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素麺記   06,10月
10月31日
「症状からは内科というものではない。気になるなら脳外で診察してもらってください。」

内科のかかっている医者に聞いた返事がこれ。
「少しは気になっとるから聞いとんじゃ!」
「いっつもそんな言い方をしてから…」
まあ、ええわ…、取り敢えず緊急に検査とか治療とか必要はなさそうなので、このまま様子を見ますわ。
10月30日
日曜日にやよも会の3人を運んで墓参りに連れて行って一人の家まで送り届けてから、バレーの大会の会場に出かけていった。
写真を撮っているとなんか急に下半身がずしっとした。なんか「G」がかかったような感じがした。
なんや?
そっと足を動かしてみようとしたら重い。で、どたっと落ちるような感じで、膝を曲げてみると力が入りにくい。何とも頼りにくくなってその場にへたり込んでいたら、コート反対側に医者が座っているやないの。
泌尿器科専門でどうも違うとは思ったが、取り敢えず症状をいってどんな具合か聞いてみた。
「両方かと思ったら右足の方らしい。」
「手は?話はちゃんとできる?」
「手もうごいとるし話もちゃんとできとるが。」
一番に脳梗塞を疑われました。
「血圧も70−120で正常やけど、コレステロールは300近くで高いけど…」
「腰も股関節も問題があって、しばらく歩くとひっかかったようで痛くなる…」
「…まず整形で受診してみた方がいいですよ。」

次第に収まってきて夕方にはほぼ正常に直りました。
仕事の用意をしてはいたのですが、こんな事初めてのことなので少し心配でもあるし医者に行ってきました。月曜日で患者が多いの多くないのって(多かったんですが)8時に船に乗って、9時に病院に着いて、予備診察に呼ばれたのが10時。レントゲンとってきたのが11時。さらに診察に呼ばれたのが1時半…

チョロチョロッと診察して、「痛くないですか?」「いたないっちゅうねん。」
「整形的には異常は見られません。腰からの神経も股関節も以上はないようです。」
「なぜそのような症状が出たのか分かりませんね。」
「原因があるとすれば頭ですね。様子を見て次に症状が現れたら脳神経外科を受診してください。」

う〜ん、喜べんぞ…

(セコンドオピニオンと言うじゃろ。)
小さな血栓が飛んだとしても、足だけどうかなるというのは考えにくい。腰で神経が圧迫されたとしか考えにくい。(ほんでも神経が圧迫されると”じ〜ん”となってしびれが走るんやけど…)ずっとかかってきている(内科やけど…)先生に聞いてそれからにしてみよう。

それにしても家に帰ってきたのが4時過ぎでしたのですっかり疲れ果てました。病気になりそうや…
10月28日
そうそう…履修不足と秩父の熊のニュースのことを書くんやった…

昔、もう40年近く前ですが、私の時にもこういう事がありました。
3年生になると進路も決まっていて受験科目ではない授業 ー はっきり書いてもとっくに時効じゃ ー 物理の先生(まだ先生しておるのでイニシャルも書けん)の方から「関係ない人はクラスの後ろの方で自習してもいいですよ。静かにやってください。」そんな風に言われてやっていました。
授業はやっているけれど、生徒は別のことをやっている。そんなことどこでもあるんじゃないのかなあ。
私の頃ですから、まだ30%台の進学率でしたけれどそんなことをやっていましたよ。
私たち自身、そうしてもらえると嬉しくて何も考えずにそうしていました。(試験は当たり前にありましたが…)
生活、智恵の常識という点で物理の知識が日常語られるか?漫才やないけど、そんな奴ぁおらんやろう。
「マイナス1個のリンゴは数学では存在するが物理では存在せん。」という知識くらいのもんやで。物理そのものの勉強はやっておらんのでなあんも知らんが、それで恥ずかしい思いをすることもないし…
もっとも知っていても損すると言うこともない。人としての知識はいっぱいあった方がいいと思います。

もっとも最近の人は「ロンドンのパリ」だとか「パリのニューヨーク」だとか、世界だけじゃなく日本の都道府県も皆目知らない人が多いし、地理、日本史、世界史に限らず一般常識が欠如しているのが多すぎとは思いませんか?
(香川県なんかほとんど知られていない…讃岐うどんで知られるようになったくらいのもので…)

このことについては受験戦争や制度そのものの不備も言われているし高校のあり方だけをやり玉に挙げるわけにはいかないと思うね。


秩父の熊について
やっぱり立て札はダテではなかったんや!テレビで熊のニュースをやっているのを見て「ほーっ!」と感心してみていました。


ほんでもって今日の日記(どもども…)

