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素麺記 07,4s
4月29日
どうも副作用が2日目にして出てきたようです。
もう飲むのは止めます。
止めてもたぶんしばらく副作用は出るんではないかと思いますが、はっきりそうだと分かるまで飲むと、後ずっと続くんで身体に負担が大きくて怖い怖い。

明日で3日素麺を造るので明後日は休み。
天気も悪いそうだし、ちょうどいい。
開けて5月2日にうどんを造ります。

昨日今日と注文が多く来て在庫がなくなってしまったようです。(半生うどんの…乾麺はまだ少しあるんやけどね。)
頑張れということのようです。
4月27日
さて、3ヶ月に一度の病院通い。

朝6時の目覚ましで起きて7時半くらいのフェリーで自転車に乗っていこうという計画。
それは病院が昼前に済むのでその足で自転車に乗って香西に開店したイオンに行こうという企みであった。
起きたのが6時50分…
この時点で計画は頓挫した…
しょうがないので8時5分の高速艇で行くことにする。
もうこの時点でイオンに行こうという気持ちはなくなっていた。最初に挫折するともう一度気持ちを奮い立たせることが難しいのである。

診察が済んで支払いを済ませ、薬ももらった時点で11時過ぎ。
本屋と靴屋による予定。
本は別にこれを買おうという気持ちはなく、目に留まったら買うけれど、たいていは買わずに帰ることになる。この頃パソコンの本も購買意欲がわくようなものもなく、ちょっとお笑い系の本も千数百円もするのでは高いので買わない。
本屋の前に置いてあった四国学院大学出版、田尾和俊氏総指揮の「interest」(インタレスト)=無料を取ってきました。これ、角度の違ういろんな統計取って面白い。
面白いけどやり方、考え方は参考になるけど内容は話題にするネタにはなるな。

「修学旅行の行き先の変遷」
「申請書類の記入例大検証」
「お札にしたい香川県人・香川の風景」
「私の好きなうどん店ランキング」などです。
31ページの小雑誌ですが300〜400円で売れるんではないかなあ。
これネタにちょっと書こうかなと思っているところですわ。


病院では、
先生「どう、どんな?」
私「あれ、先生、副作用は心臓に来ます?6日目から胸がきゅう〜っとなって2ヶ月続きました。」「あの先も後もあんなことはないんやけど。」
先生「いや、そんな報告はあの薬にはないよ。」(ネットですぐに調べた。)「ない。」
先生「どんな感じ?」
私「2,3秒心臓がきゅう〜っとなるんです。日に何度も。続けてきゅう〜きゅう〜っとなったこともありました。」「これ心筋梗塞の症状ですよね。」
先生「うん、副作用というより狭心症の先の症状が出たかな。」
先生「それじゃあ心電図取ってきてもらおうか。」

階段上り下り3分間して心電図を取る。
結果は問題なし。
私「もうここ1ヶ月はそんな症状は出てないんです。あの2ヶ月だけ。」
先生「どうします。薬?」
あくまで自分の責任で勧めることはない。そういうもんか。
私「もう一度1週間飲んでみましょうか。それでまた出たら止めると言うことで。」
先生「そうする?じゃあ1週間出しとく。」

今回コレステロールは252で、高いといえば高いのだけれど、そう取り立てて騒ぐほどではないと思っている。まあ、積み重ねがあるからね。
それよりも心筋梗塞の症状がこの薬で出るのならその方が問題があるだろうとは思うんだ。薬でかえって身体が悪くなっていくような気がせんでもない。
4月26日
うわあ〜〜〜〜ッ!地震だ地震だあ〜〜〜〜ッ!

いつ?
香川と愛媛の県境だねえ…?
震度4?
へエエ…???

