お遍路さんからのメッセージ 

EFBisaの遍路旅のページです。/掲示板のお話しを残すページです。)

 

H・NAGAO 様

2004

またまた台風です。 

投稿者:NAGAO  投稿日: 8月 4日(水)21時50分36秒

4年ほど愛用してきたPCが先日の雷で ディスプレイ、モデム、プリンターとことごとく遣られてしまいました。 修理中ですがお盆すぎにならないと修理完了しないという事で、 修理に持って行ったその足で新しいPCを購入しました。 使い慣れたOS98年ヴァージョンは、仕事用に別の部屋で使うこととなりました。 遅ればせながらのXPですがまだなれない所為かどうもしっくりときません。 まあそのうち馴染むでしょう。  そうそう選挙終了後民主党の管前代表が霊山寺から最御崎寺まで遍路に出かけていましたね。 行く先々でマスコミ、寺関係者、商店街の人々、挙句はお遍路さんたちまで大変な騒ぎだったみたいです。 本来なら静かに見守るのが本当の接待なのでしょうが、 政治という駆け引きや感情など人間の煩悩?の一番とどろどろとした世界に身を置く人の宿命なのでしょう。 何かが掴めれば良いのですが・・・・。  またまた明日の早朝から台風です。 本当に今年は台風の当たり年と言おうかいやになりますね。 先週の台風でも焼山寺、鶴林寺、太瀧寺あたりは大変だったと思います。 くれぐれもこの時期のお遍路は注意が必要です。 無理はしないよう皆さん気をつけましょうね。

参議院選挙です。 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 7月11日(日)09時35分2秒

今日は参議院選挙投票日です。 年金、イラク派兵、北朝鮮拉致問題、 争点のどれも戦後日本史の中で大きなエポック的な出来事です。 私が学生時代ならば日本中がデモの嵐に揺れていたでしょう。 驚きは今の国民の冷静さ、いやこれらの事項に対する覚めきった眼です。 ここまで政治から自らのスタンスを置こうとする国民感情はどのようにして形作られたのでしょうか。  日本新党結成、解散から社会党、自由党、公明党と自民党との連立時代に到る与野党の離合集散劇。 どんな方法をとってでも政権の中央にいる事が全てだとでも言うが如く 全く節操もなければ政策展望もありませんでした。 それが政治、政党不信を招いた決定的な原因でしょうね。 

年金問題・・・。 政府が日本の将来に対し長期的なビジョンを示せなくて、 どうして若者が人生の長期的設計を立てることが出来るのでしょうか。 国民の人生設計すら提示できない国家は不幸です。 しらけきった世代が老人になる3〜40年後の時代を想像するだに恐ろしいです。 

北朝鮮拉致問題・・・。 「どうして税金をあの人達にだけ使うのか・・・。不公平で面白くない。」 こんな意見が巷でちらほら聞こえてきます。 考えて欲しいのは当人の所為でもない犯罪行為でその人の人生のほとんどを台無しにされたと言うことです。 自分が努力をしなかった結果そうなったと言うのとは全く事情が違います。 ましてその間その事実をつかみながら国家は何もしてこなかった。 当事者は全く立場がありません。 そのような人達に対し国家、国民が全力で援助するのは当然だと思います。 

イラク派兵問題・・・。  これはイラク派兵が良い悪いではなく方法論の問題です。 この出来事の決定が全く民主主義的な方法(多数決ではありません、念のため)をとってなされていないと言う事。 そのことのほうが問題でしょう。 国民に対する説明責任、議会に於ける論議、採決。 どれもなし崩しで行い、あたかも総理とアメリカ大統領の個人的な決め事であったように進んでしまいました。 日本国憲法を巻き込んだ国の指針を変更するような最重要な決定がまるで詐欺にあったようなドサクサで決まってしまっている。 このことが問題です。 もう一度言います。 民主主義とは多数決ではなく、いかに少数者を説得させるかと言う努力です。 多数決が良いと言うのなら太平洋戦争中の日本軍国主義も多数決民主主義でした。 多数決で戦争に行くことを選択し、政党選択の自由を制限し軍部に日本をゆだねたのですから。 

さて長くなりましたが今日は参議院選挙日です。 結局国民は選挙に行くしか政治に意見を反映させる事が出来ないのなら、皆選挙に行きましょう。国民の身の丈に会った国家しか作れない、とも言います。  このままの政治無関心の流れが続けば本当に日本は怖い方向に向かっていってしまいますよ。

色々メールをありがとう・・・。 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 6月14日(月)21時29分29秒

先日見ず知らずの東京の女の方から、このHPを見たとのメールがありました。 それも窪川にある岩本寺のHPからのリンクだという事が判って、 このHPを色々な所でお遍路サンが見ているのかと思うと楽しくなりました。 確か優子さんでしたね。 遍路の宿泊情報をお求めでしたが生憎、窪川のほうの情報が乏しくてすいませんでした。 また答えられる範囲で質問にはお答えしますので遠慮無くメールしてください。  メールといえば今TVで再放送している『風に抱かれて〜本谷美加子の四国巡礼』の 本谷美加子さんからもメールを頂きました。 まるで般若心経は音楽みたいだそうです。 四国を歩けたことが自分の音楽人生にとって随分と大きな影響を与えているとの事でした。 私目は今遍路は夏休み?です。 逆打ちが終わったので張り詰めていた気が緩んだのでしょうか・・・。 また秋口からの再会を期しましょう。 次の遍路が結願すればやっと赤札になります。 まだまだ錦の札には程遠いですね。

