導きの声


 61    主従の関係
更新日時:
2010/11/22
 
人には自由意志があり一応何をするのも自由ですが、その人の行いや言葉はその時点での心の成長の度合いを示すものになります。心が幼い時は肉体を維持することにエネルギーが注がれます。それは未だ肉体的本能に支配された状態であり、そこから様々な人生体験を経て成長し精神的なものが肉体的なものを凌駕するようになってきます。
 
そしてやがては自分に宿る霊的なものに気づくようになります。その霊的なものが道義心や慈悲の心を持ち芸術的センスを持った、人としての精神活動を可能にしているのです。それなしでは人は肉体的本能を満たすだけの生き物に成り下ってしまいます。
 
世の中は相変わらず肉体の若さや美しさを維持することには熱心です。確かに肉体を若々しく健康に保つことは大切な事です。しかし忘れてはならないのはあくまでも心が主であり肉体は従であるということです。肉体はこの世であなたという霊が自己表現するための期限付きの乗り物なのです。使用期限が来ればあなたは肉体を捨ててもっと広く自由な世界に移り住むことになるのです。

 62    古代の予言
更新日時:
2010/11/12
 
地震などの自然災害も地球の進化の為の活動の一つです。地球もまだまだこれから進化に向かって進んでいきます。古くから様々な予言がありますがそういうものに振り回されてはいけません。昔の預言書や暦などをもとに推論をしてそこから結論を導き出すようなことをしているようです。昔の人々が知り得た真実は果たしてどの程度のものだったでしょうか。冷静に考えてみればわかるはずです。
 
断片的に得られた情報をもとに後から色々なものが添加されて出来た空想の産物が一人歩きしています。大自然は人類の理解を超えた無限の叡智によって作られた法則によって運営されています。これからも地球や人類は紆余曲折を経て神の計画した進化の道を進んで行きます。その途中には色々な事があるでしょうが地球や人類が滅んでしまうことはありません。
 

 63    本当の自分
更新日時:
2010/11/08
 
日常の雑事に追われ、将来への漠然たる不安、金銭の事、ややこしい人間関係、健康のこと等を心配しながら暮らしている人も多いでしょう。そういうことに心を占領されている時は意識が小さく縮こまっているのです。それは物質に意識の焦点を合わせているからですがその時、霊的な自我は居眠りをしています。本当のあなたはもっと大きな存在なのです。未来永劫に渡って魂の旅は続きます。物質の世界にいるのは永遠の旅においてはほんのひとコマに過ぎません。それがずっと続くのではありません。物質の世界での労苦に悩まされるのはわずかの間です。物質の世界を卒業すればあなたは霊的自我で生きていくことになるのです。それが本当のあなたであり、物質界(この世)で肉体を通して自分を表現している今のあなたは仮の姿なのです。本当の自分(霊的自我)の一部にすぎないのです。

 64    霊、精神、体
更新日時:
2010/10/20
 
体調はその人間の精神、霊のいずれにも影響を及ぼします。それぞれがお互いに影響し合うのです。体と精神と霊、この三つが調和した状態が健康と言えるのです。その調和の乱れが病気を生みます。もしこの三者が完璧な調和状態にあれば人間は病気にはなりません。体調がすぐれない時は精神的、霊的な状態もすぐれません。そういう時に無理をしても良い仕事は出来ません。自身の意識の波長が低下しているので良いインスピレーションを受けることも出来ません。そういう時はじっくりと体調の回復を待ってから物事に取り組むことです。何も急ぐことはないのです。

 65    霊的真理と信仰の型
更新日時:
2010/10/08
 
お経は仏教という信仰の型を作る道具の一つであり霊的真理を悟ってくれば必要がなくなります。意識が霊的な世界に開がり、霊的実在を知るようになるとそういう形式的なものが心に響かなくなってきます。自然にそうなるのです。真理の探求の旅において貴方は最初そういう道具を必要としたのです。お経や経典はそれを必要とする時期においては意味がありますが、真理に目覚めてくれば人工的な信仰の型というものは不要になります。霊界にあるものは神の摂理(法則)だけです。宗教組織や階級もありません。人は死後、肉体を離れて霊界に行けば神の威力(摂理として表れる)というものを直に感じるようになります。それが全宇宙を治めているものだからです。
 

 66    霊的安らぎと調和
更新日時:
2010/10/01
 
日に一度は自分の日頃の考えを追い出して霊的な安らぎと調和の中に身を置くようにすることです。自分の考えを引っ込めるほど真理の世界からの通信が入り易くなります。何も考えないようにするのです。この世の出来事で心配したり悩んだりする必要はありません。明日の事を思い煩う必要もありません。世間のつまらない揉め事には首を突っ込まないようにすることです。日々の生活の中から楽しみを見つけて人生をより楽しむようにしましょう。何かを為さねばならない時は直感的にわかります。それが貴方に課せられた仕事ということです。安心して自分を導いてくれるものに身を任せることです。

