩悩を生んできたもの(精神)がいつしか消え去り、あなたの本質が現れてきます。
それは同時にこの世にいた時には気づかなかった自分の本当の姿が見えてくるということでもあるのです。自分が地上の時代にした様々な判断や行動を広い視野から観察することが出来るようになります。その時点ではわからなかった出来事の意味も理解できるようになり、自分がいかに未熟であったか、そして自分自身のことが解っていなかったかを反省させられます。
死後の世界では地上で培った人間性だけがあなたの財産となります。自分の人間性が他人から透けて見えてしまうので地上時代に利己的で権力や社会的地位や金に溺れていた人間は惨めな思いをすることになります。そういうものは霊界では何の価値もありません。霊界は調和と相互扶助の世界だからです。あなたが死後に落ち着くのは自分の霊性のレベルに合った環境です。物質の世界から非物質の世界に活動の拠点が移り、そこから一段高いレベルの生命力が表現されるようになります。
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成長と物質世界、3 |
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物質は生命エネルギーの投影による影であり、この世を生きるための道具に過ぎません。貴方の肉体も借り物であり霊が成熟すればそれを脱ぎ捨てて自由で広大な世界に旅立つことになります。あなたがこの物質の世界に住んでいるのは永遠の魂の旅においては束の間のことです。物質のみに目を奪われているとこの地上の生活が全てであるかのように思えるでしょう。しかしそこは始まりであって永遠の旅のほんの一こまに過ぎないのです。物的現象のみを追いかけるのは幻を追いかけるようなものです。
水中の生物には大きな大気や宇宙は認識できません。地上の物質界は大宇宙の中ではあたかも水中世界のようなものです。人は不自由で制限の多い物質世界での体験を通じて自分の本質、つまり自分に宿る命の本質を悟ることが最も大切です。自分は物的存在ではなく神(大霊)の分霊であり永遠の進化を目指す巡礼者であることを知らねばなりません。
この物質の世界には永続性のあるものは何一つありません。幸せな状況は長続きしません。また苦しい状況もいつまでも続きません。絶えず変動を繰り返しますがそれが生命の進化の一つのパターンなのです。地上の世界は考え方が違う者同士が集まって暮らしているので落ち着く事はありません。問題が尽きる事もありません。それぞれが心の未浄化な部分を持ち寄って浄化作業をする所なのですから。
人生はよく見れば状態の変動、両極を体験しながら学んでいくようになっているのです。常に平穏な状態であれば学ぶものはありません。遭遇する出来事は全て必然です。そしてこの世での体験と学びが次の成長の為の基礎になるので疎かにしていると後で後悔することになります。心しておくべき事はこの世は永住の場所ではなく仮の住まいであるということです。
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96
成長と物質世界、2 |
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物質は思念に対してはストレートに反応しません。思念と物質は波長が違うからです。人体も物質に近いので自分の思いを相手に届けるためには言葉に変えて届けなければなりません。通常は五感である目や耳や口などを使って意思交換をする事になります。つまり地上の物質の世界においては思念というものは物質の介在という大きな制約を受けていることになるのです。
この地上世界では思念だけで物質を動かす事はできません。体を使って物質に働きかけなければ何も動きません。その意味において意識が持つ本来のパフォーマンスは地上の世界では封じ込まれているのです。
人の身の回りには様々な周波数の波動が飛び交っていますが、人間の意識の周波数は物質の世界に合わされているので殆どの人は感知する事ができません。意識が肉体と一体化するために本来のバイブレーションが下げられているのです。情報機器の発達によって本来備わっていた人間の感知力は一層弱まりました。
このように地上に生きる人は闇の中をナビゲーションなしに航海を続ける船のようなものですが貴方は望んでそういう条件の地上世界に来たのです。何故でしょうか?それはそういう条件が魂を磨くのに適しているからです。次々に現れる障害や困難な出来事があなたを鍛えてくれるからです。危機的な状況に遭遇しなければ魂は目覚めません。多少の事では魂のレベルまで影響が及ばないのです。安逸な状況では魂は居眠りをしているのです。
肉体のレベルの意識では厳しい事は避けたいと思うのが当然であり、それは苦痛として感じられるでしょう。ところが大きな意識はそこから得るものを求めているという矛盾が生じるのです。あなたにとって苦痛と感じられるような事の中に人生の課題が現われている場合があるので注意して見るようにしてください。この苦痛と矛盾は人の意識が成長して自分の大きな意識に近づくことによって道理を悟り次第に解消されていく事になります。