逆打ち結願報告まで

投稿者:Dr.NAGAO  投稿日: 4月18日(日)22時24分21秒

2月から始めた逆打ちも無事結願し、この16日〜17日で高野山にお礼参りも済ませてきました。 2年ぶりの高野山も季節柄、参拝者も多く活気がありました。 今回は高野山から橋本に降り、 奈良に向かい長谷寺、室生寺、法隆寺と名刹観光も兼ねて来ましたが 京都の寺とは違った趣があり、なかなか良かったですよ。 長谷寺の牡丹、長谷観音、また台風で壊れていた室生寺の五重の塔も見事に修復されており、 奈良時代初頭作の如意輪観音はことの他見事でした。 明日香村方面も足を伸ばす予定でしたが、時間が足りなくなり次回に楽しみを残しておきます。 帰りは高速で高松まで3時間あっという間です。 こんな時、高速道路はありがたいですよね。 でも都会の3車線高速道路には今でも緊張しています。 そうそう今度Isaさんも明日香村のお寺《岡本寺》でコンサートをされるとか。 今回は時間が折り合いませんでしたがガンバってください。 私も今回の大和路ツアーがきっかけで、 暫くは高野山の帰りは奈良に立ち寄ることが多くなりそうです。

続逆打ち編 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 3月 7日(日)08時38分57秒

先日書き込みしましたように 今、逆打ちの途中です。 昨日は七十九番(国分寺)から六十八番(神恵院)までの十三箇寺廻って来ました。 七十一番(弥谷寺)の登り口にある俳句茶屋さんで帰りに草もちを買ったおり、 お茶の接待を受けました。 そこで伺った話ですが、今年の閏年は申年に重なっており六十年に一度の事だそうです。 申年、閏年の逆打ちは普通の逆打ちの又数倍のご利益が在るという事です。 そういえば昨日だけで3組の逆打ち遍路の方とお会いしました。 そのうち一組は大型バスの逆打ちツアーでしたよ。 おばさん曰く「まあ歩き遍路さんの場合でしょうけどね。」・・・。 車の観光遍路の小生とすればご利益も無いと言う事ですか。 昨日は冬に舞い戻ったような寒い一日でした。 その上帰り頃になると猛吹雪で前が見えなくなるほどでした。 小生の遍路には本当によく雪に祟られますが、 又しても3月になってもこの流れが続いています。 きっと山沿いの札所を廻っていた遍路さんは大変だったろうと思います。 さてさてもう少しすれば桜の季節です。 これが又どのお寺も素晴らしく華やかになって見ちがえてきます。 楽しみですね。

閏年・・・逆打ちの年です。 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 2月11日(水)10時07分23秒

四国遍路では札所を1番から逆に回ることを逆打ちと言います。 数年前巡礼の途中で「閏年に逆打ちをすると良いですよ」と遍路さんから教わりました。 私、昨年末から6回目の巡礼に出ておりもう二十番ほど廻ったのですが、 ふとその事を思い出し急遽今月から逆打ちでやり直す事にしました。 逆打ちは伊予の国衛門三郎がお大師さんに会い、 かっての非礼の詫びを言いたい一心で札所を逆さに廻ったのが始まりと言われています。 巡打ち(普通に札番毎に廻ること)の3倍のご利益が在ると言う事で 今年は多くの遍路さんが逆打ちに挑戦している事でしょう。 そうそう『死国』という映画で夏川結衣が逆打ちをテーマにおどろおどろしいホラー映画に出ていましたね。 まああの話はあくまで作り話なのですが 札所が四国に結界を張り巡らしているという考え方は「そうかもしれない」などと考えてしまうことも在ります。 とても密教的ですよね。

八八箇所も世間の縮図 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 1月27日(火)00時00分52秒

先日ある新聞の社会欄に大きく取り上げられていたことを紹介します。 最近八拾八箇所で車上荒らし、金品にまつわる詐欺、等が増えていると言う事です。 寺としても対応策として犯人であろうと思われる疑わしき人の顔写真を納経所に貼り付けるなどをしているみたいで、 「それも何だかなー」などと書かれていました。 確かに巡礼している人達が皆信仰心で固まっていて悪い行いをする人は一人もいないなどと思うのは幻想でしょうね。 でもそれもまた何の不思議も無いことだろうと思います。 八八箇所も又社会の縮図です。 いろいろな思惑の人達がいておかしくありません。 でも外国にも「ああ無常」のジャンバルジャンの例もあります。 そこから又本当の信仰の芽が生まれてくるかもしれません。 おおらかな気持ちで遍路をしましょう。(被害にまだあっていないからこんな事が言えるのかも・・・) ただお寺とすればもっと気の利いた対応策があるような気もしますよね。 そもそもそんな人間たち衆生を救済しようというのが本来仏教の存在意義なのですからね。