 67    神の概念
更新日時:
2010/09/27
 
昔から人類の理解に応じた神というものが様々な形で表現されてきました。神とは人間の形をしたある種の人格を持ったような存在ではありません。また目に見えたり聞こえたりするものではありません。科学的に分析したり説明できるものでもありません。無限の愛と叡智とエネルギーで全生命を包含し、育て、一つのルールの下に管理しているもの、それが神ということになります。無限のものを表現する適切な言葉はありませんが、あえて神の概念を言葉で表わすとしたらそういうことになるでしょうか。
 
神はその法則を通して意思表示をしているのです。人の行為も心に思う事も実際はその法則によって制約を受けているのですが、それが分からない為に人間は迷ったり苦しんだりします。人が何をしても、何が起きても全ては法則の想定内のことであり、人間はその中で生かされているのです。人間も他の何者も法則を越えて何かをする事は出来ません。それはあらゆるものを統制しているのです。そしてその自然の法則を作ったのが神ということになります。神が完璧な法則を作り、それで全宇宙を支配しているのです。神は神社仏閣や教会など特定の場所にいるのではありません。あらゆる所に存在しているのです。何所を探しても神の存在しない場所はありません。そして神は全ての人の中に宿っているのです。あなたも神なのですから。
 

 68    進化向上のためのルール
更新日時:
2010/09/21
 
人は我を捨てて自分への思い込みを減らすほど生命の根源から来るエネルギー(天地自然の法則)に調和しやすくなります。人間は長く人生を生きるほど自分の思い込み、思い癖というようなものが身に付きます。また考え方が偏ってしまうこともあります。誰にも神性(霊性)が潜在しているのですが普段はそういうものに精神を支配されているのでなかなか表面に出て来難いのです。神性が目覚めてくるほど自然の法則に調和した生き方が出来るようになります。そうなれば、いつしか思い込みや取り越し苦労も消えて根源からの生命エネルギーを素直に受け入れることができるようになります。
 
そして法則というものが少しずつ理解できるようになります。自分にも身の回りのものすべてに法則が働いていることを身を持って知るようになり、結局はそれに順応するしかないことを学びます。奇跡や偶然というものは存在しません。それらは法則が働いた結果そうなったのです。全てに法則が働いているのです。人はこの世に生きているうちに分からなければ死後に分かることになります。いかなる者も必ず何時かは理解します。法則は万物の進化向上の為のルールであり、原子や細胞のレベルに始まり巨大な天体まで全宇宙のものを支配しているのです。
 

 69    真理と聖典
更新日時:
2010/09/13
 
真摯に真理を探究し続けていると何時の日かあなたは宗教の聖典や慣習が空虚に感じられる時が来るでしょう。貴方はかつてはそれらのものを真理の泉、あるいは真理そのものであると考えて宝物のようにしてきたかもしれません。しかし真実を理解出来た時、そういうものは過去の風景の一つになってしまうのです。経典や聖典、様々な宗教的行事は人の真理の理解度によって価値観が変わってきます。人が大人になれば子供時代の玩具は不要になるのと同じです。実在するものと人工的なものとの違いが分かるようになればあなたは一歩真理に近づいたのです。
 

 70    神の通路
更新日時:
2010/09/08
 
人は一旦霊性(神性)に目覚めればその時から身はこの世にありながらも心は次元の高い世界にも住めるようになり、その世界からの指導を受けるようになります。そして物質に捉われたこの世界を高いところから眺められるようになります。それは同時に責任を負うことでもあります。神の意思の通路としての任務が与えられるのです。貴方が神性に目覚めた時、その時点での自分の能力に適した仕事が任せられます。それはこの地上世界で神の意思を代行することであり、神の摂理の成就に貢献する仕事です。神の通路となる人間は生活を律し心身を健康に保たねばなりません。堕落した生活をしているとその資格を奪われ後戻りをしてしまうことになります。

 71    我執を捨てる
更新日時:
2010/09/03
 
絡み合った複雑な問題を一人で解決する事は不可能です。ある問題を解決する為には様々な要因を一つずつ解きほぐしていかねばなりません。地上の人間にわかる真実はその要因の一部に過ぎません。根本的にあなた方はそれらの問題を何が何でも自力で解決しようと力むよりも自分が出来る精一杯のことをして後は爽やかな気持ちで天の裁きを待っていればいいのです。
 
貴方一人の働きと思っている事も実際には多くの目に見えない援助が働いているのです。あなたの働きはその中の一つと考えてください。自分へのこだわりを減らせば大きな力を引き寄せることが出来るようになります。我執を捨てるのです。決して自分は偉いなどと思ってはいけません。そうすればあなたを通して大きな力が働きます。その時あなたは神の通路になっているのです。
 

