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ミッドナイト イーグル
《公開》2007年11月23日 松竹
《監督》成島出
《原作》高嶋哲夫
《出演》大沢たかお 竹内結子 玉木宏 吉田栄作 藤竜也
《HP》
(以下、萌えポイントゼロ、ちょびっとネタバレレビュー、です。 『ミッド〜』が好きで好きでたまらない方には、以下のレビューは不愉快指数100ですので お読みにならない方がよろしいかと。)
このところ、玉ちゃんお薦めの(いや、薦めてはいない)クラーク監督の『KIDS』を観て、何となく救われない、どよ〜んとした気分になり、「ええい!毒を食らわば皿まで!(意味不明?)」と、どうせならもっとクライところに落ち込んでやろうと勢い勇んで観たJ・フォスター出演の『ブレイブ・ワン』で不思議にスカっとしてしまい、「こんな映画でスカっとする私って、人としてど〜よ」と悩み、気休めに観たお子様向けファンタジーのはずの『スターダスト』では、隠された大人向けの毒気に当たり、では邦画は・・・(長い一文だなあ)・・・
と、あれこれ観つつも・・・実は、観客を騙す「手品」に長けたハリウッド映画(アレね)や、TVドラマと何ら変わりない手法で作られた邦画(アレね)など、もう観たくないや、と思っていたところ。
で、本作『ミッドナイト・イーグル』はいかに。
曰く、「邦画至上最高のスケールで描く山岳アクション映画」とか、「自衛隊の協力を得て・・」とか、「日本滅亡の危機」とか・・・・・何かキナ臭いな〜、観に行く気しないな〜、藤さんも「今の平和な日本で・・」とか言ってたしぃ〜(そんなことあからさまに言ったら公開時に特定の層の人たちにネガ・キャン張られるよ・・・←で、張られた模様ですね)。
玉木 宏という俳優が出ていなければ絶対観なかったと思うよ、この映画。
しか〜し!
どうせプロパガンダ映画さ、というどこか冷めた気持を、色惚けならぬ玉惚けのご利益で封じ込み、いそいそと映画館に足を運ぶ我が身の、ああ何と言う可愛らしさよ!
(そこがオチかよ? ですか? 誰も言ってくれないから自分で言うのさ!)
前置きが長くなりましたが・・
で、観ました。
ん〜、何だろ、この感じ。 「アクション」映画?
背脂ギトギトのとんこつラーメンを食べさせられるつもりで「とんこつラーメン」と書いたのれんをくぐったはずなのに、店主が「こっちの方が得意なんで」と言いながら出してきたのは鯵?カツオ?だしの和風ラーメン。 口の中や舌は「今こそ背脂の味を受け容れん!」とスタンバってたのに、さ。 その恨みは深い(笑)
背脂の部分、つまり手に汗を握って観るつもりでスタンバってる雪上での銃撃シーンなんざのカメラワークの単調なことといったら! 雪上では難しいだろうが、こまめにアングルを変えるとか、マルチで撮るとか、工作員の側から照準器を通して(ありきたりだけど・汗)西崎たちを捉えるとか、あるでしょ、それなりの方法が。 無音でたんたんと撮ることで不気味さを狙ったかも知れないが、失敗だったようだ。 限られた人数による銃撃戦での緊迫感には、撮る側の動的な「アクション」の量も決定的に関係する。(しかし銃声は本当にリアルで怖かった〜!)
