死後の世界

 42      墓は公園のようなもの
 
冬らしい寒い日に妻の実家の墓地の清掃と溝の修理に出かけた。久しく訪れていなかったので義父の石塔の後ろには落ち葉がうず高く積もっていた。その墓地は小高いところにあり、桜の木がたくさん植えられていて桜の季節には住民の花見の場所としても知られた所である。見下ろせば湖のような内海湾と二十四の瞳で知られた田ノ浦半島が望まれる風光明媚なところである。落ち葉の掃除と溝のコンクリートのひび割れをセメントで埋めて作業が終わり帰ろうと車に乗り込んだ時、久しぶりに義父からのメッセージが来た。彼の他界後4年が来ようとしているが、以前に比べてちょっと距離を感じるようになっている。前とは違う次元の世界からの通信という感じである。
 
義父から
 
きれいにしてくれてありがとう。墓地という所は公園のようなものだから皆が気持ちよく過ごせるようにきれいにしておくことが大切だと思う。この世は身体を使って生きていく所、私のいる所は心の有り様が全てを決める所だ。ここに並んでいる墓石はこの世の卒業者であり、その人たちは普通は苦労の多いこの世に再び生まれて来たいとは思わないものだ。
 
孫のMちゃんは今病気をしているけどそれが治ったら以前よりも幸せな人生が待っていることだろう。人は病気で苦しんだ後には必ずその埋め合わせがあるから。
 
人間は自分が幸せだとか不幸だとか言っているけど、それを決める普遍的な物差しがあるわけではない。自分でそう思っているだけのことで、不平や不満というものも元来自分の心が作っているだけではないだろうか。人はそちらで暮らしている間はそのことには気がつかないものだけど。今後も皆がお互いに助け合って暮らしてくれることを望んでいます。
 
 
更新日時:
2012/02/08
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Last updated: 2012/3/26