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職人の素麺記 05,4月5月

5月29日
やっとスーパーの解体が土曜日に終わったと思ったら今度は隣の家が月曜日から壊すそうです。
月曜日に壊して火曜日に片付けをするそうで、また2日休みになります。
いい加減にしてほしいと思うんです。
なぜなら隣のもう一つとなりも潰すそうなので(いつかは未定ですが近いうちに、)、仕事にならんやないか、誰がこの補てんをしてくれんねん。
もうそうでも言いたくなるほどですわ。
そうでなくとも梅雨が間近になって仕事(天気に左右されますんで…、)が急いているというのに…。

27日の日記に「悟りを得た訳やない。」と書いたのは、なんと大げさにと思われるでしょうが、実は昔見た映画のせりふの一部がふと思い浮かんだからである。
それは、
「even not yourself.」。
3流映画でしたが、なぜかそのシーンが強烈に残っているんです。
呪縛があるんやろうか?
かもしれん。

まあ休まなあかん時はしょうがない。何か他の仕事をしますわ。
5月27日
不思議な夢を見たのである。
どうもお参りに一人で行ったようである。
どこかは判らぬが船に乗ってのお参りのようである。乗船者は20名ほどのようである。
途中、船長(先達)の本職の仕事を誰かが始めたというので船長に「どうするの?」と聞くと。「もう止めるよ。」というのです。
じゃあこれからどうするんだろうって心配したけれど…。
どうも船から下りずにあちこち巡拝したようです。
たぶん元の港に帰ってきて、船から上がると僧侶(船長が僧侶の法衣を着ていた)の後を歩いている。
何かいろんなものをいっぱい広げていてどれでも持って行けるようです。
私の車に積んでいた素麺もなぜか知らぬ間に出されて持って行かれた。
私は前の僧侶が取った弘法大師の御札が目にとまり、周りの物はなにもなんなのかも判らず、その金色に光り輝くお札をいただいたのを覚えている。
ここまでが夢である。
起きてからよくよく考えてみると、船でお参りした後弘法大師のお札をいただいたのであるから、きっとお四国をお参りしたのに違いないと思われます。
さらに、船でお参りするのに反時計回り、すなわち逆打ちをしているのである。
つまり88番から逆に1番へと打っている。
弘法大師に合いたかったのか修行をしているはずの父に会いたかったのか…判らぬが、確かに逆回りをした。
何より夢をはっきりと覚えている。
悟りを得た訳ではない。
この夏仕事が暇になったらまた小豆島を回ろう。
今年は昨年のように写真を撮るのが目的ではなく、全部きちんと(?)お参りして回ろう。
いつか四国にもまた行きたいものだ。
秋には秩父に母を連れて行くつもりですが…。
5月25日
今日、本当は昨日で、昨日の内に書かねばならんのだがバレーのサイトを再登録している内に遅くなって書けなかったのである。
昨日、5月24日は奥さんの誕生日である。
実を申せばすっかり失念しておって(仕事に追われ忙しい毎日故に…)、仕事をしていて、「小引き」を引いて昼ご飯の時にかみさんが「お母さんがケーキ持ってきてくれた。」と申します。
このとき、父が死んで満中陰志のうどんを袋詰めするのを手伝いに(2月)来て以来久しぶりに手伝いに来てくれていたのである。
このときにすぐ気が付けば良かったのであるが、寝不足と過労(言い訳です)で頭が回らず(これはそうやね)、つい言ってしまったのである。
「なんで?」
「私の誕生日。」
「あっそうか。忘れとった。」
「そんなもんや。」
沈黙…。
”しもた、うまいこと口合わしとったら良かった。” ”うまいフォローが出てこんが…。”
そのまま晩まで仕事を済ませ、
「新しいとこの寿司屋でも食べに行くか。」
「別に行ってもエエけど…。」
「ほな行こうか。」(なんとか機嫌直りそうや…。)(なんで男がよいしょばあせなあかんのや!)
あのくるくる回るとこですわ。(小豆島で初の回転寿司屋です。)
行ったら確かに回っておりました。随分盛況で少し待って座りました。
子供でもすしは回ってくるものと(思うてない!)
(そうか…。)
そういう静かな戦いが(どんなやねん!)ありまして、確かに目の前にすしはくるくると回っておりまして、
店を出るときには私足下が少しふらふらして(飲んだんやないかいな)おりました。
(そうとも言う。)
すっかり機嫌も良くなり(腹ふくれると機嫌もようなる。)(元からふくれとるという声もある。)、買い物をして帰宅。
明日も朝4時起きで仕事やぞ。(その前にバレーのサイトなんとかせなあかんのやが…。)
というのが昨日の日記。