・・・と、いうように、日本の映画ファンは実は相当、“ハリウッド手法”に慣らされている。 息つくマもないスピードと大音響だ。 そんな常連客の機嫌を損ねるのは興行上、損だったろうとつくづく思わされる造りだ。 この良さが分からん客が悪い!とは言ってもしかたない以上。
アクション映画だからといって、かの国のテーマパーク風映画をお手本にする必要はないとは、確かに思う。 「○○分間隔で山場を作る」という計算されたシナリオ書法だけで、生身の人間の心を揺り動かすことは必ずしもできない。 もちろん、使った火薬の量や度肝を抜くようなリアルな迫力映像の展開回数が、そのまま感動に比例するわけでもない。 それは、ジェットコースターには緊迫感・スリルこそありはすれ、感動が無縁なのと同じだ。 背脂には日本人の求める旨みの成分はない。 (余談ながらこの映画で成島監督を見下したくなった方には、カツオだしたっぷりの映画『油断大敵』がお奨めです)
と気を取り直してみても。
W・アンダーソン氏による編集は、長野と東京の間、現在と過去の間を行ったり来たりしながらまさに「手際よく」つないでいく。 しかし、そのこなれた手際よさが余りにもシステマティックに乾いているせいか、気持が入り込むスキを与えない。 じっくりと情緒たっぷりに人物を撮り、どこまでも人間中心で日本的な成島監督の映画話法とは最低最悪の相性にあるようだ。
さらに救いようもなく(←褒めても貶してもいません)日本的だな、と感じたのは「ここは感動するところだよ〜」と懇切丁寧に教えてくれる(←貶してます)BGMだ。 慣れっこで不感症気味の観客にしてみれば、そうして見え見えな手法で嫌々ながらも気持が高ぶったところで、例の如く場面はぶった切られ、続く場面で「ここはどこ? この人はだれ?」と目を凝らし、耳を澄まし、頭を切り替える、といった甚だシンドい思いを何度もさせられることになる。
その恨みも深い(笑)。
おまけに設定上のつっこみどころは数限りない。なぜ素人の、それもあんなに目立つ服装の西崎たちが生き延びられるのに、あんなに簡単に自衛隊が殲滅させられるのか? 視界のきく雪原で声をひそめずに立ち話するなど、無防備極まりないときに限って奇襲を受けないのか? ・・・等々。
リアリティと娯楽性を両立させる難しさをやっつけてこそ、映画人ってもんだろう。
何より残念なのは(まだ言うよ)、原作では背景がかなり露骨に語られているそうだが、この映画では興行上のリスクや政治的な配慮からか、その核心部分から逃げている、そしてそんな限界を作ってしまった結果なのか、状況説明がとても訥々としている、という印象を拭えないことだ。 おまけに確か製作発表時の出演者コメントでは口々に「今の日本で」という言葉が何度も使われたのだが、そのときの厳しい面持ち・糾弾調な物言いが公開直前のイベントでは陰をひそめたように感じたのは思い過ごしか? よもや米国での公開に向けて去勢されたか? いや、某国への配慮?(って、自分が配慮している・・・)
ただ、そんな中でも、絶命しつつある工作員によくぞこれを言わせたという台詞がこれだ。 「祖国の上を、見えない爆撃機が飛んでいる」
不気味な工作員、のはずだった人物がようやく「人」に見える瞬間だ。
たとえ大した愛国心を持ち合わせていなくとも、挑発行為とも示威行為ともとれるような、大国によるそのような蹂躙に対する悔しさは、想像に難くない。
母国愛から来る悔しさをこの工作員に吐露させたことは瞠目すべきだろう。 かといって、テロは断じて許されるものではないのだが
こうして、映画の前半ではあまたの(おそらくは心臓バクバクを期待して訪れた)観客の恨みつらみを買いつつ、物語が進んでいく。
結果的に、最後まで恨みを引きずってしまった観客ならば、腹立ちまぎれに小姑のようなアラ探しに最後まで腐心してしまうという、人の悲しい性(さが)にはしる。
(にしてもあの二人、着替えて欲しかったよなぁ・・・・って、しつこい)
しかしなぜか中盤から次第に引き込まれるようになった。
脚本家が交替したのか、あるいはアンダーソン氏が改心(笑)したか。
いや、映画の技術的な巧拙を言うのはもうやめにしよう。
この映画には別の見るべきものがある。
和風だしのラーメンってのが、これまたおいしいんだよ!