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成長と物質世界、1 |
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人は幼少の時から様々な体験をして学び人格が形成されていきます。そこでの体験は主に物質(肉体も含む)を介して行われます。様々な心の働きが結果を呼び目の前に現われて来ますがそれは主に物質の動きとして表現されます。つまり思念が物質に形を変えて現れてくるというわけです。そういうものを通じて心の動きのパターンが形成されていきます。色々な物質を媒体として心というものが成長していくわけです。
この地上の世界は生命力が物質を通して顕現している宇宙生命系の中ではユニークな所です。霊的な面と物的な面の二つの側面を持ちますが多くの人は物的な面だけを認識しがちで霊的な側面は殆ど忘れ去られているのが現状です。この霊的な側面こそが宇宙生命の真実の姿であり、人も含めて万物に命を与えているのです。霊の力が注入されているからあなたは生きていられるのです。霊が抜けた肉体は唯の物体に過ぎません。肉体が無ければあなたは地上の世界で自己表現する手段がないのでこの世にいる間は肉体を必要とするのです。霊が貴方の本質であり肉体は貴方ではないのです。
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98
大きな意識 |
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人間が地球上に生まれてくるときは意識の本体(大きな意識)を霊界に残してきます。あなたは分け御魂として地上に生まれてきましたが、その目的は大きな意識が進化する為に必要なものを地上の生活から学び取る事です。目的は人それぞれであり、過去の生においてやり残したことを完成させたり、あるいは地上に貢献するために自ら進んでこの世に誕生してきたのです。あなたの大きな意識は高いレベルのものですが地上でしか出来ない体験を求めてこの地上世界に来るのです。あなたは誰かにこの人生をやらされているのではなく、自分で求めてそこに来たのです。
人は一旦肉体に宿ると肉体の五感でしか物事を認識することができなくなるので大きな意識のことを忘れてしまっているのです。つながりはあるものの通常は意識に上がることがありません。それは白紙の状態で人生を体験するためであり、いろいろな事が分かりすぎると体験から得られるものが少なくなるからです。人にもよりますが夢やひらめきにおいてかすかに大きな意識に触れることがあるはずです。インスピレーションは殆ど自分の大きな意識からのものと思っていいでしょう。昔から人々はそれを受けて神を感じたとか仏を見たと考えてきました。それは自分の故郷、大きな意識からの愛と援助のメッセージなのです。
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物質文明 |
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人は地上の世界で物質を操って自己を表現します。その結果様々な技術や道具が開発され物質文明は飛躍的な進歩を遂げました。それは地上という物質の世界を発展させるという神の意思を代行していることになるのです。それは人間の使命の一つであり、人間が神の手足となって働いているのです。ちなみに新しい発見、発明のもとは全て霊界からのインスピレーションによるものです。
物質文明の弊害が強調される昨今ではあります。確かに今は物質に人間が振り回されていて反省期といえるでしょう。しかしそれは物質に原因があるのではなくそれを操作する人間の精神が未熟であるからです。物質は人の心の働きかけが無ければ存在意味を持ちません。しかし何時の日かそれも修正されることになるでしょう。人間の精神が成長すれば物質を支配下に置けるようになります。
万物は大きな視野で見れば進化発展すべく方向付けをされています。その途上においては様々なことがありその局面だけを見ていると退化しているように感じることがあるでしょう。しかし長い目で見れば進んだり退いたりしながらも神の計画の通りに進んでいるということです。
ここで言う神とは宇宙創造の神(大霊)を指します。(HP編集者)
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エゴと霊性 |
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人間は肉体を持つが故にエゴが生まれます。エゴを持つが故に起きる問題に対処しながら学んでいきます。肉体を持っている限りエゴを無くする事は出来ません。それを無くしようとするよりもコントロールすることを学ぶことが大切です。人の一生は自分のエゴとの戦いとも言えるでしょう。霊性が目を覚ましてくるとエゴを制御できるようになってきます。霊性が人を支配するようになると落ち着き、寛容、円満、安らぎなどが表現されるようになってきます。霊性の働きが不十分であると肉体の目で物事を見るようになり煩悩に振り回されます。
