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素麺記 06,1月

1月31日
太素麺の仕上げ

太素麺と言うが今日のは細うどんと言った方が良いくらいに太い。
乾燥には十分注意をして3時間かけて乾燥した。
仕上がりはいいようである。
あとは茹でてどうなるか、と、食感がどうなのかと言うことだ。

昼過ぎにこわり(19cmに切断)を済ませて昼に早速に試食をしてみた。
茹でて数分(最初からみていないので正確には分からない。)で、少し釜揚げ用に取り上げ食べてみた。
芯がギュッとした歯ごたえがあり、讃岐うどんの食感に似た麺だと感じた。
なかなかにうまいと思った。
もう少し茹でて、これも釜揚げで食べてみた。
先ほどよりも少し柔らかくなり、芯もさほどに硬く感じなくなっていた。
これもいい。が、きっと讃岐の人なら先の太素麺の方を好んで食べるんだろうなと思った。
さらに茹でて10〜12分茹でたものを冷水で締め(茹でどけが少しある。)、カレーをかけて食べる。
これはもうほとんどカレーうどん。

なんというのかソフトな弾力があって、もちもちとなかなかの食感とカレーの味。
これもなかなかいい!

だがもうこれは造らない。(昨日書いた。)
うまいけど造らない。(山口百恵 : やってられないわ〜♪)
1月30日
こんな経験は初めてです。
N製粉の北海道産小麦を使ってうどんを造って悪い点がはっきりしたので使わないことに決めた。
代わりに少しグレードの高い(少し値段が高い)国産小麦100%の小麦粉を入れた。
その小麦粉で太素麺を作ってみたわけだ。
「いたぎ行程」の段階の最初からポロポロで繋がらない。
切れたのをつなぎつなぎしても時間がかかって、桶の中でひっついてしまう。
かみさんが「もう、お父さんあきらめんか。あかんわ。」と言う。
「諦めるのはいつでもできる。できるとこまでやってみんか。」
そうは言ったものの情けない状態。
二つ合わせを2度3度。なんとか切れずに機械を通った。
このいたぎ行程だけで、普段1時間で済むのが2時間半かかった。
なんとかなだめながらやって、ものにした。
いま下管を落として一晩置いている。
明日乾燥して仕上げるのだが茹でてどうなるのか今から楽しみである。

これだけは言える。
例えどんなにうまかろうがまずかろうが、もう2度と内麦100%の小麦粉だけで麺は作らない!
ほんとにくたくたになった。
内麦のタンパクはみんなこんなものなのか?
もっと強くSS結合できるタンパクではないのだな。(パーマ屋さんは言ってることが分かるでしょ。)
これからはブレンドして少しだけ使うことにしよう。(と心に強く誓うのであった。)
1月29日
うどんを乾燥して切る。
乾燥するのに4時間以上かかる。
夜の内に少し乾燥しているのだが、少しいつもよりも太めなので時間をかけて乾燥しなくてはいけない。
我が家は隣近所が家があって、とてもよそみたいに夜中の4時からボイラーをかけて乾燥するわけにいかないので続けて仕事をすることはできない。
暖かくなると一晩置いている内に乾燥してきているし、朝になってボイラーをかけても気温が高いので早めに乾燥して続けて仕事をすることもできるんだが…。
まあ、それでもうどんを袋詰めにしたり結構忙しいのでこの方が身体も楽いのでいいかと思っている。


素麺とかうどんとかいっているけれど何が違うか知っています?
原料の小麦粉?  NO!
製法?        NO!
もう「JAS規格・表示法改正」や素麺記を読んだり製法のページをみて知っていると思うが、単に太さの違いだけなんです。
ですが、素麺と一口に言っても千差万別。
0.5mmないような細いものから2mm以上あるようなものまである。
(規格によれば長径1.3mm以上のものは冷や麦といわれるものだが「太素麺」と呼んで売られている。)
小豆島では通常「番線」で呼びますが、他産地では10gあるいは50g中に何本入っているかという呼び方です。
何が正しいのかというものではなく、何が好きか好みかというので選択していけばいいのではないかと思います。(国がいろんな団体の圧力などで制定したJAS規格・表示法ですから。)

私は太さで使う小麦粉を変えています。
素麺ならタンパク8.5〜9.2%程度のもの。
太素麺なら8.3〜9%程度のもの。
うどんなら7.5〜8.5%程度のもの。(これで太素麺、冷や麦を作ることもある。)
1月28日
うどんを造っている。(気を遣いながら…。)
何でこんなに気を遣いながらうどんを造らないかんのやと思いながら作っている。
もう、いつも心配で心配でしょうがない。
乾燥して、切って、試食してみてほっとするかう〜んとなるかや。
すぐに麺割れがあったことはまずない。(あったこともある。)
貯蔵して何かの原因か分からぬが生じることがある。
それも決して全部ではない。
1部がそうなる。さっぱり分からない。
ない方がいいのはいうまでもないのだが、作っている本人がなぜか分からぬのだからどうしようもない。
強いてあげてみると、
1, 小麦粉のタンパクの量と質(これは私ではどうしようもないし最高級(一番高い)小麦粉を使っている   ので現在これ以上はないと思っている。)
2, 製造工程で何か足らないことがある。
   (100%ではないことは自覚している。)
3, やはり乾燥工程、貯蔵でのグルテン構造の変化で生じるのではなかろうか。