夜明け前に外に出て夜空を見上げていると、南のそらに強く瞬いている星があって、…その横の小さく光った星が…あったけど見えんようになった………… ようく見ていると見えてきて、「エーッ!動いとるがーッ!」
小さく光っている点がゆっくり東の方に確かに動いとるのです。
たぶん人工衛星です。UFOの可能性も少しあります。
以前にも人工衛星を見たことがあります。進路変更なくゆっくりと飛んでいきます。
UFOは20年ほど前に見ました。オレンジ色の球体で低空を全く音もなく、静止状態からすーっと飛んでいきました。このとき家族も一緒にいたのですが、誰も見ていない(見えない)そうです。
夜のニュースでオレンジ色の球体が飛んでいたというのが流れたので「アッ、同じや。他にも見える人がいたんや」と思いましたが、こういう事はあまり人に話しても話題にならんので黙っていることにしています。
10月27日
「ウィルスバスター2007」をインストールした。

インストールするときにHPを見てみると、マイクロソフトがすでにサポートしていないので「98,98SE,ME」についてはサポート致しません。と書いてある。来年の暮れまでは2006でサポートするけれど、早く新しいOSに変更してくださいとある。
余計なお世話じゃが、もう98SEでネットにつなぐのは止めよう。(更新手数料がもったいない…)

インストールすると、「再起動せえ」という。
再起動すると、なにやら始まって、自動でなにやらやって、しばらくすると、「再起動せえ」という。
またかいなと思ったがしょうがない。
再起動してウィルスバスター立ち上げて設定をすると、また「再起動せえ」という。

「あっりゃあ、またまたかいな!」(これだけで1時間かかっとるがー…)

あれとこれこっちの日記に書こうと思よった…
けど、あれこれやってたら、何書こうと思よったか忘れたが…
(認知症の途中経過じゃ…)始まりはとっくに向かえとるから…

たぶん寝る頃に思い出すんと違うやろか…
ということで、別のサイトに書くことがあるのでそっちに行きます。(そっちは覚えとるんや。)
10月25日
まだまだずっしりと疲れが残っていてしんどい。
仕事も2日しかしていないけれど明日は休むことにした。昨日から歯の痛みはなくなって、次第に疲れはとれてきてはいるようだ。
なので、やっと食事を味わって食べられるようになった(とほほ…)

ウィルスバスターの更新手続きの書類が来た。
今度から1シリアル番号でパソコン3台まで入れられるようになるそうです。じゃあ、夏に1台更新しているからそれを2007にバージョンアップしてこれ(98SE)にも入れられるじゃない!
よくよく読むと2007は98、98SE,MEには入れられないとかいてある。つまりもうサポートはない訳ね…

どっちみち98SEの方はほとんど使っていないので、インターネット接続を切ってそのほかの作業だけで使うことにするしかないっちゅうことやね。


天気がよいので綺麗な素麺ができている。その分気分も良い。夕方ちょっと試食してみる。
もちもち感も硬さもあっていい感じである。国産小麦粉の強い色が出て、白さという点では落ちるが、うまそうには見える。こういう小麦粉色が出ているのはお客さんはどう思うだろうか。

これまで食味食感の話は聞くが、色について(小麦粉食について)聞いてはいない。素麺ではないが、讃岐うどんでは白さというものへの追求はあるようだ。ASWの配合割合を多くすれば白さは増すわけだが、食味食感は昨年から今年にかけての食感となる。それで、お客さんには「これまで食べたことがない食感」として受け入れられてきているので全く問題はないのだけれど、私の中で釈然としないのは前を向いて歩きたいという欲求なのだ。

「行きすぎっちゅうこともあるわな。」

両方の食味食感をよく検討して、その上で色なども考慮し、決めたい。
来年の夏まで貯蔵して置いて置くわけだが、その間の熟成による効果がもたらすものがどうなのかというのもある。一つ踏み出せば様々な問題が出てくるのが楽しくもある。
10月24日
VリーグLadies大会の代表者会があり、総会の日程も11月10日と決定した。

以前からもう潮時だと考えていたので、総会の日程も決まったのできちんと話しておくべきだろうと考えました。総会の席上で急に言うと混乱してしまうのではないかと考え、あらかじめ話しておいて、じっくり考えてもらうことが必要だと思いました。
女性のほうには話したが、男性の方にはまだこれからである。前もって言う機会はないけれど、HP上で書き込みましたし、噂も聞くだろうし、日曜日の大会の時に代表者の一部には話ができると思います。

辞することを話すときには緊張したが、後は吹っ切れたような気分です。誰が新会長に選任されるのか分からないけれど、みんなで頑張って盛り上げてくれようという気分です。

自分が作った会を退くのだからやっぱり寂しいですよ。でももう私は立ち止まっちゃった。後はみんなで歩いていけよ。
10月22日
「熊が出る!?」

小豆島じゃあこんな注意書きはないけれど、秩父のほうではよく出るようですね。
結構あちこちで見かけるんです。
それもお参りにいった札所にこうやってあったりして、母は「熊が出るん?出たら怖いなあ。」
そら怖い、力勝負では負けるんで逃げるで。
母は足が悪いんで逃げ足が遅い。…う〜ん問題や…
考えるな!背負うてでも連れて逃げんかい!


