導きの声


 31    人類の使命
更新日時:
2011/08/23
 
今の人間社会には悲しみや苦しみが尽きませんがそれは人類が自ら招いていることなのです。人間は自分の力で地球上の全ての住民が共存していけるようにこの地上世界を改善していかねばならないのです。それが人類に課せられた使命なのです。人類は身体の成長はほぼ完成の域に近づいてきましたが心の方はまだまだこれからです。
 
地球上の人類も何時の日か皆が幸せを感じながら暮らせるようになるでしょう。人々が物質一辺倒の生き方から霊的自我に目覚め、お互いを思いやりながら暮らすようになればこの世も天国のようになることでしょう。地上世界はそうなるように神によって計画されているのです。そういう時代の到来にはまだまだ時間がかかるでしょう。それまでには生みの苦しみを味わわなければなりません。しかし何時の日か必ず神の計画は地上に実現されることになります。宇宙に存在する何者も神の計画に逆らい続けることは出来ないのです。現在如何に世の中が暗く絶望的と感じたとしても朝の来ない夜はありません。
 
それには一人ひとりの意識が目覚めていかねばなりません。一人ひとりの進化の度合いが違うので全員をまとめて教化したりすることは出来ないのです。あくまでも一人ずつ、その人間の置かれた状況の中で目覚めていきます。霊的覚醒においてはこれが鉄則であり例外はありません。ですから時間がかかるのです。どこかの宗教施設で皆をまとめて説法をしてもその時だけです。魂のレベルで理解していない事はいとも簡単に剥げ落ちてしまうのです。現在地上には霊界からの無数のチャンネルが築かれつつあります。それは空前の事であり、その通路を通して大きな霊力が地上に流入しています。大きな価値観の転換が起こりつつあります。ある人の目にはそれは破壊や挑戦と映るかもしれませんがそれも神の意思(摂理)なのです。
 

 32    霊的に実在するものとしないもの
更新日時:
2011/08/03
 
霊的な存在に実際に触れるまではその存在を認識することが出来ません。また自分が霊的な存在であるということも知りません。人は霊的な存在を実感できないうちは確信が持てないものです。それまでは自分が慣れ親しんできた宗教の教義やしきたりを霊的なものと同一視してしまうのです。しかし一度霊的なものに目覚めるとそれまでに自分が信じ込んできたものが作られたものであり、実在しているものとは違うということがわかるのです。生きている間にわからなければ死後にわかることになりますが大半の人はそうでしょう。本当の意味で霊的真理を理解するにはある程度の霊的センスが必要です。
 
宗教的儀式をする事と実際に霊の世界と交流する事とは関係がありません。旧来の伝統を固守して作法や格式にこだわっているような宗教団体は視点がずれています。そういうものはすべて物質の世界の価値観から作られたものであり霊の世界では意味がありません。同時に自分の宗教的な地位や階級を後ろ盾にして威張り散らしているような宗教者は自分が霊的に無知であることを証明しているようなものです。一旦霊的世界との通路が開けてそこから指導を受けている人間は謙虚になります。それまでの自分の小ささ、未熟さに気付き悟るようになってきます。
 

 33    判断と直観
更新日時:
2011/08/03
 
目先の現象に振り回されないようにしましょう。身近なことで何か問題が起きた時、最初は自分がそのエネルギーに飲み込まれてしまうので我を失い、正しい判断が出来ません。多くの事は最初にその一局面が現われ、時間の経過と共に全体像が見えて来ます。最初の認識だけでは全容がわかりません。物事を一局面だけ見て判断することは間違いの元です。
 
一方、途中の思考を飛び越えて直ちに結論が出せることもあります。そういう場合は自分の中で直観が働きそこから確信が生まれています。直観が結論に導くのです。スポーツの世界でも勝負どころで秀でた働きをする人がいますがそういう人間は優れた直観力を持っているのです。よく動物的な直観力などと表現されます。また身に危険が迫った時など、人は直観によって危機を脱する事があります。それから虫の知らせとか予知夢など未来に起きる事を感知することがあります。
 
それらは自身の霊の働きによるものです。誰でも今までに直観によって助けられてきているはずです。インスピレーションと直観は厳密には違います。インスピレーションは霊界の誰かから送られてくるもの、直観は自分の内部から湧き出るものですがその違いはわかりにくいでしょう。人間には元来そういう霊の力が備わっているのですが、物質文明に浸りきった生活をしているのでその能力が眠ったままの人が殆どです。
 

 34    霊の声
更新日時:
2011/07/13
 
この世のことで自分の思い通りになることはまずありません。それは当然のことであり、それでいいのです。人がこの世の体験から学び取らなければならない一番の事は物事の道理であり、結果は二次的なものです。物質の世界(この世)には何一つ永続性のあるものはありません。人の内部に宿る霊的な自分、それが永遠の進化の旅を続けているのです。あなたの肉体が旅を続けているのではありません。肉体はこの世だけの限定的な乗り物です。物、金、家、土地などは人の思念が物質化したものであり、その役割が終わればさっさと消えていくのです。
 