どれもそうだと言えるし一つに当てはめるよりも複合的な要因と捉えるのが自然でしょう。

明日また試食してみるまでのお楽しみ。(自虐的や。)
1月27日
小豆島 ー 前島編 ー 
小豆島といっても実は小豆島と前島に分かれています。
その間にあるのが世界一狭い海峡「土渕海峡」なのです。
どのくらい狭いかといえば10mないのです。
「9.93m」
9.93mはなれて前島があって、そこに土庄町の中心となる土庄町役場があります。
本町を中心にたくさんの地区があります。
少し離れて「鹿島」という所があります。
ここは小豆島の最初の人が住んだところ(小豆島で一番古い部落)といわれています。
峠を越えると「大木戸」(おおきど、またはおおぎと)というところがあってその部落に入る木戸口があったところから名が付いたようです。
次が「柳」 どのようないわれでこの名が付いたのか分かりません。
一山、あるいは一峠越えたところに集落が出来て、かつては、たいていは半農半漁の生活です。
その次が「千軒」(せんげ)と読む。
千軒家があったかといえばあるはずもない。100〜200軒までだろう。(詳しくは分からない。)
次が「小瀬」。
次が「畝木」(うねぎ)

小豆島に限らず、瀬戸内の島は海から即山となっており、その狭いところで開けたところに家を建てて生活しています。
鹿島、柳、千軒、小瀬には小さな波止場があって小舟をつなぐ港となって、半農半漁であったことを伺わせる。これは小豆島ではどこもそうである。

昔には「塩浜」(塩業)が本町周辺で盛んに行われていた。
地中海性気候という温暖な気候で、雨も少なく、良質な小麦の栽培も行われ、塩も産したので「手延べ素麺」の製造には最適な条件が揃っていた。
3大産地の一つにあげられるゆえんである。(今は九州(長崎)が加わって4大産地となっている。)
1月26日
昨日で3日も仕事をしたので本来今日は休みになるはずでしたが、うどんが無くなったこと、昨日にうどん用の小麦粉が入ったことでうどんの製造をしました。
まあ、うどんを造るときは朝1時間程ゆっくり起きられるので比較的楽だということ、その時間に起きても2時前には延ばせて終わり、後はゆっくりと乾燥させ、ある程度さらっとしたら乾燥室に入れておけばいいわけだし、晩に下管を落として一晩置いておくだけという楽な仕事なんです。
明日乾燥して「小割」します。
(続けて作りはしません。そうすると身体が休まりませんというのもあるし、この時期温度が極端に低くボイラーをかけてもなかなか温度が上がらず、かといって強くすると急激な乾燥で麺割れを起こしてしまい苦労が報われません。)
だから明日はゆっくり乾燥をしてよく乾かし、「小割」をして昼すぎから袋詰めをします。


生うどんを10管取り、2管を母の所へ、7管を冷凍し、1管の半分(うどん屋さんの3玉分くらいかな)を夕方に茹でて食べた。
茹で上がる寸前に買い物に行っていたかみさんが帰ってきたので、「なんとジャストタイミングで帰ってきたなあ。」ということで分けて食べることになった。
小腹を満たすのにはちょうどいいところだが(本当はちょっともの足らない。)、ソフトで美味しかった。

茹で時間 : 約10分
(従来手延べ用小麦粉を使って素麺を作るときに「こびき」といって素麺を作る途中のものを生で茹でて食べるのだが、それでも手延べ故に20分以上かかっていたのです。)
それがたったの10分で柔らかく食べることができる。

今でも、自分でも信じられんのだが、「手延べの製法」でこんな食感が出せるなんて考えられなかった。
先にも書いたが、例えタンパクが少なくデンプン量の多い小麦粉を使おうと「手延べの製法」によって茹でどけが生じるなんて想像さえできなかった。

組合にいて割り当てられた小麦粉で決まったように作っていたのでは絶対に巡り会えなかったこと。
こうやって作ることができるようになったのも、昔に勉強していてその知識があったので拒絶するよりまずやってみることができたと思う。

小麦粉はいろんな種類があって、私にはまだもう少し時間があると思うので、もう少し勉強ができるのではないかと思っている。製粉会社の協力が得られればもっと早くいろいろ試してみられると思うが、この業界の小麦使用量から考えても難しいことだと思う。
1月25日
お父さんのお使い

昨日かみさんが頭が痛いという。
今日の仕事の用意をしていると言い出して、かなり気分が悪そうである。
「父さん、晩ご飯は自分でラーメンでもして食べて」という。
「ラーメンはいややからうどんを茹でてくれ。」
仕事に最後はほとんど私一人でやるので(かみさんは素麺を巻いた桶を降ろすときにかいて降ろすときだけなので)、こたつに入って寝ておりました。
で、晩ご飯はうどんと昨日のおでん。
寝たら気分ようなったわといってうどんを結構食べていましたね。
だいたい気分悪いというのにいつもと同じだけ茹でるわけがない。(あやしい)
まあ頭が痛いのが収まって仕事も安心してできます。ほっとしました。

「お父さん、買い物に行かへん?」
……………、
「今日卵が安いんで行ってきて欲しいやけど。」
……………、
「大儀かったらエエけど…。」
……………、
(しゃあない、行ってこうか。)
実は、あまり買い物は私は頼まれないのである。頼まれるときは「懇々と、ねちっこく、何度も口酸っぱく、くれぐれも」余分なものは買うなと念を押すのである。
頼まれたものは安売りの卵と食パン3袋(6枚切り)と豆乳6箱。後野菜の何それと言っておりましたが、「そんなんたべんからいらん」と言って拒否。
私は極力買い物を頼まれないように、荷物持ちをさされないように日頃心がけておることがあります。
それは(本邦初公開)
1,頼まれたら引き受けるが必ず自分の好きなものを数点買う。
2,荷物持ちをさされたら、好きなものをカゴに入れる。