あ〜あ世のお父さん。あなたのためにかように気を遣ってもらっておりますか。
御同輩、苦労は絶えませんなあ。
明日は素麺の製造は休み。朝から素麺の結束をいたします。
5月23日
天気予報は朝から晴れであったが、結構曇っていた。風があって、肌に感じる湿度はかなりある。良い感じである。この程度の湿度で少し風があると、ゆっくりと素麺が乾燥して肌荒れも起こらず、白くツルッとして良い感じに仕上がるのである。
湿度50%程度らしい。(ラジオによると。)
家で仕事をしていると取り立てて言うようなことは起きない。
全く世間とは隔絶してしまっている。
とはいえ、最近宣伝をかねて道路に面したシャッターを開けている。通りかかった人が見ていくようにと思ったが、意外と人は見ていないようである。
「ああ、素麺か」とでも思わないようだ。
以前は珍しそうに見て中までずかずかと入ってきて、仕事の邪魔になってかなわんのでシャッターを開けることがなくなったのだが、時代が変わってしまったんだなあと思う。
それでもちょっとした仕掛けをしていて、注意をひくようにはしているが中まで入って素麺を見ていく人はいない。
最大の原因は車社会ということ。ちょっとしたことでも車を使い、決して歩こうとはしない。
「年々歳々花相似たり歳々年々人……。」
忘れた。どういう文章だったかもう全然忘れて思い出せない。
ボケだ。アルツハイマーだ。老化だ。(うあああ、単に馬鹿じゃねえの?)

ええと日記違いなんだけれど、昨日から「小豆郡バレーボールリーグ」のサイトが見られない。
どうも他の掲示板を使っていたせいで削除されたようである。
こうなれば別の所(IDを取り直して)に作らなくては。
しばし待たれよ。(今仕事が忙しいので1週間くらいかかるかも…。)
5月21日
昨日「消炎鎮痛貼り薬」(家内が医者からもらったもの)を3枚貼ってもらった。
午後になって少し楽になった(身体を動かしとると動ける。)(時々息がつまるような痛みがあるが、)ので”ツブシ”を漬けて仕事の用意をする。
製品の在庫が少ない上に注文が入ったのでゆっくり休んでいられないのである。できませんでは後々のことがあるので頑張らなくてはならんのです。忙しく仕事ができる私は幸せだと思います。
昨年秋無鉄砲に組合を退きましたが、その後父の病気の発見から入院、葬儀、その後の諸々があって、ばたばたしましたので、なにも準備出来ないまま春になって素麺を販売する季節がやって参りました。
そしてたくさんの人から支援をいただき、なんとか一歩を踏み出して行っています。
この支援を裏切らないようにしっかりしなくては申し訳ないと思うと同時に、これまで情熱を注いで素麺のことを勉強しそのすべてを提供してきたことを温かく見ていてくれた人もいたことを改めて実感している。
「善意を持って行えば善意を持って応えてくれる。」
感謝!父が見守っていてくれている。

バレーのサイトを別に一つのサイトとして移したので、結構このページの更新が進んでいる。
いい加減3月分くらいを別のページに移した方が良かろうと思うのだが、なぜか寝るのが日にちが変わっているような時間になるので手間がかかるようなこと(たいした手間ではなかろうもん。)はたいぎいのである。

中途半端なままでやっていると後からどかんと痛い目に遭う。
「判っちゃいるけど止められない♪」
5月18日
うううううううううううっ!
痛みに耐えながらこれを書いている。こんなにひどいのは初めてである。
身体が悲鳴を上げとんのやね。もうちょっとゆっくりしいやって。
今日は雨。隣のスーパーの取り壊しも本格的になってきたが埃はあまりなさそうである。
ご主人はじっと見守っている。
長年の思いというものがあるやろうね。
長く守ってきたものが目の前で瓦礫になっていく。それは耐えられぬ痛みではなかろうか。
まるで人生が終わってしまったような…。

