よりよき家庭療育をこころがけて
トモニ療育センター    所長 河島淳子
 自閉症児といわれる息子Tを出産し、きわめて困難な子育ての旅を開始して21年がすぎました。

 障害児を持つということは、母親である女性の行き方を全く変えてしまう程大変な出来事です。深い苦しみからやがて、私はそれまでの希望に満ちた人生の設計図をすっぱりと破り捨て、援助しなければ生きていけない息子を生かす努力の中で、私自身の生き方を見つけていこうと考えたのでした。「すでに障害を負って生まれてきたのであるなら、残っている健康な脳の機能をフルに生かして発育を助け、彼ができるだけ自由に楽しく生きていけるように、精一杯の子育てをしよう」と決心しました。

「誤った育て方で、彼を歪めてしまってはいけない。無知から、誤ったやり方で療育することは罪なことである。彼の人格に対して許されることではない。」そうした思いから、先ず自分で出来る限りの勉強をこつこつと続けることにしました。

 当時はまだ障害児関係の図書が少なく、何とか手に入れることが出来た本をむさぼるように読んだものです。そうして、私の書棚は、いつの間にか障害児関係の本で殆どが占められるようになりました。人間にとって重大な機能に障害を持つ自閉症児を育てていくことは、並大抵なことではありません。最近では療育に関して様々な情報があふれていますが、尊厳ある人間を育てるには、あまりに部分的であったり、また抽象的であったりして、すぐ子育てに役立つものばかりではありません。様々な情報の中から、私なりにじっくり考え、息子にふさわしいと思われるもの、納得のいくもの、必要なものを選択して、それらをミックスし、調和させ、家庭でとりくめる形に変えていかなければなりませんでした。母親の立場から振り返ってみますと、療育相談時の専門家のアドバイスは、短時間で部分的で、結局、もらった知恵や情報を自分の生活パターンに合うように消化吸収する作業を母親自らがしなければならなかったように思います。この作業にはかなりの専門性が要求されます。母親の誰にも出来るというものではありません。時には、好ましくない、むしろ害になる助言もあって、私自身かつて、いい加減なアドバイスしかできなかった小児科医だっただけに、複雑な哀しい気持ちになることもありました。

「何かしなければならないと思うのに、何をどうすべきかわからない」と、途方に暮れている若い母親達に出会いますと、かつての自分を思い出し、深い同情を覚えます。熱いものがこみあげてき、胸が痛みます。一年に数回の短時間の療育相談では、あまりにも不十分です。彼女たちのためのもっと一貫した専門的な学習の場が定期的に必要です。子育ての悩みは深刻ですし、何よりも理解ある話し相手を欲しています。彼女たちの多くは知識に飢えていますし、子どものためにはどんな努力をも惜しまないと考えている人も多かろうと思います。

 家庭は社会生活の基礎を学ぶ場で、一番重要な療育の場だと考えています。最近では親を共同治療者とする考え方が広がってきており嬉しいことですが、私は、親がすぐれた療育者にならなければ、子どものよりよい成長は望めないだろうと考えています。自閉症児は、育ちにくいだけでなく、非常に歪みやすく、ついた歪みを取り除くのに、親も子もまた大変な苦労をしなければならないからです。

 自閉症の息子を育ててきた年月は、長く孤独な歳月ではありましたが、私は決して不幸ではありませんでした。ただひたすら可能性を求めて困難に挑戦し、自閉症児に魅せられて子育てを楽しみ、私自身の人生を充実させることができたように思います。今彼は、洋裁の修行中ですが、人生に夢を持って楽しくやっています。「人間は一人では生きられず他者との関係の中で生きている。自分のことが出来ると共に、人のことも喜んでできる人間に、この人がいてくれて助かると思われる人間に、感謝できる人間に育てよう。仲間と一緒にいることを楽しめる子にしよう」と心掛けてきましたが、限界があるものの好ましく育ってくれ、ほっと嬉しく思っています。

人生において、私たちはあれこれと自分の意志で決定したものや、思い通りにいったことを最上のものだと思い喜びますが、通り過ぎて、幾年も生きて振り返ってみると、自分の思い通りの人生が必ずしも最上のものではなかったことに気がつくことが多いものです。私自身決して思い通りの人生を生きてきたわけではありません。自分では決してこんな人生コースを選ばなかったでしょう。ですけれど、今では、こんな濃厚な味わいある生き方が与えられたことに心から喜びを感じ感謝しております。

 自閉症児、そしてご家族の幸せを心から願ってやみません。 


1992年8月
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