 72    全ては良きに計らわれる
更新日時:
2010/08/14
 
地上の人たちはその殆どの時間を煩悩から来る念に支配されています。物質ばかり見ているのでその基になっている世界の事が少しもわかりません。また自分の本質はその肉体ではなく霊であるということを知りません。今までの自分の歩んできた人生を振り返ってみましょう。様々な出来事があり、またこれからもあるでしょう。それらの主要な出来事は偶然ではなくほぼ決まっている事なのです。
 
ある人の思考や行動のパターンと法則の絡み合いによって将来に遭遇する事は殆ど決まってしまうのです。人生は選択の連続であり、右か左かを選択する時どちらを選ぶかはあなたの自由です。しかし人の思考や行動のパターンはその時点での自分の霊性のレベルに合ったものでありそれが進路を自動的に決めることになるのです。つまり自由意志といえどもある範囲内に限定された自由なのです。動物よりも人間のほうが、子供よりも大人の方が自由意志の範囲が広がります。つまり霊的な成長に伴って自由意志を行使できる範囲が広がってくるというわけです。
 
その人間が人生で遭遇する大きな出来事というのはこちらの霊の世界では前もって把握されています。あるいは計画されていると言ってもいいでしょう。計画されているという事の意味は貴方と愛によって繋がったこちらの誰かが共通の目的を持って異なる次元から指導や援助をしているという事です。あなたは決して一人ぽっちにされることは無く、見離されることもありません。その事に気づく人が極めて少ないのは残念な事です。
 
何かの問題に直面した時、あなた方は余計な事を考えずに自分に出来る最善の事をすればいいというのはそういう意味があるのです。五感に閉じ込められている地上の人たちに見える範囲は限られています。見えない範囲のことはこちらにお任せという気持ちでいればいいのです。そうすればあなたの霊性の成長にとって最も為になる結果が現れるでしょう。目先の事だけ見ていては物事の全体像は見えません。また現世ご利益的なことを期待するべきではありません。物質の目ではなく霊の目で物事を判断しなければいけません。全ては良きに計らわれているのです
 

 73    純粋な動機
更新日時:
2010/08/06
 
人生に問題が尽きる事はありません。何一つ悩みのない人生では魂が鍛えられる機会がありません。あなたは自分を鍛える為にこの物質の世界に生まれて来たのですから。何か問題が起きた時は自分に出来る精一杯のことをすればそれでいいのです。それ以上の事は人間には求められていません。
 
事に当たって何より大切な事は動機が純粋であるかどうかです。動機が純粋であれば絶対に罰せられることはありません。自分を出し惜しみせずに全力を尽くすことです。難しいことを考える必要はありません。無用な詮索は自分の心を曇らせるだけです。自分の能力の及ばない範囲の事は守護霊が何とかしてくれます。 “私は自分に出来る事は全てやりました。ここから先はお願いします” それでいいのです。
 

 74    進化と宗教
更新日時:
2010/07/30
 
人間は大宇宙の生命の実相を果たしてどれくらい理解したでしょうか。その全容ははるかに進化した霊界の高級霊にすら把握できないのです。宇宙は進化し続け、その歩みを止める事はありません。人間も進化し続けます。他の分野のものは日夜進歩を続けているにもかかわらず、こと宗教に限って人は昔の伝統に縛られて自由な発想が出来なくなってしまいます。歴史に名を残した宗教家達が活躍した時代に比べて今の人類の視野は格段に広がっています。その時代から人はどれほどの知識を得たことでしょうか。
 
宇宙の広がりや地球や天体の運行、人体の仕組みを平安時代の人間が理解出来たでしょうか。宇宙旅行やインターネットや携帯電話のことを江戸時代の人間が理解出来たでしょうか。真理は常にその時代の人々の理解能力に応じて降ろされます。 時代より一歩進んだものが地上世界の誰かを通して現われて来ます。そしてこれからも真理の流入は止まる事はありません。
 
空海は今でも高野山の石室にこもって行をしているでしょうか? 1200年前に空海と呼ばれた人物を通して自己表現した霊は今では遥かに進化していることを忘れないでください。あなた方にも空海に宿っていたものと同じ神の分霊が宿っているのです。努力すれば当時の彼が為した事を越えられます。全ての分野でそうであるように、人は前任者を越えなくてはいけないのです。魂は常に新しき視野、未知の解明を求めて止みません。過去を振り返るより未来に向けて進まなければいけません。人類はそうやって進歩してきたのですから。
 

 75    法則とマントラ
更新日時:
2010/07/23
 
空海と真言密教はその上を分厚い装飾物で覆われ、本質が捉え難いものになっています。様々な密教的修法や道具は彼の生きた時代においては先鋭的なものとして持てはやされたのですが、それらはあくまでも方便であり拡大解釈されています。人はそういう宗教的修行に打ち込むことによって真実の世界が見えたかに思うことがありますが、往々にしてそれは宗教観によって作られた世界であることが多いものです。人の想念は心に描いたものを現実化する力があり、当人は実際に仏や不動明王を見たりしているのですが、それは自分の心が作ったものを見ているのです。
 