人間がどんどん生活圏を拡大し、道路を縦横無尽に敷き詰めて自然界を分断しておいて、動物は狭い範囲でしか生きられず、食べ物もないところに追いやられて、やむなく里に下りてくると捕獲という殺戮が行われる。日本だけでもどれだけの種が絶滅の危機に陥っていることか、もうすでにどれほどの種が絶滅していることか、考えてみればいい。
海では、最近「マグロ」の乱獲が祟って水揚げ量の削減ということになってきているそうだ。
今日のNHKの番組でも「資源確保のためにも削減し、保護した方がいいでしょう。ずっと将来も食べたいですから(笑い)」。このようなことを3人がかわるがわる言っていた。
人間の回りの生物は資源なのか?資源にならないのは絶滅させるのか?

人間という生き物は腐ってしまっている。
地球というゆりかごに自分の都合だけで生きてると思っちゃいけない。
便利なのもいいけれど、豊かなのもいいけれど、もっと回りに配慮しなくっちゃね…


と、珍しく語ってしまいました。

今、疲れがどっと出て、そう、2日目に疲れがあふれかえっています。
朝、仕事に起きるのに目覚ましを止めてうとっとしたら30分寝過ごしてしまった。
動こうとすると、身体全体から毒があふれ出ているかのように苦しいのである。
歯は痛い、身体は毒まみれ、毒をまき散らしながら仕事をしているとなれて動けるようになる。
これは疲れが治ったんではなく、さらに蓄積されていっているにもかかわらず、動いているのでその作用だけであることは承知している。
バレーの試合が晩にあったが、さすがに出て行かず家でいた。うたた寝をして、気が付くと11時になっていた。それからこれを書いている。
明日は雨の予報なので仕事は休んでいる。
いい天気です。
明日はゆっくり休めます。
10月21日
疲れからか歯が痛くなって噛みしめられません。
18日から痛くなってきていたのですが、今日はちょっと辛い。

のんびりと1日していたのですが、食事の時に辛い状態…
早めに風呂入ってゆっくりと寝よう。

といっても撮ってきた秩父34観音の写真の整理をして「あっちこっち 夢 小豆島」にアップしなくてはいけないのでやっているところ。半分は明日に回そうかなあ…

明日は仕事をしますが月曜日には雨になるそうです。
仕事をすると数日間の非日常から日常に戻れる気がします。心がずっとそこに囚われているようで「心ここに非ず」という言葉そのままのような感じです。


少し素麺のこと。
今年は小麦粉を少し変えていますというのは申しました。
麺線は少し太めの30〜31番線(約3cm幅の中に入る麺の数)です。
もちろん使っている小麦粉の性質からそうしています。お客様の声欄などを見ていただくと分かるように、これまでたぶん食べたことのない食味食感の麺です。
来年の夏を楽しみにしていてください。(年中売ってはいますけど…)
10月20日
秩父34観音


母を連れて秩父34観音巡拝に行ってきました。
たくさんの人にお世話になり、あらためて一人では生きてはいないぞという思いを新たにしました。

17日
午前7時50分発のフェリーで福田港から出発。山陽道姫路東インターから高速に乗り秩父までの680kmあまりの行程。
1年ぶりの高速なのでしばらく走行車線を走り(90kmくらいで)、慣れたところで追い越し車線も走るようになって、JCTの左分岐、右分岐も落ち着いて判断できるように(今回で3回目だから…)なって、10時過ぎに高速に乗って最終吉井インターに着いたのが5時を過ぎて辺りは暗くなっていました。
7時間で600km強を走ったと言うこと。

問題はここからで、一般道をくねくねと走らねばならず、これまでも地図と道しるべとなるものをチェックしながら秩父までたどり着いたのでした。
ところが今回、全く道しるべとなるものが分からない。夜になるとさっぱり道が分からないのにはどきっとした。ここからは40kmほどの行程なので1時間ほどでいけると思っていました。
ところが道しるべが分からないものだから行き過ぎたりしてついに迷ってしまいました。ガソリンスタンドで聞いた道をたどると、通らねばならん道(県道OO線)が目の前を左右に走っている…

「2つ目の信号を左に曲がって真っ直ぐ行けいうたやん…」

もう真っ直ぐは行けん、右か左か「それが問題や。」交差点で止まってすぐ横の民家に聞きに言ったが門の鍵がかかっている。赤信号で止まった車の人に聞くことにした。

「すいません、JAの出荷場の方に行きたいんですが左右どちらに行ったらいいんですか?」
「左ですよ。よかったら後をついてきますか?」
「いいんですか?」
「帰る道なのでついてきてください。」
「ありがとうございます。」