人は死後肉体を離れると肉体に付随していた精神(エゴを生むもの)が次第に消えていきます。それは肉体に宿り五感を通してこの地上世界を生きていくために生まれたものでした。そのために貴方の意識は地上世界に引き付けられていたのです。様々な煩悩もその精神が感じてきたのです。死後時間の経過とともに本来持っていた意識が作動し始めると今までには見えなかった遥かに広くて自由な世界を認識できるようになります。
人はそれぞれ寿命を定めてこの世に生まれてきます。人々は早く死ぬことは不幸な事という捉え方をしますが本当はそうではありません。あなたは長生きをしたいでしょうか。長生きをすることは重荷を背負ってさらに歩き続けなければならないという事です。もし生命の実相を理解するならば寿命の長短を論ずることには意味が無いことがわかるでしょう。人にはそれぞれに使命がありそれが終わればこの世での修行が終了するのです。
例えば貴方の余命はあと3年と分かったとしたらどうでしょう。パニックになりますか、それとも安堵の気持ちが湧いてくるでしょうか? 最初は気が動転したとしても時間と共に自分の人生を透徹した目で見られるようになるでしょう。それは肉体を超越した目で人生を見られるということであり、霊性が目覚め、視野は肉体の限界を超えて広がります。死は終わりではなく物質の世界の束縛からの解放であり進化へ向けての旅立ちです。いたずらに死を恐れたり悲しんだりするのは間違いであり、旅立った人は祝福されるべきなのです。
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101
脳は受信機 |
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高齢による認知症など脳が機能不全に陥ったときには脳は霊からの指令を正しく受け取ることが出来なくなります。その人が以前持っていた知的な活動が影を潜め生理的欲求しか表現できなくなります。霊の働きを表す目の輝きが消え、あたかもその人の魂が抜けてしまったように見えるかもしれません。
確かにそういう状態であるといえますが、それはその人の人格が崩壊したのではなく意識の本体が後ろに引っ込んでしまったからです。霊が肉体を通じて自分を表現することが出来なくなっただけでその人間の本質に異変が起きたわけではないのです。脳に意識の本体があるのではなくあくまでも脳はそこからの指令を受ける受信機なのです。
霊はかつてのように肉体を通して自己を表現出来ないので次第に活動の場を変えていくことになります。親しい人の夢の中に若い時の姿で現われたり、霊感のある人のところに行って自分の状態を知らせたりするようになります。霊界にも度々訪れて先立った人たちと再会したり指導を受けたりするようになり、この世を去る準備をします。自分がこの世を去る時期もわかるようになります。
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102
老人と認知症 |
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人は高齢になれば沢山食べてはいけません。人間は自然に枯れるように死んでいくようになっているのです。老人は若い人に比べて肉体が活動しないのですから同じようなものをたくさん食べていては脳の血管が詰まってしまうのです。その辺は自然界の動物を見習うべきです。老人は動物性のものを避けて穀物など自然の素朴な食物を少量とるようにするべきです。人々の間に食べなければいけない、食べて長生きしなければいけないという固定観念が出来ているために老人が過食になっているのです。それは自然の摂理に反しているのでそういうことが起きているのです。老人の認知症が増えているのは自然からの警告です。
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103
指導霊の言葉 |
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今この場においてこれまでの経過を説明する時がきました。私は彼(このHPの編集者)の指導霊というべき存在です。我々背後の霊(複数)は彼をこの地上世界での我々の声を伝えるメッセンジャーとして育ててきました。我がチームの地上世界の書記というわけです。仏教や神道の世界を覗き次にスピリチュアリズムの良書に出会うように導いてきたのです。真理を知りたいという彼の願望と真理を普及したいというこちらの目的が一致した結果です。彼の霊媒的素質と探究心、そしてその生活環境などが必要条件を満たしていたからです。真実を知りたいという願望は必ず実現します。それは何の分野においても同様です。その情熱が吸引力となり霊界からの援助が引き寄せられることになるからです。