それが人工的な世界であることに気付かずにいると、そのまま一生を過ごしたり、死後も気が付くまでその世界に居続けることになります。真言(マントラ)を唱えたり護摩を焚けば悟り(霊的覚醒)が得られたり、カルマが消滅するなどということはありません。悟りは幾多の人生経験を経た後、然るべき時に与えられます。カルマは自分の行為によって精算するしかありません。
 
神(仏)を呼ぶのに特殊な衣装を着て火を焚いたり祈祷をする必要はありません。神(仏)は全宇宙に充満しているし貴方の中にも存在しているのです。貴方自身も神(仏)なのですから。マントラは古代インドでヒンドゥーの神々を賛美する呪文でした。釈迦がそれを禁止したという話はよく知られていますが、マントラを唱えて悟れるものなら人生経験は必要がなく、そういう魔法のようなものは存在しません。宇宙の全てのものは厳然とした法則によって統制されています。人生は因果律によって支配されます。人が為した事の結果は法則によって正確に結果として返ってきます。人は良くも悪くも自分の蒔いた種は自分で刈り取る以外にないのです。
 
もしマントラなど呪文を唱えて因果律に影響を及ぼすことが出来るとしたら、それは全宇宙を統制している法則を動かす力を持っていることになります。天体の軌道や潮の満ち引き、四季の移り変わりや動植物の成長など全宇宙を制御している法則がある一人の人間の為に手直しされるなどということはあり得ません。もし一つでも例外を認めてしまえば法則全体に狂いを生じ宇宙の秩序は大混乱してしまうことになります。法則に影響を及ぼすような力を持ったものは宇宙のどこにも存在しません。大自然は人間の事情にはお構いなく自らの法則に基づいて動いていきます。何故釈迦は当時インドで流行っていたマントラ(呪文)を禁じたのでしょうか。無限の知性によって構築された完璧かつ緻密な法則は人間の理解が及ぶようなものではありません。いかなる者もそこに手を加えることは出来ません。
 

 76    空海と真理
更新日時:
2010/07/19
 
過去の偉大な宗教家はいずれもインスピレーションによって悟りを開いてきました。インスピレーションが宗教に生命を吹き込むのです。それの無い宗教は中身の乏しい殻にすぎません。空海ほど後世の人間のイメージによって作られた存在は少ないでしょう。彼と共に真言密教が祭り上げられてきました。彼がインスピレーションによって悟った真理の核心は「自らに内在する神性(仏性)に目覚めよ」ということです。それが彼の説いたもののエッセンスですが、他に余りに多くの伝説や宗教的夾雑物が纏わりついています。空海の信奉者は彼を神仏のごとく祀り上げ、その天才振りを褒め称えていますが、彼が説いた真理のエッセンスが正しく伝わっていません。
 
いかに歴史上の優秀な人間といえどもその人間が生きている時代を大きく超えたことは出来ません。人間が表現できることはその時代による制約を受けます。人が入手できる知識や情報はその時代相応のものであり遥かに進んだものは理解することが出来ないのです。空海は彼の悟った真理を真言密教を通して表現したのです。当時の時代情勢では彼にとってそれが最良の表現方法でした。もし彼が今の世に現われていたならば、表現方法は違ったものになっていたことでしょう。
 
真理は誰が説こうとその中身は同じであり民族的個性や時代によって表現方法が違うだけです。空海の表現した「自分も人もこの世界に存在する全てのものは大日如来の現われであり、仏は自分の中にいる」これは不変の真理です。
 

 77    自由闊達に
更新日時:
2010/07/14
 
殆どの宗教的慣習やしきたりは人間が想像の下に作ったもので実体はなく真理ではありません。神(大霊)は人間に何らかの束縛や金銭を要求することは絶対にありません。神は人を摂理の中で自由闊達に育っていくように作られたのです。理性こそ貴方の中に宿る神性です。それに照らして納得できないもの、意味が無いとわかったものは勇気を持って捨て去ることです。決して罰せられるようなことはありません。そうすることによって心を縛り付けていたものが取り除かれ、より神の摂理に沿った生き方が出来るようになります。
 

 78    心身の調和と成長
更新日時:
2010/07/10
 
人は何事に置いても心と体のバランスが大切です。両者が調和したときに最も自分の能力を発揮する事ができます。芸術やスポーツはもとよりあらゆる分野に置いて身体が健康を保っていなければ良い仕事は出来ません。精神と身体は密着しているので心は身体の影響を受けます。人間がこの世にいる間は心と身体を切り離すことは出来ません。昔から一部の宗教者の間で行われてきた苦行(肉体を故意に衰弱させて精神の悟りを得ようという試み)は間違いです。人はそういうもので霊的な成長を得る事は出来ません。却って不自然で偏った性格を作ってしまいます。
 