技術的なものはともかく、今年公開された邦画の中で込められたメッセージが最も熱く、問題提起は深く、不器用ながらも誠実な作り手の「あれも言いたい、これも言いたい」という思いが詰まっている作品だと言えると思う。何より、観た後でこれ程までに何かを強く考えさせてくれるとは、正直期待していなかった。
まずはキャスティングの素晴らしさ。 爽快なくらいにハマっている。
男衆お三方の「素」を知れば知るほどその感が増す。
ほわぁ〜っと脱力(解脱・ゲダツ)仙人系の大沢演ずるカメラマン・西崎。
肉食系&パワーボール直球投げの玉木演ずるジャーナリスト・落合。
そのまま自衛官に転職しそうな折り目正しい感じの吉田演ずる自衛官・佐伯。
(イケメン揃えて集客狙ったか?と足元見てすいませんでした、小滝P。)
例えば試みに、この三者三様の在り方を平均的な各日本人層(←ポリティカルな意味ね)の象徴として深読みしてはどうだろう。不思議なくらいに符合する。そしてこそばゆくもある。
特に西崎を今の日本の対外的国是のメタファーとして捉えると、何ともやるせなく、歯がゆい思いに囚われるではないか。
具体的に挙げれば、戦場でのトラウマの累積から「危ないものにはもう近付かないことにしている」という西崎の言葉は、笑えちゃうぐらいに象徴的。 今の平均的日本人が「9条を守ろう」とか「非核三原則」というスローガンをうすぼんやりと唱えるとき、その根っこには実はその程度の決意しかないのではないか。 こっちから近付かなかったら「守れる」とばかりに。 また、西崎が自衛官・佐伯を見つめる視線には、当初、自衛隊への軽い侮蔑が含まれていることも見逃せない。
さらに西崎は言う。「この国には戦争も軍隊もあってはならない」
それに対し、佐伯は実直な顔で答える。「我々は軍隊ではない、自衛隊だ」
ここまで来ると、ある種の投げやりなブラック・ジョークにさえ思えてくる。
噛み合っていないかのようにも思えるこの不毛な問答は、この国で相も変わらず、そしてまさか永遠に繰り返されるんじゃないでしょうねぇ、という意味のパロディか。
一方、お子ちゃまな青さを持つ、玉木演ずる落合。 地の声よりもほんの少し高めの上ずった発声には、演ずる人間像を若いだけでなくともすれば浅薄にも見せてしまい、役柄の魅力を損ねる可能性、さらに芝居自体を安っぽく見せてしまいかねないという、役者としては手痛いリスクがあるのは周知の通り。 しかし、この落合の声に含まれた熱は、物語の進行と共にその青さを克服していく。 世代や境遇の似た観客にとっては自らの目線もその声の熱の熟成に見事に同期してしまうかも知れない。 そうして落合と共に事件に「突入」する。 いや、突入しざるを得なくなるかも知れない。
これはこれで大変怖いメタファーにも思える。 落合信一郎は、「有事」を目の前にしたときに特に望むことなくヒーローになっていく「巻き込まれ型ヒーロー」の典型だろう。 戦地で一番の犠牲者になるタイプだ。 「本物」の怖さを知らず、トラウマティックな思想的後退も任務もなく、西崎を巻き込んでひたすら自分のジャーナリストとしての誇りと復権をかけて、やみくもに雪山の中に入っていく。 時には作劇上のリリーフとして、この落合には何とも愛くるしい存在になる瞬間があるのだが、その愛くるしさと一体のヌル〜い緊迫感のなさは、「有事慣れ」していない日本人の姿にも感じられる。
(ここでついでながら脚本について。 この西崎と落合という民間人二人の過去や背景をもう少し描きこんでくれればこの二人にもっと感情移入できたはずなのに、残念。 特に落合については彼自身の言葉で軽く過去が説明されるだけとはいささか騙された気分。 そのせいか、落合の魅力をあまり感じられなかったじゃないか!
玉木ファンとしては彼の芝居をもっと見たかったぞ! (吠)
落合という男、彼の無念、をもっと知りたかったぞ! (吠)
スクリーンに映ったその男が俳優・玉木 宏に見えるのを振り払うためにも、ね。)
そして吉田演ずる佐伯。 真面目なんです。熱いんです。何より、自衛隊員なんです。・・・
っていうだけの人間像に終わらない魅力を、吉田の厚みのある芝居はこの人物に与えた。 素敵なおやじ、味のあるやつ、そう思わせた。 ともかくこの男が部下に対して人間味のある顔を見せる一瞬に、救われる思いがする。
(ああ、吉田さん、ごめんなさい! 「爽やか君」だけの俳優だと思ってました!