明けましておめでとうございます。 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 1月 4日(日)20時37分43秒

明けましておめでとうございます。 さてさて今年もなんだか大変な年になりそうな気配です。 たいした日本国民の合意があるわけでもないのに 戦後初めて紛争で武器の使用をしなければならない可能性のあるイラクに自衛隊が派遣されます。国際政治のメカニズムから武力によらない紛争の解決は難しいのかもしれません。 それでも八拾八箇所巡礼をさせてもらっている立場として言わせてもらえれば、 理想的といわれようが甘いと言われようが 如何なる武力による解決手段を認めるわけにはいけません。 殺戮からは憎しみしか生まれません。 それらは歴史上の全ての紛争が証明しています。 憎しみの連鎖を断ち切るにはがまん強い話し合いによる解決を模索する他ありません。 古くシャカ族の国家は仏陀の教えを守り無抵抗で戦いを放棄しました。 インドのガンジーは無抵抗運動でインドの独立を勝ち取り、 アメリカの公民権運動の指導者キング牧師も非暴力で黒人の権利の実現に大きく貢献しました。 日本においても聖徳太子は一族への政敵の攻撃に対し無抵抗を遺言しました。 其々当事者は暗殺され、一族、国家は滅ぼされてきたかもしれませんが その後の評価は確固とした物が在ります。 今日紛争地域では本当に人の命と言うものが石ころのように軽く扱われています。 願わくば、これ以上中東に紛争が連鎖しない事を、 またその憎しみによるテロの拡大の無い事を・・・。 旧東側地域、バルカン半島、アフリカ地域の民族紛争が早く平和裏に終結する事を・・・・。 最後に日本が本当の意味で平和の為の国際貢献が出来る事を・・・。合掌

2003

琵琶とは驚きです。 

投稿者:H・NAGAO  投稿日:12月 7日(日)09時52分53秒

NOAさん。屋島寺ではいろいろとお話しさせていただき楽しかったです。 また酒でも飲んでロック・・・いや音楽全般の話などをしたいものです。 それはそうと琵琶ですか。 まあギターをやっておられると言う事で抵抗感は無かったと思いますが ちょっとしたカルチャーショックだったと思います。 三味線に較べ荒々しく又物悲しい音色は色々な表情を見せてくれますよね。 子供の頃わが家にもおじいちゃんの持っていた奴が確か在ったと思うのですが いつの間にか無くなってしまいました。 三味線でもそうなのですが ギターのピックと違いバチさばきが難しかったのではないのでしょうか。 音色の和音はギターに似ているかも・・・。 インドのシタールの響きにもちょっとつながるのではないのでしょうかねえ。 さて琵琶の紀元をつらつら考えるに琵琶を邦楽の楽器と決め付けるのも良くないのでしょうね。 はるか昔ペルシャ、インドからシルクロードを経て日本に流れて来たのだとか。 又ヨーロッパの方にはリュートの紀元にもなっていったと聞いています。 仏教もシルクロードを経て日本に大乗仏教としては行って来ました。 将に今回、寺の境内でやったコンサートにはそんな因縁もあったのでしょう。 これからも色々な事にチャレンジをして行って下さい。 音楽の垣根捕わりを捨てると色々な事が見えてきて、又可能性も開けて来ると思いますよ。

クリさん頑張って挑戦してみてください。 

投稿者:H・NAGAO  投稿日:11月13日(木)21時58分26秒

初めましてクリさん。 一人旅を始めますか。 小生は女房と二人旅の自動車遍路なもので参考になるかどうか判りませんけれど参考までに。 歩き遍路さんの場合まず野宿ですが寝袋は必修アイテムでしょうね。 テントが無ければバス停、お寺のお堂、Etc。 二十三番薬王寺、五十九番国分寺など、お寺の近くには善根宿と言って無料で歩き遍路さんを泊めてくれる場所も在ります。 お金にちょっとゆとりがあるのであれば宿坊、も良いですよ。 料金は(一泊二食)6000円ほどです。 朝のお勤めなど宿坊ならではの経験が出来ます。 公共の宿も最近リニューアルされている所も多く6000円ほどで結構リッチな気分になれますよ。 また小生は最近このパターンが多いのですが温泉つきのホテル、などの施設。 疲れた身体には極楽です。 でもこの際思い切って野宿を中心とした遍路を経験してみるのが宜しいのでは・・・。 小生一人で歩きをするのであれば是非とも挑戦してみたい遍路です。 必要最低限の荷物とお金を用意しての巡礼。 それが遍路の原点のような気もします。 最近気になっていることを一言。 寺の境内で托鉢をしながら歩き遍路を続けている人が増えています。 その人人の考え方なのでしょうがどうも小生は感心しません。 接待というのは強要するものではなく先方の善意に任せるものだと思います。 出家しているお坊さんならばいざ知らず遍路たる者せめて最低限の金銭的な余裕は持って遍路に挑みたいものです。 金銭的に底をついたら又出直せば良いのです。 お釈迦様も言っています。仏教の本分は中道です。 やりすぎは良くありません。思い込まないことです。 「TAKE IT EASY」です。 言葉を悪く言えばいい加減でも良いのでは・・・。 クリさん遍路宿、善根宿などはネットでも多分紹介されていると思います。 又気楽に当方にメールでも出してみてください。 知っている範囲でならお答えする事も出来ます。 それでは頑張って挑戦してみてください。