人間は心と身体にエネルギーが満ちてバランスが取れた状態にある事が大切です。神は人間を心と身体が自然の状態のままで様々な状況を体験しながら進化、成長するように作られたのです。あなたがいることで他の誰かを幸せにする、そういう生き方をすることです。そして他の誰かのために自分を生かそうとする時、あなたを通して神(大霊)が働くことになるのです。それが神の御心に沿った生き方であり、本当の意味での霊的な成長を促すことになるのです。
 

 79    人は神
更新日時:
2010/07/06
 
過去何度も表現してきたように物的なものは霊的視点からみると仮の姿なのです。人々は毎日、朝から晩まで物質に振り回されて生活しています。人間の本質とは霊的な存在であるにもかかわらず、物質に埋もれた日々の生活の中ではそれが表面に出てくることは殆どありません。実はそれが本当の自分であり、一生の間にそれに気づくことが人生の大きな目的なのです。霊的な存在であるということは神の命(神性)を宿しているということです。
 
地球上の全ての人も生き物も神(大霊)とのつながりがあるから存在していられるのです。全宇宙のものも神とのつながりのもとに生命活動を営んでいるのです。いかなる人にも神が宿っているのです。あなたは神が地上に顕現するための媒体であると言い換えてもいいでしょう。空海は「われもまた大日如来」という言葉を残していますが本質において同じ意味です。神(大霊)は完全であり、あなたを通して顕現しているのですがそれは不完全な形で表れているのです。何故ならあなたという媒体が完全ではないからです。
 
あなたが進化、成長していくにつれて完全の度合いが増してきます。完全に近づくわけですが完全と言える状態にはなりません。一つの到達点に立ってみるとさらに目指すべきものが見えてきます。何故なら全宇宙のものは完全を目指して永遠に進化、成長し続けるのでこれでいいという終点は無いのです。すべてのものは大霊の計画した永遠の進化の道を辿っています。
 
神は自然界のものすべてに顕現しています。悪と言われるものの中にも神が顕現しますがその媒体(人間)が未熟であるために歪んで表現されているのです。そういう者でさえも何時かは更生して少しずつ成長(完全に向けて)の道を歩くようになります。決して葬り去られるということはありません。それが神(大霊)の大愛の表現です。
 

 80    愛は次元を超えて
更新日時:
2010/07/02
 
人のこの世からあの世への移行は人智を越えた生命現象であり、生命の法則の通りに極めて自然に行われます。そこに人間が手を加えることは出来ません。葬儀の形式や第三者である宗教人の祈りがその生命現象に影響を及ぼすようなことはありません。その場において意味があるのは残された家族や友人などの旅立つ人への愛の念だけです。それ以外のもので霊的に意味のあるものはありません。愛は次元を超えてつながり決して切れる事はありません。あなたが他界した人を思うとき、何ともいえぬ温もりを感じる事があるでしょう。姿は見えず声も聞こえなくてもその人はあなたのそばに来ているのです。
 

 81    霊的親和性
更新日時:
2010/06/26
 
霊の世界に通じるための一番の要素は何かと言えばそれはその人間の霊界との親和性です。霊的センス(霊能力)とは霊界との親和性の事であり、その人間の意識のバイブレーションの一部が霊界のバイブレーションに共鳴するということです。それは先天的なものであり、その能力があれば霊界に通じそこから援助をもらうことが出来ます。それはある種の宗教的修行をしたからといって身につくものではありません。霊的能力のある者が宗教人になるのが理想ですが、霊的能力を持つということは同時に大きな責任も背負わされる事になります。
 
実際の霊の力の顕現と宗教的に表現されている世界とは別のものです。殆どの宗教的行事は人工的な形式を表現しているだけで、そこには霊の力の顕現が見られません。作られた世界のものと事実は違うのです。
 
霊的なものを大げさなパフォーマンスを見せて表現しているようなものは本物ではありません。本当の霊的な力は極めて霊妙で地味で容易に知覚出来るようなものではないのです。誰にも気づかれること無く日常の出来事の中に現れ、後になって、ああ、あれは目に見えない力が働いたのかと分かるのです。
 

 82    シンボル
更新日時:
2010/06/23
 
今、世の中で行われている宗教的行事や慣習は地上世界の人間の想像で作られたものです。墓や仏壇、戒名なども地上の人間の価値観を基に作られたものです。そういうものが霊界に影響を及ぼす事はありません。地上にへばり付いている地縛霊(未熟な霊)は別として、霊界の人は墓や戒名などには関心もこだわりもありません。墓や仏壇などは地上の人にとって他界した親族と心を通わせるためのシンボル(道具)であってそこに彼らの魂が宿っているのではありません。物質の束縛から自由になった人達(霊界人)が地上世界にある物的なものにこだわることはありません。
 
貴方方が墓に行く、または仏壇の前に座ることによってその人を思い出す、その思いが霊界にいる人たちに伝わった時に心の触れ合いができるのです。貴方が墓や仏壇が最も先祖達との触れ合いにふさわしい場所であると思えばそこが交信の場所になるし、写真やその他のものを見る事がいいと思えばそれが通信機器の役割を果たすでしょう。静かで日頃の雑事から解放された精神状態になれる所なら場所は関係ありません。心の準備が出来たら他界した人に直接呼びかけてみてください。声に出しても出さなくてもかまいません。あなたが何の反応も感じられなかったとしてもそれは相手に届いているのです。
 