手延べ素麺が手作業であることの意味」と題して書いてみました。
一度読んでみてください。
「小麦粉」についても書いてみたいのだが、製粉会社は極秘事項なので公開されておらず、内麦についての研究論文はあっても手延べ素麺の麺適正という点についての評価を出しているものは見かけない。
従って、自分の研究ができないことはしょうがないとしても、判断するべき資料というものが見出せないので困っている。こういうところで書くということは自分の研究したものを書くとしたものだが、それにしても参考にする資料というものがなければ、実際に素麺を作る小麦粉を選択することもできないのである。
今はこれまでの経験と勉強してきたことから「うどん適正の良い小麦粉」を主に、従来の手延べ用小麦粉をブレンドして(タンパク量は同程度)作っている。
実地あるのみというのはある意味怖いので(お分かりいただけると思うが…。)、どこかで参考になる論文がなかろうかと思っているのである。
今のところ「こんなもんかなあ。」とは全然思っていないのが自分でも救いであると思っている。
5月17日
日曜日(15日)の朝オデている(混練)と、背中が微妙に痛い。
背中の筋肉がきゅーと痛いのである。
これはこれまでにも何度も経験している痛みである。
やばい!
相当にやばい!
このまま行くと間違いなく肉離れになってしまう。
ゆっくり痛いところを柱で指圧してみるが効果なし。(柱で指圧?指でするから指圧ちゃうん?)
そういう疑問はおいといて、
晩になると振り向くこともできない状態で筋肉ぱんぱんの状態です。
ゆっくりと押してもらった後シップをしてもらいましたが、月曜日にはますますひどい状態になってしまいました。もちろん仕事は休みです。
というより元から休む予定だったのです。
なぜか?
水、木、金、と天気が悪かった(天気予報では)のでがんばらなあかんのんと違うん?と思うでしょ。
実は隣のスーパーが月曜日から取り壊しにかかるという連絡がありましたので、南風、或いは東風が吹くと、素麺に埃がかかってしまうと商品になりませんので休むことにしておったのです。
取り壊しに1週間かかるそうです。
まあちょうどよい休憩になりました。
とはいえなんもできません。
一番辛いのが「トイレの後のあれですわ。」、息が”うっ”と止まって痛みに耐えます。
そうするとじわっと動いて後始末ができます。
食事中の人、すぐ後の人ごーめんなさいよ。
5月15日
やあ、職人もたまには失敗する。
ちょっと水加減を間違えて柔らかくなりすぎた(といってもほんの少しのことなんだが…。)。
箸さばきは全然問題なかったのだが、後から上下から箸を入れるのに少し引っ付いていたので入れにくかったというだけのことなんです。
麺にとってはこの方がいいという研究発表もありますので(当時日清製粉中央研究所勤務の小川玄吾氏による)失敗とはいわないのですが、それでも少し仕事がやりにくかったということで…。
それよりも研究発表の概略を少し書きますと、手延べ素麺の加水は多い多いといっても50%程度であり、それほどでもないということです。パンの加水は70%にもなっていて、手延べ素麺におけるグルテンの”網目状構造”が無理のない状態で展開しているとは言い難いという主旨のことでした。よってできうる限り加水を多く行うことが肝要である旨の講演でした。

それにしてもだよ、この5月の時期にだよ、「目に青葉、山ホトトギス、初がつを」の時期にだよ、湿った南風が吹いて決して乾燥しているなんぞというのははばかられると思うこの頃なんですが、朝晩はよく冷えて「異常乾燥」状態はな〜ぜ〜。
今1時。頭がカクッとする。明日休みなので起きて更新しているが限界に来た。まだやらねばならんのだがもうこれで終わりにしよう。
5月12日
情けないことにまだ足が痛くてビッコをひいている。
痛みは少しひいたが、引っかかったようで大股では歩けない。少し歩くと何ともいえない状態になる。
「年です。」「諦めなさい。」「程々にしなさい。」口にするとこれでもかというほどに口撃されそうで黙っている。きっとこれを読んだ人も「ニヤッ」としているに違いない。
目に見えるようで憎たらしい。