こうすると買い物はたいてい一人で行ってくれます。
「お父さんに頼んだらいらんもん買ってくる。」と言って。

晩8時過ぎていったのですが、この時間には人はさすがに少ない。
この時間帯の経験があまりない私(初心者)には3割引5割引の値札は麻薬ですわ。
エエ、エエ、かみさんなんかぶつぶつ言っとりましたわ。
1月22日
久しぶりにバレーの試合に出て行く。(試合に出るわけではない。)
風が強く寒い。
今日は7チームが集まって4試合がある。
この中の数人がハーフパンツでやっている。
馬鹿じゃないのか、この寒さで。
神経がないのか、無理しすぎや。
風邪だけは引くなよ。引いたら辛いから…。
仕事にも差し障るしね。

風邪も4段階あるそうです(9時過ぎに帰ってきたら(あまりに足下から冷え上がってきたので途中で抜け出した。)ちょうど風邪には鍋がおすすめですとやっていたじゃない。)
第1段階でとり鍋
第2段階できのこ鍋
第3段階で味噌仕立ての牡蠣鍋がいいんだそうである。(柚子を刻んで入れて)
第4段階はすぐに熱を薬で抑えようとせずにもう寝取れ。

ええと各段階の症状はどうだったっけ。
咳、痰、鼻水が第1段かな?
NK細胞とかT細胞とかB細胞とかいってたなあ。
身体がだるく、関節が痛くなったら第3段階かな?
第2はどうだったっけ。

どの段階でも是非是非うどんを入れてくれたまえ。
決して邪魔はせんので。
1月21日
今日は妹の誕生日である。ちょうど半世紀を生きたということになる。
でも誕生日のお祝いは今日はないだろうな。
というのも子供のセンター試験なのでそれどころではないだろう。
関東は雪が降って大変だとのこと。頑張れ!
目一杯実力が出せればと祈っている。もう1日だ。落ち着いていけよ。


最後の結束は少しだけだったので、明日の仕事の用意をしようと思ったが肩が凝って疲れていたので1日延期してゆっくりすることにした。
それでも3時前に終わり、ゆっくりお茶して少し横になろうかと思っていたらうどんの注文が来て、すぐに詰めて配達に行く。
かみさんがついでに電気が暗くなっているから点灯管と電球を買って来いというので、お使いもする。
買ってきて、「ほい」というと、
「付けて。」と帰る。
付け終わると、「太素麺」の表示を印刷してという。
5時半が来ている。
なんもゆっくりできておらんやないの。
晩ご飯は、なんと丼に入った「茶碗蒸し?」かな?中身はうどんでした。
それと「おじや」。
少し疲れて胃が重いと言ったら「食べ過ぎなんや」と言って出てきたものです。
それにしても多いような気もするが…。
まあ、すぐに消化してしまうけどね。胃の負担は少ないわ。

掲示板の書き込みを見て、メールを入れておいた。
こういうのがあってどうしようもないとなるとパソコン触るのもいやになるねえ。
誰か近くに教えてくれる人がおれば楽なんですがね。
たぶん、こういうときは何がどうなっているのかさえも分からない状況なんですよ。
1月20日
晩ご飯の後、テレビを見ながら、
「1日秤ばかり見ているから目が疲れて見えんわ。」
というと、間髪を入れずに、
「そりゃあ、晩パソコンして遅くまでゲームしてたら疲れるわ。」と返された。
「ああ…。」と納得した。

返しようがないが…。

明日で終わる。その後の時間、ゆっくりして日曜日に仕事の用意をするつもり。
後は3月いっぱいまた製造にかかるつもりである。

小麦粉は今使っている小麦粉の他に内麦を後2種類程試してみるつもりである。
価格的には今使っているものより高くなるのだが、美味しいものができればいい。
その内の一つは県産小麦でこれが値段が高い。
手打ちうどん(讃岐うどん)に使っている評判を聞くと製麺適正は非常に悪い。
ところが食べるとうまいという評判である。
(実際よりも名前が過大に評価されているようないないような…。値段もな…。)

だが手打ちで、延ばすわけでもないのに、製麺適正が悪いというのはどうなんだろう。
といって、使ったことがないわけではない。
なぜか、
組合にいるときに使っていたのである。もちろん100%ではないよ。ブレンドでね。
全く意識せずに使っていたので食感がどうなのかなど気にしなかった(問屋さんからの特注麺だから)からその食味食感がどうなのかは知らないのと同じ。
今回使ってみてじっくりその食味食感を確かめてみたいと思っている。

お客さんには小麦粉をいろいろ変えて品質の変化は大丈夫なのかと不安になることもあると思いますが、より良いものを原料に使っていますので絶対に品質に問題が出るようなことはないので安心していてください。
素麺に関してはその品質に自信があります。
もし万が一にもおかしなものができたとしてもお客さんに販売するようなことはありません。
うどんについては一生の勉強かと思います。
1月19日
これといってなにもない。
そう気持ちの変化、気分の変化、何かの感想など何もない。

