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04年9月10月素麺記

10月28日
先週両親を連れて「善光寺(長野県)」、「秩父(埼玉県)」に行っていました。
22日に7時50分発のフェリーで福田から飾磨に渡り、山陽道から名神、東名を走り、岡谷から長野に向かう高速(忘れた)に分岐する頃にはまだ明るかったのですが、自己渋滞で4kmをとろりんことろりんことしているうちに日が暮れ、やっとこさ長野で高速を降りたのが6時頃。
市内に入って渋滞に巻き込まれ、3差路の信号では30分以上も立ち往生して、わずか10数qしかない駅前のホテルにたどり着いたのが7時半頃であった。
この日は570kmあまりを走り、年老いて病弱な両親は相当に疲れたのではないかと気がかりでありました。
遅い夕食を取り風呂に入って直ぐに寝ました。
翌朝5時(23日)に起きて風呂に入り身体をしゃんとさせ、今日1日またしっかり運転をできるように頭もすっきりさせるようにしました。
今日は、朝一番に善光寺に参拝に行き、参拝の後「西国三十三観音」の軸の箱書きをしてもらい、待っていると、善光寺貫首が出てきて(多分二度目の、というのは行ったときに最初と思われるのが終わって歩いて行かれる後ろ姿を見かけていたので)、数珠の房で頭をなでてくださいました。
両親はこうしていただけるのを望んでおりました。以前に来たときにもやっていただけたので今回も是非と思っていたようなので、本当によかった。
「どうぞ安らかでありますように。」「少しでも長く生きられますように。」「元気にしてやってください」とお祈り致しました。
長野では「川中島」だとか歴史で見た名前が出てきたり、「八ヶ岳」が出てきたり、秩父に向かう道中では浅間山だとかかの有名な避暑地が出てきたりとテレビや本でしか見たことがない名前の標識があって、そっちに行ってみたい気になりましたが…。
参拝を終え、埼玉県の秩父(秩父三十四観音霊場)へと160数qを走りました。
まず最初に参拝したのが父が一番行きたがっていた「水潜寺」。
ここで以前に、西国、板東、秩父と百観音巡拝の最後にこの寺に来たときに父の父(私にとっては祖父ですが)に会い、お坊さんの姿をして手を合わせて見送りをしてくれたといっておりました。もちろん祖父はずっと昔になくなっています。
本当に懐かしく思いだしておりました。まるで父にすがりつくように…。

それから全部で五ヶ寺を参拝をして3時を過ぎたので、そろそろ泊まるホテルを確保しないといけないので、駅前に来てあたる。土曜日ということで(ネットでも取れなかった。)取れず、駅の中にある「旅館組合の案内」で聞いてみるが、キャンセル待ちの状態で無理でした。
神奈川にいる妹(約80キロ離れている。)に連絡して泊めてもらうことにする。
この時点で午後4時。
行程の半分は1時間で行けたのだが…、後はまたまた渋滞に巻き込まれ、道に迷いして(同じ国道16号線が2度二股に分かれたり、真っ直ぐに走っているのに別の国道OO線になったり、標識に従っていくと違う道を走っていたり《これは標識通りに50m走って左折しなくてはいけなかったが、そこの標識がないのである。》。)、で、着いたのが8時半。
この間家から何度か携帯に連絡しようとしたそうだがつながらず、また私もラジオをつけていなかったので何も知らずに走っておりました。
妹の家に着いてから「新潟地震」について知りました。朝は長野にいたので直ぐ近くでした。
家人は携帯はつながらず、随分心配していたようです。一日遅れて出発しておれば地震に出くわしてしまったところでしたが、うまい具合に遠ざかるように走っていたので何事もなく無事妹の家に着くことができました。
日曜日には、本当は秩父に引き返し参拝するつもりでしたが、連日の移動で疲れているので身体に触ってはいけないので妹のうちでいることにしました。一日ゆっくりとして、月曜日に東名をひた走り帰ってきました。
1時間半ごとに休憩を取りながら…。
残りは来年春にまた連れてきてやるからな…。
全行程1500km弱。

母は「薫の家は2度と来られんと思よった。車で連れて来てくれてよかった。」と帰りの道で申しておりました。
親孝行らしいことができました。
撮ってきた写真を見ながら…、「いつか逝くねんな…」
そう思うと涙があふれました。