その場所まで連れて行ってくれたけれど昼間なら分かる場所がさっぱり最初は分からなかった。よく回りを確かめるとそうだと分かった。この分だと残り30kmのうち20kmがどうなるのか不安に思えるがなんとかしなくてはというか聞きまくって行くしかしょうがない。
その親切な人が「どちらに行かれるのですか?」と聞かれたので「秩父にお参りに行く旨」を言い、ネットで調べた地図を見せてこの道順で行きたいんですというと、
車から地図を出してきて、「44号線に出なさい。少し遠回りですが、後は道なりで、1ヶ所だけくねくねしたところがあって間違えるととんでもないところに行く箇所がありますが、その道の方がややこしくないですよ。」「44号線までは連れて行ってあげますから。」
少し思案しましたが、そうすることにしました。
「それじゃあ、お願いします。ご迷惑を掛けますがよろしくお願いします。」

先導して走ってくれまして、かなり走ったのです。10km以上も… もうだいぶ来たで… さっきから同じ道をずいぶん走ってる… 44号線に出てるのと違うか… アッ!、あのくねくねしたところまで連れて行ってくれてるんと違うやろか…

本当にその通りでした。20kmあまりを先導してくれて、
「これから先は道なりで行けば秩父に行けます。」「秩父に入ってからは大丈夫ですか?」

「ありがとうございました。こんな所まで連れてきてくれてありがとうございます。」「もう大丈夫です。秩父に入ればお参りで走っていますから道は分かります。」
御礼をしたいのでお名前と住所を聞いても教えてくれませんでした。それではとお金を出したのですが、かえって失礼をしました。

「私もこれまで人に助けていただきました。有難いという気持ちがあればそれを今度は人にしてあげてください。」そう言って来た道を帰っていきました。
「合掌」
仕事帰りの作業着には「多野商会」と刺繍がしてありました。

残り10kmはなんとか覚えていたようで、間違えずに宿までたどり着きました。
インターを出て2時間たっていました。(彼に連れてきてもらわなかったら何時になっていたやら…)

18日
今回は巡拝にしました。宿は1番札所の前の「旅籠一番」でしたので、朝食前にお参りを済ませ、30番札所まで一気にお参りすることができました。1番札所で一緒になった人とはその後も何度か一緒になることがあり「最後は34番で一緒になるといいね」と言ってくれました。
今回出会う人に挨拶を心がけました。そうすると後は自然とできるようになります。

80才くらいと84才のおじいさん兄弟がお参りしています。84才のおじいさんが小豆島を知っていてくれて、戦争の時に「田甫OOOO(分かっているけど書けない)」という人と一緒だったというのです。懐かしそうに嬉しそうに話していました。
このようにお参りしていると、名前は聞きもせず、言いもせずいろんな人とお話ができます。
「一期一会」

19日
残り4ヶ寺。離れていたり山登りがあったりで結構時間がかかる。
3ヶ寺をお参りして、お土産を買って最後の34番札所(昨年父が待っていてくれた寺。)に向かう。
これで最後。後は帰る。
母が父の写った写真を撮りだして確かめている。母の目に涙があふれる…

「もうよう来ん…去年でもうよう来ん思うたけど、なんとか今年もまえた。ほやけどもうよう来ん。身体がえらい…」
去年の写真と比べてずいぶん痩せたという。思い出話をずっとする。

34番札所で1番札所であった人に会うことが出来、「やっぱり一緒になりましたね、それじゃあ、さようなら」と言って分かれました。

12時40分に出発。吉井インターに着いたのが1時40分。道を間違えずに着くことができました。
それから今日の目的地、滋賀県の「草津田上インター」までのおよそ500kmを走る。着いたのが7時。
5時間強で走ったことになる。
息子と連絡を取り合って晩飯を一緒に食べることにして、その前に大学を見学した。孫の大学を始めて見る母は「晩になっとるのに学生がいっぱいおる。何しょんや。」
キャンパスの広さ、学生の多さ、建物の大きさなど見てびっくりしておりました。中でもバスが大学の中を走っているのを驚いていましたね。

20日
残り200km弱。
高速に乗って朝食を食べることにする。
”生醤油うどん”というのがある。
食指が動く… けんどだまされん… きっとこれは讃岐うどんに影響されとるだけでうまいはずがない!…
そこで、考えに考えて、「掻き揚げうどん」を食べた。(どこまで行ってもうどんですわ…)

案の定ただの機械うどんで、これでどうやって生醤油うどんを食べるんや!と心の中で叫びましたわ。
それも「うどんのゾンビ」
いやいやゾンビならまだうごいとる。ぷつぷつの溺死体やで。