晩ご飯を食べながら、
テレビを観ていた。
山陽放送の「OOO21」というので、高松のある駅の近くの「オムライス」が出てきた。
「あ、ここO史が子供の時に行った店やで。」
「大勢おってな、立って待っとんのや。」
「そやから諦めて他に行ったんや。」(食べてないやないかい!)
ここはオムライスが有名な店で時々テレビで紹介されるのである。
私は混み合うのが大嫌いなので、このような店には行けないのだ。
(一度は食べてみたいと思っている。)

だから有名店には混み合わない時間帯でないと、例え椅子が空いていて座れたとしても入らない。
何か落ち着かないのである。
街を歩いても人混みに酔ってしまう。
小豆島がいいわ、やっぱり。自分家でゆっくりしているのがいいわ。
1月18日
12月の日計簿を作成しておった。
12月末の在庫であるとか、なんだかんだと忙しい。
さらに日本工業統計とか特産品調査だとかあって、それも書かなければいかんかった。
文書作成終了。

結束などという普段せずにまとめてしている仕事のためか体調不良。
今週いっぱい(週末天気が悪いという)して、来週からまた製造にかかります。
来週からまた気温が低く、寒い日々になりそうですね。
後1ヶ月寒い日々が続きます。
その後日を追うごとに暖かくなってきます。(頭の中では「春を待つ少女」の歌が…。)

今日は「土庄港」のことを書きます。(山上からの景色もあります。
土庄港は高松から来るのにも岡山から来るのにも昔から小豆島の玄関としての存在でした。
二十四の瞳の銅像は土庄港にありますし船便も多く旅客の数も多く、昭和四十年代にはホテル、旅館が大きく建て替えられ、ますますのにぎわいを見せておりました。

私が子供の頃にはフェリーボートはなく旅客船だけでしたので、今のフェリー岸壁はなく左側の2本の船着きだけでした。経済が活発になるにつれ土庄港も大きく変わっていったように思います。
塩田が廃止された後に埋め立てられ道路が出来ホテルが建ち家々が建ち並んでいきました。
土庄港の切符売り場も今までの所は岡山行きの高速艇だけの切符売り場になってしまい、大方は新しいところに変わりました。だから、港を降りた観光客は二十四の瞳の銅像をみることもなく上陸していってしまうんです。
このように少し離れたところにゆっくりできるところが港の反対側のはずれにもあるのだがあまり利用されていないのは残念である。それもあまり整備されておらず、草が相当生えていたり犬などの糞があったり、ゴミが散乱していたりときれいではない。
港周辺でゆっくりできるような環境を作るのも、高松港をみていて、大事なことではないかなと思われます。

土庄港に上陸すると、まず「二十四の瞳」を観て小豆島に来たんだという概念を持たせる必要があるように思う。今の港の道路は島外者には「二十四の瞳の銅像」は無いに等しい。
港に上がって、歩いても車で通っても必ず銅像の広場を通り、また止まってくつろげるスペースを確保することが必要かと思う。
とするなら、今の港の駐車場の所に芝生公園を作り「二十四の瞳」や他のイベントを持ってきて、港に着く船からも帰る船からも見えるようにして観光客のテンションをあげるようにすると、リピーターも期待出来るのではなかろうか。
せっかくきれいな自然環境があるんです。生かすべきでしょう。
勝手なことを書きましたが財政難ですね。
1月16日
我が家から100mほどの所に土庄小学校がある。
現在250名くらいの児童が通っているとのことですが、私が入学した頃は戦後のベビーブームで今の3倍くらいいたように思います。(歳がばれるがな。もうとっくにやな。)

土庄町は長く広がっていたり島(豊島)があったりで昨年まで8つの小学校があったのですが、05年3月末で3校が廃校、統合されて5校になりました。統合されてもうすぐ1年になります。
将来は1つか2つに統合されるそうです。
これも過疎化と経費節減のため仕方ないのかも知れませんね。

池田町では4つあった小学校を1つにしました。
内海町では変わりなく4つあります。
この2町が今春合併して小豆島町になるのですが、どのようになるんでしょうか。

土庄小学校の裏山
「城(じょう)の山」というのですが、今は「しろやま」と呼んでいるようです。
今は山を低く削って体育館を建てプールを作っていますが、私の当時は小学校横の坂道をてくてく登って(標高20mほど)幼稚園がありました。
小学校の校門を入り、グラウンドを横切って坂道を登るのですが小学生にいじめられることもなく通ったことも思い出です。
はて、俺の人生の終わりか?回想録を書いてどうする。

今小学校では校門を入れば禁煙となって、校庭には芝生が植えられておりオリーブの木が周りに植えられている。スクールバスで送り迎えしている時代になった。
1月15日
ちょっと趣向を変えて土庄町(とのしょうちょう)の紹介から小豆島の紹介までしてみようと思う。
まず、住所。

ほとんどの方が読めないでしょう。
香川県 (これは誰もが読める。かがわけん)
小豆郡 (しょうずぐんと読みます。)(これを小豆島と書くと「しょうどしま」と読みます。)これは関西のラジオを聞くとよく「しょうどぐん」と言っていますね。
土庄町(とのしょうちょう)ずっと昔このあたりが一番農耕ができる開けた土地だったからではないでしょうか。「土の庄」かな?