これまでの人生を振り返ってみて、自分がいることによって誰かを幸せに出来たでしょうか? 世の中の為になる事をしてきたでしょうか? 人生の終盤に差し掛かった頃、人は自然に自分に問い掛けるようになるものです。それは自分の霊の声なのです。
 

 35    摂理(法則)の働き
更新日時:
2011/07/07
 
全ての人の今の環境はなるべくしてなっているということを知らねばなりません。今までに積み上げてきた自分の所業に自然の摂理(法則)が作用して生まれたものです。自分の考える事や行動はその都度、自然の摂理によって自動的に裁定され、結果として現われて来ます。何一つとして摂理の働きを受けないものはないのです。そしてその摂理の働きが神なのです。ですから常に人は神とともにあるのです。何故なら人間には神のひとかけらが埋め込まれていて源(神)に繋がっているからです。信仰心があるなしに関係なく神の摂理は全ての人に平等に働きます。ある宗教を熱心に信仰し忠誠を誓っていると言っても特別扱いを受けることはありません。摂理は機械的、且つ自動的に作動します。
 
神の働きに影響を及ぼす力を持ったものは宇宙に存在しません。人間が考えた特定の神を拝もうが祈祷をしようがその原因と結果の法則(自然の摂理)に干渉することは出来ません。例えば昔から続いてきた雨乞いの祈祷などは実際には何の効果も表わしません。自然界には自然界の法則が厳然としてあり、例え何万人が祈祷をしようとも自然の営みに影響力を及ぼす事は出来ないのです。
 
一人一人の人間、社会、国家、そして自然界の全てのものに対して摂理はそれぞれのレベルに応じて働きます。実際にはそれぞれの領域にそれぞれの法則がありそれらが相互に影響し合って結果が生まれます。人生における一つの出来事の裏ではいくつかの法則が絡み合っていることがあります。原因と結果の法則の原理は単純ですが実際には極めて複雑な機構が働きます。人はよく奇跡が起きたということを口にしますがそれも法則の範囲内のことです。全てのことは法則が支配し、奇跡や偶然というものは無いのです。
 

 36    祈りと霊的覚醒
更新日時:
2011/06/18
 
霊的覚醒とは自分に秘められている霊的な意識を見出すことです。日常の雑事に忙殺されているあなたの意識は実は本当のあなたの一部でしかありません。それは肉体を通して表現されている意識であり、本当のあなたの意識(霊的な意識)はもっと大きくて深い所に潜在しているのです。この世で出会う様々な体験の底流にあるもの、人生の大きな方向性を決めているのは霊的な意識なのです。人間は肉体をまとっていますがその本体は霊であり、霊自身が神の分身なのです。霊が目覚めてくれば自然に神の摂理に沿った生き方をするようになります。
 
そうなれば経典や教義などというものは必要ないのです。霊的な意識を目覚めさせて本当の自分を見出すためには霊的真理に関する知識と日常生活での実践(自分以外の誰かの為に自分を生かすこと)、そしてもう1つは祈りです。祈りは神との直接の対話であり、そこから守護霊を通じて通路が開かれ導きを得ることが出来るようになります。高級霊の保護を受けて自分の人生をより神の摂理に沿って生きられるようになります。
 
本当の祈りとは摂理との調和と導きを求める魂の切望でなければなりません。意味の分からない誰かの作った経文を並べても意味がありません。多くの人は経文自体を崇拝し特別な霊力を持っているものと思い込んでいますがそれは焦点が外れています。経文が霊的な力を持っているのではありません。霊的な力は一人ひとりの人間に秘められているのです。そして祈りとは祈る本人と宇宙の大霊(神)との直接対話であり介在者は必要がないのです。
 
時間の無い時は就寝前のベッドの中で精神統一して心の中で祈ってもいいでしょう。祈りが届いたかどうかはそれを真剣に続けていけば直感的にわかるようになります。
 

 37    イメージと霊的実在
更新日時:
2011/06/06
 
この物質の世界で表現されている意識は肉体を捨てると次第に消失していきます。意識が肉体を通して表現されている期間は永遠の旅の中ではわずかなものであり、人は永遠の人生を霊の意識で生きるのです。昔の偉人や賢人たちは霊界で死後一段と成長、変容していて歴史書に載っている通りのイメージの人物ではなくなっています。過去の宗教世界の偉人達が今も熱心に敬われ、祭り上げられていますが、それはその人物の遥か昔の地上時代の人物像を崇拝していることになります。イメージされているような人物は今は実在ではなく、それは彼の地上時代の成長途上の姿であったということになるのです。
 

 38    守護霊の仕事
更新日時:
2011/05/13
 
その人間のカルマの精算は守護霊にとっても大きな仕事です。守護霊はあえてその場面(カルマの精算になるような人生の場面)に遭遇するように導いていきます。しかし人間の自由意志は尊重しなければなりません。自由意志が認められているということが人類が地上では最も神に近く、進化した存在であることの証です。もし何でもこちらが指示してその通りにしていたならば唯の操り人形になってしまいます。間違いを犯すことがない代わりに魂が成長することが出来なくなってしまうのです。人間は自分の力で問題を解決しそこから教訓を学び取らなければなりません。
 
