死後の世界

 20      全てお見通し
義父の飼っていた愛犬が彼の死後様子が変わってきた。私達が10kmほど離れた義父の家を訪れようとして車を走らせているとその犬はまだ私達が到着するかなり前から家の玄関の所に行って外に出ようとする。連れ戻そうとしても動こうとしない。じっと到着を待つようになった。それは義父が亡くなってから始まったという(おばあちゃんの話)。
前にはそんなことはなかったのに本当に不思議、何でこの犬はそれがわかるのかと言っている。訪れる前に電話をして今から出るよと言ってもいないのに犬は我々が来るのを知っている。
 
それから彼を祭っている祭壇の前で皆が拝み始めると犬はじっとそれを聞いていて誰かの膝に上がり(室内犬なので)その人の顔をしきりに舐めようとする。そのしぐさは彼の遺体を安置していた時に犬は彼の横に行きしきりに顔を舐めようとしていた、その時のものとそっくりなのである。その時は家の中が暖かい空気に包まれる。
 
これらの事を考えてみると犬は義父の意識がわかる、通じているとしか考えられない。
義父は距離に関係なく我々が来る事が感知できる、そして愛犬がその意識の波動を受けて次に起きる事を知る。家族が拝む時は義父に愛の波動を送っているという事であり、そのうちに我々の意識の波動が義父の意識の波動と共鳴するようになる。一体化した状態になるのではないかと思う。犬はそれを感じて家族に義父に対すると同じ態度、行動をするようになるという事なのかもしれない。以上は現時点での推測である。
 
死後魂は肉体を離れるとどうなるのかというと、病院から遺体を家に連れて帰った時は自由になれた事と我が家に帰れた事とですごくうれしそうであった。飛び跳ねているような感じがした。しかしその夜のお通夜の時は無反応、部屋の中はもぬけの殻という感じがしたが休息中だったのかもしれない。大きなイベントを通過して疲れているのだろう。翌日の葬儀の頃は活動は極めて活発になっていて、感情も豊かで自らの葬儀を人生の大きな節目として厳粛にまた家族との別れの感傷を味わっているのではないかと感じた。この時に葬儀の関係者は厳粛な気持ちで死者に対することが極めて重要であろう。2週間以上経つと魂(意識)は本来の姿に戻りつつあるようだ。というのはこの世で生きている時は意識は肉体の中に封じ込められ本来の能力を発揮できないのだろう。言い方を変えれば意識は肉体に宿る時、本来の姿に比べ相当低次元のレベルにあるのではないだろうか。ここから様々な煩悩が生まれてくるということだろうか。
 
肉体を離れて本来の姿に戻った意識は正に自由自在、千里眼的な能力(我々から見ると)を持つようになるのだろう。電話もメールも必要なく遠距離にあっても瞬時に意思を伝える事が出来る。家族の事はなんでも知っていて考えている事はすぐに分かってしまう。例えば財産相続などで欲張ったことを考えている人間は心の中は全て見抜かれているということになるのである。もう死んでしまったのだから残った者がどうしようと故人は何も知らないのだ等と考えていたら大間違いである。しかし何でも分かってしまうとなると例えばトイレの中とか夫婦生活の事とか人に見られたくない事があるがそういう時はどうなのだろう?おそらく肉体を離れた意識は急速にそういうことには興味がなくなり鳥が大空に羽ばたくように広い世界に飛び立っていくのだろう。もちろん中には例外もあるかもしれないが。人の命の推移を見る時、生命の神秘、尊厳というものを実感せずにはいられない。それは現在の人智をはるかに超えたものである。
 
更新日時:
2008/04/14
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Last updated: 2012/3/26