小豆島は瀬戸内海で淡路島に次いで2番目に大きい島です。岡山県の領地であったり、赤穂藩(今の兵庫県)の領地であったり愛媛県の領地であったりしました。香川県になったのは確か明治になってから(う〜ん、よく分からないぞ。親戚の民族資料研究をしている人に聞けば分かるが…。)
自分で調べんかい!(心の声。)
赤穂藩は塩の生産で小豆島に人を送ったようで、私の名前からみて我が家はその昔赤穂から塩作りに来ていたらしい。
(祖父は塩田をしていた。父も成人するまで手伝っていた。)当時はかなり裕福だったようだ。
時代が戦争へ戦争へという時だったので祖父は塩業から農業へと転換していったようだ。(祖父からも父からもなぜかは聞かなかったが、食糧難からそうしたのではないかと思っている。)


話を戻して、
香川県    小豆郡    土庄町
かがわけん しょうずぐん とのしょうちょう


で、私の家の近くから紹介しましょう。
私の家は西本町と言いまして、本町の少し西にあるのでそういいます。
以前には(今から40〜50年前の頃)
家の前に散髪屋さん。
その右隣が菓子屋さん
その右隣が自転車屋さん
その右隣が粉挽き屋さん
その右隣が酒屋さん
散髪屋さんの左隣が八百屋さん
その隣がせんべ屋さん
その一軒隣が本屋さん

我が家の右隣が旅館
その隣が味噌屋さん
一軒おいて布団屋さん
我が家の一軒左隣がパーマ屋さん
その隣が仕立屋さん

こうやって書いてくると昔はずいぶんいろんな職業が集まっていたんだなあと改めて感心する。
そうなんだが決して商店街などではなかった。そんなこと思ってもみなかったね。なんでだろう?
だって布団屋さん、酒屋さんの向こう50m程先から「本町商店街」があったからね。
この酒屋さん、味噌屋さん、布団屋さん、パーマ屋さん以外は今はもうやっていないのである。

今は大きなスーパーやホームセンターがあって、み〜んないいものやきれいなものがが安くあって、こんな個人の小さな店はやっていけなくなっちゃった。
それでもみんないろいろに頑張って生活していたんだなあとつくづく思う。
今、個人の製造販売は厳しいのだよ。ぐあんう゛ぁらねば。

酒屋さんの右隣が「土庄小学校」。今も昔のままにある。
この話は明日の心だあ。
1月14日
今日も終日結束である。
腰の状態は夕方には何ともだるいという状態。
7時過ぎに仕事を終え、少し寝転がって腰を伸ばして、食事。
雨が一日中降っていたが、私はずっと部屋の中でいたので全く影響はなかった。
ただし運動不足はどうしようもない。母の家に行こうと外に出ると雨はとうに止んでおり、傘はいらない。
明日のバレーの試合の準備があるのでいつもより早めに帰ってきて、やっつけてこれを書いている。厳密に言うとまだ完成ではないのだが大筋できたということで後はまとめるだけの簡単な作業なのだ。

この後やって風呂入って…まだ寝ない。
今日はビールをいっぱいやって(飲んでみようかなという気分)ちょっとテレビを見てゆっくりしようかな。
先にストレッチしとかな寝られんな。
1月13日
魔の13日の金曜日じゃ。

今日は1日素麺の結束をしていた。

今日から数日素麺の結束をする予定である。
来週にかけて天候がぱっとしないということなので貯まっている素麺の切り込みを結束してしまおうというのである。これは19cmに切ってある素麺を50gの束にテープで巻いていくのだが(以前は手でしていたが、今はもちろん機械で結束する。)、これが仕事の中で一番身体に応えるのである。
首、腰、手首と元々痛めているところなのでなおさらに辛い。
首は、もう頭がぼわあッとなって気分悪いし、腰は晩に寝るときにもだえるのである。手首は腱鞘炎でどうしようもない上にバレーで傷めているので使いすぎると痛むが、まだたいした痛みではない。

なんだこんな事ばかり書いているなあ。

素麺の結束はきれいに結束すると素麺がきれいに見えるしテープが不揃いになると汚く見える。
機械の調整も大事だが、元々の素麺をきれいに造っておくとたいした問題もなく結束することができる。
乾燥するときに外で長時間よく乾くまで置いておくと素麺が曲がってしまって、しかも急激な乾燥で麺肌がざらざらになってしまって素麺がスムーズに機械の中で流れず、計量も重さがどさくさして50gで計れないことになる。
機械のスピードも速くすると計量がどさくさするし身体が身体なので私はゆっくりすることにしている。
たぶん1日ちゃんと座れば20箱/18kgくらいは結束出来ますが、いつもは15箱くらいまでしか結束しません。そんなに頑張ると身体が続きませんし、後々「腰があーッ」ということになってしまう。
(またまた身体のことやね。どうもこれから離れられんみたいやね。)

ちょっと話題を変えて、
バレーの話。
ネットでバレーのサイトを覗いていて、「何ーッ!」と驚いたのが、私が一番応援(とっても色っぽくて好きな)していたバレーのセンスも良いしすばらしいプレーを見せてくれる全日本の中心選手で彼女無しにはオリンピック出場などあり得ないと思っている(修飾語が長〜い。)大友愛選手のことである。
なんと、できちゃった結婚をした!(妊娠2ヶ月。)

おめでとうなんです。
ああいう選手が現役の時に恋愛、結婚などこれまでなかったしたぶん選手自身が避けてきたんだと思いますが、大友選手は自分の心に正直であったということです。だからすばらしいことです。周りにとらわれることなく自身の人生の最良を選んでいったのですから。

