阿修羅その2   本来の阿修羅

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本来の阿修羅

京都.三十三間堂(妙法院) の阿修羅 

本来阿修羅の姿はこうであったのでしょうか。  そのときの作者の意図は、
森川さんの意図は目にひめたる苦しさを表現する事ですか。頑張っていますね。
石床さんメールであんなこと言ってます。            岡 日彦
岡さん こんにちは    なかなか ご仏像に ご造詣が深いですね。
感心します。森川さん入れて これで 一杯やれますね。楽しみにしています。  石床 義則
岡さん 阿修羅その(2)早々HP載せました。ありがとう御座います。文ちやんの葬儀より、お地蔵さん、阿修羅と仏像、談議続いていますが、岡さん 石床さんもかなり詳しいですよ、私は以前から知っていましたが、森脇さんも学生時代から古美術研究会に所属し 現在も活躍中です。後藤の達ちやんのお経はプロ以上、三木良江さん山本幸ちやんは見習い中、来年9月のバリ島が終わると、小豆島88箇所、その後四国88箇所めぐりとつずきます。
この12月には 「文ちやんを 偲ぶ会」も予定しています。皆さんこの年になると仏事に関する、知識も必要になってきました、機会あるごとに身につけたいものです。皆さん如何なものでしょうか。        森川

京都・妙法院の阿修羅(鎌倉時代)

興福寺の阿修羅と対照的なものが妙法院の阿修羅です。本来悪霊鬼神であり、最も争いの好きだった暴れ者の阿修羅として本来は妙法院の阿修羅が相応しいと思われる。興福寺の阿修羅のようにあどけない童子のような、晴れ晴れと凛々しく、仏法を聞く釈迦の守護神となった姿となった阿修羅のよう美しく観えることを表現する事はその時、その作者の意図するものは?

<参考>

西金銅の建設、群像の造像に述べ5万5千人が動員され

光明皇后の生母の橘夫人三千代の死後の冥福のため建造

興福寺 阿修羅の建造(天平5年から6年にかけて)

・造仏所の長官は小野牛養(うしかい)

・仏像製作佛師は将軍万福

・仏像彩色のチーフ画師に秦の牛養(うしかい)

正倉院「造仏所作物所」に記載されている








なお最も古い阿修羅の像としては法隆寺の五重の塔の北面に安置されたものがある。

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