守護霊は陰に陽にその思念で当人に働きかけを行っていますが、それに気が付く人間は極めて少ないのです。守護霊の導きはあなた方にとっては必ずしも歓迎すべきことではない事があります。道を誤まりそうな時は本人が痛みと感じるような警告を与えることもあります。地上の価値観で幸せと思うことが霊的な視点で見ると不幸なことになるような場合があります。守護霊の導きに沿って生きる道はあなた方から見て楽な人生ではないことを理解しておかなくてはなりません。それは霊的成長を目指しているので現世ご利益的なものではないのです。あなた方がこの世を去り地上の生活を振り返った時それまでの疑問は解け、痛みや苦しみと感じた出来事が自分の成長の為の糧になっていたことに気がつくでしょう。
 

 39    カルマの清算
更新日時:
2011/05/07
 
人間がこの地上世界に生まれてくる大きな目的にカルマの精算があります。人の人生においては通常、幾つかのカルマの精算が予定されています。何故そんなことが必要なのかと思われるかもしれませんがカルマの精算をしないと魂の向上進化の妨げになるのです。カルマはその人が過去に犯した法則へのペナルティーと考えればいいでしょう。それは溜まっていた借金を返済するようなものです。人は何故か何度も似たような苦しみの体験を繰り返すことがあると思います。あるいは原因不明の難しい病気に罹ることもあるでしょう。実はそれらはカルマによるものが多いのです。それらはカルマ解消の時期が来れば自然に治まります。
 
当人にとってはそれは歓迎すべきものではないかもしれませんが、実際には本人は霊界において指導霊のもとで、その計画を立てて地上に来ているのです。理解し難いことかもしれませんが、今肉体に閉じ込められているあなたの意識に上ってくるのは霊としてのあなたの一部でしかないのです。その計画の事は少しも思い出すことが出来ないのです。そこから自分は何でこういう目に遭わなければならないのか、人生は不可解で理不尽なものであると考えてしまうのです。それはあなたが遠い昔(前世)に行った事が結果として返ってきたものであり、人間は時空を越えて旅をしていることを思い出してください。人生はこの世という限られた間だけではなく過去から未来へと永遠に続いているのです。
 
この世で肉体に宿って生活していくということは苦しい事なのです。しかし人はあえてその道を選んで地上に来ているのです。如何に理屈をこね回してみても苦しいものは苦しいのです。苦しみから逃れる唯一の方法は苦難を正面から受け止め果敢にチャレンジしていくことです。それを乗り越えた時、それまでの苦しみは苦しみではなくなります。魂はそうやって成長していくのです。霊魂は実在し、永遠の進化の旅を続けています。全ての存在物は実体を持ち、厳然とした宇宙意思(法則)のもとで向上進化という方向性を持って生命活動を営んでいます。
 
インドで生まれた仏教は元来、霊魂の存在を認めていません。世の全てのものには実体が無く、唯、縁によって生じ、縁によって滅ぶものである。実体の無い物をあると思う事から苦しみが生まれる、自分の心さえも実体は無いと説く古典的な仏教思想が果たして理に叶っているかどうか自分の理性と直感でよく吟味してみてください。
 

 40    霊的成長の階段
更新日時:
2011/04/29
 
この世にいる人たちも次元による住み分けをしているのです。地理的に同じ場所で住んではいても魂の次元はそれぞれ違います。現在の状態でそのまま霊界に移行したとすると別の場所に住む事になり、お互いが会う事はなくなります。たとえばあなたの理解能力があるレベルにあるとします。高度で表すとするとあなたがいる場所とそれより下にあるものは見渡すことが出来ます。しかし自分より高いところは見えません。一方、あなたより低い場所にいる人にはあなたのいる場所が見えないのです。あなたと同等か、より高い所にいる人にはあなたのいる場所がよく見えます。真理の理解度というものはそういうふうになっているのです。人間は1つの真理を理解する度に少しずつ霊的成長の階段を登っていくのです。
 

 41    愛の絆
更新日時:
2011/04/23
 
今回の災害で愛しい伴侶や家族と生き別れになって悲しみの極地にいる人達には深い同情を感じます。しかし死は愛を引き裂くことは出来ません。何故なら愛は宇宙最大のエネルギーだからです。愛は死の壁を越えて繋がっています。本当は別れ別れになった人達とは以前よりも霊的に深く結ばれているのです。あなたがいる所、どこにいようと亡くなった人は傍に付き添っているのです。唯普通の人にはそれが見えない、聞こえないというだけです。彼らは実は自分のことよりも貴方方のことを一番心配しているのです。自分はこのとおり元気でいるのに生き残った人たちはそれに少しも気付いてくれない、一体どうしたらわかってもらえるのかと悩んでいます。遺体はすでにその人ではありません。遺体は当人が生前に着ていた服のようなものです。その人はそこにはいません。その人はあなた方のすぐ傍に立ち、あなた方を見守っているのです。何時の日か人々はその事実に目覚める時がくるでしょう。
 