屋島山上コンサート見ましたよ・・・・・ 

投稿者:H・NAGAO  投稿日:10月26日(日)19時37分05秒

10月11日に六十八番(神惠院)〜八十番(国分寺)と廻って来ました。 確か去年からだったと思うのですが六十八番神惠院の本堂と大師堂が移転していて、 巡礼に来ていた遍路さんたちが皆迷ったりしていました。 そうでなくても六十八番、六十九番(観音寺)は同じ敷地内に二箇寺が同居している訳ですから やっぱりややこしいですよね。 小生も判っていたつもりでもやっぱり標識を見て確認したりしていました。 前の本堂は山の上まで石段を上がって行った先にある古い建物でしたが、 中々雰囲気のあるお堂でした。 新しいお堂は正反対にコンクリートでしつらえた近代的と言おうか・・・。 まあ個人の好みにもよるのでしょうけれどどちらかと言うと前のお堂の方が好きですねえ。 これも時代の流れでしょうか。 七十二番曼荼羅寺。 先年枯れてしまった大師御手植えの「不老の松」の幹から大師像を掘り込んだ仏像なども展示されていました。 今回の巡礼のコースは何せ地元の庭の内みたいなものですが、 何度廻っても新しい発見があるものです。 八拾八ヵ所も単に伝統をかたくなに守って行くと言う事でもなく、 意外と時代と共にフレキシブルに融通性を持って変化して行く物なのですね。 さて今日、(26日)は八十一番(白峯寺)〜八十八番(大窪寺)5回目の結願を果たしました。 めでたし、めでたし・・・。 今回の巡礼中、最高のイベントは八十四番屋島寺でのEFB-BANDisaさんの境内コンサートでしょう。 寺側との色々なトラブルもあり苦労しての演奏でしたが楽しかったです。 あの機材を屋島山上まで運んで設営するのでもさぞ苦労したろうと思います。 機会があればジャムセッションやりたいですね。 これからもめげないで頑張ってください。 それから女房共々コーヒーご馳走になりました。ありがとさん!

お四国参りとわが家の宗派の整合性は・・・ 

投稿者:H・NAGAO  投稿日:10月 4日(土)15時25分24秒

さてさて元々信心とは程遠い生活をしていた私ですが、  何年もお四国参りをしていると素朴な疑問にぶち当たります。 弘法大師に興味を持ち彼の歩いた足跡を辿る事により 何かが見つけられるのではないかとお寺巡りをして来ました。 そうこうしている内に多少宗教にも興味が生まれ「何か変だぞ?」 と心に引っかかりも生まれてきました。 それは日本における仏教の宗派の問題です。 そもそも生まれた時から世襲的に各々の家の宗派があり、 女ならば嫁いだ先の宗派に否応無く改宗させられます。 私自身も家の宗派は日蓮宗、 法事事は寺の指示道理に行っており、妻の里の法事では浄土真宗の作法に付き合います。 私はと言えば分家でもあり新仏も無く仏壇に位牌も在りません。 お四国参りをして来たこともあり88箇所の朱印を押して貰った掛け軸を床の間に飾り 大日如来、不動明王、弘法大師の肖像を仏壇に自分流に飾り 灯明、線香をあげ般若心経を朝晩唱えています。 そこで話は最初に戻るのですが、 私自身の家でこれから起こるであろう法事事は一体どのように対応すればよいのでしょうか・・・これは難問です。 慣例に従うなら親の家の宗派「法華宗」でしょうね。 でも今自分に一番影響を与えている宗派は真言宗でしょう。 これは家族も巻き込む大変な問題に発展しそうです。 にわか信者のこんな混乱を僧籍にある人はどのように対応されているのでしょう。 適切な意見があれば是非とも聞きたいものです。 ひょっとしてその業界(お寺)?ではアンタチャブルな話題なのでしょうか。 機会があればこの問題に深く関与している檀家制度についても考えてみたいと思います。

18 出会いがあるからやめられない・・・。 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 9月14日(日)16時59分03秒