帰りの高速で恐ろしい目にあった…!
それは…思い出しても怖い話…テレビで放送され、新聞に載るとこやった…

方向指示器を出して追い越し車線に入り前の大型トラックを追い越そうと並んだところで、大型トラックが右方向指示器を出して追い越し車線に入ろうとしたのである。
!!!ッ」
ブブブブブッ!ブブブブブウッ!
気が付いて戻ってくれたから、今生きていられるけれど、あのまま来たら挟まれてぺっちゃんこのぐちゃぐちゃになっているところでした。

午後1時半頃無事帰ってきました。
全行程1563km。
10月16日
こんなに早い時間に更新しますって書いても分からんやろな。
母を病院に降ろし、その足で池田の祭りに行った。
目的は神野浦の太鼓の「押し込み」といって船に太鼓を乗せてやってくるのです。
それも片舷3つ、計6つの櫓を漕いでやってきます。

昔(私が子供の頃でも)島内には道が広く整備されておらず、各地で船で太鼓を運んでいたものです。
もっともほとんど機械船で運んでいましたが…

その勇壮さ、荘厳な様は感動を覚えます。
これまで見たい見たいと思いながら(かといって池田の祭りに行ったことがないというわけではないのですが)ただの一度も見たことがない。今年はちゃんと時間を確認して30分も前から場所を確保(新聞記者がいるところ)して待っておったわけですよ。
そのときにはもうすでに船は沖合にいて時間待ちをしている。どうも例年通りの時間にしないとたくさんの見物客(港に入ってきたときには千人ほどと思われた)が見損なうことになってしまうようだ。

フェリー乗り場の方に地元の太鼓がならびます。これは神野浦の太鼓を向かえているんだそうです。そちらに向かって櫓を漕いでいくんです。船の舳先には2人の若者が赤と緑の衣装を纏い、どういういわれがあるのかは知らないけれどもまるで邪を払うかのように踊っています。
その前を漕いで通ってから船を馬場の方に向けて漕いできます。目の前の砂浜に船を着け太鼓を海に落とさぬようにサラシを巻いた男衆が担いであげるんです。
またいいものを見た。

池田の太鼓祭りは、太鼓は小さいけれど、とっても綺麗な太鼓さばきを見せてくれます。小豆島で一番統一された見応えのある太鼓祭りです。(もっとも午前中は神事で八幡宮に太鼓は行ってしまうので、それは午後になってからの見物なんです。)こちらの方の写真も撮っておかねばと思ったのは担いでいる年代を見れば分かります…そう遠くない将来にやってくるなあ…

この写真は「あっちこっち 夢 小豆島」に載せました。
 
「四国新聞社WEB版によると」
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/article.aspx?id=20061016000382

香川県小豆郡小豆島町池田の亀山八幡宮秋祭りで十六日、奉納する太鼓台を漁船で運び、浜に威勢良く担ぎ上げる伝統の「押し込み」が勇壮に繰り広げられた。

 押し込みは、陸路輸送が不便だった三都半島の蒲野、神浦、吉野の三地区で明治初期から行われていたが、一九六〇年代に一度途絶えた。現在、七九年に復活させた神浦地区だけが行っており、八七年に旧池田町の町無形民俗文化財に指定されている。

 太鼓台は木造漁船(全長十二メートル、幅一・六メートル)に乗せられ、午前六時すぎに地元漁港を出港。船が池田湾の弁天島付近までえい航した後、赤と緑の長襦袢(じゅばん)をまとった二人の踊り手が船首で踊りを舞い、約四十人のこぎ手が櫓(ろ)を漕いで約三キロ先の同八幡宮近くの浜を目指した。

 午前九時二十分ごろ、浜に近づくと大勢の観衆は拍手で出迎え。太鼓台を漁船から担ぎ降ろして陸に一気に駆け上がると、一層大きな拍手と歓声がわき起こった。
10月15日
今日も渕崎と内海(現小豆島町)の祭りやけど仕事をした。
昔はのんびりしていて、小豆島の祭りの間中休んでいたけど…
我が家は土庄、母の実家は渕崎、かみさんの実家が池田(現小豆島町)なんで、もうついでに13日の四海の祭りからずっと休みでした。
明日は仕事を休みます。

理由
1,母を病院に連れて行く。
2,かみさんの実家の池田の祭りである。
3,明後日17日早朝出発して秩父に行くので長距離を走るため、疲れていると危ないため休んだ。
4,気分がもう休みモードに入ってしまった。

先ほど11時頃までルートチェックやホテルの予約(予定変更による)などをしていて、ちょっと気持ちが高ぶっているのか眠たくないので、休もうかなと思っていた日記を書いて気を静めているところです。

11月に父の3回忌を行います。
まだ母は父が生きているように言うことがあります。
いろいろ辛いこともあったけれど夫婦が一番良いと言います。
私たち夫婦もそんな風に言えるようになるんかねえ…