災害で亡くなった小さな子供たちは霊界で生前子供のいなかった母親に引き取られて大切に育てられます。地上生活で得られるはずであった学びと体験は霊界で修得されます。地上の親が人生を真っ当して他界するとその子供が真っ先に出迎えてくれます。当時小さかった子はすっかり成人して立派な青年になっていることに驚く事でしょう。成長していてもすぐに我が子だとわかります。そこでは地上と立場が逆になっていて地上の親はかつての我が子から教えられることになるのです。
 
地上での体験が不遇であったならそれは必ず霊界に行ってから補われます。そういう法則が働くのです。何一つとして不公平というものは無いのです。報いと報酬、それは人の人生において寸分の狂いも無く発動されます。あなたが何時の日か霊の目で人生を眺められるようになった時、今回の体験が永遠の人生を構成する貴重な一コマになっていたことに気がつくでしょう。そして摂理の見事なまでの完璧さと無限の愛に神を感じることでしょう。
 

 42    災禍の意味
更新日時:
2011/04/13
 
人々の間で今回の災禍の本当の意味がわかるのはかなり先のことになるでしょう。この国だけではなく人類全体の記憶として残ることになるでしょう。個人の人生において何度か危機が訪れるように国や世界の規模でも同様のことが起こります。それは誰もが予期せぬ時に起こり大きな衝撃と共に人々の魂を深いところまで揺さぶるのです。その局面だけを捉えると悲劇と苦しみしか見えないでしょう。この世には神も仏もないのかと叫びたくなるのも無理はありません。しかし将来、人々が広い視野から眺められるようになった時、その意味が理解されるようになります。物心両面において納得するようになります。
 

 43    災害で死ぬことの真実
更新日時:
2011/03/25
 
 
災害で亡くなった人たちを気の毒がる気持ちはわかります。しかし人は元来いつまでも生き続けることは出来ません。この地上に肉体を持って生活している以上、自然の営みの一つである災害(人間にとって)を避けて通ることは出来ません。世の全ての事と同じく、事故や災害で死ぬという事にも偶然はありません。不慮の事故というものはありません。人は肉体を去る時期をあらかじめ定めてこの世に来ています。その因子と生後積み重ねてきた原因と結果の所業が複合的に作用して災害に遭うという1つの結果を生むことになります。死ぬ理由は何であれ、人は自ら定めた寿命から大きくずれることなく、時期が来れば霊界に帰還するようになっているのです。事故や災害に遭遇しても未だその時期が来ていない人は年齢に関係なく生き延びます。人はよく奇跡的に助かったという話をしますが、その裏にはそういう摂理が働いているのです。奇跡というものは存在しないのです。宇宙の全ての出来事は摂理の範囲内で起きます。
 
しかしこれまでに繰り返してきたように、どのような死に方をしようと死ぬ事は悲劇ではありません。悲劇と言うならこの世で肉体で地球に繋がれ、物質の世界で苦労している人たちのほうです。死んだ人は重苦しい肉体を地球に返してようやく自由の身になれたのです。人生の第2ステージに進級したのです。死ぬ事を地上の眼で見ると不幸な事になりますが、霊の目で見るとそれは束縛からの解放であり死というものは無いのです。このような状況の中で卑劣な行為をする人間がいますが、そういう者の魂こそ死んでいるのも同然です。
 
災害や事故で亡くなった人はショックが収まるまで霊界で手厚い看護を受けることになります。死の自覚が出来ていない人達は指導霊のもとで自分の状況を理解するようになります。大災害で一度に沢山の人が死んだ時には霊界ではそれに対応して大規模な救援活動が行われます。ですから亡くなった人の行く末を案じる必要はありません。気持ちの整理がついた後にそれまでの人生で未達であった事は霊界で継続されることになります。地上よりはるかに進んだ知識を学ぶことが出来ます。地上には無い素晴らしい芸術にも触れることが出来るようになります。地上生活特有の物質の悩みから解放されます。災害や放射能汚染に恐れおののく必要もありません。地上の体験が悲惨であったならば死後は必ずその補填があり、霊界で幸せに暮らすことができます。人生の全てに絶対公正の法則が働いていて不公平というものはないのです。
 

 44    神性の芽生え
更新日時:
2011/03/19
 
この災禍の中で人々の間から神性が芽生えつつあります。同胞の受けている苦しみを黙って見ていられないのです。今回の苦難を共に分かち合い支えあって行こうという善意の施しが世界中に広がりつつあります。互いに助け合い支え合う中から感動が生まれています。これが人間の本来の姿なのです。それまでは物質に埋もれて曇らされていた眼が開けて来たのです。人はそういう体験のなかから人生において真に価値あるものは何かということを学ぶのです。
 