昨日今日になって疲れが出てきたようです。
やっと小豆島の生活の身体になったようです。
最後に、長野、埼玉、神奈川のやさしく親切に道を教えていただいた皆様、本当にありがとうございました。
感謝致します。
振り返ればよくもまあ東西南北も分からないで知らない土地を走れたものだ。(Mapfanで調べた地図のみ)これからはちゃんとした地図を見て走ること。(カーナビは買えませんので。)
10月19日
「半生うどんの販売を始めました。」
よろしくお願い致します。

実はですね、玄関先に商品を少し置いてみようかなと考えています。
なぜか車で通っても歩いていても玄関をちらっと見て通るようなんです。
靴箱の上に花を生けたり何かものを置いたりしているのですが、玄関の角度の所為なのか必ず見るというのか目がいくそうです。
それならばということで置いてみようかなということです。
とりあえずはこれからの商品のうどんを置いてみます。
効果の程は「?」ですが…。
通りかかったら一度見てください。
ただし、一方向からしか見えませんのであしからず。
10月14日
まあ素麺屋さんは皆さん同じなんですが、朝が早く、夜になると目が持ちません。
私も8時過ぎにはうとうとしておりまして更新もままなりません。
今日は土庄の祭りなので仕事は休んでいますのでのんびりと書いています。

昨日は朝起きる(4時)とそうでもなかったのですが、日が明けてしばらくすると風が吹いてきましてですね、そうすると気温がグッと下がってしまい、素麺の「デ」(熟成することによって細長く、切れずに伸びます)が来ず、少しゆっくりと時間を待ちながらの仕事になりました。
北の乾燥した冷たい高気圧が張り出してきたと言うことで、夏から秋、冬に変わっているぞと感じさせてくれます。
こんな仕事をしていると季節のうつろいを感じることができます。
天候の良し悪しで収入も違って来るという厳しさもあるんですが…。
お天気さえよければまあ何とかなる。−ということですが、昨年みたいな冷夏だとお手上げと言うことでしょうか。
昔ながらの日本の梅雨と夏が素麺屋さんには必要です!

それと同業の方でいろいろと励ましや、助言や、情報など温かいお言葉を掛けていただき感謝致しております。この場ではありますが御礼申し述べますと共に今後ともよろしくお願い申し上げます。
10月8日
9個目の台風上陸か?とにぎやかに言っておりますが(異常だ、異常気象のためだと言っておりますが)、9月後半から秋雨前線でしょうか天気がぱっとしない。
晴れ間晴れ間に仕事をするんですが、天気が続かない。
今日、明日と雨です。
10日以降は天気が良さそうですが、祭りがあるので休みになります。
讃岐の方では今年は祭りを中止にしたり延期したりしているところもあるようです。

まあ、素麺作りは祭りが済んでから本格化しそうですが…。
10月5日
今年作っている素麺はもちっとして弾力性(コシ)があって本当にうまい!
作っている本人がいうのは当てにはならんでしょうが本当にうまい!
これを来年夏まで熟成(厄を経る)するともっとコシが出てうまくなる。
きっとこれまであまり食べたことのない食感だと思います。
自信を持っておすすめ致しますが、これに慢心することなくもっといいものを作れるように研究致します。

実は先日、某製粉会社に「これこれこういった成分の小麦粉はないのか」と問い合わせたところ、「あるにはあるがあまり製粉していない。」とのこと。つまり品質はよくてもあまり売れないので挽かないということのようです。
懲りずにあちこちあたってみようと思う。
短い人生です。
満足出来るものを作ってみたいじゃないですか。
そうでしょ!
私は個人で進む道を選びました。
「よかった」と言えるものを作りたい。
9月28日
随分空いたなあ。
今日初めて素麺を作った。
見事に”雨”!
いい素麺をと、朝4時から仕事をして「水よし!」「オデよし!」「硬さよし!」「熟成よし!」。
イタギも、自動巻も、掛け機もうまくいった!

外は雨!
伸ばすときには雨は上がって日も差したりして「安堵(ホッ!)」
ところがところが…!
4台目を出そうとしたら雨がまた降ってきた。
後は止まず…。「子連れ狼」(しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん…。)
晩の7時までかかりましたわ…。
ああしんど。

明日試食。
小麦粉はこだわってグレードの高いものを使っている。
これまでは指定されたものしか使えなかったが、これからは食味食感のよい素麺を作るためによりグレードの高い、高品質の小麦粉を使って「これまでにない手延べそうめん」を作ります。