遍路をしていると色々な人達と知り合います。 もう3年前になりますか、最御崎寺の宿坊で知り合ったおっちゃさんは徳島の人でした。 お風呂のお湯がぬるくって出るに出られない様子だったので、 多少、年少?の私目が服に着替えてもっと温度を昇るよう頼みに行ってあげました。 おじさんはその所為か風邪を引いたみたいで、宿で何度もくしゃみをしていましたっけ・・・。 次の日の早朝からの遍路は行く先々でおじさんと一緒になったのですが、 笑うと狸のような笑顔が忘れられません。 何せ当時遍路の道にも不慣れだったので、おじさんの車の後を一生懸命付いて行ったものです。  「元気のエーお経やなー」とか 「そろそろ遍路を引退するのでこれからはお宅たち若い人たちが引き継いでいかなくちゃー」 などと言っていました。 でも立派な赤い杖を手にまだまだエネルギッシュにお遍路を続けていることでしょう。  奈良の長谷寺の近所に住んでいる歩き遍路のおばちゃん。 金剛頂寺の宿坊で一緒になりました。 華奢な身体の何処にあんなパワーがあるのでしょう。 車遍路の私とすれば本当に信じられないぐらいの気力と体力です。 一人で何度も何度も遍路を続けているとの事。 食事の時、家庭のこと、遍路の事、色々話してくれました。 奈良に帰っても一ヶ月もしないうちに又四国の方に行きたくなって どうしようもなくなるそうです。 「歩いていると本当に充実した幸せを感じる」 また「こんなに楽しくおしゃべりが出来る事もお大師様のご利益です」 と楽しそうに言っていました。 又どこかで会いましょう。

長尾の遍路センターはいいですよ 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 8月18日(月)22時45分44秒

八十七番長尾寺から八十八番大窪寺に行く途中に前山ダムと言うダムがあります。 そこにある道の駅のまん前に「遍路センター」と言う資料館があります。 新聞や雑誌などで紹介された事もあり最近は大勢のお遍路さんも立ち寄っているみたいです。 最初に立ち寄ったのは2年前だったと思いますが、 わざわざ館長さんが声をかけて下さって、お茶までご馳走になりました。 以前お役人だったような事をその後、新聞で読んだ記憶が在りますが、 中々遍路の事に関しては博識で又温厚な方でした。 つい先日再び立ち寄ったのですが、展示されている資料も随分と増えており驚きました。 江戸時代の納め札や納経帳、古地図、写真等個人家、お寺からの貴重な寄贈品も多く、 遍路をしている人ならずとも興味を引かれる資料がたくさん在ります。 機会がありましたら是非立ち寄ってみてください。

手荷物一杯のおのぼりさん状態です 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 7月26日(土)16時28分33秒  

さてさて私めの遍路のいでたちを紹介しましょう。 頭には菅笠、(基本的にはお堂の中では取らなくても良いみたいです。但し靴を脱いで入室する時は傘を取りましょう。) 半そでの白衣。 本当なら長袖の白衣なのでしょうが冬でも下に厚地の服を着ることも出来て便利です。 白衣の上には輪袈裟。(トイレに入るときなどは必ず取り外す事。) 手には金剛杖。 杖はお大師さんの化身と考えられるほど大切なもの。 宿に入るときは杖を洗って床の間におきます。 巡礼中橋の上では杖をつかないというタブーがあるみたいです。 靴は履きなれたものを履きましょう。 肩には頭陀袋。この袋、まあポシェットみたいなものです。 この中に納経帳、お賽銭、ジッポーライター(雨風に強い)、線香、蝋燭、経本、納め札、数珠などを入れておきます。 また頭陀袋には涼しい音の鳴る鈴を付けています。 ここからは個人的な装いになってきます。 頭陀袋と反対の肩には納経軸、 その上デジカメを首からぶら下げており雨が降れば杖と反対の手に100円傘。 もう歩くハンガーラックです。 いつかこんな姿を経験した事があったなあ・・・。 そうそう30数年前大学に入学する為に田舎から上京した自分の姿を思い出しました。 手荷物を一杯下げてキョロキョロしていたおのぼりさんの自分がそこにいたのです。 多分傍から見れば随分変ないでたちなのでしょうね。

生涯遍路幸月さん 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 7月13日(日)05時58分17秒

皆さんTVのドキュメンタリー番組などで存知とは思いますが 生涯遍路「幸月」さんについてちょっとおしゃべりさせてください。 知らない人の為に簡単に紹介しておきましょう。 生涯遍路「幸月」さんとはこの6年間八十八ヶ所巡礼を逆打ちで荷車に生活用品一式を積み、 生涯行き倒れなるまで歩きつづける事を目的としたお遍路さんです。 生活費は全てお接待でまかなっているとの事。 家族とも生活を事にして兎に角巡礼三昧の生活でした。 行く先々の接待に対しては自分が作った短歌を手書きの本にして それをお礼代わりに渡しているそうです。  さて実は彼が11年前の殺人未遂事件の容疑者であり TV出演がきっかけで逮捕されたと言う次第です。  この事件についてはいろいろな見方があると思います。 「単なる時効までの逃避行であった」とか 「贖罪の為の遍路であった」とか「TVにでて有名人になりたかった」とか・・・。 ただ乞食同然の荷物を押しての歩き遍路を6年続けるという事は 多分想像を絶するものがあると思います。 行く先々で彼と接した人たち(納経所、接待宿ETC)もこの事件には戸惑っておられるのだろうと思います。 こんな時こそ全ての判断をお大師さんに委ねてみると言うのが良いような気がします。 幸月さんこと田中容疑者は想像するに 今現在心静かにうろたえる事も無く時の成り行きに身を任せているのではないのでしょうか。  人の心の中は中々推し量る事ができません。 ましてや生涯遍路を実践していた人の心はなおさらです。 石をもって投げつけるのもまた彼への正しい接し方かもしれませんが お大師さんに縁を結んだ人達はきっと仏と同じ慈悲の心根を持って見守っているのではないのでしょうか。 たとえ彼の行動が逃避行だったとしてもです。  三面記事的な見方だけはしたくないものです。

