田舎餅、田舎饅頭

 街まで出かけて、ちゃんぽんで2杯ひっかけた。甘露、甘露、そして極楽、極楽。修行遍路から田舎餅をご馳走になった。何ともいえない味だった。ありがとう。お賽銭を少々、あげたら、また餅を頂戴した。田舎餅はうまい。  峠はよいかな、よいかな。松並木がよい。水音がよい。風もわるくない。昼食は抜きにして、酒一杯と饅頭五つ。山頭火は下手な両刀使いだ。 
(山頭火記)
どしゃぶり、正月の餅もらうてもどる
 土佐一宮神社(地元では「しなね様」と呼んでいます)の長い参道の直ぐ右手に善楽寺があります。神仏が共存共栄しています。いつの頃かは定かではありませんが30番札所は、この一宮の善楽寺と同じく高知市洞ケ島にある安楽寺の2箇所にあり、お遍路さんを戸惑わせていました。平成6年に長年の30番札所本家争いに終止符が打たれました。30番札所は善楽寺、住職は兼務で、安楽寺には本尊が置かれ、「奥の院」となることで一件落着。それ以後はお遍路さんも悩まずに巡礼しています。
<30番札所 善楽寺・高知市>

 室戸と高知の丁度中間に「手結(てい)」というところがあります。海水浴場として有名ですが、ニッケの香りがなつかしい手結山の「峠の茶屋餅」も有名です。その昔、佐賀の乱で敗れた江藤新平が、大阪へ落ちのびるとき、この峠の茶屋に立ちより、ここで出された餅がおいしいのにびっくりし、むさぼるように口に入れた、という記録があります。店の若夫婦としばらく語り、出立する時には茶盆の下に十円札を2枚敷いて出たといいます。20円といえば、当時としては大金だったようです。現在は国道にトンネルができたので、峠の茶屋も国道脇に下りています。日記には記述がありませんが、餅好きの山頭火も立ち寄って「田舎餅はうまい」と5つ位食べたかもしれません。  この沿線には餅のほか名物饅頭がたくさんあります。東洋町に「野根饅頭」、室戸市羽根に「お倉饅頭」、野市町に「エチオピア饅頭」、そして29番札所国分寺の近くにその名もずばり「遍路石饅頭」などがあります。いずれも素朴な味わいの「田舎饅頭」で、山頭火がもし食べていれば、おそらく「田舎饅頭はうまい」と日記に記したであろうと考えられます。しかし、日記にも、手記にも、その記述が無いということは、その存在を知らずに、それぞれの「饅頭屋」の前を素通りしたものと思われます。
(山藤花記)
ひとりで焼く餅ひとりでにふくれる
二層の堂々たる山門をくぐると樹木に囲まれた参道が続き、石段を上った右手に本堂(文珠堂)、左手に向い合って大師堂があります。本堂は単層入母屋造り、柿葺きで文明年間(1469‐86)の再建といわれ、国の重要文化財です。岡の上には立派な五重塔がそびえ、山の緑に朱色の庇が美しい彩りを添えています。"よさこい節"で有名なはりまや橋の伝説は、竹林寺の純信というお坊さんと商家の娘おうまのロマンスですが、哀しい恋の結末が待っていました。二人は離れ離れとなり、その後おうまは地元で平凡な結婚をしましたが、純信は国を追われて伊予へ流され哀れな晩年を過ごしたということです。恋路の果ての男と女の違いが如実にあらわれ、哀れを誘います。
  五台山竹林寺に来ぬ
   石段に腰を下ろして聞く蝉の声(貞広)
<31番札所 五台山竹林寺・高知市>