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何かつらさをたずさえて、ここまでこられた方へ
     (お役にたつか、わかりませんが・・・)


苦しみ、悩みをかかえ、ほうぼう探し回られたのでしょうね。お疲れ様でした。そのご苦労お察しいたします。

どうでしょう。何か収穫はございましたか。ここまでこられたということはまだ探し回っておられる途中だとお見受けいたします。

でも何がしか、うすうす感じ始めていることにお気づきではありませんか。高価な物があっても助けてはもらえない。巨万の富があっても助かるとは限らない。そういうものは何の役にも立たないということを。

出合うことで、かかわり合うことで、やすらぎの気持ちが生まれてきたことを。その出合いは、人であり、出来事であり、本であり、その本の中のほんの一行だったり、一言であったり、感情、人情、冷酷さ、きびしさ、反対の温かさ、やさしさ、などなど。

身の回りの、あなたを取り巻く多くの出来事が、普段は気にもしない物事が、あなたに多くを感じさせ、多くを気づかせてくれたことを。

普通に考えると、いやなこと、痛いこと、つらいこと、苦しいこと、悲しいことなどなければいいと思いますが、必要だからあるのです。

あらゆる全てのもの、あらゆる全ての出来事は必要だから存在するのです。全ては必要だから存在しているのです。

何一つ、誰一人、不必要なものなど一切ありません。それが何であろうと、どういう状態であろうとです。

悩みや苦しみは、あなたに感じさせ、行動を起こさせ、出合わせ、気づかせるために必要なことなのです。

何かに気づいたら、次に行動に移ります。どういう行動を起こすかはその人に任されています。その行動ひとつで、次の結果が生まれます。

良い行動を起こせば、良いことにつながり、悪い方へ舵を切れば悪いことへと向かいます。どんな種をまくかはその人に任されています。

一時しのぎでその場を取り繕い、一見良さそうに見えたにしろ、その一時しのぎの結果は必ず付いて回ります。常に冷静な判断をすることです。

どの方法を選ぼうとも、どの道を選ぼうとも進んで行き、どこかにたどり着けはします。でもそれはそれなりのところです。

違うほうへ進み始めても、常に見直し、より良いほうへと修正することができます。たとえ出足が悪くとも、修正した分確実に変化がおきます。

多くの情報があふれています。その情報のどれと出合うか、また、どれを選ぶかはその人それぞれです。どれが正しく、どれが間違いということはありません。どの道をたどろうとも間違いはありません。

その人が成長するためには、あまり善くない出来事を体験しないと気がつかないから、その出来事を経験するということもあります。それをくり返し、気づくのです。

「気づく」ということに気づかなければ、同じような出来事がくり返し出てきます。気づいた人は、大きな根を張ったごとく、力強いものです。

どんなに大きな嵐がきて、その枝葉を傷めつけようと、大きく根を張ったものは嵐が過ぎ去れば、力強く再生します。人も同じです。薄っぺらな根を持つ、不安が多い人よりも、深くしっかりと根を張った、揺るがない人を心がけることです。

これが楽だ、こちらが簡単と薄っぺらな根を張るような事を行えば、些細な風で倒されます。困難に正面から立ち向かい、逃げないで解決の糸口を探すのです。

冷静で、確実な判断を下せば、必ず成長する道が用意されています。あせらない、あわてない、そして不安、心配を捨て去り、どっしりと構えるのです。きっと道は開けます。

あらゆるもの全ての原因に対し、機械的正確さで、結果が付いてきます。それは逃れようがありません。あなたの中には理性が常に働いています。

理性のままに全てが行動すれば、皆に困難は降りかかりません。まわりを見渡せば、理にかなうことはほんの少ししか見出せません。が、確かに存在はしています。

理にかなわない物事があるお陰で、理にかなうことが判別しやすくなっています。対極があるお陰で、より気がつき易くなっているのです。

人生、最初は探し物です。何と出合い、何を探し出すかはその人しだいです。そして気づくことです。

何にどう気づくかもその人しだいです。気づけば、方向が定まります。その先にしっかり踏みしめて歩ける道が見えてきます。

何事にもくじけてはなりません。大丈夫です。解決できないものはあなたに降りかかりはしません。

誰かが教えてくれるかもしれません。だれかが見せてくれるかもしれません。フッとインスピレーションが湧いてくるかもしれません。あきらめず、静かに自分と向き合うのです。

もう限界と思われたときに光が見えることが起こります。
  大丈夫です。あきらめないことです。

皆とんがったり、ごつごつした者ばかりです。お互いがお互いとかかわりあうことで、磨きあうのです。それが無ければ丸くなりません。輝けません。

皆ダイヤの原石です。いかに多く磨きをかけられるかで、輝きかたが違ってくるのです。困難にぶつからず磨きがかからなければ、泥まみれのダイヤと同じで輝きません。数多く磨きがかかれば、より輝くのです。

困難なことは、自分への磨き砂です。今まさに困難のきわみだと思われるときは、輝ける一歩手前なのです。めげないことです。へこまないことです。困難を乗り越えたとき輝くあなたがそこにいます。


苦労をした分のごほうびはあります。怠慢した分のごほうびも確実にあります。
(普通これはごほうびとは言わないけど、でも、それもごほうびなのです。)

どんなときもあなたが見放されることはありません。 一人ぼっちではありません。孤独ではありません。あなたの中の理性にそむかない生き方をしていれば、必ず救いの手が差し伸べられます。

 大丈夫です。あきらめないことです。


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どこのどなたがここまで文字を追いかけてこられたかは、わかりませんが、感謝申し上げます。何を言っているのかわからない、雲をつかむような内容なのに、よくもお付き合いくださいました。

どなたか一人でも、ここまで来ていただいたのであれば、私が生まれてきた意味があったことになります。ありがとうございました。

今後もなお私が生きているということは、私の命が続くというのであれば、まだまだ私にやるべきことが残っているんですよと言うことなんでしょう。

何をやるべきか、何をしないといけないか、みんな見えません。聞こえません。

生かされている 今 を、自分なりにぼちぼちと、探しながらがんばることにします。
この世のお役目が終わるまで・・・、ぼちぼちと・・・。



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