H・NAGAO様からのメール

和歌山から高野山に行く途中(24号線)岩出町と言う街があり そこに根来寺と言うお寺があります。 真言宗の中興の祖覚鑁上人の開かれた新義真言宗の総本山です。 簡単に言えば高野山、京都の東寺を古義真言宗と言い、平安末期廃れていた高野山を盛り返し あまりにも活躍が目ざましかったっため高野山から終われ根来寺に移ったと言う流れなのですが 88ヶ所を廻っていたらお寺の看板に豊山派、とか智山派とか書かれていたのが真義真言宗です。 そこのお寺もなかなかの物です。 大塔には秀吉に攻められた時の鉄砲の跡がいまだ持って残っていました。 広い敷地の中にある立派な伽藍は高野山とは又違った趣があります。 今度高野山にいかれるときは道の途中に在りますから是非とも立ち寄ってみてください。 一見の価値ありです。

写真/根来寺の大塔

(ここに秀吉軍の鉄砲の跡があります。)

ちょと、はめを外して観光遍路 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 6月23日(月)21時06分25秒

だいたいあまり信心深くない?お遍路なもので、 以前お話ししたように出発前にはアイスボックスにコーラー2〜3缶、 お茶のペットボトル大2本、(冬は魔法瓶に熱いお茶となっております) あげくの果てにビール4缶程詰め込み、 CDを20枚ほど選びましてまるで遠足気分です。 早朝車にエンジンをかけると同時に一発目にかけるCDで気分を盛り上げます。 大体アップテンポのロックが多いですね。 たまにお経のCDから始まるときも在りますけれど・・・。 遍路も2日目ともなりますとあまり頭が疲れない音楽を身体が求めているみたいで、 ジャズ、シャンソン、オールデイズ系統が多くなります。 気をつけなければならないのは向いているようで向いていないのがクラシックですね。 遍路のドライブでの一番の敵は睡魔! 本当にこれは辛いですよ。 そんな時にクラシックなどを聴いていたらまるで子守唄で追い討ちをかけているようなものです。 気をつけましょう。  宿はお寺、公共の宿、旅館、色々在りますが、この所温泉サウナ付きというのが多いですね。 遍路で贅沢な!などと言われそうですが 意外とこれが安い所でも捜せばあるもので本当に助かります。 400Km以上車を走らせた後などまるで天国みたいです。 疲れがすっ飛んで次の日には又ルンルンで出発できます。  今回は遍路そのものというよりも道中の雰囲気を紹介しました。

はじめまして。今後ともよろしく... 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 6月 6日(金)20時05分36秒

北白川右京さん・・・。本名でしょうか? 素晴らしく高貴?なニュアンスの名前ですね。 延光寺の近くにお住まいとの事、つい先日台風の中お邪魔した所です。 そうそう、その時の宿泊所は一本松温泉「あけぼの荘」でした。 温泉とサウナで長時間の巡礼の疲れもすっ飛びました。 右京さんのお家は私の在所(高松市)からは随分と遠い所ですね。 約400Kmほどの距離です。 ところで今度お宅が今度行かれる85番(八栗寺)〜88番(大窪寺)はわが家の庭の内みたいな物です。 八栗寺は是非ともケーブルではなく歩いてみてください。 ほんの20分ぐらいです。 適当な森林用も出来、ちょっとしたリフレッシュになります。 次の志度寺まではそんなに時間はかかりませんが、近くに私の勤めている会社が在ります。 また長尾寺から大窪寺の間に「遍路センター」と言う施設があります。 遍路に関する貴重な資料が沢山あり一見の価値ありです。 立ち寄ってみてください。 そこを過ぎるといよいよ結願大窪寺ですね。 山門の上り口にあるお店(野田屋)の打ち込みうどんは大変おいしいです。 是非ともご賞味を・・・。 私はこれからもエンドレスで巡礼を続けるつもりですが、 きっとどこかでお会いする時も在ると思います。 赤のシビックの変な夫婦ずれの遍路を見かけたら声をかけてみてください。 それでは。

台風真っ只中でした。 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 6月 1日(日)22時55分37秒

5月30日から今日(6月1日)まで高知〜愛媛(窪川〜足摺〜宇和島〜久万〜松山〜今治)と遍路に行ってきました。 なんと疲れはてて眠りこんでいた私目の宿屋の真上を 台風が早朝通過して行く、と言う何とも壮絶な遍路となりました。 私が巡礼を終えた後(窪川・中村・土佐清水・御荘町)は洪水の被害で大変でしたよ。  31日、久万の山の中(岩屋寺)では大雨で通行止めの地元放送があったり、 ガスで一寸の先も見えない中のドライブも経験しました。 まあこんな経験は望んでするものではないのでしょうが、 お大師さんのご加護があったのでしょう。 何の事故もなく何とか三十七番岩本寺から五十九番国分寺まで廻り終えられました。  嵐の中で感じた事をひとつ。 大きな自然の力の中では全く自分の存在と言うものは取るに足らないほど小さなものだと言う事です。 またその取るに足らない自分が嵐の中で必死でハンドルを握っている事もまた愛しくもあります。多分これからの巡礼の数多い記憶の中でも忘れられないものになるのでしょうね。 取り急ぎご報告まで