実は…気持ちの高ぶりがあったのか昨夜は殆ど寝ていない。
9月20日
桶を洗っていたときに竹のささくれだったのが指につき立ったのです。
短くいうと「とげが刺さった。」のですが、太さ1mm、長さ約1cm、これが指先に刺さったものですから大変です。
先が出ていれば引き抜けたのですが、すっかり中に刺さって皮膚の上にでていない。
針で突き刺し、皮膚を破り、とげを少し起こし、とげ抜きで起こし、引き抜く。
晩になった今もズキズキとしている。

工場のかたずけ等の用意もかなりすんだので、今年からは「小麦粉」にこだわってじっくりと良いものを作っていこうと思っています。
差別化。
そう、私のような手作業で素麺を作っている製麺業者は今や殆どいないというほど少ない。
もちろんそれだけで充分に違いをアピール出来る。
その上に原料の「小麦粉」にこだわり、吟味してより食感のよい「小豆島手延べ素麺」を作ることが肝要かと思う。
特に独立した最初にきちっと自分のスタンスを持つことは、今後お客様と接するときに重要なファクターとなる。
「食べて美味しい素麺を作る」事が大事。
綺麗で美味しい素麺を作っていれば必ずお客はつく!
そう信じて頑張ります。
9月17日
16日にM氏に連絡をし、これからは独立してやっていくことにいたしました。
いろいろ友人の助言を得てやっていこうと思っています。
難しいこともあるようですが、結構楽しいものだよと励ましていただきました。
これからはまた違う立場で素麺を捉えていくことになります。
今後ともよろしくお願い致します。
9月15日
片付けをし、掃除をし、洗って乾し、ベルト交換などやって準備をしています。
今は先のことを考えています。
準備をしっかりやって、頑張ってやろうと。
じっくりと思い出して(何せ長いこと休んでましたんで…)いいものを作ろうと考えています。
ちゃんと準備ができるまでにもう数日かかるでしょう。
台風では幸運にもなんの被害も受けなかったので、機械の整備をするだけですみます。
よしっ!
9月11日
倉庫の修理をやっていました。
波板を買ってきて、腐った材木を切り取り、桟を打つ溝を切り出して、桟を打って波板を打ち付けます。
今日は天気がよかったので熱さにやられました。
結構な汗、ヤブ蚊の襲撃、晩には頭がボウとして後頭部が痛くなりました。
明日は母屋の波板の交換をやります。
ベニヤ板は弱いねえ。
風雨にさらされると直ぐにめくれてしまいます。
杉板を台風の時に打ち付けました。(これで当分持つやろう。)

大工さんやって機械屋さんやって、出来るだけ経費使わないでやりくりします。
あっちこっち片づけしないと仕事に取りかかれない。
少しずつ気持ちを変えていかねば。
9月10日
そろそろ機械の掃除とか錆落とし、工場の片付け等取りかかり始めなければならんと思っています。
組合に入っていない業者は「休みたいけど休めない」状態だそうです。つまり注文があって忙しいのだそうです。
お参りに行って、素麺研究会で一緒だった(私は退会した)人が通りかかると仕事をしており、お参りを済ませて立ち寄るとそう言うのである。
結構なことではないか。仕事をしたくてもできない私からすればうらやましいよと言うとあえて彼からは言葉は返ってこなかった。
研究会への復帰を進められた。会員が少なくなったとのこと。
今はどんなことをやっているんだろうか。
近年は麺の研究論文はとんと見かけないのだが。あっても「うどんの考察」といったところです。
一度試験場に行って話を聞き、図書室でどんな資料があるのか見てきます。
彼にも経営について話を聞きたいと思う。
9月4日
私が「小豆島八十八ヶ所巡拝」をしているというと驚くでしょうな。
何日で回ろうとかいつまでにとかではなく、空いたときに2.3時間とか半日とか気まぐれに写真を撮りながら回っています。
心穏やかになっていいですよ。
人の言うことが聞けない、何を言われても心に響かない人は是非ゆっくりとでいいですから、手を合わせて御真言を唱え、南無大師遍照金剛と唱えて回ってみてはどうですか。
きっといろんな事が見えてきますよ。

私も中頃には回って済ませます。
その後は仕事の準備もありますので忙しくなります。
機械が塩水に浸かってしまったという人もおられると聞きました。
我が身にそれが降りかかれば、借金をして機械を入れてようやっていけるだろうかと考えてしまいます。
かといって素麺を作らずに何ができるというものでもないし…。
ホン近くまで来はしましたが、幸い被害には遭わずにすみました。今の状況では私のような手作業で素麺を作っているようなうちでは災害に遭うと本当に成り立たないでしょう。
お気の毒です。お互い頑張りましょうね。