我々の意思を地上の人に直接伝えるにはその通路になってくれる人間が必要です。しかし通路の人間を通すということはどうしてもその人間の思想や個性によって着色されます。また人の思想というものも本当は自分だけで作っているのではなく背後霊の影響を受けて形成されていきます。ここ数年来の我々の影響力により彼の思想に大きな変化が見られました。例えば誰でも人生に置いて大きな影響力をもつ書籍に出会う事があるでしょう。そういうときは背後からの力が働いていると思って間違いありません。
“導きの声”に出てくる神々、仏というものについてご説明しましょう。地上の人間が個別の神、仏を連想して真摯に祈った場合実際にはどういう現象が起きているのかという事です。人が天照大御神、八幡神あるいは観世音菩薩その他を連想して祈ったときにはその人間から霊波(エネルギー)が出ます。それが届くのは霊界ですがこちらではその人が考えている個別の名前(神、仏)に関係なくその霊波を受け取ることになります。そしてそれに対する反応をすることになります。その人間がそれを受け取った場所(神社、寺、神棚など)によって人間はそれが神とか仏であると感じるわけです。それを人間が神様と思おうが仏様と思おうが本質において問題は無いのです。祈る対象が何であれ届く所は霊界ということです。ですから“導きの声”に登場する存在の名前にこだわる必要はなく意味のあるのはその内容です。人々の考える神、仏とは人間の想像の産物であり実際にそれに相当するものは進化した霊人であるということです。
地上の人間の思念は霊界の各層を通して全生命の根源まで伝わります。霊界は完璧な情報網の世界ですから一人の人間の思いであっても最上部まで伝わり、それは必ず何らかの形でその思念を出した人間に還ってきます。そのエネルギーを人間が感じて言語に翻訳したものが啓示とかインスピレーションであるということです。全身を巡る神経組織を連想してみるとよいでしょう。末端が地上の人、中継地点が我々ということです。全生命の根源(中枢)から出たものが霊界の無数の階層を通過した後に地上(末端)に届くと考えておけばいいでしょう。我々もまたメッセンジャーに過ぎないということです。
人がこの世に生きているうちに理解できる真理は限られています。またそれを地上の世界で表現する事にも大きな制約があります。そういう理由からここにおいて表現されているものはもとより完全と言えるものではありません。人間は理性という神から授かった資質を持っています。それに照らし合わせて人生の指標になるものを1つでも見出して頂けたら幸いです。
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104
未知への挑戦 |
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昔から世界中に真理を説いた経典、聖典がありますがそれらは真理の一つの側面を表わしたものです。往々にしてそれらは長い年月の中で人々に祀り上げられて誇大に解釈されています。ともすれば人はそういう経典に対する長年に渡る尊敬の念そのものを崇拝してしまいます。古の人々によって見出され、継承されてきたものへの尊厳は忘れてはなりませんがそれらは絶対的なものではないことを知る必要があります。
それらを絶対的なものとして捉えてしまうと新しいもの、未知のものを受け入れることが出来なくなります。人間は常に未来に向かって新しい発見をしていかなければなりません。昔から求道者は深い靄の中で生命の実相を手探りで探ってきました。今の視界はどうでしょうか?昔に比べ格段に開けてきました。そしてそれは人間が進歩していくに従いさらにクリアーに見えてくるということです。
昔の経典などもそれなりに立派なものかもしれません。ですが人間は常に未知の分野を切り開いて行かねばなりません。人は他の分野に比べて宗教的なことに関しては新しいものを拒否する傾向があります。まだまだ人間の理解している真理はその一部に過ぎません。その原理は単純素朴なものですが真理は無数のバリュエーションと深みを持つものです。探求にこれで終わりという時は来ないのです。
(天空より)
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105
信仰心 |
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貴方が大切にしている何かのシンボル、お守り、仏像、神札、あるいは聖地の写真など、それ自体は唯の物体にすぎませんが、貴方がそれを聖なるものとして心から信じて祈るとそれを媒体にして自分の人格に応じた霊的(生命の)エネルギーが引き寄せられます。シンボルなどはそれ自体が力を持っているのではなく、それが信仰心を刺激して霊的自我を目覚めさせる引き金になるということです。