お接待での出来事(200円なり) 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 5月18日(日)20時55分58秒

遍路をしていると思いもかけないお接待を受ける事が在ります。 一番多いのが食べ物。ミカン、お茶、お菓子、お餅、等・・・。 そうそう、ついこの前の巡礼で結構リッチな接待がありました。 恩山寺の巡礼を終え、寺を降りたすぐの所で急に車を止められました。 何事かと思いきや、お茶のペットボトルとおにぎりの入っているお弁当を夫婦二人分も渡されたのです。 「気をつけて・・・」の言葉を背になんともありがたい気持ちになりました。 歩きでもない車の遍路にわざわざ配ってもらえるとは思いませんでしたからね。 そのお弁当は日和佐から最御崎寺の途中の海の見える所に車を止めて本当に美味しく食べさせてもらいました。  それからもうひとつ恐縮してしまった接待をひとつ。 讃岐の観音寺での事。 納経を済ませて寺の境内を歩いていると近所のおばあさんと思われる人に呼び止められました。 「まあ暑いのにご苦労さんです。これでお茶でも買って下さい」と200円を渡されました。 そもそも接待とは巡礼者に心づけをすると言う目的だけではなく、 自分も巡礼者にあやかって功徳を受けられると言う目的もあるそうです。 だから接待を断ると言うのは非礼に当たると考えられています。 そこでありがたく200円を貰い丁度山門を出る所で托鉢をしていた歩きの遍路さんに今度はこちらが200円を接待しました。 一種の互助システムみたいですね。 でもそんな経験は日常生活に戻るところっと忘れてしまい自分中心のわがままな生活をしている自分にも情けなくもなります。 今月も29日から2泊3日で三十七番岩本寺から五十九番国分寺まで廻ってくる予定ですが、 果たしてどんな出会いがあることやら・・・期待に胸わくわくです。

14 宿坊体験(最御崎寺、金剛頂寺、金剛福寺、香園寺、高野山) 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 5月 3日(土)15時32分58秒

二十九〜三十六番窓無事終了しました。 例の「黒潮ホテル」ですが良かったですよ。 通常800円の温泉入浴券と夕食朝食付きで7500円也です。これは安い! 是非利用してみてください。 さて遍路に出発した時徳島、愛媛の近場の時には日帰りでも巡礼が可能なのですが、 室戸〜高知市内・足摺〜松山となると如何しても泊まりという事になります。 普通遍路宿とか、公共の宿などを利用する事が多いのですが、 たまに札所のお寺(宿坊)に泊まります。如何してたまにかと言うと、 宿坊は大体団体さん優先という傾向があり、 その中に上手くかみこめば泊めて貰える事が出来るみたいです。(最御崎寺・金剛頂寺などは団体さん無しでもOKでしたよ。) やっぱり個人の遍路さんは人手のことも在り手間がかかりすぎるのでしょうね。 宿坊のメリットといえばまず料金が安い、(二食付き6000円前後)という事です。 最御崎寺などはまるでホテルみたいに綺麗ですよ。 金剛頂寺も高野山の宿坊を思わせる雰囲気のあるお宿です。 さて早起きの苦手な人はちょっときついかもしれませんね。(朝6・00からの勤行) 遍路で利用する人にとって、朝の勤行はさほど苦にならないと思いますけれどね。(滅多に経験できない荘厳な雰囲気ですよ。) 何せ遍路さんは朝の出発も早いので普通の宿より食事時間も早いです。(6・00頃) 夕食時はアルコール(酒、ビール)OKです。 お風呂も結構立派なお風呂が用意されており何の心配も在りません。 その他に利用させて頂いた宿坊といえば、足摺岬にある金剛福寺、 ここは宿の部屋から足摺の海が見える見晴らしの良い所です。 小松町の香園寺、ここの大聖堂での夜の護摩焚きは中々経験できるものでは在りません。 ぜひ泊まってみてください。 番外編としまして、高野山。高野山は全ての宿泊所がお寺、すなわち宿坊です。 料金は四国の宿坊より若干割高ですけれど何せ寺の造作(これは国宝級です)、客室(まるで時代劇の主人公になったようです。) 備品(掛け軸・陶器類など)、庭(見事に手入れされていて夜にはライトアップなどしてあります。)が素晴らしい所が多いです。 宿に着くなり小僧さんが二人ほど専従で付き至れり尽せりのサービスです。 食事も部屋食の精進料理になります。ただし冬の高野山は想像を絶する寒さですからご注意を。 私目は1回目の時2月に立ち寄ったのですが、 雪で凍りついた靴が玄関で朝まで溶けずそのままの状態だった程です。 さてさて京都のお寺の宿坊は・・・。これはまた何時か日を改めましょう。

まるでスタンプラリーですね 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 4月16日(水)22時05分08秒  