親孝行といったってこれくらいしかできないから…
これで喜んでもらえたら…

たぶん夫婦が生きていたら支え合って生きられるんだろうけど、一方が先に逝くと残った方は夢どころかなにもなくなるんじゃないだろうか。(結構女性はそれから爽やかに生きているようだけど…)
母は女兄弟や近所の同じ境遇の(つまり旦那が先に逝ったり、ずっと一人だったり…)おばあさんと結構楽しくやっていたり、畑の野菜造りに精出して楽しみにしているようです。
子供としては落ち込んでいない分安心していられます。
10月14日
秋祭り
土庄八幡宮の秋祭り
太鼓台の通るコースは昔から決まっていて、我が家の前を10時過ぎに通って八幡さんに向かう。
スーパーが隣にあった頃は、(スーパーが)お花を出していたので、その駐車場でたくさんの太鼓が「えい!しゃあしゃあげ」をしていました。
スーパーが店を閉めてからはないものと思っていましたところ、吉ヶ浦の太鼓だけが道路上でやってくれました。
「ここいらでいっぺん担こうか!」
30〜40人ほどの人が集まっていましたので拍手して喜びましたね。

「ありがとう」

いい天気。良い気分。

太鼓を担いている年代を見ると10年先20年先が心配になる年代が多い…
私が子供の頃の土庄町の人口は3万6千人くらいいたように思う。今1万6千人くらいしかいない。
後40〜50年くらいたつとマイナスになる…

「ならん、ならんがな… マイナス一人ってどういうのん。」

それにしても私が生きているうちに1万人を切るかもしれん。祭りのにぎわいを見て将来を憂う…
周りを見てもずっと段々畑だったのが自然の山に帰っている。子供の頃は綺麗な海で、潜ればいろんな生き物がいた海も汚染が進み、いまや瀬戸内海は綺麗とは言えんけど…
苦労させたくない、したくない。這いつくばった生活などかわいそう、辛い。そういった思いから街へと出て行く。誰もみんな苦労なんかしたくない。楽したい。田舎で暮らしたくても生活できない。最低レベルで這いつくばるより街で仕事を見つけて生きる。

それでも小豆島が故郷です。ここ以外にない。
ときどき帰っておいで
10月13日
私の名前は国にも県にも町にも調査対象として登録されているんやないやろか。
とにかくいろんな調査の依頼が来る。
夏には農林省からの依頼だったし、昨日は県からの依頼で「社会生活基本調査」というやつ。

なんでも「ハイ、いいですよ。」と気楽に受けているもんで、先方も簡単に受けてくれるところに集中してくるんかいな。
そのせいだかどうだか、最近2.3の自治体とか農林省とかがこのHPを見に来ているみたい。
まあ、見るとしたら商品紹介のページではなく素麺の製造について、JAS規格などについてだろうけど…


それにしても疲れるわ…
テレビ見ながらすっかり寝てしまって、気が付けば9時過ぎになっている…
いつまでも仕事に身体がなじめないのか(年のせいで順応性が落ちていると言うな!)、男の更年期か…

体組成計では、身体年齢は46才なんぞ!
仕事の後の汗を絞ったときに計ると45才になるンぞ!
この冬、仕事をやって夏にためた体脂肪を消費すると40才になるのも夢じゃないぞ!
最近ちょっとやばいになってきてるし…
とはいえ、くたくたなので歩きは中止です。身体を酷使することはかえってよくないという判断です。
10月12日
「24」のDVDを借りてきてみている。
今日まで4,5,6を借りてきて見ていて、返しに行って7,8,9巻を借りてきた。
だから日記がお留守になっている。
今日は7巻を見て止めた。(気にはなるけど…)

11日に福田(ちょうど島の反対側なので行ったことはない。)の祭り、明日の13日から近くで祭りが始まる。
13日は四海八幡宮の祭り。
14日は土庄八幡宮の祭り。
15日は富丘八幡宮(渕崎)と内海の祭り(八幡宮の名前を忘れたわ。)
16日は池田の祭り(この祭りは太鼓を綺麗に揃って担ぎ上げて綺麗なんです。)
もっとも土庄町の合併50周年の時の太鼓のかき比べはその数といい壮観でした。

私は土庄なので、明日は仕事をしますが14日は休みます。
「祭りに太鼓を担くんか?」とよく聞かれますが、若いときから腰を痛めていますし、あまりにぎやかなのは嫌いな方ですし(若いときから全然アルコールは飲まない。)、飲んで絡まれるのはかなわないので見ているだけです。
太鼓が出たらまた写真を撮って載せます。「あっちこっち 夢 小豆島」の方だけど…

数日したらちょっと出ることがあるので、それまでに小さな用事は済ませておかなければいかんのです。
あんまりないけど…
10月10日
何年か前に出て読んだ讃岐うどんを紹介している本をまたぞろ読み直しているんです。
この人の切り込みで讃岐うどんブームに火がついたと誰もが認めている某「恐るべき讃岐うどん」という本です。