今日は仕事は、天気予報が昨日の昼にはよかったので仕事の用意をしていたのだが、夜になって雨という予報に変わったので休みにしました。
結果は朝から雨が降ったり止んだりの寒い1日でした。
素麺の出荷の用意や詰め替えをして、夕方に四国新聞小豆島支局に行っておしゃべりしてきました。
情報を仕入れてこようかなと思っていたのですが、すっかり忘れて他ごとをべらべらと喋って帰ってきました。

昨日から「ご自由にお持ち帰りください」という紙を書いてぶら下げ、素麺を3束ビニール袋に入れてパンフレットと価格表を一つにしたものを置いているのですが、少しずつ持って帰ってくれているようです。
試食をして(ほんの少しですが、)気に入って買いに来てくれるとありがたいのですが、まあこれも宣伝の一つかと気を長くしてやっていこうと思います。
素麺を作って売っているぞ、名前を知っていただくのもこれから長いので良いかなと言うことです。
足の痛みがなくなったらまた営業(ちらし配り)に行こうと思ってはいますが…。
5月10日
「貝掘り」
午後5時57分。干潮。潮位19cm。
「貝掘り」です。
絶対に行ったと思うでしょ。
はい!(行けませんでした。)残念!(何タラ侍やないで!)
朝から大腿骨の付け根が痛くてビッコ牽いていました。(ひくってこんな字なんや。)
以前から右足の方が痛かったのだが、次第に悪くなっていっているようです。
こんなんで30分も歩けませんので諦めました。(素直な私。)
今年は惨敗のままに終わってしまうのか…。
今は骨周りの筋肉を解して筋を伸ばし、できるだけ負担のないように気を付けるだけです。
はい、言い訳終わり。

バレー関係のサイトのチェックをしていて(このサイトのバレー関係のファイルはすべて削除しましたので、)リンク切れなどを見つけたので修正をしていました。
まだあるかもしれませんが見つけ次第修正いたします。
空き容量ができましたのでまた新しいページを作っていきます。
5月9日
「4つのサイトを管理する。」
エエ、エエ、もうほんまにほったらかし状態になります。
「塩見製麺所」、これは仕事。「小豆郡バレーボールリーグ」、これは今まで塩見製麺所の中に置いていたサイトです。「小豆島手延べ素麺のお話。」これは小豆島の素麺の発展を願って。「小豆島Vリーグクラブ」、これはバレーボールクラブの紹介するサイト。
ああ、忙しかったとはいえこんなに空けてたんや。
なんやかんやとやることがあって、とりあえず片は付いたかなというところですが、まだきちんとは片付けていないというお笑いのようなことです。少しずつ遊び心を持って更新していこうかなと思っています。
バレーのサイトを独立させはしましたがまだ見落としがあるのではないかと思い、削除しておりませんのでファイルとしては存在しています。
こちらの方で更新することがあるので、今日明日にも整理しようと思っています。

素麺を作っていて感じるのですが、今年はこの時期としては乾燥しすぎてはいませんか?ということなんです。非常によく乾く(素麺が乾燥する)のですが、気を付けていないと急激な乾燥になったり、過乾燥になったりで、麺割れを起こすほどになってよくない訳です。
気を付けて”ハタ”を廻し、早めに納屋に入れて戻しながらゆっくりと乾燥させる訳です。
そうすると白くピンとして腰のある素麺に仕上がるのです。
毎日毎日が天気は違いますし、気温、湿度、風、それに合わせた水加減、塩加減がありますので、毎日毎日素麺は違う訳です。
これを聞くだけで「うひぇー」となるでしょうね。書いてる私が”字”だけを見ているとそうなんですが、実際には長年の勘で自然と対応ができます。
でもやっぱり先にも書いたように毎日素麺は違うものができます。同じようにやっているようでいて微妙に違うんでしょうね。
もう少し湿度があった方が、落ち着いてツルッとした素麺ができるんですが…。

