阿修羅その2 本来の阿修羅
京都.三十三間堂(妙法院) の阿修羅
京都・妙法院の阿修羅(鎌倉時代)
興福寺の阿修羅と対照的なものが妙法院の阿修羅です。本来悪霊鬼神であり、最も争いの好きだった暴れ者の阿修羅として本来は妙法院の阿修羅が相応しいと思われる。興福寺の阿修羅のようにあどけない童子のような、晴れ晴れと凛々しく、仏法を聞く釈迦の守護神となった姿となった阿修羅のよう美しく観えることを表現する事はその時、その作者の意図するものは?
<参考>
西金銅の建設、群像の造像に述べ5万5千人が動員され
光明皇后の生母の橘夫人三千代の死後の冥福のため建造
興福寺 阿修羅の建造(天平5年から6年にかけて)
・造仏所の長官は小野牛養(うしかい)
・仏像製作佛師は将軍万福
・仏像彩色のチーフ画師に秦の牛養(うしかい)
正倉院「造仏所作物所」に記載されている
なお最も古い阿修羅の像としては法隆寺の五重の塔の北面に安置されたものがある。