何かを心から信じて自分を預けることが信仰です。その心構えになったときに生命エネルギー(霊的エネルギー)が流入しやすくなります。ともすれば知に傾きがちな現代人、知に偏り過ぎると尖った性格を作ってしまいます。信仰心はバランスを修正し寛容で柔和な人格を作ります。
(天空より)
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106
信仰の対象 |
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貴方が神様を拝んでも仏様を拝んでも最終的に行き着くところは同じです。人間がめいめいに入り口を作っているだけで、どこから入っても終着駅は1つです。世界中のあらゆる民族の信仰の対象の中身は本当は一つしかありません。それを理解する過程においてそれぞれの人間が感得したものが宗教として表現されてきました。信仰の対象の中身は全人類同じです。万物を創造し包摂している宇宙の大霊です。大神霊、創造の神、どう呼ぼうと呼び名にこだわる必要はありません。
(天空より)
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107
真理への道 |
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真理を知りたくて最初貴方は何かの宗教の世界に入ります。当初はそれが真理だと感じるでしょう。やがてそれを追求しているうちに虚しさを覚えるようになります。その内にその宗教の壁を突き抜けた向こうに真実のものがあることに気がつきます。それが真理です。それが実在のものです。貴方はようやく本当のものを見つけたのです。
(天空より)
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108
無心 |
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世によく言う無心とは心に何も無い状態ではなく、心にこだわりが無く魂の純度の高い状態と言っていいでしょう。それは大安心の境地でもありますがそれを得るには幾つかの段階を超えなくてはなりません。まずは知識を習得しなければなりません。知識は経験を伴って初めて本物になります。幾多の検証を重ねた後に確信が生まれてきます。確信から安心が生まれて次第に迷いが消えていきます。それは無知からくる無心ではありません。確かな根拠の上に築かれたものが本物です。全ての分野で同じことが言えます。
(天空より)
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109
自己を表現する |
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人は自分を素直に表現出来るものが必要です。真実の貴方は常に自己を表現するものを求めています。何ものにも捉われることなく、自由に伸び伸びと自分を表現できるものを見つけましょう。それが生きる喜びとなります。
(天空より)
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苦の意味 |
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ここ数年の間に貴方の身の回りに起きた主要な出来事を振り返ってみましょう。苦しいと感じた出来事が貴方を一回り大きく、強くしていることに気が付くはずです。そしてそこにある種の感慨を覚えるのではないでしょうか。苦しく試練と思われる事が魂を強化するのです。
苦しみは人を成長させる糧であり、楽な事ばかりの人生では学びになりません。ですから苦しみから逃れようとしてはいけないのです。苦は苦であり、それは如何なる方便を使っても誤魔化せるものではありません。苦しみに正面から立ち向かいそれを克服することが苦しみから逃れる唯一の方法なのです。乗り越えた時、貴方は今まで苦しみと感じていた事がもはや苦しみではなくなり、それを克服出来た事に掛替えの無い喜びと満足を感じるでしょう。
この世にいるうちには難しいでしょうが貴方はこの世の務めを終わった後、それらの出来事の意味を鮮明に理解することが出来るでしょう。そしてそれらを懐かしく感謝の気持ちで振り返ることでしょう。ああ、あの出来事にはこういう意味があったのか、そのお陰で今の私があるのだと。
(天空より)
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111
行い |
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人の霊性を最も素直に反映するのはその行為です。相手の魂に感動を与えるのは愛に基づく行為です。それに勝るものはありません。理屈や信条はどうでもよろしい。心のこもらない形式的な祈りや儀式を繰り返しても何の意味もありません。
