絞 首 刑


死刑囚の名は ジョン・リー。 当時一九歳だった彼は、雇い主であった エンマ・キ
ーズ を惨殺した罪を問われ、死刑を宣告された。 無罪を主張したのだが、状況
証拠があまりにもそろっていたので通らなかったのだ。
青白い顔こそしているが、不思議と落ち着いている彼を見ているのは死刑執行の
関係者と一〇人程度の新聞記者。 彼らが立会人である。
死刑執行人の名は ジェームズ・ベリー。 この道のプロである。 絞首台の装置
は 前日からチェックされており、万全を期しての死刑執行である。
一八八五年二月二三日、月曜の午前八時に ジェームズ は装置のレバーを引い
た。 死刑囚の乗ったはねぶたを支えるボルトが外れる音がした。
次の瞬間、死刑執行室には ジェームズの悲鳴が響き渡った。
ジョン・リー がはねぶたの上に、じっと立っていたのだ。
はねぶたを踏んで開けようとジェームズと二人の看守が踏んだのだが、何も起こ
らなかった。 執行は一時中止となり、ジェームズは装置を調べなおした。
装置には何ら欠陥もなく、砂袋を使用しての実験でも問題はなかった。
再び ジョン・リー が連れてこられた。 落ち着いている彼よりもまわりの者の方が
はるかに脅えている。 そして、死刑は執行された。
だが、はねぶたは開かなかった。

ジェームズ はこれまでに一三四人の絞首刑を行っている。 このような事は初め
ての事だった。
今度は二〇分かけて絞首台と装置を調べなおした。 徹底的にである。
死刑囚が三度、絞首台の上に連れてこられた。 ジェームズ は神に祈りながらレ
バーを引いた。 ボルトの外れる音がハッキリと聞こえた。 ジェームズ は悲鳴を
あげながらその場に崩れ落ちた。

ジョン・リー は三度、死を免れたのだ。


翌日の新聞には大々的に、ジョン・リー の絞首刑の様子が報じられた。 英国の
内務大臣は、ジョン・リー は既に死刑に処せられたも同然とし、彼を終身刑に減
刑した。 彼は本当に無実だったのでは。 そんな噂も囁かれだした。

終身刑に減刑された ジョン・リー は、二〇年後に恩赦で刑務所から出され、結婚
して米国に渡り、六七年の生涯を全うした。

なぜ問題のない絞首台のはねぶたが開かなかったのか厳重な調査が行われた
のだが、原因を究明する事はできなかった。
死刑執行人の ジェームズ・ベリー はこれをきっかけに死刑廃止論者になった。

英国はデヴンのババコムという町で実際に起こった事である。