まあ、なんですわ。気温が高くなって、湿度が上がればいやでも素麺がほしくなる。
気温が上がっても空気がさらっとしておれば、そんなに素麺はほしくならない。
ということで作るのには良いが食べるのは「空気がべたっとするほどに」なると素麺は美味しくいただけるんです。
4月29日
30.7度 = 今日の最高気温だそうです。この気温は7月だろう。
これで私はボイラーを焚いて乾燥室で素麺を乾燥させ、小割りしておったのですぞ。
こういう日はボイラーを焚くと40度近くになる。
仕事が済んでお茶をいくら飲んでも喉が渇く。たぶん一番汗を絞ったときに体重を量ったら68kgくらいのもんだろうな。今は夜の10時前だがこの間相当の量のお茶を飲んでいるので”ブンッ”という感じで70kgオーバーだろうな。
まあこういう気温だからだろうか、そうめんやうどんが少しずつ出だした。
本当に暑くなって売れてほしいよ。(本音です。)
売り込み(遅いかな)やショッピングモールに登録しようと思う。
新聞が取り上げてくれたので、これをうまく宣伝に利用する方法はないものか。
などと少し考えている。
待っていて売れるような時代ではないし…。
4月27日
今日は親戚で不幸がありまして「豊島」に行っておりました。
天気はいいわ、風も凪いで清々しい日和でした。
瀬戸内の海は少し霞がかかっておりましたがすばらしい。
この頃は本当にこんな時でないと来られませんが、豊島というところは良いところです。
何もないところが一番良いのです。
人は素朴で親切で私は大好きな島です。
写真を撮ってきましたのでそのうちに「小豆島の風景」の方に載せます。

さて、昨日の貝掘りなんですが、結論は先に延ばして…、
行く途中の海岸線がことごとく「土砂崩れ」が起こっているのです。
一瞬”なんだ?”と思いましたが、すぐに気が付きました。
昨年の台風の高潮で波にさらわれ、雨も強かったのか崖の上から大量の土砂が流れ出た後があるのです。その中に相当数の”墓石”が流れ落ちてきているのです。
そう、不法投棄です。台座や戒名の付いたものがある。
先祖の眠っているものを粗末にして…、と思いましたがひどいです。

そんなこんなで(どんなんやという突っ込みを自分で入れて…、)縄張り(?)の貝掘り場所に行くと、潮が引いていない!風の影響か、はたまた気圧の関係か潮が引かない。
それと流れ出た土砂で埋まったのか貝が全然おらん。干床の6時まで掘って2kgも掘れなかった。
ストレスが発散されたようでたまったような、満足感が味わえないもやもやが残った。
これは5月の10日頃にリベンジをしなくてはいけない!
強く心に刻みつけるのであった。
(注)5月はめちゃよう干くんや。
4月26日
使っていないファイル、出さなくてもいいファイルなど整理いたしまして、少し空き容量を確保いたしました。
といってもほんの少しです。
昨日更新ページをチェックして、修正点が見つかったので直しました。(°°;)\(--;)オイオイ
どこよりも安い価格です。
食べていただければその品質はお分かりいただけます。
近頃の手延べ風機械麺とは全然食味食感が違います。


「お試しセット」なども考えておりますので、近いうちに実現したいと思います。
よろしくお願いいたします。

今日は仕事を休んで”貝掘り”に行きます。
夕方の6時前が干潮(干床:18cm)なのでそれに併せていきます。o(^∇^)o ワクワク
成果はの・ち・ほ・ど。

明日に書きます。
4月21日
やっと更新しました。
価格も改定いたしました。
と同時に容量もいっぱいになったようで新しいページが作れません。
どこか削るか追加するしかないようです。
他のプロバイダーはどんどん増やしているので「tikitiki」も増やしてほしいものです。
4月16日
高松のうどん店で食べ放題390円(平日)などというニュースがありましたが、ただでさえ安いのにその上食べ放題などとは”放漫経営”に違いない。そんなんで従業員に給料出せるの?
そりゃあ、食べる私達にしてみれば安くて腹一杯になれるのは嬉しいですよ。うどん大好きなんですから。
こんなんやると大食い自慢が押しかけるんじゃないの?
こんなにしなくてもザル大(3玉)、天ぷら二つで500円程度で充分満足してますのに、それをよりによって食べ放題390円だなんて…、ほんとに食べてイイの?5玉は行きますで…、天ぷらも行きますで…、エエ、よろしいなあ。
ただ、ただです。これを危惧しています。
安くするために小麦粉の質落としておりませんでしょうな。
安かろうまずかろうでは「讃岐うどん」の名が泣きますで。
私、時々目にします。(いや食べに入って出くわすんですが、)色の黒いうどんが出てきます。小麦色やないんです。くすんだ黒いうどんが出てくるんです。2度と入りませんが…。