人間がこの世に生まれてくる究極の目的は自らに潜在する神性を芽生えさせることにあるのです。神性が目覚めるには人間は皮肉な事に極限の状態を体験する必要があるのです。もう限界かと感じるような苦しみや悲しみが魂を開かせるのです。それまでは神性が眠っているのです。何時の日か人々は今回の体験を懐かしく振り返る時がくるでしょう。我々はあの苦境を乗り切ることが出来たのだと自分や母国を誇らしく思うことでしょう
 

 45    困難を乗り越えて
更新日時:
2011/03/16
 
原発のように人間が作ったものが害を及ぼす時、その規模はその力に応じたものになります。人間の作ったものにはそれなりに限界があるのです。その限界を超えて害を及ぼすことはなく、それなりの対処法が考えられるでしょう。実態以上に恐れることはありません。また原子力エネルギーはもろ刃の剣であり近代社会がその恩恵を受けて来た事も忘れてはなりません。
 
人類は過去幾多の災禍を乗り越えて進歩してきました。個人と同じく民族や国家にとっても困難や試練は成長の為の糧になるのです。もし今までに何の困難も障害も無かったとしたら人類は今のように進歩する事は出来なかったでしょう。技術の進歩も遅れていたでしょう。困難が人間を成長させるのです。歴史を振り返ればわかるように人類は何度も絶望の淵から立ち上がってきたのです。民族の力を結集して困難に立ち向かっていけば克服できない問題はありません。
 

 46    人類の宿命
更新日時:
2011/03/16
 
人類は地球環境の中で育まれ今のような肉体を持つようになりました。その肉体を構成する成分は地球由来のものです。昔から“死ねば土に帰る”という言葉がありますが正にその通りです。他の天体の生命は地球の生命とはまた違った形態を持っています。その天体の環境が独自の生命形態を作るのです。人類は地球につながれていると言っていいでしょう。人間の肉体は地球と密接につながり、この世にいる限りは地球を離れて生きていくことはできません。
 
人は地球以外の場所では生きられないのです。人は地球に養われていると同時に、時折見せるその凶暴ともいえる荒々しさにも付き合わねばなりません。厳しい事ですがそれは人類の宿命でもあるのです。地球も人類も共に未完成でありその関係は運命共同体なのです。昔から言われてきた「天災は人間の悪業に対する天地の怒り」という見方は当を得たものではありません。原則的に地球は人間の行いとは無関係にそのルールに沿って生成進化を繰り返していきます。
 

 47    人類と地球
更新日時:
2011/03/13
 
何十億年という昔、地球は火の惑星でした。それが気の遠くなるような年月を経て、今のような豊かな自然を持った惑星に進化してきたのです。最初は生命(霊)が原始的な生命形態に宿り、そこから長い長い年月を経て進化の頂点である人類が誕生したのです。人類は地球が生み出す自然の恵みを受けてここまで発展してきたのです。
 
地球はこれまで地上の全ての生命形態と共に何百億人という人間を養ってきましたが、今も尚ダイナミックな創造活動を繰り返しています。地震や火山活動はその現われです。地球はまだまだ若く進化の途上にあり、これからもその活動は続いていきます。その創造活動は人間の都合にはお構いなく自然の摂理に基づいて進行して行きます。人間にとっては破壊的に思える事さえも地球の生成発展のための活動なのです。自然は優しく豊かであると共に人類にとっては凶暴に映る厳しい面も持っていることを忘れてはなりません。
 

 48    作られた世界と実相
更新日時:
2011/03/06
 
人は死後自分の魂の状態に合った場所に落ち着きます。その場所がその時点の自分にとって最もふさわしいということです。生前ある宗教を熱心に信仰していたからといって特別扱いされる事はありません。問われるのは純粋に自分の魂の内容だけです。霊界に行くと肉体がない分、神の威力、摂理というものを直接感じるようになります。一種の磁力のようなものが働いていて直に神(生命の始原からのエネルギー)を感じられるようになります。その威力の前では生前、熱烈なある宗教の信者であった者でもそれまでの思い込みや信条をあっさりと脱ぎ捨てるようになります。それまで信じ込んできたものは実相ではなく作られた世界であったことを理解するのです。
 
唯、一部には死後も霊界の下層で地上時代の熱烈な信者同士が集まり、頑固に生前のままの宗教的儀式を繰り返し、その宗教の戒律を守って生活している閉鎖集団が存在して地上の同質の者に影響を及ぼしています。そういう状態が何年、何十年と続くこともありますがそのうちに一人、また一人と真実に目覚めてそこを離れていくようになります。
 

 49    先祖供養
更新日時:
2011/02/25
 
先祖を位牌や仏壇や墓に閉じ込めておくことは出来ません。そういうものはこの世の人間の想像によって人工的に作られたものに過ぎません。彼らはこの世の務めを終え、重荷から開放されたより真理を身近に感じられる世界で自由闊達に暮らしているのです。一方、この世の人々こそ重苦しい地上世界で、肉体の牢獄に繋がれた毎日を過ごしているのです。その発想の元が暗いので葬儀などの儀式が重苦しく悲壮なものになってしまっています。そういうものが死のイメージを一層陰惨なものにしているのです。それらは事実ではなく霊的無知が生んだ人間の想像の産物に過ぎません。
 