 83    神の摂理
更新日時:
2010/06/19
 
長く人生を生きて自分自身に対する思い込みが減ってくると身の回りの事がスムースに運んでいるように感じられるでしょう。力んで我に囚われている内は視野が狭くなっています。力みが取れると視野が広がって来ます。そして自分の力以上の大きな力を引き寄せることができるようになります。
 
やがては総ての事に摂理が働いていることがわかるようになるでしょう。そしてその摂理を信頼して身を任せることができるようになってきます。例え自分にとって好ましくない結果でも自然に受け入れられるようになります。その自然の摂理こそが神の働きなのです。世界の宗教はすべてその事を独自の方法で表現したものであり根本は一つですが、物的表現のみに捉われ真髄を見ていない人が殆どです。
 
自分の未来は自分が作っていると言えるでしょう。貴方がした事に対して結果が返ってきます。貴方はそれに対して反応してまたそれに対する結果が返ってきます。人生はその繰り返しです。未来に起きる事の原因は今作られています。貴方が今遭遇している事は過去にしたことの結果として表れたものです。その結果というものは良くも悪くも貴方の心の状態を反映したものです。摂理は正確にしかも機械的に働き絶対に誤まる事がありません。
 

 84    神性の発見
更新日時:
2010/05/21
 
取り越し苦労をするのはまだ魂が未熟であるからです。自分の中にある神性が目を覚ませばそういう必要が無いことがわかります。自分には神の一部が宿っていてそれは自然の摂理とともに作動します。全ては良きに計らわれていて、摂理を超えることは何一つ起こらないことがわかれば取り越し苦労は無駄であることが理解できるようになります。
 
人は誰でも一生のうちに宝物を発見する機会が与えられています。宝物、それは自らに潜在している神のひとかけらであり、他の何よりも価値のあるものです。容易に発見できるものではありません。幾多の苦難の後にあなたはそれを見つけるでしょう。その時今までに見てきた景色が変わっていることに気づくでしょう。
 

 85    神の法則
更新日時:
2010/04/27
 
今までに述べてきたことの繰り返しになりますが、以下の事実を知ることが何より大切です。但し本当の意味で理解するには時間が必要であり、容易でないことは承知しています。
 
人は皆、神(大霊)の子であり神とのつながりなしには存在し得ない。人間の本質はその肉体ではなく霊であること、肉体は地上生活を送るための乗り物であること、死は終わりではなく次のステージへの誕生であり肉体からの開放である。死は神の領域に一歩近づくことであり進化である。人生を全うした者には希望と喜びを持って迎えるべきものである。死を恐れるのは誤りであり旧来の宗教はこのことを見通すことが出来なかった。いずれは世界の主要な宗教は人々の霊的真理の理解とともに思想の修正を余儀なくされたり、その存在価値を問われるようになるだろう。
 
地上の生活は修行であり人は地上生活で培ったものを持って次のステージへ進む。次の世界での自分の地位は地上生活の反映である。地上の生活を疎かにしていると死後にその清算をしなければならなくなる。苦難は個人が克服すべき課題であり逃げてはいけない。
 
誰が何と言おうと宇宙は絶対的な神の法則(摂理)によって運営されており、万物はそのルールの中でしか存在することが出来ない。人はどう生きようと自由であるが自分のした事は数学的正確さをもって結果として現われる。法則に沿ったことをすれば幸せと喜びを味わい、逆らうことをすると苦しみを味わうことになる。人間が自分に都合のいいようにルールを変えることは出来ない。祈祷や祈りによって法則が手直しされたりすることは有り得ない。人は自分の行いによって蒔いた種を刈り取るしかない。地上の宗教において一神教とか多神教などと分類をしているが宇宙は絶対的な神の法則のもとにある。それが事実であるから仕方が無い。
 
誰一人として何一つとしてこの法則の支配から免れることは出来ない。今の社会や人々の苦しみは今までの行為の結果であり、心を忘れ物質偏重の生き方をしてきたからである。法則は無慈悲なものではなく神の大愛の表現であり万物はこの法則によって進化の道を辿るように方向付けされている。人は物質偏重の生き方を改め、神の摂理に沿った本来の人間像に近づいていかなければならない。
 
心が物よりも大切である。物は心の働きかけがあって初めて存在の意味を持つ。
人は一人では生きられない。他人を思いやり、互いに助け合わねばならない。
自然や生き物に対する慈しみの心を忘れないこと。物事への感謝の気持ちを忘れないこと。
 
それらは真新しい事ではなく昔から全ての宗教で説かれ、言い古されていることであり、難しいことを考える必要はありません。そういう生き方を実践していくことです。宗教人が悟ったような顔をして高邁な教えを説いたところで自らの行いが伴わっていなければ誰もついて来ないのと同じで、意味があるのはその人間が何を言っているかということではなく、何をしているかということです。