実はなあんも知らんの。
たぶん掛け機をかけていて、がちゃがちゃやってるし、動いているので全く気がつかなんだというわけ。

でもぉ…、阪神大震災の時はすっごくゆれた!同じ掛け機をかけているときだったけどね。

素麺を延ばすのにラジオをかけて仕事をしているとニュースで言ってて、「へっ?地震?どこで?いつ?へえ…気が付かんかったなあ…」
和歌山の方でも同じ時間帯であったようです。
こわいですねこわいですねぇ〜
4月25日
う〜んう〜ん………
どうにも思い出せん。
昼間、この話面白いなあ。日記にそれらしゅう書こう。そう思いながら案内状をプリントしていたんだけど、晩御飯食べてさあ書こうかなと思ったら、何書こうと思ってたんかさっぱり出てこん。
なんか糸の端っこでもつまんだら出てきそうなもんやけど胡散霧消。

まあいいか諦めるとして、案内状は価格表とFax送付状。パンフレットはありますので二つをパソコンにて印刷していました。
あんまり天気がよくないのかと思って仕事を休んでいたのだけれど、いい天気になったねえ。
ちょっと惜しい気がした。
それでもどうせやらなくてはいけないことだしね。休んだときにやった方がゆっくりできますので。

そうそうそうそう!思い出してきたぞ!
国土変遷アーカイブ http://archive.gsi.go.jp/airphoto/searchCity.jsp
国土情報ウェブマッピングシステム http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/index.html

これで昔の小豆島の写真を見ていたのだ。
特に上のアーカイブでは今の写真と昔(昭和22年)の写真を見比べることができるので「へエーへエー」と感心しながら見ていたのだった。
是非皆さんも自分の住んでいるところの航空写真を見てくださいな。それも昔のを。えらい違いです。
4月23日
四国新聞に「尾崎放哉のあんどん」の記事が載っていたので、ちょっと見に行ってきました。
記事に寄れば13軒が出していると書いていましたが7軒しか分かりませんでした。

ちょっと前に西光寺横の街角に「迷路の街」という看板ができてこの一帯を観光名所として情報発信していくようです。
そこでこの街並みを写真にとってこれもあちこちに載せようかなと考えています。
海賊の迷路の街と尾崎放哉の句をあんどんにして観光客を呼ぶ。
ただきょろきょろ歩かせるだけではなくて「海賊料理を食べさせる」所がいる。
放哉ゆかりの商品、お土産などの販売。
ちょっと街角でお茶することができるように。
街角に放哉の句のスタンプを押せるようにして集めさせるなどのコンセプトなど、
文化がいるぞ!
いろんな切り込みが必要かと思う。
看板とあんどんだけでは人は来んぞ!
来ても続かんぞ!
4月21日
太口素麺を造っています。
といってもうどんを造っているのと同じなんです。
ゆっくり乾燥させて一晩置きます。
明日の朝乾燥仕上げをするわけです。

違いは太さと長さ、小麦粉も違ったものを使いました。
(また悪い癖が出てる…)


昼に素麺を延ばして上箸を入れていると、アゲハチョウが飛んだのです。
瞬間「サナギが孵った!」と思いましたよ。
まだ孵って間がないのか小さいよたよたした感じで飛んでいきました。

サナギを確かめてみると、やっぱり孵って殻でしたわ。
とっても幸せな気分です。
秋に幼虫がサナギになるのを確認して、雨や冬の厳しさを乗り越えて、春暖かくなって孵って飛び出していく。
感動的やないかい!

