岡 日彦さんより
2003.11.7日 23:46
三好文夫さんが一足先に現世を卒業されました。ご冥福をお祈りします。
皆さんこんにちは 今日の日経新聞に出ていました記事[阿修羅」です。健康な成人男子のプロポーション
でありながら無駄な筋肉をすべてそぎとって、悪神と戦えるすがたの阿修羅。艶を備えた美男子阿修羅。
:写真は「魅惑の仏像」毎日新聞社から
八部衆のひとつ阿修羅の像を森川さんが今作成中です。時期を得た作品と思います。
脱活乾湿技法と製作法が異なりますが、森川さん独自のすばらしい作品を期待しています。
美少年 阿修羅像 日本経済新聞H15年11月7日
「衰える夏
そして万象を散らす風
天はたったひとつ
地はたったひとつ
今こそ美しい男の子
この世に生まれるがよい」―――詩 多田智満子
その呼びかけに応えるように、少年阿修羅(あしゅら)は生まれ出た。数多い仏像の中で、この興福寺の阿修羅像は、日本人に最も愛されている像の一つではあるまいか。激烈な悲惨な闘争の場を修羅の巷(ちまた)と呼び、やむことのない恨み嫉み(そねみ)の感情を修羅の妄執と呼ぶ。修羅は阿修羅の略である。
インド神話、仏教神話においては、阿修羅は人に害をなす凶悪な魔神である。それなのに仏法守護の八部衆のひとつとして建立されたこの三面六臂(び)異形の阿修羅像のひそめた眉のなんと匂やかで初々しいことか。
日本古来の神道にあっては、神は童子を馮代(よりしろ)として顕現したまう。祭りに化粧した稚児(ちじ)が重要な役を担うのは、そのゆえである。
原始の宗教が大地の豊穣を願えば、必然的に性の香りを伴う。
興福寺の阿修羅が清冽でありながら艶の気配を秘めるのも、ゆえないことではない。
(734年脱活乾漆造り・彩色 高さ153.4センチ、興福寺蔵)
文:作家 皆川博子
この仏像は私が単身赴任で奈良市法連佐保町に住んでいた折、何度も何度も興福寺を訪れしみじみと眺めたお気に入りの仏像である。仏教をひろめるためには穏やかな優しさだけでなく、仏の世界を護り、悪者を力で抑えて仏教の信者にする事も必要だったのです。森川さんが今その仏像に挑戦しているところです。大いに期待し完成を見守っています。
2.3の写真は撮影のちょっとした光と角度やタイミングで大いに感じが違うさまです。


岡さん いろいろ情報有難う御座います。本当に勉強になります。そこで私の製作中の阿修羅を
発表させて、もらいます。
なんというういういしい、しかも切ない眼なざしだろう。合唱する指先に力を込め、正面を凝視する目
何お見つめようと われわれに示しているのだろう。
その最も美しき顔には、然し悩みと悲哀とを浮かべております。その一心な目ざしに自分を集中
させていると、自分のうちにおのずから 故しれぬ郷愁のようなものがうまれてくる。
作家 堀 辰雄 1943
うなじ清き少女ときたり仰ぐなり阿修羅の像の若きまなざし
歌人 岡野弘彦 1967
興福寺国宝館 八部衆立像の中の「阿修羅」像はあまりにも有名で、軽率に手がけるものでわ
ありません。大仏師といわれる人でさえ、簡単に彫る事はありません、出来栄えによっては命とりになるからです。幸い私は趣味の仏像彫刻 正面を見すえた目の奥に、秘めたる苦しさを彫る事、
が出きるか、挑戦しています。
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思いつめた少女のような顔!眉間にしわを寄せ下唇をかんだ顔!
合掌し、宙に浮き、天を支える細い腕!
一度見たら、決して忘れる事が出来ない、不思議な魅力を持ったお姿です。
「阿修羅」は戦いの神です。
人はいつも「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」の六道の世界をさまよい続けています。
この世の住人は生きている限り、
人と戦い、自分と戦い、心と戦い、修羅場の中を阿修羅の如く生きています。
「阿修羅」とは、まさに「人間」そのものの姿・・・・と、言えるのではないでしょうか。
よって御仏に救いを求める。 合掌
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