YMO(香川県を中心に活動しているEFBバンドのページです)

イエローマジックオーケストラ

 プロフェット5

中学時代ロックや歌謡曲は今の様にシンセサイザーや打ち込みの音楽は全くなかった頃、聞いた事もない音楽がラジカセから流れてきた。何だこの音楽はと思っていたら何日かして友人達と集まって遊んでいた時、一人がラジカセを持ってきて聞かせてくれた曲があのラジオの曲だった。これは誰と聞くと教えてくれた「イエローマジックオーケストラと言って楽器を使わず全部機械で音楽を演奏させているんだ!」凄いことが出来るだなと思い興味持った。そして、それまでオルガン党の僕もシンセサイザーも必要だと認識し始めた。しかし、今考えるとYMOは当時最先端のマイクロコンポーサーMC8と言う演奏を目的としたコンピューターを使用していた、これはシンセサイザーにつないだ時、8音ポリフォニックしか演奏させられなかった。だから機械的なフレーズだけを演奏させてほとんどが人の手で演奏されていた。また、使用していたシンセサイザーもアナログシンセサイザーが主で、現代の様にサンプリングした音を加工したシンセやデジタル(仮想)的なシンセではなく電圧で発信して音を出す、まさにそれ自体で音を出す、それからアナログシンセサイザーはチュニングや色々な箇所が安定してはいなかった。そのため、その揺れが味となる音でもあるのだが、その反面、極端に言うと今出ている同じ音が次には出ない楽器的要素があったと思う。ところが、現代のシンセはピアノやバイオリンなど本物の音とはかなり近い音が出るが、テープレコーダーと変わらない様な気がする。そして、アナログシンセはデジタルシンセとは違いパラメーターが全部つまみになってシンセサイザー上に出ているため、YMOの人たちはそのつまみをさわり音を変化させながら演奏していた。それ以上にYMOが素晴らしいと思ったのは音楽的センスだと感じた東洋の音楽とポップ、ロック、テクノ、また機械を使用し、世界に日本人ロッカーがアピールするにはベストだと思った。YMOは一流のミユージシャンが演奏(打ち込みではなく)し、レベルの高い音楽アレンジと新しい音楽を東洋を意識しながら作り出し、世界に飛び出したハイセンスなバンドだったと思う。

エピソード

1984年頃大学時代、確かYMOの解散ライブだったと思うが、ツアーでプロパガンダの福岡国際センターライブのスタッフのバイトをしたことがあった。ステージの機材を組み上げる時、ステージマネージャー?の人が言った「ドラムやていた方、高橋さんのセットお願いします。ベースやっている方、細野さんのセットお願いします。キーボードやってる方坂本さんのセットお願いします。」と言うぐあいで人の割り振りをされ、当然キーボード好きの私は、坂本さんのセットを組む事になった。そこでまずトレードマークの憧れのシンセ、プロフェット5を取り出そうした時言われた。「あ!それ違います。それは細野さんのです!」これには驚いた。じゃあー何を使うのだろう?と思い、当時発売されたばかりのDX7かなと思ったのだが、シーケンシャルのT8だった。この機材はその時始めて知った。それはプロフェット5をピアノタッチで木製88鍵盤にしてMIDを付けた豪華なアナログシンセだった。その頃、機械で音楽を作る最先端のテクノロジーを使ったバンドだったにもかかわらず、以外にもDX7やPPGの様なデジタルシンセは1台もなかった事を覚えている。そして、リハーサルが始まり、メンバーの人が来るのかなと思いきや、自分たちの分身のミュージシャンを作っている様で、その人たちが弾いて色々確認していた。本人達は始まる少し前にきて短いリハをしていた。その後、1年ぐらい経ってヤマハ福岡店に行った時、ものすごくきれいなプロフェット5がポーンと置いてあり店員さんに聞くと「これは中古で細野さんが使っていたものですが、良ければ80万円で売りますよ!」と教えてくれた。あのYMOライブのバイトでスッタフをして運ぼうとしたプロフェット5なのだろうか?

おすすめモノ

パブリックプレッシャーと言うライブアルバムがあるが、当時その時のライブビデオが発売されていた。それにはギターになんと渡辺香津美が参加して弾きまくっていた。ところが、レコードではレコード会社同士の話がつかなかったのかギターの音が入ってなく、ギターソロの箇所におそらく坂本さんのキーボードソロが入っていた。聞き比べるのも面白い!あと、タイトル「おみやげ」と言う写真集?が出ていたが今見るとまたその頃のYMOの様子がよく分かって面白いと思う。

 

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2001.06/16

08/19