ですが、日本のバレーはどうなるの?彼女無しではありえんように思われるが、少なくとも向こう1年半はだめですね。
ああ、バレーの試合を見る楽しみが一つ減った。
1月12日
正月の不摂生が祟ったのか10日夜より腰が痛いのだ。
座って身体を前に倒そうとするとキャッとする。これはこれまでにない痛み。
骨の隙間が狭くなって骨が擦れ合っている状態になっているようだ。
ストレス…、ちゃう、ストレッチをやっても同じ。できるだけ関節を伸ばすようにして、寝ころんで座らないようにしている。上向きに寝ころんで膝を立てて、力を抜き、手で足の根本を押して間接を広げるようにする。その後そのままの状態で身体をねじり身体から背中、腰、足の筋を延ばすようにする。
立ち仕事なので午後は少しつらい。
骨盤に骨がめり込んでいくような気さえする。
それでもストレッチのおかげか今日は少し楽になった。
50を折り返すとあちこちがたが出ますわ。(もっと前からや!)

ちょっとお聞きします。
うどんを茹でて、水で締めているときにいつまでもぽろぽろと欠けるように水が濁りましたか?
最近このようなことがありましたら詳細をメールしていただけないでしょうか。
今後のうどん製造の役に立てたいと思います。
原因は内麦(製粉会社によればもちもち感を出すように製粉してあるとのことでしたが)が非常にタンパク質(グルテン)が少なく、その分デンプンが多いので起きた現象であると推測されます。

手延べの行程を経て茹でどけするというのはこれまであり得ないことと思われておりましたが現実に起きておりますので、いくら食感がよくても程度問題であるわけです。

なお現在はこの内麦を使用してうどんの製造はいたしておりませんので問題はないかと思います。
1月10日
お疲れです。
元々回らない頭がフリーズ寸前。
テーマを広げられない。落ち(落としどころ)が見えない。結果箇条書きだけで面白くない。
元々テーマが出てこない。
ないテーマをテーマに書こうとすると真っ白け   になってしまう。
昨日の極細と普通の素麺の違いにしたってもうちょっと書きようがあるもんだ。
せっかく裁縫糸とロープの例えを出して書いたのにそのままで終わり。
「ちょっときつくしごいたり張ったりすると切れてしまいそうな裁縫糸のような繊細な気遣いが必要な極細麺とそれに比べ引っ張ろうがしばこうが何ともないと感じられるような普通の素麺」と書いて、実は普通の素麺もそう見えて細心の注意を持ってやらないと、
1,麺肌がつるっと仕上がらない。(ざらざらになってしまう。)
2,麺が丸く仕上がらない。
3,白く仕上がらない、くすみや色むらができる。
4,最悪麺割れが生じる。
5,手間暇かけた素麺は食べた食感が違う。

そうなんだ!「うまい!」と素麺をすすった瞬間に感じてもらえるように書く、いや造るのには妥協無しに手間暇掛けなければいかんのです。

ほんでやね、
1,はつるっとした例えにおなごの柔肌のようなとか赤ちゃんのしっとりつるんっというようなほんわかと想像させて書いたりやね、親父の禿頭やないぞと落としたりして書かんといかんわけや。
2,も3,も4,も書いていけばどんどん広がる訳や。
時間がない。お休み。
また明日の心だあ(小沢昭一(漢字分からん)の文句や!)
1月9日
昨日は仕事が遅くなってしまって、何もせずに寝てしまいました。
にもかかわらず寝過ごしてしまったのは時計が遅れていたから!(そんなわきゃあない。)
私の枕元の目覚ましが鳴らなかった。(うんそうだ。)
(無意識のままに止めた可能性大。過去にもある!)

やっと普通の素麺をしたのだが、極細と比べると裁縫糸とロープぐらい感じが違う。
それとわずか1週間程休んだだけなのに、仕事をすると太ももやふくらはぎに身が入って痛い。
ほんま無理がきかんようになってきたなあとしみじみ思いますわ。
トップページの写真変えたら「いやあ、ずいぶん若返ったわ」て言われて喜んでいたんですが、ように考えたら若う見えるけど歳いってるいうことやないか!

今日も仕事すんでからあれしてこれして(ん?分からん?)メールして電話して日記書いて10時半が来たから風呂はいって寝よう。11時半になるから睡眠時間4時間半というところやね。
こういうのは人生を凝縮して生きているとは言わんのやろね。できたらほんま1日が30時間欲しいわ。
1月7日
今日今年初めての仕事。
やっぱり身体を動かすと腹が減る。
3時のおやつも食べたが5時が過ぎると腹が減ってきた。
「いい傾向や。」 これで食事制限すると(それより運動=歩きをした方がエエよ。)ぽっこりおなかもすっきりして、「ウォームビズ」なんぞと言わせないぞ。(自分が書いたやないの。)

正月前に休むときは「こんなにのんびり休んでいてエエのやろか?」と不安だったのだが、今は「もっと休んでいたい。仕事するよりゆっくり休んでテレビが見たい。」と横着になってしまった。
「今日から仕事!」と奮い立たせてやると今はもう普段通りに戻っている。どこかで踏ん切りをつけないと人間は横着なものだ。
「あんただけや!」て言わんといて。
そういえば「ふし」ができたら持ってきて欲しいと言われてるし、しっかりしなければ…。
うどんも観光客のおみやげに使ってくれると先日話しが来て、すぐにサンプル持って行くと折り返し返事が来て納入が決まって納めさしてもらったし、正月からいい話が来ました。
「グアンバラネバ!」
(腰が痛い。股関節も痛い。身体ががたがきとる。)


