死後の世界

 7      この世とはどういうところか
父の話や自分の感覚、書籍などに表されているあの世(様々なレベルがありますが)というのは共通の波動を持った者たちがそれぞれに階層を作って住み分けをしているようであります。霊界の上のほうでは安定していて平安寂静な世界なのだろうと思います。これこそが極楽というところなのでしょう。
 
一方この我々が住む地上界はピンからキリまであらゆるものが混在している世界ではないかと思います。極端な貧富の差もあり、極楽のようなところもあり地獄のようなところもあります。人が10人集まれば必ず気の合わない人がいて問題が起きたりします。しかし嫌でも付き合わなければならないという事情があるとそこから抜けられません。これが天国なら気の合わない者が一緒のグループに入るという事はないのでしょう。
 
感情の面では喜怒哀楽全てのものが存在して極端から極端に動きます。喜びの感動に震える事もあれば怒りの感情が爆発する事もあり悲しみに涙する時もあり人を憎んだり妬んだりもします。良くないと知りつつ悪感情を持ってしまうのが人間です。そういう事が起きる原因は我々が物事を主に物質の眼で見るからではないかと思うのです。
 
人間はこの世で肉体を持ち、まずはそれを養わなくてはならず様々な物質に囲まれて生活しています。生き延びる為には他のものを犠牲にしなければなりません。果てしのない競争社会、思想や人種の違いから争いが起こり憎しみ合い、殺し合いにまで発展します。ここは嫌な所だと思っても肉体を持っている以上自由に移動する事はできません。またお金、家、土地、財産、社会的地位というものに無関心でいる訳にはいかず、どうしてもそれに捉われます。つまりここでの生活は自分の肉体も含め物質に縛られているといえるでしょう。
 
最近のスピリチュアリズムによれば宇宙の生命系全体を霊界と呼び私達が現在生活しているこの地上世界を物質界、それ以外を非物質界というふうに定義づけています。つまりこの世も霊界ではあるが物質に頼って生活しているので宇宙生命系から見ると特異な場所であるという事です。霊とは命という事です。私達の肉体も霊(命)が宿って初めて機能を発揮することが出来るのです。霊というと何かおどろおどろしいものという捕らえ方をされがちですがそうではないのです。霊という言い方に抵抗があるならば“意識”という言葉で表現してもいいと思います。
 
私達が日常感じられる意識を顕在意識と言いますがそれは本来の自分が持っている意識の一部にすぎないのです。意識の本体を潜在意識といい日常生活の上ではそれを自覚することは殆どなく夢とかひらめきという形で現われて来るものです。本来の自分が持っている意識の潜在能力は高いのですがこの地上生活では自分の肉体の中に封じ込められてその能力の一部しか使えないようになっているようです。本来の意識のポテンシャルは発揮できずそういう観点からはこの世は随分と不自由なところだと思います。そういう場所へ何を好き好んで人は輪廻転生してくるのでしょうか。
 
 
 
更新日時:
2007/10/29
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Last updated: 2012/3/26