真心から人の為を思ってする行為、それが真の宗教的行為であり、自分の霊性を磨くことになるのです。人や生き物や世の中の為に自分を役立てること、そこに貴方の神性が輝くのです。大切な事はその人物が何を言っているかではなく何をしているかということです。
(天空より)
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112
進化向上の種子 |
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全ての人間には進化向上のための種子が植え付けられています。人間はどれほど恵まれた環境にいても、また何かを成したとしてもその状況に満足することはなく、欠けているものに気付き不満を覚えるようになります。人は何所まで行っても満足するということがありません。それが進化向上の種子であり、人間を一箇所に留めて置くことを許さないのです。
魂の成熟度によってその表現方法が変わってきます。行き過ぎた物欲、自己顕示欲、競争心などは進化向上の性向が未熟な形で表現されたものです。魂の成長につれてレベルの高い表現方法に変わって来るものです。何かに偏ることがなくバランスと深みを持った人格となって現われてきます。
(天空より)
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真理は無限 |
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自由に、勇気と情熱を持って真理を探求することです。真理は人の作った宗教の枠に収まるような小さなものではありません。真理は人間の進歩、理解度に応じて広がっていくもので限界はありません。大昔に作られた一つの教えや誰かが言ったとされる言葉を金科玉条の如くに守り通すことは自分をその枠の中に閉じ込めてしまうことです。
天は時代に応じた新しい啓示を人々の上に降ろします。宗教は新しいものを付加していかなければ時代の進行に取り残されて化石のようになってしまいます。遥かな昔にある人物が知り得た真理、それは当時の人々を納得させたものであっても、後の時代の人間の知性を満足させることは出来ません。一歩進む度にその先に未知の領域が広がって来ます。従って無上の悟りなどというものはありません。真理は無限だからです。
(天空より)
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114
霊と肉体 |
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人の本質は肉体ではなく霊であり、霊が肉体に命を与えているのです。霊の力なしには貴方の精神活動は無く、肉体を稼動することも出来ません。霊が宿っているから人は高度な精神活動が出来るのです。脳は霊からの指令を受ける受信機であり、脳には豊かな感性も、高度な判断力も、深い情動も生み出す能力はありません。意識(霊)は脳の中に封入されているのではありません。それを証拠に人は睡眠中、意識(霊)が肉体を離れて自由に旅をしているではありませんか。
深く洞察してみれば貴方は肉体に束縛されていることが分かるはずです。霊と肉体はそれぞれに違う原理で作動しているのです。貴方が如何に精進をしようとしても肉体は肉体独自の原理で稼動しているので限界を超えた事は出来ないし、肉体の変調は精神に大きな影響を及ぼします。
肉体は機械である故に無理を続けると故障します。壊れたら治さなくてはならないし、常に手入れをしておかなければ働いてくれません。霊と肉体は本来の次元が違うけれども、貴方はこの地上界にいる間は通常、肉体を通してしか自己を表現出来ないので肉体の限界に閉じ込められているという訳です。霊の働きは自由で無限、肉体の働きは有限なので、人は意識の成長に伴い肉体の束縛を感じるようになります。
(天空より)
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115
自分が選ぶ |
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人の思念は受信、送信を絶えず繰り返しています。意識するしないにかかわらず、常に自分の意識のレベルに相応した界層の者と情報交換が行われているのです。自分の思想と思っているものでも実は外部の見えない世界の者から感化を受けているのです。低い意識の状態になると低い界からの影響を受け、高い意識を保っていれば高い界からの影響を受けます。
怒り、恨み、妬みなどの悪感情が続くと、人の意識は地上を這うようになり、囚われた者達からの悪意にそそのかされて衝動的な行動に走る事もあります。人は誰でも落ちようと思えばどこまでも落ちてしまうので、進化は大幅に遅れてしまいます。逆に高い意識を保っていれば高い界層からの指導を受けて進化向上の道を進むことができます。向上か退化か、どちらを選ぶかは貴方の自由意志です。
(天空より)
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志と誠意 |