彼ら先祖は霊界のより進歩した先人達によって教育され、その中のある者は地上の縁ある人間を霊界から導いているのです。その事を理解するならば地上の人たちが供養をしなければ先祖が成仏できない等という考え方はおかしいと思うはずです。そういう事は迷信であり、滑稽な事なのです。
 
この世の人々は地中にいる幼虫のようなものです。それが成虫となって地表に出て自由で広い世界に羽ばたいていくことを地上世界の人々は死と呼んで悲しみ、忌み嫌っているのです。昔から生老病死の苦しみから目をそらす為に様々な宗教的方便が使われてきましたが、それらは真実を捉えていません。それらの教えは霊的に無知であることを証明するものです。地上の人が考える死は本当は祝福すべきことなのです。彼らはこの物質の世界の卒業者なのです。そして死んでしまったと思っている人たちは、もし地上の人々が例え一瞬でも物質の曇りを拭い去ることが出来るならば、彼らは手の届く距離にいて愛を送ってくれていることが分かるでしょう。そしていずれは再会することになります。これからの人類は時間をかけながらも少しずつ生命の実相(真実)を理解して行くでしょう。
 

 50    宗教者の使命
更新日時:
2011/02/18
 
宗教者は一度今信じ込んでいる教義を捨ててみたらいいのです。自分の宗教人としての地位や肩書きも全部外してみるのです。全て捨ててみて何が残るでしょうか?実際にはそういうものは何も残らないはずです。何故ならそういうものは実在ではないからです。実在の世界で意味のあるものは一人の人間として人々に施した愛しかありません。人々に愛を施すこと、それが宗教人の使命です。

 51    真理と介在者
更新日時:
2011/02/14
 
神と人間の間に介在者は要りません。神と人は元来繋がっているのです。そのつながりは切ろうにも切ることはできません。一人ひとりの人間に神が内在しているのです。人工的なもので塗り固められた宗教が神と人間の間に割って入り、難解な教義とやらを説き、逆に人々を真理から遠ざけています。真理は単純素朴なものです。その原理は子供のように素直な心になれば容易に理解できるものです。宗教の根本は「他の誰かのために自分を役立てる」事です。それ以外の理屈はどうでもいいのです。元来介在者がいなくても誰もが等しく神の恩恵を受けているのです。神と繋がるためにお金や儀式は必要ありません。人は皆神の子です。
 

 52    啓示の進歩性
更新日時:
2011/02/08
 
これからも人間の理解力の向上に見合ったより高度な真理(知識)が啓示されるでしょう。はるかな未来の人々から見ればここで取り上げているような内容も色あせて見えることでしょう。啓示も進歩していきます。宇宙の全てのものは止まることなく進歩していくのです。大昔に作られた聖典や経典を金科玉条のごとく祀り上げていては化石のようになってしまうというのはそういう理由からです。
 
進化という点で忘れてはならないのは進化を計る物差しのスケールを小さくしてしまっては全容を掴む事はできません。人の一生の間には分からない事が多いでしょう。人間の視野に入る事と入らない事があるのです。人も含め大自然のものは進んでは退くということを繰り返しながら進歩していきます。人は失敗を体験しそれを教訓として成長していきます。機械や物も欠点を修正されながらより良いものが開発されていきます。短い期間で見ると退化しているように見えるのも無理はありませんが万物は進化という方向付けをされ、そのルールに沿って進むのです。それも大自然(神)の法則です。
 

 53    霊的自我と肉体的自我
更新日時:
2011/02/04
 
殆どの人が、五感を通じて認識している世界が全てであると思い、そう感じている自分自身を自分の真の姿であると思い込んでいるでしょう。これまでに繰り返し述べてきたようにあなた方が今認識しているものは物質の世界なのです。今の貴方は肉体に閉じ込められているためにその肉体を通じてしか外界を認識できないようになっているのです。本当のあなたはもっともっと大きくて霊妙な存在なのです。今、物質の世界で五感を通じて認識している貴方よりも遥かに大きな部分が次元を超えて存在しているのです。それが大きな自分(霊的自我)なのです。
 
あなたがこの物質の世界で体験することの一つ一つが霊的自我(大きな自分)の学びになっています。
自分では理解しにくいような事、受け入れがたいような事でも霊的な自我はこの物質界とは違う価値観と視点で学び取っているのです。この世の人は肉体を持っているが故に様々な体験を苦痛として感じることも多いでしょう。純粋に肉体の問題から起きる苦痛とは別に、外部からの精神的な刺激も肉体を通すと苦しみや不快な事として感じられる事も多いでしょう。
 
ところが霊的な次元で見れば受け止め方が違うのです。このように肉体に宿りそこから生じている自我(精神と呼んでも良い)と霊的な自我との間にはギャップがあることになります。昔から人々は人生の諸問題を不可解なもの、理不尽な事と受け止めて悩んできましたが、昔は霊的真理に関する知識は殆どありませんでした。こういう霊的真理の知識が霊界から地上界に降りてくるようになったのはここ100年くらいのことです。
 