私も手延べうどん作っています。讃岐の手打ちではないけれども手延べのうどんを作っています。
手延べの良いところ悪いところを知っていますし、良いものを作りたい、食べていただきたいと思うので、これは本当に自己満足の世界なのかもしれませんが、N製粉の一番良い小麦粉だけを使ってうどんを作っています。作業性は本当に悪いのだけれども、口当たりは本当にうまい。
讃岐から来た人がいろいろに褒めてくれます。(タダで喰わしてるのやからそれくらいは言わな。)
(人にも勧めて宣伝もしといてんか。)
4月12日
天気予報がはずれて雨がじゃぶじゃぶ…。終日雨じゃないか。
うどんを作っているので、朝、昨日のうどんを乾燥して仕上げ、11時半頃から今日のうどんを伸ばした。
ボイラーを掛けて伸ばし、ハタ付けが済んで少しさらっとするまで掛けてからボイラーを止めた。
少し麺をさましながら、麺の内部からゆっくりと水分が表面に出てきてしっとりするように(約1時間)置いて、また30分ほどボイラーを掛け、少しずつ乾燥していく。
計3度この行程を繰り返して、麺線がくっつき合わない程度に乾燥したら「下管」を落として、上箸を入れて一晩そのままで置くのである。朝になって仕上げの乾燥をする訳です。
こうやってどの程度仕上げが綺麗になるのかは明日になってみないと判らない。経験と勘が頼りの世界ですね。
4月8日
今日は高松の病院に行く日。
体重は下がっておらんし此処10日ほどは結構肉食しているし、おやつも甘いもの、特に手作りのロールケーキなどいただいておりますので、絶対にコレステロールは高め維持していると思っている。
それも昼のおやつだけでなく夜にも出てくるのである。下がる訳がない。
そんでもって「食べ過ぎや。」「食べんようにして痩せなあかんのちがうん。」
そういって責めるのです。
食べさせとって何言うかです。
応急処置(そういうものがあるの?)として、昨晩はおかずが「こんにゃくの煮物」「野菜の煮物」「湯豆腐」。
健康的?
でも、晩に父のお参りに(毎晩行っている)母の家に行くと、ちゃんとコーヒーを用意しておやつを用意して待っているのである。そんでもって食べ過ぎやら痩せなあかんでと言われるのである。
私はおもちゃか。
今朝の食事は、
豆乳1杯半(約400cc)と食パン(バターを付けずに焼いただけのやつ)、コーヒー(砂糖少なめ)。
体重は現状維持なので医者に怒られるのを覚悟。
じゃ〜ん。
出張で留守。
セーフ。
コレステロールは230。
なあんと過去2番目の低い値。(応急処置が効いた?)
ホッとして帰還(凱旋帰宅。)
晩ご飯はたっぷりのサラダと豚肉の味噌炒め3切れ。野菜の煮物。……だったと思う。(記憶が遠い。)
晩はやっぱりお待ちかねのコーヒーとおやつ。
…………………ふーっ!
まあ、いっかあ。
4月3日
「今日やっと小豆島にもツバメがやってきた。」
今年初めてツバメが飛んでいるのを見ました。
ああ、やっと春が来たなあ、そう感じました。
土庄高校の庭の桜もちらほらと花を付けておりました。
もうは〜るですねえ♪〜

昨年の暮れに逝ってしまった父は、その2週間ほど前までは「桜が咲く頃までは大丈夫でしょう。」などと言われていたなあ、と思い出しました。
何がどうだったんだか…。
近代医療に疑問を持つこの頃ですが…。
まだあの病院に行くのもイヤな気持ちです。それは変わらない。

畑仕事をしていて(父がいたらしなかったが…)、ふと鳴く声がして仰ぎ見るとツバメが飛んでいた。
未だに居らんのが、姿を見せない、出てこないのが不思議な気持ちになる。
そう在りし日の姿を思い出しながら畑仕事をやっておりました。
何をやっていたかと言いますと、「客土」をするので、入れるところの土を退けていたのである。
やりなれん作業なので、後で節々が痛くなるのではなかろうかと心配もしています。

素麺を作って疲れたので休むと農作業が待っている。
これは大変なことですぞ…。