いや〜、まいった!! 土下座!)
藤演じる総理の魅力にもやられた。
総理としては有り得ない人物像の、その有り得なさがカナしいのだが。
後から後から状況不利の材料を突きつけられ、愕然とし、万策尽き、床にしょげ込み、うなだれる。 しかし、その彼が見せる男気が、何とも素晴らしい。
・・・というのが機軸となる男たちの姿。それぞれのステレオタイプだ。
平和を望む気持は同じ、そのアングルが違うだけの彼らだが、いったん「有事」が実際に目の前に立ちはだかれば、そのアングルの違いなどヒマつぶし程度の意味しかないことを、この映画を通じて改めて実感させられた。
で、赤コーナー、じゃなくて日本女性代表、竹内演じる有沢慶子。
原作とは異なり、西崎の妻の妹だそう。 遠まわしな設定だなというのが正直なところ。
この意志の強そうな女性・慶子は、あの青コーナー代表の解脱仙人を最後まで責めまくる。 トラウマでヘナヘナになり、現実からテイクオフ(=解脱)しちゃってるこの仙人に、容赦なく。 女は怖いねぇ。
竹内がこんなに凄みのある女を演じられるなんて知らなんだ〜。
と、絶妙なキャストを得て語られるこのストーリーの根幹にあるのは「家族愛」だと原作者は言い、「ラブストーリー」だとプロデューサーは言う。
なるほど、これまた巧妙なブンガク的レトリックだと思う。
このレトリックを決定的に成り立たせたのが、たとえ成り行き上であるにしろ一国のヒーローになりつつある人間・西崎が、
「この国がどうなろうと俺の知ったこっちゃない、ただ、父親として自分の息子の命ぐらい守らせてくれ」
と、「自分の家族」への思いを口にした瞬間だ。「国家」とは対極的にミニマムな単位を。
寅さんなら「それを言っちゃあ、おしまいよ」だね。でも本音だ。本当だろう。
「知ったこっちゃない」って響きが、めちゃかっこいいじゃないか。
おまけに、あの自ら絶命した工作員にも家族があり、その家族をやはり「守る」ために命を投げ出したという設定がこれまたニクイ。
女だって、自分が大切に思っている人だけには命懸けのヒーローになどなって欲しくない。だから、死に逝くという選択肢しか取れず、卑小でもいいから「生」を選択できなかった西崎個人を、慶子は「許せない」と言ったのだろう。
しかし、それにしても、それだけ、か?
自分にとって大切な人を守る。
では、どうやったら守れるのか、守っていることになるのか
そのことは、最後の最後に有事が目の前に現れる前に、常に考えていかなくてはならない。
「守る」手段に自己犠牲のカタチの選択肢しかなくなる前に。
自己犠牲を美学にする歴史は特攻隊でおしまいだったと思いたい。
私としては、慶子の「許せない」という言葉は、西崎たちの選択・決意を単純に美化しないための鉄槌だったと信じたい。
どうやって守るか、を考えることから逃げてきた男たち、
あるいは及び腰のままきた男たち、に対する鉄槌だ。
それはもちろん、西崎たち個人だけのことではない。
ツケを支払ったのは彼ら民間人だが。
ラスト、総理たちの目の前にステルス内の西崎たちを映し出すスクリーンが砂嵐になった瞬間、私は泣いた。
こんな悔しい状況が実際に起き得ること、そしてそれを回避する術を持たない今のこの国の外交の現実を思い、腹立たしさの余り、泣いた。
追記:
成島監督、(万が一、これがお目にとまるようなことがありましたら)
・・・上でさんざんイチャモン付けて、ごめんなさい。
締めにエラソ〜に褒めておきます。
最後の方のシーンで、夜明けが迫ったステルスに向かって
どこからわいた?っていいたくなるぐらいにうじゃうじゃと工作員が匍匐前進してくるのを、上方からモーターパラグライダーで空撮する場面、あそこがめちゃくちゃ怖かった。
昔、あるアメリカ人がアジア兵のことを
「木の根っこを食べるだけで一週間生き延びるゴキブリみたい」
と言ったのを思い出しました。
幸か不幸か、今の日本人はゴキブリのようには闘えませんね。