JIMI HENDRIX (香川県を中心に活動しているEFBバンドのページです。)

 

ギターを燃やすジミーヘンドリックス

サン・コンサートリード610S

サン・コロシアムリード412S-2

マーシャルAMP

 

ジミヘン様は、僕にとって永遠の憧れのギターリストで、ある映像で曲の途中でブレイクしたかと思うと指を口に入れコン!と鳴らした。もう自分がハイになっているのをギターだけで表現するのではなく体で・・・手段を選ばない、正直カッコイイ!とギターリストをうらやましいと思った時があった。僕はジミヘンが今のロックギターリストのスタイルを作ったと言えると思う。しかし、もしジミヘンが生きていたならその後ファンクをやっていたような気がするのだが?ある雑誌でEL&Pのキース・エマーソンさんがインタビューで「亡くなる前ヘンドリックスはEL&Pに参加する予定になっていた。」と答えていたのを読んだこともある?とにかく70年代!ロックスター、サイケデリック、・・・・・ギターリスト今だに大好きだ!

ジミー・ヘンドリックスの音楽人生

60年代のヴィレヂ、カフェバーで演奏し、寄せ集めのバンドでジミー・ジェイムスと名のっている。その頃からクレージーぶりが噂で本当は右利きだが左手で弾いたり歯で弾いたりだが、彼の音楽は本物のブルースだった。J・ハモンドのバックアップもやっていて彼を見に人は集まった。アニマルズやストーンズも見に来て気に入られアニマルズのメンバーチェスが彼を英国へ送っりメンバーにノエルとミッチが参加してエクスペリエンスを結成した。ヒット曲ができる前から彼は有名になりクラプトンやフーのピート・タウゼントも関心を持ったれる。ジミーは驚異だった。C・ペリーに四敵した全く新しいR&Bの誕生!フィイルドバック奏法とクレージーなノイズ当時、始めて聞く音楽!みんなが注目したが・・・・弾き方は謎だった。あるライブ、演奏の順番の事でフーとヘンドリックスがもめたコインを投げP・タンゼントが勝ち出演順がフーの後になったジミーは大暴れすると宣言しそのとうり荒れ狂った。ギターを押し倒しトレモロアームをぺ○○にたとえジッポライターのアルコールをギターに射○しギターを燃やし燃え上がるよいんの感覚を味わいつまりギターとS○○を行った。あの伝説のモンタレーのあと3年後亡くなった。

ライブのMC

二度と出演する気はなかった、正義の味方アメリカは価値観が破壊される事を何よりも恐れ毒をまき散らす奴を排除するからだ、なら逆に挑発してやろうじゃないか、それで来た訳だ、アリガトウを連発していると客にこびているようで体中が怒りで震える舞台の習慣とは言えもうやめた、毒にあたって○○やつは○○、○○○○は退場させろ、人間を愛すればこその排除だ、感情だけで暴れ醜態をさらす事もあったが、まてよ、最後まで聞けみんなの心から国境を消すために、俺が考えついた事はただ一つ全員で英米連合国の国歌を歌おう、愛国心をもつなら地球に持て、地球の歌を歌おう魂を国歌に管理されてたまるか、さあ理想を現実に・・・・・・(そしてワイルドシンクの演奏が始まる)

レコーディングについて

ジミヘンはかなり今で言う自宅録音お宅だったらしく4トラックのオープンデッキに何回も重ねて自分でレコーディングした曲もあるらしく聴いた話だとメンバーとレコーディングしていて夜遅くに終わったらしいのですが、ジミヘン一人残り色々まだ作業しているとアイデアが浮かんでくるのか、ベース担当は女の所に行き休んでいると朝方ジミヘンが来てベースのこのフレーズだけ弾いてくれと来て録音したそうでそのくらい熱心だったそうです。

機材について

アンプ

サン・コンサートリード610S

サン・コロシアムリード412S-2

マーシャルAMP

ワウワウ

クライベービーではなくVOXのペダルだそうです。

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2001.08/03

08/19