 86    浄化運動、3
更新日時:
2010/04/17
 
例えば、貴方がもし敬虔な仏教者であるとして誰かにこう言われたとします。「般若心経は生老病死の苦しみから目をそらすための方便を羅列したものに過ぎない」。「神聖視されている宗祖の誰々は方々にあるものを持ってきて組み立て自分の宗教を構築した」。貴方は果たして平静な心でいられるでしょうか? 熱心な信者なら既に心は教義と一体化して固まりそれに反する事は受け入れられなくなっているでしょう。それは既に心の入り口を狭めているということなのです。
 
宗教は確かに真理の一部を表現したものですがその上は分厚い夾雑物で覆われています。その上部構造は真実の世界からのものではなく人間が勝手に作り上げたものです。教祖への個人崇拝、宗教組織の権利構造、宗派間の争いなど真理とは無縁の事で、宗教の名のもとに人類は奔走してきました。真の信仰の対象は宇宙の全てを創造し統括している宇宙の大霊、それをおいて他にはありません。そして人は全て大霊の子なのです。それぞれの宗教の開祖を崇拝の対象としてはなりません。その人物を通して地上に顕現した宇宙の霊力を崇拝すべきであり、偉大な聖人と伝えられている人達は霊力の通り道として働いたのです。彼らも普通の人間でした。過大に解釈してはなりません。
 
これからの人間は人の手によって作られたものではなく本当のもの、実在のものを見る目を開いていかねばなりません。私達は地上の人達に本当のものを知って欲しいと願っています。素直で信仰心があり心の開けた人間は志さえあれば自然に私達との回路が開けてきます。何故なら今、私達と地上世界を結ぶ掛け橋になってくれる人間が求められているからです。志とは人生においてエゴを捨て人や自然界のものに対して愛を実践していくことです。これからは人類の進化の為にそういう人間を増やしていかなければなりません。
 
こちらの霊人達との回路が開かれたら彼らと共に進んで行くことです。多くの人は自分自身にこだわり力み返っていますが、力みを取り思考回路を柔軟に、シンプルにすることです。失礼かもしれませんが力んでみたところで地上の人々には物事の一面しか見えません。そして考えなくてもいい事で頭が一杯になっています。自分を上からのエネルギーの通路と考えて素直になれば癖(癖のない人はいない)も取れてエネルギーの流れが良くなります。そしてその人を通じて高級霊界からのエネルギーが地上に注がれることになります。そういう体験を重ねるにつれ人は背後の力に全幅の信頼を寄せることが出来るようになり、二度と不安や恐怖の念に苛まれることはなくなります。
 

 87    浄化運動、2
更新日時:
2010/04/10
 
このようにこちらとの回路が開けた所にはこうしてこちら側の意思を伝達することが出来るようになります。そして一度回路が開かれるとそこを拠点に関わりのある人たちに広がりさらに草の根的に周囲に浸透していくことになります。世界中で少しずつ意識の改革の芽がほころび始めてきました。方々で天の声を聞いたという人間が増えているのは我々の存在が今までに無く身近なものになっているからです。かつてはそういうものを感じ取れるのは極めて少数の人間に限られていたのです。
 
浄化のエネルギーは全ての人に平等に注がれています。祈りの後の瞑想で心を澄ませて貴方の身の回りにあるエネルギーを感じてみてください。それが私達霊の力です。感じ取れたらひたすら自分をそれに調和させ導きを求める事です。最初は難しいでしょうが貴方が心の底から求め続けたならばいつかは必ずわかるようになります。確信を持てるようになります。それは霊界からの波動なのです。
 
私達の住むこちらの世界は物質に邪魔されないので貴方たちのいる所よりはるかに自由です。自分のしている事の意味がよくわかります。そちらの人達は物質の厚い壁に遮られて自分が何者かということを知りません。また自分が何をしているかという事もわかりません。いわば盲目状態なのです。そういう世界の中で真実を見る力をつけるには意識を頭一つ高いところに出すことです。最初は信仰心を身につけるために何かの宗教を学ぶのも悪くないでしょう。しかし一通り学んだら自由に自分の潜在能力を伸ばすことです。宗教にどっぷりと入ってしまうと教義に縛られて自由な発想に制限を受けるようになります。
 

 88    浄化運動、1
更新日時:
2010/04/02
 
「ご機嫌いかがですか?今日という日が貴方にとって有意義なものになりますように」。 私達は一日の始まりの時、繋がりのある人にはこのように思念による語りかけを行っています。多くはその人の朝の祈りの時においてです。毎朝祈りを続けていると双方の波長が合うようになってきます。そして顕幽両界の者がその境界を越えて共に手を取り合って進んでいることを実感できるようになります。祈りは自らの向上進化と神の摂理との調和を心から願うものであれば形式にこだわる必要はなく、自分に合ったものを取り入れると良いでしょう。
 