 54    善の道
更新日時:
2011/02/01
 
今日という日を無為に過ごす事のないようにしましょう。身の回りの様々な事に真心を持って対処するようにしましょう。大した事ではないように思えてもその一つ一つの積み重ねが貴方という人格を形成していきます。自身は忘れてしまっている過去の事も全てあなたの魂に刻み込まれています。この世で貴方のした事、心に描いた事、それらは何一つ漏らされることなく貴方のオーラに記録されていきます。
 
オーラを見てその意味が分かる人なら如何に隠そうとしてもその人物の中身が丸見えになってしまいます。この世でそこまで透視できる人間は極めて少ないでしょう。しかしこの世の人生を終えて霊界に行くと霊が前面に出てきて本格的に活動をするようになります。肉体が無くなると霊同士お互いの中身が透けて見えてしまいます。それまでは肉体によって隠されていたのです。霊界では何一つ隠す事はできません。この世で自らの良心の声を無視して我がままを通してきたような人は死後、恥ずかしさで身の縮むような思いをすることになります。
 
この世の人生で善の道を歩んだ人は死後に報酬を得て霊界で幸せに暮らすことが出来ます。逆をやれば後悔と償いの生活が待っています。法則によってそうなるのです。どこにも抜け道はありません。それが事実だから仕方がありません。
 

 55    地道に自分の道を
更新日時:
2011/01/19
 
人は自分にとって必要な事を知り、能力の及ぶ範囲のことをしておけばいいのです。世の中の洪水のような情報や、噂話をいちいち気に停める必要はありません。それらのうちで真実を捉えているものはごく僅かです。真実と思っていたものが真実ではなかった、過去を振り返ってみればそういうことの連続であったことに気付くはずです。
 
今世の中で信じられている多くの事が何年か後には間違いであったことがわかるでしょう。人の世はある意味で幻覚の世界なのです。この世の人々は真実に似せた幻影を見ているのです。溢れる情報に押し流されないようにすることです。それらの情報で自分にとって本当に必要なものは僅かなものです。そして必要な情報は自然に入ってきます。不要な情報に気を取られていると自分を見失ってしまいます。そして成すべき事が疎かになってしまいます。人は日々の生活において地道に自分の務めを果たすことが大切です。その積み重ねが人生を成就する道なのです。
 

 56    純粋な気持ちで
更新日時:
2011/01/13
 
人は何事に対しても純粋な気持ちで対処しなければいけません。汚れたこの世に生きていても汚れに染まらないようにしなければなりません。純粋な気持ちで直向きに取り組んだものは必ず評価される時が来ます。人は必ずしも生きている間に自分の目標とする事に到達できないかもしれません。本当は何事もこの世という限られた人生の時間の中で完成させることは出来ないのです。しかしそれはそれで良いのです。この世での事は必ず後の者が現われてそれを引き継ぎます。何事も一人でやるのではありません。人は自分に与えられた使命を全うすればそれで良いのです。見栄や世間体にこだわることなく純粋な気持ちで向上を目指して努力することに価値があるのです。
 
魂が純粋であるということが何よりの財産です。それはあなたがこの世を去りあちらの世に行って見ればその価値がわかります。魂が純粋でないとあちらの世では進化の大きな妨げになります。そして魂の純度は他の者から丸見えなので惨めな思いをしなければなりません。あなたが死という壁をくぐり抜けてあちらの世界に行った時、それまでに自分が持っていた物的財産や社会的地位や名声など、あると思っていたものは一瞬にして消え去ります。そこで価値があるのはそれまでに蓄積してきた人間性(霊性)だけです。それを基盤に永遠の霊的向上の道が続くのです。
 

 57    心と肉体の葛藤
更新日時:
2010/12/30
 
人の一生は心と肉体の葛藤を通じて心の成長がはかられるようになっています。肉体から発生する本能的欲求をいかにコントロールしていくかという事が課題なのです。肉体の五感を通じて入ってくるこの世での様々な体験が心の学びとなります。心が未熟であれば肉体の欲求に振り回されるだけの毎日になってしまいます。体験を積み心が成長してくると肉体的本能からくる要求を制御できるようになってきます。人はこの世に生きている限り肉体的要求を必要な分、満たしてやらねばなりませんし、自然に湧き出る範囲のものであれば素直にそれを享受すればいいのです。
 
しかし本質的に心は次元が高く、肉体は低いのです。その肉体に宿って人が人生を過ごすことによって心が鍛えられ、次の世での一個の霊的存在としての活動に備えます。肉体を持つということは重荷なのですがあえてそうすることによって心が鍛えられて強くなるのです。霊界に行ってしまうと地上の苦しみから解放されますが、地上世界のような独特の体験で鍛えられるということがありません。ですから、あえて地上生活の重荷を体験するためにこの世に生まれてくるのです。地上生活で築き上げた心の成長の度合いがそのまま霊界での生活に反映していきます。
 