少したったら卵産みに来るやろ。
パセリはもう大きくなってるで。(去年からの2年ものです。)
4月19日
天気は良し、
湿度は少ないようだ。
風はそよっとしかない。

ゆっくり乾燥させるといい素麺に仕上がる。
ぎゅうっと締まった感触がある。
いいねえ。

3件の注文。
うち1件はうどんのバチの希望。相当にお気に入りでいつもたくさん買ってくれる。
もうそんなにないのでうどんの製品の方も買ってよ。
1件は今後の出荷をふしから素麺に変更の予定と連絡が入る。
その方が助かる。

アッ!忘れてた。うどんの注文準備してない!
明日発送できるようにだけはしておこう。

ずいぶん休んでいるので素麺が昨年より少ない。

「今順調に注文が来ているけど、足らなくなったらどうするン!?」
かみさんが聞きます。
何度目やろうか。
さすがにちょっとがんばらなあかんわな。

でも向こう1週間天気はパッとせん。
天気が悪い日には素麺の製造はしません。
当たり前のことです。
4月18日
朝起きるなりストーブに火を点けたよ。
最高気温が11度くらいにしかならないなんて、しかも雨だし、寒いよう。

大して仕事もせず1日を過ごし、ないわけではないのに何か横着になってだらだらと、ちょっとした罪悪感を感じながら過ぎていきました。

それでも今年新たに出そうと思っている詰め合わせ商品(段ボール入り)の徳用を考えていた。
大体5,000円くらいの詰め合わせで家庭でも贈答にもなるようなのをメインにして、後はお客さんの好みで自由に組み合わせられるようにしたいと考えている。(5,000〜7,000円程度)

それが決まったら写真を撮ってHPに載せます。
価格表も作って印刷して案内状の準備もしなくてはいけないし。

忙しさの前のちょっとした倦怠感…
4月17日
さむっ!

朝起きてコタツに入っておりました。
天気はいいけれど素麺は造っていません。
体調が悪いわけではなく、母から畑に除草剤を噴霧してくれるように頼まれたので休みにしたのです。
こればっかりは雨の日にするわけに行かず、少し風が強かったのですが強行しました。

噴霧し始めると、畑の横のアパートに住む外国人(白人の女性)が洗濯物を干そうとして出てきました。
「ちょっと待って。5分くらい待って」
「今、除草剤を噴霧しているから洗濯物にかかるといけないので待って。」

正直に言います。日本語で話しました。
1年半在日だそうでちゃんと話せました。
オジサンはちょっと興味があったので少し話をしたのです。

その時どうしても洗濯物が見えますよね。
それはしょうがないよね。
デカッ!
(何がかって、書かない。)
(何色かって、書かない!)

取っても人なつっこいというのか警戒心を感じなかった。
今、英国の人が殺害されて、日本人への警戒感があるのじゃないかと思ったんだけど、そんな風に感じさせない人でした。
「はーい!また話をしよう!」
4月16日
曇り時々雨

午前中ゆっくりして午後には素麺の結束をしました。

夕方自治会の会長さんが来て、今度自治会の1班の班長をやってくれと言われました。
いつも世話になっているし、高齢者ばかりで若い人はいないし、この仕事は外に出ないので全く動きが分からない、いったん仕事にかかったら仕舞うまで手が離せないからと言う理由で断ろうにもそういうわけにも行かない状況なので、引き受けることにしました。

お世話係がお世話になりそうな気配さえする状況です。どうしよう…
4月15日
「小豆島からの季節の頼り」

世の中休みやけど素麺屋さん(家のことやけど)は仕事をしています。
暖かくなってきたせいか今年は例年よりも早くぽつぽつと注文が来ています。

「そろそろ案内状の用意をせなあかんなあ。」
「う〜ん。」「新しい500gのんと詰め合わせのんも載せなあかんなあ。」

こんな会話をする時期になりました。
こんな会話をするようになるととても忙しい日々の始まりになります。
例年5月の連休明けくらいに案内状を出すのですが出して数日たった頃から注文が来だします。

「小豆島からの季節の頼り」ですね。
ほんとに待っていたかのように注文してくれます。
お世話になります。そしてありがとうございます。
4月14日
ノンビリ何もせずに1日過ごしました。
おわり。
(おいおい…)