「書いてるやん。」

この中にひっかかって食べてみたいなあと思うものがあった。
以前読んだときにはひっかからなかったからだいぶオッサン化したかもしれん。

そのうどんは「貝割れ大根」「大根おろし」「ナメコ」をどさっと入れて出汁を掛けて食べるんだそうです。
ピリッとしてヌルヌルッとしてツルツルッとしてたまらんのかもしれん。
名前が「なめこおろしうどん」

本には「”なめ殺し!” ええんかそんな名前つけて。」って書いていました。

かみさんに言って作ってもらおう。
10月9日
風向きで近所の庭からキンモクセイの香りがする。
ラジオを聞きながら気持ちよく仕事をしていて、「子供の頃の強く影響を受けたヒーローは?」でいろんなヒーローが出てきていた。
俺は…?
パッと出たのが、ドラゴンボールの悟空でも西遊記の悟空でも、あちゃちゃちゃちゃちゃ…おまえはもう死んでいるというケンシロウでもないぞ。
「はりまお」だ。
決してのらくろでもないぞ。

まあっかな太陽 もえている〜はてないみなみの〜おおぞらに〜とどろきわたる〜おたけびは〜ただしきものにみかたする〜はりまお〜はりまお〜ぼくら〜のはりまお〜

ウン十年たっても歌えるわ…
やっぱり子供の時には正義の味方がいいね。子供の時に正義の味方の子分になっていないといい大人になれないんだ。
(なんか今日の日記は傾向が違う)(ペーパーバックライターなん?)

「あっちこっち 夢 小豆島」を独立させてよかったみたい。
リンクしてくれたりたくさん見に来てくれているようだ。
(この後の更新がないと潮が引くように去っていってしまう…)
仕方ないよ、これから仕事が忙しいんだから。


最後に、今日の素麺は天気もよくゆっくり乾燥して、白くピンとして綺麗に仕上がった。
10月8日
どうも身体が不調…
仕事をしてもこんなにぐったり疲れることはなかったよ。
身体がだるいので甲状腺がどうかなってるのかとも思うが全然腫れてないし…分からない。

ちょっと睡眠不足なのでそのせいかと思う。
では、休めば直る!(かもしれん… ずっと休んでるけど…)


この秋から小麦粉のグレードを一段と高くした。
今のところ値上げをする予定はないのでご安心をば。

そのせいか非常に仕事がスムーズに、今のところできている。
まだ試食をしていない。(うどんばかりを食べている。)
明日か明後日に試食をして報告します。(いいに決まってるけど…)

というのもうまいと言われた素麺をもっと追求したらこういう形になったんです。
貯蔵しておいてもこの夏に売ったものより粘弾性は増しているはず。

どのような小麦粉かというのは言ってもいいのだが、今のところは企業秘密ということで…
10月7日
岡山県玉野市の病院におばのお見舞いに行きました。
小豆島土庄港発→豊島唐櫃港→豊島家浦港→岡山宇野港、と文字通り島から島へと渡っていくのです。
1時間半のフェリーの旅です。
土庄港を乗ったのが6人
唐櫃港で降りたのが5人。乗船無し。
家浦港で乗船したのが4人。計5名が宇野港まで…(唐櫃港まで軽四が1台乗っていた。)

これじゃあ採算合わないよねえ…

帰りのフェリーには50人あまりの人と車が数台乗った。
家浦港でそのうち37名あまりが下船した。(13人乗っているという事ね。)
唐櫃港で2人下船11人乗船してきて22人が土庄港まで乗ったことになる。


写真は宇野港で乗ってきたフェリーを写す。
(港は埋め立ててめっちゃ広くなっとった。)
以前に来たのがもう20年近く前だから…
そりゃあ変わっとるはず…
豊島の産業廃棄物が捨てられていたところには大きな建物が建ち、直島で処理するための作業が行われていると思われました。
もうだいぶ処理されている感じがしました。このことを知っている人が他にもいるようで写真を同じように撮っていましたね。
帰りのフェリーに乗っていると、前からほとんど9分通り沈んだ船が白波建ててやってくる。
フェリーの波を受けたら沈んでしまうんやない…?

大丈夫でした。
何積んであそこまで沈んでんのか気になった。
普通喫水線があってそれ以上荷を積んだらあかんようになってるはずやろ…?
10月6日
朝のうち細かい雨が降っていたけれど、母を連れて墓参りに出かけ、そのときに母方の親戚の人が病気で手術、入院したことを知った。
大変に世話になった方なのでお見舞いに行かなくては行けません。

午後から散髪に行ってさっぱりとしてきました。
(知っている人は知っているが、知らない人は全く知らへんやろうけど、結構無精です。)
(頭に整髪料など振りかけません。散髪したときだけなんかやってくれます。)