 58    知識に基づいた信仰
更新日時:
2010/12/27
 
人生には煩わしい事が多いでしょうがその中にはどうでもいい事が一杯あります。そういうことに悩まされながら生きる必要はないのです。人の噂とか他人が自分をどう思っているかなど気にしながら生きている人が多過ぎます。そして自分を見失い肝心な事が疎かになっています。風評に惑わされて不要な事を考えているうちにあなたの人生は終わってしまいます。つまらぬ事に気を取られていたら大切な人生が無駄に終わってしまいます。
 
あなたが本当に自分の人生を成就させようと思うなら守護霊の導きに沿って信念を持って生きることです。守護霊の導きに気づき、それを理解することがあなたの人生の目的を成就させる道です。それは自動的に神の摂理との調和にも繋がりあなたの霊性を高めていくことになります。そしてこれまでのように不安や恐れを心に宿しながら生きる必要は無くなります。あなたの考えや決断、行動のなかに自然に導きが現われて来るようになります。
 
あなたが今、真摯に何かの宗教を信じているとしてもいつかは必ず本当のもの(実在のもの)に目覚める時が来ます。人はその時今までの信仰を捨てたり修正したりするようになります。この世にいる時に目覚めなければ死後に目覚めることになるのです。
 
霊的知識(霊的真理)を学ぶ事は実在のものを理解する為に欠かせません。これからの信仰は無知から来る盲信ではなく確固たる知識に支えられたものでなくてはなりません。実在のものにピントを合わさなければいけません。知識のない信仰は脆く、苦難に会うと容易に崩されてしまいます。霊的知識は生命の実相探究の旅において土台になるものです。巷には霊的なものを扱った書籍が一杯ありますが商業主義から来るまやかしや、興味本位で内容の貧しいものが殆どです。本物はほんの一握りであり、それは多くの人の目に触れやすいところにはありません。あなたが本当に霊的知識を得て生命の実相を知りたいと願い、心の準備が整った時、守護霊の導きによってそれにふさわしい書籍に出会うことが出来るでしょう。
 

 59    喜びの心で
更新日時:
2010/12/21
 
何時の日かあなたは見出すでしょう。それはこの世に生きているうちに見つけられる事が望ましいのです。普段の日常意識とは別に深い所に一種崇高さを持った意識が存在していることに気がつく時が来ます。それはこの世の煩悩を超越した意識であり、霊的自我、あるいは大我と呼んでもいいでしょう。その意識は霊界につながりさらには生命の始原につながります。霊界はこの世の人間の内部にも広がっているのです。故に人はこの世に住んでいると同時に霊界にも住んでいるのです。あなたは死んでから霊界に行くのではありません。
 
その意識に到達する事が出来れば霊界人との交流やそこにある叡智を学び、自分のものとすることが出来ます。昔から世界中で宗派、教派を問わず様々な修行が行われてきましたが本来の目的はその意識に到達するためです。大我への道は物質文明に慣れきった現代人にとって容易ではないでしょう。方法は自分に合ったやり方があるでしょうが自然体でいることが一番です。心構えの基本は驕りを捨てて神(思念を向ける対象)の前では子供のように素直な心になること。人工的なものを排除し、力まず自然の流れに任せることなどが挙げられるでしょう。形式にこだわる事は意味がありません。宗教的な形式は殆ど地上の人間の物的な発想から出来ているからです。要するにどれだけ物的視野から自由になれるかということが鍵です。
 
霊界人にとっても地上の人間のほうから近づいてきてくれることは嬉しいのです。何故なら彼らは霊界にいる魂の親であり常にあなたを見守り導いているからです。彼らとて人間的な情に溢れているのです。親近感を持って近づこうとする人間(子供)を思わず抱擁したくなってしまうものです。霊感豊かな人であれば彼らからの愛の波動を感じ取ることが出来るでしょう。霊界は暗い所ではありません。明るく喜びに溢れているのです。暗い気持ちやその他の悪感情を抱いて祈っていては通じません。構えることなく、明るく、喜びの心で祈るのです。
 
 

 60    根本原理は単純
更新日時:
2010/12/03
 
この世界の全てのものは一つの根本原理(法則)に沿って動きます。複雑に見えるものでもその原理は一つです。原理は単純明快なものですが、その真髄は探究すればするほど深みを増していきます。際限のない深さとバリュエーションを持ちます。物事を必要以上に難しく考えてしまうのはまだ根本原理に対する理解が充分ではないことを意味します。わからないから色々と余計な事を考えてしまうのです。悟った魂は取り越し苦労をすることはありません。
 
全てのものは根本原理の支配を受けているのですが、宗教はそれを人々に知らしめることを目的としなければいけません。原理は理屈で理解しただけでは充分ではありません。単純な原理を訳のわからない難しい言葉で説明しても仕方がありません。分かるまで実体験を重ねて魂のレベルで理解することが必要です。そもそもそれをやるために人はこの世に生まれてくるのですから。魂のレベルで理解しているかいないか、意味があるのはそれだけです。
 



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