晩、パソコン立ち上げて、ストーブ点けて、風呂に入ってくると、
「?!何?!」
なんだあ?!。
ネットの接続ウィザード?
何でこんなものが出てる?デスクトップもいつものソフトが出ていない。
??????????????????
「そなもの解れへんが!」
結局諦めて98を起動してみる。こっちはちゃんと繋がってるやないの。
ちょっと余裕が出てきて、「再起動したらいけるかもしれん。」と思い、やってみると、…
いけたやないの。
で、今これ書いてアップしています。
ほっとしたで。
1月6日
昨日更新しようとパソコンを立ち上げ、まずメールを見ようとしたらサーバーと繋がっていない。
tikitikiの方でどうかなっているのかと思いしばらくそのままでいたが、後で見ようとしても繋がらない。
パソコンがどうかなっているのかともう1台の方をつけてみたが同じである。
Kさんに相談しようかなと考えたが、取り敢えず息子に聞いてみたが分からない。
設定がおかしくなったかと考えいじってみると(何を思ったかuserを変えてしまったので、)、今はパソコンを立ち上げるたびにuser設定を聞いてくる。うんざり。
再度設定を直そうと思う。
夜遅くになってふと思いついて「全部の電源落として再度接続すればいけるんじゃない?!」ということに気が付いてやってみた。
結果はOK!
やっとネットに繋がった。
ひょっとするとセキュリティソフトが何らかのウィルスなりスパイウェアなりを検知してネット接続を切った可能性もある。

昼から墓参りに母が連れて行ってくれというので、行ったついでに西光寺によって放哉の石碑と地蔵さんを写真に撮ろうとしたが、石碑は以前撮ったものの他はなく地蔵さんは三重の塔の中にあるとのことで外からは鍵をかけているので見られない。見るためには例の地下道(真っ暗で手探りをしながらぐるっと回っていかなければならぬ。)
わたしゃあ暗いところは嫌いじゃ!
狭いところも嫌いじゃ!
そんなところ一人で行くのはぞっとする。
ということで行くのはやめにしました。結果写真はありません。
三重の塔の鍵が開いているときに撮りたいと思います。西光寺奥の院三重の塔(誓願の塔)はこちら

ついでと言ってはなんですが、このあたりは昔々海賊の住みかだったそうで道路が入り組んでいる。
現在はかなり整備されたのでそれほどには分かりませんが、海岸線から街並みに入るには狭い道しかないんです。狭い道を入るとくねっと入ったところに広い道がある。それに道がどのような状況かをいうのは「あみだくじ」を想像していただきたい。
言ってみればあんな感じ。追っ手から逃げるために入り組んだ道路にしてあるわけです。
これも写真撮ろうと思ったのですが、私が子供の頃の道と今とではかなり変わっていてそう入り組んだ状況でもなくなってきていたので止めました。
南郷庵の内部の写真は土庄町が有料(250円)にて以前の南郷庵の資料など展示をしてあるので、拝観してください。

HP1万アクセス記念クイズの賞品の発送は明日いたします。ご賞味いただきたいと思います。
できれば食べた感想などお聞かせいただければうれしく思います。
今日昼(昨日の残ったカレーで作ったカレーうどん)も晩(キムチ鍋)もうどんで食べましたが麺割れもなく美味しく食べました。(実はうまいの前に麺割れは?といつもはらはらする。これを確かめてから食感はどうかなということになる。)
煮込む程に美味しいものをと思うんですが、まだまだいろいろと努力します。
1月4日
トップページの写真を気分転換に変えてみました。
晩に体育館の中でとったのを引き延ばしてあるのでぼうーとしているのがいい?
正月ボケで身体がなまってしまって(おなかははちきって!)だるい。食っちゃ寝食っちゃ寝の他にゲームとパソコンが加わってまるで動いていない。まだ仕事はしていない。明日朝息子が大学に帰るのでその後から仕事の用意をする予定だが天気予報次第で変更(休む)事になる。
今夜から雪が降るかも知れないと天気予報でいっている程今日は曇って寒い。

朝、まだ雑煮を食べる。
そのあと母を病院に連れて行く。何でも痛み止めが切れたので薬だけ出してもらうとのことである。
帰りにスーパーによって買い物をして帰ってくると昼。
テレビとゲーム(ドラクエ)と昼寝をして晩ご飯(蟹と豚の水炊き)。おなかが空いた感じがしません。
これはすべて非常時のための備蓄にまわるものと思います。
「今冬は 寒さ厳しく ウォームビズ」
1月3日
「1万アクセス記念クイズ」の正解と当選者の発表をいたしました。
同時に当選者にはメールにてお知らせしましたが賞品の発送は数日待っていただきます。
お楽しみに。
うどん用の小麦粉は何を使っているのかという質問がありましたが、メインに使っているのが「ASW」というオーストラリア スタンダード ホワイトという香川県産小麦を手本にしたオーストラリアで作られている小麦です。少し説明しますと、日本に麺用小麦粉を輸出するためにオーストラリアから香川県(讃岐うどんであまりにも有名)に勉強に来て小麦を持ち帰り研究して作った小麦。
だから香川県産小麦の末裔(?)にあたり、私はその中でも最高級品の「手打ち御膳」という銘柄の小麦粉を使っています。
最近はこれに内麦(北海道産100%)の小麦粉をブレンドしてもちもち感を強く出すようにしています。
もちろんこれに満足せず、さらに食感のいいものを作っていきたいと思っています。

