私達はそれぞれに自分の意識の範囲を持ち普段はその中で生活しています。世の中には色々なものが存在していますがそれらのものを意識しないならばそれは自分にとって無いのと同じです。例えば株取引をしていると日本の市場で株式を持っている場合、今はニューヨークの市場の影響を非常に強く受けます。投機的な投資をしている人たちにとっては日本よりもむしろニューヨークの値動きばかりが気になり、朝起きると一番にニューヨークのダウやナスダックの動向をチェックして一喜一憂するようになってしまいます。大きな取引をしていると一日中市場の値動きが気になりそうなると心は株式市場に占領された状態になってしまいます(恥ずかしながら実は以前の私です)。ところが株取引をしない人にとってはそういう事は何の関係もありません。また家族や仕事や職場の人間関係における心配事など人々は皆違う範囲に意識を広げて生活をしていると言えます。このように人の意識は自由にどこにでも飛んでいきます。
意識の動きについて現代科学は全くお手上げで何一つ証明することはできません。今の科学は物質しか見ていませんから物質でない意識の世界というのは未知の分野で物質的な観点からアプローチしても何もわからないのではないでしょうか。例えば超常現象などを証明できないから、わからないから存在しない、否定するという考え方は正しくないと思います。過去存在しないとされていたものが次々と発見されるのが世の常であります。科学は人間社会を劇的に便利にしてきましたがまだまだ分からない事だらけです。科学は万能ではありません。科学を全面的に信じその理解の範囲の外にあるものを排除するならばそれは科学という宗教を盲信していることに他なりません。わからない事を解き明かしていくのが真の科学的態度であるはずです。
特に真顔で心霊現象などに言及することは今の日本社会では覚悟がいることなのです。この国ではまだそういうものを研究する学問や機関が確立されていないのでこういう話は市民権を得ていません。私がこのホ−ムページを立ち上げるのにも勇気が必要でした。
また自分の体験した神仏の言葉や超常現象に対する説明(言い訳のようなもの)を一々しなければならずエネルギーを消耗させられました。
しかし我々が生活しているこの世界において人間が五感でもって認識できるものは狭い範囲のものでしかないと思います。人以外の生き物、犬、猫、鳥類、魚類、植物などは人が現在持っていない(失った)能力を持って生活しており彼らは私達の目に映らないものを見ているのです。それは人間も本来持っていたものですが今は機械文明の進歩により衰退してしまったといえるでしょう。意識の世界の実態を知ることはそれらのものを再確認し、本当の自分というものを知ることにつながります。また生命の実相により近づくということでもあります。そしてそれは人生を幸せに導いてくれるものと信じています。このコラムでは人の意識をテーマに話を進めたいと思います。
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