午前中母とかみさんを連れて泊の畑を見に行ってきました。
地籍調査があるのでその下見に行ってきたのですが、もうすっかり山になってしまって驚くほどです。
かみさんにはこのあたりが家の畑と山であることを教えたのですが、今後利用することもないでしょうね…

午後はそれこそネットしたりしてノンビリとして過ごしました。
仕事はあるよ、あるけどゆっくりしたかったのでコタツに入ってテレビを見たり寝たりですわ。
4月13日
ホームセンターで材木を買ってきてこんなものを作りました。

これは仕事の合間にお茶を飲むときに夫婦が座る椅子なんです。
高さ75cm、幅36cm、奥行き22cm。
ちょっと小さい?
どうせならもっと座るところを広くしたらよかったかな?
高さもありすぎ?
座りにくい?

大丈夫なん?丈夫なん?
大丈夫私が座っても全く大丈夫です!

実はこれ…

半生うどんを造ったときに200gに量る秤を置く台なんです。

これまで素麺の箱に秤を載せていたんですが、さすがに安定が悪くちゃんとしたものを作らなくてはと思っていたのです。
これで材料費2,000円でおつりが来るんです。(手間賃含まず)
4月12日
夕方6時過ぎ頃、家の前で交通事故があった。
出てみると軽4とバイクが衝突して、バイクに乗った若者が座り込んでいた。
幸い見た目には大きな怪我はなく、大事はなさそうでした。
足や背中が痛いとは言っていました。

警察には連絡したがどうしたらいいか分からないようだったので救急車を呼ぶように、現状は動かさないようにして両者とも落ち着かせようと話しかけたんです。
若者はふるえが来て、緊張と不安そうだったので、話しかけることと身体をさすってやってリラックスするようにしてやるとふるえはすぐに収まりました。

そうこうしていると、救急車と警察が来たので後はお任せしてその場を離れました。
こんな時両者ともすごく不安なんだと感じましたよ。
4月11日
昨日今日といい天気だった。
こんな天気はそうないよ。
もちろん晴れとか曇りとかいうのじゃなくて素麺にとっていい天気だったということ。

天気は晴れ。
湿度はほどほど、風もそよっとあって実にゆっくりと綺麗に乾いてくれた。
仕上げの乾燥もゆっくりと乾燥するわけですが、
切るときに包丁を入れたときにざくっと切るのにぎゅうっとした感触が伝わってくるんです。

それは急激な乾燥をしたわけでも過乾燥な訳でもない。締まりすぎて硬いわけでもない。
2日いい素麺が出来た。
こんな日は至福な気分です。
4月9日
母を連れて再び倉敷茶屋町の病院に行ってきました。
検査結果を聞いたのですが鉄分がかなり足らないとのことで、鉄剤をもらってきました。

私は待っている間にあたりを探索して、石碑があったので見てみると、昔このあたりで源平合戦があったとのこと。このあたりは海で航行が困難な場所であったようです。
300年も以上前にこのあたりは埋め立てられ(といってもここらあたりは海から相当内陸に入っているんです…)、田んぼや畑にしたそうです。
ここを流れる川は児島湾に入っているので、ひょっとすると児島まで全部埋め立てたのかもしれません。
簡単に言いますがその広さたるや想像以上ですよ!

しかも今の時代の重機があるわけでもなく人の力に頼ったものですから、それに要した時間と費用はとんでもないものになったでしょうね。

タクシーの運転手曰く:「このあたりの山のように見えるのは昔島だったんです。」
シェーーーーーーッ!(古ッ!)
4月8日
素麺は造っていなかったんだけれど、結構朝から忙しかった1日でした。
朝起きて新聞を取りに出ると目の前の皇踏山が見えない。ものすごい濃霧である。
ゆっくり新聞を見ながらパンと豆乳、コーヒーを飲んでから注文の素麺を詰め替え、うどんの袋詰めを
してシールをする。

