松原に石碑3つ

  芸西村和食松原の恵比寿屋という宿に泊まる。晩食後、同宿の行商老人と共に宿の主人から轟神社の神事について聞かされた。どこでもたれでも、お国自慢は旅の好話題というべしである。昨夜はよう降った。夜明けまで降り続いたが、朝はからりと晴れわたって、星がさえざえと光っていた。助かったと思う。幸福、幸福。 金があるときは金のない時を考えないけれど、金のないときは金のある時を考える。私たちのようなものの、痛いところだ。大洋、都市、田園、山中、・・・                    
(山頭火記)
脚のいたさも海は空は日本晴
日に日に近うなる松原つづく
<山頭火句碑・琴ケ浜(芸西村和食)>

 琴が浜の松原を過ぎると、手結山にさしかかります。現在の国道はトンネルが抜けていますが、それまではお遍路さんにとっては峠超えの難所でした。今はゴルフ場が2つ、また、国民宿舎、高層のホテルが建ち並ぶレジャー地域になっています。その中のひとつのホテルの庭園に銘酒土佐鶴のコマーシャルソングに歌われている「宇多の松原・・・鶴ぞ飛び交う・・」と刻んだ詞碑が土佐湾に向かって建っています。これは紀貫之の「土佐日記」一節です。「宇多の松原」が、どこの松原を指すのかは、諸説が色々ありますが、手結山から続く香我美町岸本の月見山、赤岡町の海岸線にかけて、紀貫之の時代には見事な松原が続いており、ここが宇多の松原という説が有力です。琴が浜、あるいは、安田町の唐の浜という説もあります。
(山藤花記)
松に腰かけて松を観る
 かくて宇多の松原をゆきすぐ。その松のかずいくばく、いく千歳経たりと知らず。もとごとに波うちよせ、枝ごとに鶴ぞ飛びかよふ。
<土佐日記抄詞碑・手結山(夜須町)>

 千年前に、紀貫之が宇多の松原に飛び交う鶴を眺めて、土佐湾をのんびりと航行した頃には、月見山の山麓の松林には白波が打ち寄せていたものと思われます。今も月見山の海蝕崖は切り立って浜に迫っています。松食い虫によって枯れるまで、この海蝕崖には、かなり大きな松が生えていました。崖に寄り付くように岸本神社があり、その境内の一隅に土佐の孤高の詩人、岡本弥太の「白牡丹図」の石碑があります。高村光太郎筆によるみごとな詩碑です。                    
(山藤花記)
まっすぐな道でさみしい
白い牡丹の花を捧げるもの
剣を差して急ぐもの
日の光青くはてなく
このみちをたれもかえらぬ
<岡本弥太碑(夜須町・月見山)>