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常に志を高くしておくことです。この世では制約が多く思い通りの結果を出すことは容易ではありませんが、思い通りにならなくても嘆く必要はないのです。事に当たっては誠意を尽くし、自分に出来る最善の事をすればいいのです。この世にいるうちに努力が報われない場合には次の世で違う形でその報酬を受け取る事が出来ます。高い志からの努力が無駄に終わるものはないのです。
この世は仮の姿、この世での成功や名声はほんの一時的なことです。次の世に持って行けるのはこの世で揉まれ、磨かれた自分の霊性だけです。その霊性が真の貴方であり、物的財産はもとより貴方が自分自身と思っている肉体でさえも本当は貴方のものではないのです。
(天空より)
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澄んだ心 |
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心を澄ませて今までのことを振り返ってみれば何処からともなく貴方を導く力があったことがわかるでしょう。天からの磁力のようなもの、それが貴方の人生の道しるべです。それにすがって不要なことに心を奪われることなく無心に生きていけばいいのです。
人は色々と詮索する癖がありますが、それは往々にして間違いを起こします。それが猜疑心を生み、心が曇ってしまうのです。心が曇ると導きの糸は見えません。夜空に輝く満月のように澄み切った気持ちになってみましょう。日に一度は自身の心に巣食う汚れを清めましょう。今、素晴らしい満月が輝いているでしょう。
(天空より)
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雑念の海 |
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人間はその思考の殆どを無意味なことに費やしている。雑念の海を泳いでいるのである。人はこの世で物質の壁に囲まれて生活しているために、事の真相を見通すことが出来ない。五感で感じ取れるもの以外は認識できないので、ついあれこれと無用の詮索をしてしまう。真実を知りたいという願望の表れではあるがそれが迷いの心を生み、有りもしないことを勝手に創作したりして取り越し苦労をすることになる。
雑念に捉われているときは低い意識のレベルになっているので事の真相は見えない。外部からの良からぬ念も受けやすい。心の居場所をそういう次元から引き上げることである。貴方の中には神に通じる自分が住んでおり、すべては良きに計らわれているのであるから本当は何一つ心配する必要はない。自分の中に潜在する神を見出すこと、それは人生の目標でもある。
(天照大御神)
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平静な心 |
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何かの出来事で自分の心が大きく揺さぶられるような時は暫くその波が過ぎ去るのを待つことです。そういう時に慌てて行動を起こしてはいけません。貴方の心が平静さを取り戻せば状況が読めてきて自然に回答が引き寄せられます。
難しい局面においては自分の内なる声(神性)の導きを求めるのです。祈りや暫しの瞑想によって例え一瞬でもこの世の波動を離れて意識を高い次元に合わせるようにすることです。そうすれば物事の全体像が見えるようになります。自分の中に宿る神性は心が平静でないと働けません。常に平静な心を保てるように心掛けましょう。
(天空より)
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本来の魂は清らか |
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人間一人一人に宿る魂は元来清らかなものですが、それぞれに個性を持ち、ある方向付けをされてこの世に生まれてきます。蒔かれた植物の種子が発芽して花を咲かせ実を付け、やがて枯れていくように人にも定められたコースがあるのです。人の場合、生後の環境によっては秘められた個性が強く出過ぎて極端な形で表現されることもあります。また個性が埋もれたままで未だに表現されて来ないこともあるのです。
忠実な植物などと違って高等な人間の場合、本来の魂は清浄であっても自由意志がある為に往々にして表現方法を間違えてしまうのです。何時かは修正の力が働き本来の道に戻りますが、それが気付きということです。そして自分の中に宿る神性を見出すようになります。間違いを犯したり様々な試練に耐え抜いた末に神性に目覚めること、それが人生の目的なのです。
(天空より)
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