なんぼか若返った気分がします。

夕方、念願の、パセリの種を蒔きました。(あまりにもたくさんの種が入っていたので、半分ほど。)
残りはそこいら中にばらまいたろかと思いましたが…止めることにしました。
外出から帰ってきた、前に住むお茶でしょお花でしょの先生が、「何ができよん?」と聞くので、
「パセリの種を蒔いたんですわ。」と言うと、
「生えたら一株頂戴。」と申します。
「ほな先生、まだ半分のこっとるから植えます?」と言うと、
「いろんなん植えてて、面倒やから、生えたら頂戴。」と申します。
「………ハイ、ハイ、」納得しました。


中秋の名月も雲の中(上?)で見えません…
でしたが、9時頃に見ると…こんなに綺麗に見えました。
この緑色の点の動きは…

太鼓の音が響いてきていました。雨の日ばかりなので練習もなかなかできないでしょうね。
10月5日
この雨は台風の影響か低気圧の影響というべきなのか…?
明日も雨だというので休みです。

実は嬉しい。
仕事のはじめはやっぱりぐったり疲れますので、1日休んでも疲れがとれない。(年のせいか…?)

片付けをしていたら、春に見失っていたパセリの種が出てきた。雨上がりに植えよう。(畑の空いたところに植えるのを母に許してもらって…)来年初夏には食べられます。(揚羽蝶が…)
今年食べたのは1回だけ…(後は買ってきた刺身に付いていたようなものだけ…)
パセリを食べると口の中に広がる香りがいいね。(そうは思わない人が多いみたいだけれど私は好きです。)
今、今年最後の揚羽蝶のサナギが1匹います。このまま冬を越すのか孵るのか分からないけれど、少し早めにサナギになったので小さめです。最初緑色をしていたのが回りの色に合わせて茶黒く変色しました。
早ければ数日で孵ります。
10月4日
まだまだ全然身体が仕事になれていなくてしんどい…
このことは昔から経験しているので、それを見越して素麺を製造する量は少なくしてあるんだが、それでもずしっと応えます。昔、何も考えずというより長い休みが終わって、さあ、これから頑張らねばと張り切っていつもの量を3日続けて、死ぬかと思うほどくたくたになって、その後連休になってしまった事がありました。
仕事がすんで夕飯まで寝てしまいましたわ。


新しいサイトのリンクもよくよく調べてみるとできる設定になっていましたので、まずそれをやって小豆島サーチエンジンにも登録をしました。検索サイトの登録も(あまり影響はないと思いますが)取り敢えずやるつもりです。
10月3日
取り敢えず移転が完了し、HPの体もなした。

「ん?なんの事って?」

頑張っていたんです。こないだから。内緒にしていたのはこのこと。

「トップページの下の方を見れば以前と違うのに気が付くと思うけれど、初めての人や滅多に来ない人には分からぬ話やね。」

「あっちこっち 夢 小豆島」というのでこれまでの「小豆島の風景」を別サイトに移しました。
やれやれ…
10月2日
この秋初めての素麺造りになる…はずでした。

30年この仕事をやってきて、未だ緊張して夜中に目が覚める…
1時半頃に一度目がさめ、3時過ぎに目が覚めた。
目覚ましは3時50分にセットしてあるというのに…

うどんを造るのにはあれこれ気を遣って心配しているようだが、朝少し寝過ごしたというのに…

やっぱり30年間毎日あれこれと考えて、また勉強もしてきたので思い入れがあるということなのかなあ。


起きると雨がざあざあ降っていて4時まで待っても止まない。これでは綺麗な素麺ができそうにないので休むことにしたというわけ。
それで、休みとなると1日全く空いたので、思い切って朝早くからパソコン立ち上げて懸案のことをやることにしました。
(受験生諸君、これくらいまじめに勉強すれば有名校への合格も間違いない…かもしれない。)
そういうわけで明日から  素麺  頑張ります。
10月1日
衣替えの日なんやけどまだまだ半袖で充分温かいというか暑い日がある。
最高気温が28度くらいなのでやっぱり「暑い」という方が正解。

ただし、今日は雨降りで最高気温も23度を下回って「涼しい」日でした。

秋といえば、唐突に「秋の七草」。
春の七草はかなり知られていると思うが秋の方はどうだろう。
そういう私もググッて全部分かった。
秋の七草 (あきのななくさ)(このサイトに写真も載っている)
詳しい花の説明があってさほどに興味がなくてもふ〜んと感心させられます。(ドモドモ…)

萩、女郎花、すすき、桔梗、葛、なでしこ、藤袴の七つです。(知ってるのは最初の3つでした。)

明日の天気は「曇り」。
仕事の用意はしたがどうしよう…
気温が高く、南よりの風であってさほどに風も吹かず、湿度が高ければ、綺麗な素麺ができない…
遅くに天気予報(テレビかネットで)を見て決断するしかない…
いいものでないとよう売らん。

ちょっと仕事以外で忙しなりそうな気配なのですができるだけ日記は書きます。(まだ内緒)