午後に素麺は発送し、うどんは配達に出た。

配達に出たついでに蒲野の「薬師堂」、神の浦の「風穴庵」、二面の「誓願時」、池田の「釈迦堂」の写
真を撮りにいった。薬師堂は取り壊して移転していたので新しい堂を、風穴庵は以前行ったときには蜂の
巣があって風穴を写真に撮れていなかったのでその写真を、誓願時は昔の塩浜の風景と今を比べられるよ
うに写真を、釈迦堂はちょうど今日が灌仏会(花祭り)だったので堂を開いてお釈迦さんが見られるので
す。お堂の前に甘茶を置いてお釈迦さんに掛けて…私は飲まなんだわ!(来年まで待て!)

帰ってきてから耕耘機で畑を牽いて芋や茄子やジャガイモなどいろいろ植えられるようにして済んだのが
5時。
手を洗って服を着替えるとかみさんがテニスクラブの総会に行くのでアッシーを仰せつかりました。
帰りにスーパーでコーンの缶詰とほうれん草とこんにゃくの和え物、焼き豚、パンを買って帰る。
晩御飯はうどん(5〜6人前分)を茹でて食べました。食べ過ぎやって怒られるなあ…
今日は釜揚げやのうて水で締めてザルで食べました。うまい!めっちゃうまい!
4月7日
昨日からうどんを造っていて今日仕上げました。
今回は乾麺だけだったのでゆっくり5時半に起きて出来たので楽だった。
半生うどんは前回に造ったものがまだあるので作らなかった。

母にうどんを造るんやけど”生うどんはいるか?”と聞くと、
「あれは美味しいなあ。」というので5袋取ってあげた。
そしたら半分人にあげて半分残しているようだ。

私も昨日は生うどん、今日昼は乾麺の試食をしました。
どっちもおいしい。
(生うどんのことを書いても売っていないので申し訳ない。無理に売ってくれと言われると他の仕事があるし冷凍保存をそんなに多くできないので困ってしまう。)

午後、花見でもと思っていましたが、あまり天気が良くないので止めて散髪に行ってきました。
エエおとこまいになったでえ…
(突っ込んでいただけましたか?…)

明日かみさんのテニスの総会があるというので仕事はおやすみです。
午前中に注文の発送準備をして午後………どうしようかなあ…
4月5日
玄関のワゴンからお土産に買ってくれた静岡から来た若い女性が、
「あの写真パネルのように仕事をされているのですか?」
「そうだよ、今仕事をしてるので見ていく?」
「はい、見せてください。」

見るなり、
「わあ!すごい!」携帯出して写真を撮っています。

仕事を見ていて、
「私でも切れずに出来ますか?」
「できるよ。」
(ちょうど1台ハタ付けして済んだところなので素麺を延ばす体験をさせてあげられなかった。)

ハタ付けした素麺の上箸を入れているのも、
「よくその間に箸が入りますねえ。当たって切れそう。」
「はいるよ。」(これは長年の慣れだからねえ。タイミングなんだよ)
ちょっとした雑談で、
「静岡大学?」
「いえ、大学生に見えます?」
「そうじゃないの?今頃旅行してるのは…」
「仕事辞めた社会人」
「じゃあ、プー太郎してるの?」
「ん〜…そう…」
「自分探しの旅っちゅうやつか?」
「私そんなに心病んでない。」
「そうか。」
少しの間居て帰っていった。
素直ないい子だったね。


いつもかみさんと2人で仕事をしているのでこうやって見物に人が来るのも楽しい出来事でした。
4月4日
風が強くて素麺を外に置いておけない。
外に出して上箸を入れてすぐに中に取り込む。
そうすると乾きが遅くて時間がかかる。
仕事が終わったのが6時半なので30分余計に時間がかかったことになる。