近頃は感性の鋭い人達には私たちの存在が一層身近になってきた事が感じ取れることでしょう。人生の出来事においても解決困難と思えた事が何時の間にか解決していたり、かつては重大に思えたものが実は大した事ではなかったと気づいたりする事があると思います。それらの出来事においては貴方自身の努力の上に、こちらからの見えない援助の力が働いているのです。そちらからは想像も出来ない位、緻密な人材的配慮や働きかけをしている事もありますが、貴方達はそれを知りません。
 
私達は一人ではなく何名かで組織された霊のグループです。メンバーの中には貴方達の親や先祖も含まれている場合があります。我々は人間の意識の覚醒を促すという明確な目的を持って活動をしているのです。それは人間には想像もつかない神界の高級霊達によって立案された大規模な人類救済の計画であり我々の役割は地上の人間に神の意思を伝える事です。我々の活動は目には見えず、耳にも聞こえず、ごく一部の敏感な人にしか感じ取ることはできませんが着実に進んでいます。
 
現在表面だけを見れば世の中は一層暗く穢れを増しているように見えるかもしれませんが、今、人の目に見えないところで地球的規模での人類の心の浄化運動が進められています。それは決して目立つことなく極めて静かに人の心の奥深く浸透していきます。長い年月をかけて少しずつ着実に進んでいきます。あくまでも受け入れる準備の出来た人から一人、また一人と浸透していくのです。
 

 89    インスピレーション、3
更新日時:
2010/03/26
 
何事においてもせっかちと頑固者はいけません。そういう心の波動はこちらの波長と合いにくいのです。人はすぐに結果を欲しがりますが物事が成就するまでにはそれなりの手順というものがあり、何事も一気にということはなく、急いては事を仕損じます。それから自分の誤った信念を頑なに張り巡らして生きているような人もこちらから手の施しようがありません。自分がその誤りに気付くまで黙って見ているしかないのです。誤っているか否かという基準は自然(神)の摂理であり、人は今までに自分の行いに対してそれ相応の結果を得ているはずです。
 
基本的に人は自分の信念がどういうものなのかを客観的に見る事が出来ないので、皆自分の信念は正しいと思い込んでいます。心の底では良心の声を聞きながらもあえてそれを無視して頑なに自分の信念を貫き通す人もいますが、必ず思い知らされる時が来ます。良心の声こそ万人が神から授けられたモニター装置でありそれに素直に従うことが摂理に沿う生き方なのです。素直さは摂理と調和する為には欠かせない要素です。
 
私達背後の霊は皆さんの魂の親族であり、可愛い子には旅をさせよという気持ちで成長を祈って貴方達を地上世界へ送り出しているのです。貴方は一人で生きているのではありません。自分から拒否しない限りどんな時も孤立無援にされることはありません。常に見守られ導かれていることを忘れてはなりません。難しい問題に直面した時には“人事を尽くして天命を待つ”という言葉を実践することです。その動機が正しければこちらの世界から大きな力が働きます。霊界は上の界層に行くほど神の摂理が支配する世界です。その人間の動機が摂理に叶い、向上に益することならば霊界の住民は喜んで力を貸してくれます。つまり彼らを動かすのは人間の志です。
 
人の社会は大変目まぐるしく、ともすればそれに巻き込まれて我を失い勝ちですが、出来る限りゆったり構えて柔軟、寛容な気持ちで日々を過ごすことが大切です。そして人や生き物や世の中のものに対して愛の心で接するように努めることです。そういう心掛けで生きていれば貴方は必ずよい導きを授かるようになります。
 

 90    インスピレーション、2
更新日時:
2010/03/19
 
インスピレーションは人間が緊張していたり体調がすぐれない時は届けられません。心と身体が健康で両者が調和状態にあることが必要です。人にもよりますがリラックスしている時、特に入浴中や散歩中などは届けやすい状態です。また寝入り際に誰かが貴方に語りかける声が聞こえることはありませんか?それからリアルで印象に残る夢もこちらが何かを知らせようとしていると考えてください。
 
人が陰鬱な気分になっている時は心に壁が出来ているのでこちらから近づくことができません。感情が激高しているような時は最悪です。陽気で楽天的な気分の時が最も波長が合いやすくなります。こちらの世界を暗くて陰気な所だと思っている人が多いようですがそれは間違いです。こちらから見れば地上の世界は暗く重たく本当の生命の輝きが感じられません。それに比べてこちらは生命の波動というものを直に感じられる喜びの世界なのです。
 
我々からの信号を受信するには受ける側もそれなりの準備が必要です。煩わしい日常生活を抜け出して日に一度は魂の静寂に浸る時間を作り我々に呼びかけてみてください。苦しい時には助けを求めてください、必ず何らかの形で反応があります。時には目に見える形での援助もあります。そしてその積み重ねがお互いの絆を深めていきます。
 



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