持ち主に不幸をもたらすアイテムは数あれど、これほど有名なアイテムもそう無いであろう。 所有者に不幸をもたらすダイアモンド、その名は
『ホープ・ダイア』。 宝石としても非常に貴重な四五・五カラットのブルーダイアである。 インドのゴルゴンダで発見された九世紀当時、この宝石は二七九カラットもあり、サラセン帝国の皇帝はこの宝石を我が帝国と等価と賞賛したと言われているほどだ。 その後、インド仏像にはめ込まれていたこの宝石を、フランスの探検家 タヴェルニエ が盗み出し、とてつもない金額で ルイ一四世に売ってしまった。 発見から約八世紀後の一六六八年の事である。 この宝石を六七カラットにカットして磨きをかけた結果、とても美しい青色の宝石へと変化した。 ルイ一四世は、この宝石をその美しい色にちなんで 『フランスの青』 と命名した。 この宝石の呪いの歴史はここから始まった。 宝石を盗み出した タヴェルニエ は、現在で数十億円という宝石の代金と貴族の称号を得たが、彼の息子が投機に失敗、一文無しになってしまった。 当の本人も、再び訪れたインドで野犬に襲われ、その命を落としたと言われている。 宝石の所有者、ルイ一四世はその後まもなく病死してしまうが、不幸はそれに止まる事はなかった。 王妃確定とされていた モンテスパン夫人がこの宝石を借りて ベルサイユ宮殿の舞踏会に出席した。 彼女はその席でこの宝石を身に着けると、突然苦しみだして倒れてしまった。 その後、彼女は幾つもの不幸に見舞われ、悲惨な最期を迎える事となる。 同じようにこの宝石を借りた フーケ大臣 も、即座に投獄されて死んでいる。 やがてこの宝石は ルイ一六世に譲られ、彼の手から マリー・アントワネット へと送られた。 一九七三年、彼らが迎える運命の事は今更説明するまでもないだろう。 革命の混乱によって行方が判らなくなっていたこの宝石は、一八〇〇年のアムステルダムで再び姿を表した。 宝石師 ファルス は、盗品である事を隠す為にこの宝石を四四カラットと二二カラットの二つに分割した。 後者の方は更に二分割されて売られたが、そちらには特に何も起こらなかった。 残った四四カラットの方であるが、彼の息子が盗み出してロンドンへと渡り、ボリューム という男に売ってしまった。 間もなく ボリューム は食事中に喉を詰まらせ窒息死し、その後宝石を手にした エリアソン も一八三〇年に落馬して死んでしまった。 ファルスの息子が謎の自殺をしたのもこの頃である。 その後、ロンドンの大富豪である銀行家の ヘンリー・トーマス・ホープ がこの宝石を手にした。 この宝石が 『ホープダイア』 と呼ばれるようになったのはここからである。 『ホープ・ダイア』 は、何故かホープ家の中でさえ次々と所有者を変えていき、所有者をめぐって家族間で訴訟が起こるほどになってしまう。 それどころか、半年後にはホープ家そのものが事実上の破産を迎えるまでになってしまった。 ホープ家は宝石を売る事にした。 だが、買い取ったフランス人 ジャック・コレ も数ヵ月後に自殺してしまった。 やがて、宝石はロシア皇子の イワン・カニトフスキー の手へと渡った。 彼は親しくしていた女優 ラドレに 数日間だけこの宝石を貸してしまう。 その宝石を胸に着けて舞台へ上がった彼女は元恋人の凶弾に倒れてしまい、当の皇子もまた革命家によって刺殺されてしまった。 宝石は、ギリシャの宝石商 シモン・モンタリデス の手へと渡った。 彼はトルコの裏社会の大物 サルタン・アブデュル・ハミッド へと売ってしまうが、その直後に不幸な事故によって命を失っている。 サルタン の方も宝石を手にしてから急激に没落していった。 一九一〇年、パリの カルティエ の手を得て、この宝石はアメリカの大富豪、エヴァリン・ウォルシュ・マックリーン夫人へと渡った。 ここでの出来事も非常に有名である。 まずは彼女の息子が幼くして事故死してしまう。 二五歳の娘が睡眠薬の飲みすぎで変死、夫であるワシントン・ポスト紙の社主までもがアルコール中毒が元で発狂死してしまった。 一九四七年に肺炎が元で死亡した マックリーン夫人はある遺言を残した。 それは、共同相続人である六人の孫の内、最年少者が二五歳になった時にこの宝石を譲るという内容であった。 この信託条件を不服に思った遺族達は、かつてのホープ家のように一族間で互いに争うようになる。 結局、膨らんだ借金の為に宝石は売られる事になったのだが、一九六〇年一二月、六人の孫の最年少者であり、祖母の名前を受け継ぐ エヴァリン・マックリーン がダラスの自宅で死亡しているのが発見された。 その日は彼女の二五歳の誕生日、本来ならばあの宝石を相続する日であった。 最後の所有者はニューヨークの宝石商 ウィンストン であった。 だが、彼の周りでも不幸が続発した為に、一九五八年にはその宝石を無料でワシントンの スミソニアン博物館に寄付してしまった。 数々の不幸を招いた 『ホープ・ダイア』 は今でもこの博物館の中で深い青色の光を放っている。 |