ほっとけばすぐに乾くから早く終わりそうなものなのだが、そうはできない。
性分なので変えられない。

こんな天気だが、目の前の天神山の桜はまだまだ5分咲きくらいなので散るようなことはない。
若い頃、まだ子供が生まれていない頃のことになりますが、かみさんと天神山に弁当持って花見に行ったことがあります。
それ以来花見に行っていないですねえ。
といっても目の前に毎日桜が咲いていくのが見えますのでどうってこともないのですが。


それでもちょっとゆっくりしたい気分です。
4月3日
天気に関係なく仕事を休んでゆっくりしたようなしなかったような…

朝はやっぱりゆっくりと言っても7時頃には起きてしまう。
新聞を見ながら豆乳、食パン2枚(蜂蜜とレモンのマーマレードを塗って)、コーヒーを飲む。
素麺の配達をし、ツブシを漬ける。

午後からは、うどんのふしをより分けて6袋作った。(すぐにワゴンに載せたら1袋売れたよ。)
1kgの化粧箱に素麺と極細麺を20箱ずつ入れておく。

ツブシを溶いて、明日の仕事の用意をしたら4時半になっていた。

それから先日直島に行って撮った写真を整理してCDに入れてプリントに持っていく。
母とその妹に差し上げるのである。

夕食後、出来たのを取りにいって母に持っていく。
父のお参りをし、
帰ってかみさんのテニスクラブの総会の資料とやらを作らされて今までかかった。

ゆっくり…出来てないわい!
4月2日
母を岡山の「わいわいクリニック」というところに連れて行った。
自分で予約していたところでテレビにも出て有名なお医者さんらしい。
一人一人丁寧に見てくれて説明し教えてくれるようで時間がかかるのである。
姫路、神戸、島根、高知と県外ナンバーの車があってその噂の程が分かるのである。
2〜3時間はいつも待つようで、付いていった私は退屈極まりない。

待合室は狭く、椅子も10人分ほどしかないので、私は外に出て待つことになった。
今日は黄砂がひどく、陽があまり射していない。その上風もあって寒くもある。
周囲をぶらぶらしようにも喫茶もレストランも遊ぶところも何もない。

ホームセンターでもあれば時間つぶしも出来そうだが、小さなスーパーがあるっきりだ。
お茶とパンを買って近くの公園で持っていった「讃岐うどん」の本をしばらく読んでいた。
いかんせん寒いのだ。風がなければそうでもないのだが、これが結構強いのがいやになる。

仕事して休むとこれだから休む間がない。
帰りの船の中でぐっすり寝てしまいました。
明日、黄砂もすごいし休むことにしてゆっくり身体を休めます。

黄砂のひどさは太陽が写せるほどなんですから!
 これは加工したもの
4月1日
昨年11月にブログを始めて、ついに1日のアクセスが100を超えた。
これがHPなら快挙と言うべきなのですが、素直には喜べないのです。

それというのもたいていの所はコメントが入っている。私の所にはコメントが付かない…
まあ、私自身が作成のほうに忙しく他を廻ってコメントをあまり書いていないということにも原因はあるが、
そこに答えを持っていくと、さて内容はどうなのよという問題がなおざりになってしまう。

内容であるとか技術であるとか感性であるとか問うことになるともうかみさんと一緒にテレビを見て
コーヒー飲んどるほうが幸せと言うことになる。
誤解を招くといけないので補足するが、決してかみさんと居ることが苦痛であるとか裁判の被告席に座らせられているというようなことではない。(書くほどにドツボにはまり込みそうやけど…)

今日という日が日だけに今日だけの嘘なのかもしれん。
明日になればいつも通りの訪問者ということもあるな…


今年は昨年と違って注文が早くなっているのかもしれません。
昨年は5月になってもさっぱり注文が来なかったけれど、今年はもう3月末から少しずつではあるが来だした。
ありがたいことです。
毎年買ってくれている人も「あんたんとこの素麺はほんまに美味しいからなあ…」といって買ってくれる。
そういってくれることが嬉しいことです。励みになります。