私はこれの生うどん(少しさらっとしたところで切って冷凍したもの)を釜揚げ、鍋に入れて食べているのだが(生なので販売していない。近くの人で欲しいという人だけに差し上げているが、それもいつもはない。いつもとれるのは素麺用のこびきうどんである。)、ソフトな弾力感ともちもち感があって美味しい。
ただし、いつもあるわけではないので茹で時間をよく間違えて(かみさんが忘れて油断する。)茹ですぎてしまうのが残念なのだ。いろいろしなくてはいけないので付きっきりというわけにいかない。
私はへばりついて色の変化など見て(勉強してるん。)、時間の経過と共に試食して「今やな!」で揚げますが、もちろんそうするとうまいのです。(半分近くになってますが…。)

今日はうどんを食べなかった!珍しい。

箱根駅伝の続き。
今年の箱根は面白かった?
「箱根にはドラマがある。」と言うが…………………………。
1月2日
昨日はどう見てもきれいじゃない写真(三都半島1週)を素麺のお話の方にページを作ってこちらからもリンクしました。今このサイトはかなりあちらのコンテンツをリンク(あたかもこのサイトのものであるかのごとくに…)していますが、こちらのものは一切あちらにはリンクしていませんので、知っている人以外は知らない(?)。
どうしても容量の関係でこちらに入れると足らなくなるので(いずれ1,2年の内にそうなるでしょうが、)容量を食うものはあっちに置いておきます。

容量で思い出したが、これを書くときに100M減っていることに気が付いた。「何でかなあ?」と気になってはいたが、「おかしい。昨日ページも増やしたし減るはずがない。?」
……………
ハッと気が付いてみると新たにページ作って12月分の日記をそちらに移したはずなのにリンクしていないではないか。
正月ボケや。
(いつものことや!)

昼前に明日から仕事やというので。娘を福田港(牛のしっぽで隠れたあのあたりにある。)まで送っていった。「いつものようにしっかりがんばれよ。」といって見送って帰ってきたがいつまでたっても心配ではある。
家では昨日帰ってきた息子が3時まで正体不明で寝ておる。
わたしゃあ3時までゲーム(昔子供が小さい頃一緒にやっていた「ドラクエ」ですわ。今はドラクエ[とか言って昔のままの通りやから父さんでもできるわと言って娘が置いて帰った。)やって、7時半には起きました。一緒に3時まで起きていたけれど12時間も寝るとは不届きな!

(やっぱり懐かしいのははまります。)歳がなんぼやっちゅうねん!

箱根があります。箱根駅伝が。寝て見逃してはいけませんがな。
途中きっちりうたた寝して見逃したところもあったけど…。
学生のは安定していないというのか、どこでどう変わるか解らない。娘を送っていって帰ってくると順位ががらっと変わっている。トップに躍り出たと思ったら十何位までその区間で落ちている。最後山梨で往路は決まりやなと思ったらなんのことはない順大が出てくる。区間賞を取っていないはずの駒沢がほんの30秒差で2位につけている。それほど今回のはどさくさが大きくて見ていて緊迫感というよりも、「もっとしっかり走り込めよ。」と言いたくなるような(ごめん。いえるようなたいそうな生活しとらんわ。)、ちょっと飽きてしまうような展開でした。
でも明日も復路は朝から見るで。

まあそれにしても朝からずう〜っと食っちゃ寝食っちゃ寝して、正月すむと4、5kgふくよかになっているんやろうね。(真剣に歩かねば…と考えたが…、さぶいので止めることにした。)
性格上、歩き始めるとかなり毎日1時間程は歩くことになるのは間違いないのである。というのも以前歩いていた頃(経験があるのじゃ。)、歩いて歩いて少しずつ距離を伸ばし、仕舞いにはジョグをし出して膝を痛めてしまったのである。
程度というものが分からんのか!と仰る。
当然です。
ついついあれもこれもとやってしまうんです。(HP作りも同じやね。考えてみれば。)
なんと! そういえば仕事も同じやわ!
私、みさかいのつかんブレーキのきかん性格やったんやね。もう少し落ちついとるもんやと思っとったんやけれど…。
正月そうそう発見と反省。
では今年の目標は「ほどほどにしよう。」に決定。
1月1日
元日の朝7時半に起きる。
もう初日の出を見に行かなくなって久しい。
郵便受けから分厚い新聞を取ってきて、ストーブを点け、テレビをつけて、新聞を見る。
今日息子が大学から帰ってくるなあと思いながらニューイヤー駅伝は何時からかなあとテレビ欄を見る。
静かな朝です。
かみさんと二人で雑煮を食べながら駅伝を見、のんびりとした正月を過ごす。
10時過ぎに年賀状を取りに出、見ながらいろいろと話す。
昼過ぎに息子を迎えに出たついでに墓参りをし、土庄八幡宮に参拝。
交通安全のお守りや破魔弓、お札を戴いて(買って)帰る。(買っても戴くと言うんじゃ!)
かみさんの実家に行く(池田町)というので、ついでに三都半島をぐるっと回って写真を撮ってこようと計画。(ちょうど天気は穏やかで絶好だし、かみさんの実家にいて肩身の狭い思いをして、欲しくもないビール飲むのを避けて…。)

年賀状のメール(近年、この手の年賀状が来るようになった。)
これもいいもんだ。

今年もよろしくお願いいたします。