最初の巡礼の時、八拾八箇所一回りを終えるまでの期間は約二ヶ月弱でした。 ひと月四週在るとすると八週分、 という事は単純計算で毎週十箇寺ずつを回っていたという事になります。 今考えると、まるで(寺〜本堂〜大師堂〜納経所)スタンプラリーのような気がしますが、 勢い込むというのは恐ろしいエネルギーを生むものです。 遍路から帰る度に、早や次の巡礼へと身体がうずうずして来るんですよね。 又、これは今でも同じ感覚なのですが、時間の流れ方が全く日常とは変わってきます。 遍路をしていると気持ちもゆったりとして時間もゆっくり流れるだろうとよく言われます。 ところがどっこい不思議な事にまだまだ修行が足りない所為なのか、 一日があっという間に過ぎ去ってしまうのです。 朝はいつも6時頃には出発するのですが、ふと気が付けばもう昼時間で、慌てて食事をし、又ふと気がつけばあたりが薄暗くなっており一日が終わってしまうのです。 多分巡礼している事にまだまだ精神的な余裕が無く熱中している所為だろうと思いますが、本当に不思議です。  そこでふと考えるのですが、 巡礼バスなどで遍路をされている方達は一体どんな風に時間が流れているのだろうかと。 寺から寺までの道に迷う事も無く連れていって貰え、 納経所で順番待ちをする事も無く朱印を貰い又次の寺へ移動する。 作業とすれば単純な事の繰り返しで時間の経つのも長いのではないのかしらと考えてしまいます。どれが良い悪いという事ではなく、どちらにせよ自分自身の心の持ち方をしっかりと決めていなければ時間の流れに振り回されてしまいますよ。 さて、今週末18日(金曜日)から十八番(恩山寺)〜二十八番(大日寺)19日(土)二十九番(善楽寺)〜三十六番(青龍寺)と廻ってくる予定です。 今回は伊野町に出来た黒潮ホテル(温泉サウナ露天風呂付き)で宿泊予定です。 丁度いい位置に出来たホテルなのでどんなホテルなのか楽しみです。 又皆さんに報告しますね。乞う期待!

「自然の旅人」聴きました。 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 3月31日(月)18時50分55秒

isaさん、聞かせてもらいましたよ。 今回は遍路のH・NAGAO、ではなく久しぶりにロック講座のDr・NAGAOに戻りましょうか・・・。  私が音楽をやっていた頃、30年以上前勿論シンセサイザーもあり、いわゆるプログレッシブロックと呼ばれているグループなどはそのはしりとして活躍していました。(ロック講座参照) でもそのサウンドのアレンジに於ける楽器の構成などはどちらかと言うとアナログ的テイストが色濃くこの年になると最近のデジタル色の強い雰囲気はあまり好きにはなれませんでした。 そんな私目の感想として言わせて頂きます。 isaさんの遍路に対する情念と言うものが非常によく出ているのではないのでしょうか。 デジタル的な手法でのこの仕上がりは拍手です。 イントロからの導入部、錆びに入ってもなお押さえの聴いているアレンジ、 全体像を壊さない上手なエピローグ。 どちらかと言えば私より情緒的な日本を感じさせます。 多分私ならば、ピンクフロイドを強く意識した・・・そう映画「砂丘」とかアルバム「原子心母」のような盛り上がりにしてしまうでしょうね。 何せ気性が派手なもんで・・・。 そうなると全く無国籍サウンドになってしまいそうですね。 ただ如何しても加えて欲しいなあと思うアレンジをひとつ。 途中の錆びに向かう所あたりから「原子心母」のパクリと言われても良いからコーラス(混声合唱)をいれて欲しい! 前衛ギリシャ悲劇ででも使いそうなアカペラだけの奴ですね。 そうなるとまとめが難しくなりそうですが、聴いている方とすれば涙物のドラマティックな盛り上がりになると思います。 などと人の曲で結構好きな事を言わせて貰いました。今後の楽曲に期待しています。

とうとう戦争になりました。 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 3月21日(金)20時08分33秒

いとも簡単に中東で戦争が始まりました。 熱心な宗教人でもない私ですが、果たしてキリスト教、仏教、イスラム教に関わらず、 各各の宗教にとって戦争と言う行為はどう捉えているのでしょう。 歴史的にはキリスト教徒イスラム教、一向宗と武士集団との戦国時代に於ける争い、 太平洋戦争における仏教会の愛国的な態度、如何なる時代に於いても戦争行為は行われています。 しかしながら聖書の中にも争いごとの否定、 仏教に於ける十善戒の中の殺傷の否定。 本音はともあれ建前的には戦争を肯定しているとはとても思えません。 石手寺のホームページに於いてもはっきりと如何なる戦争に対しても 反対の意思表示をしています。 奇麗事だといわれてもやはり武力による解決と言うのは 憎しみの連鎖を生むだけで認めるべきではないのでしょう。 多分これからも戦争の憎しみの増幅による国際テロが頻発するでしょう。 日本政府もアメリカに対してすこぶる理解のある寛容な賛成の意思を示しています。 日本の教育者、親達は自分達の生徒、子供に対してどのように説明をするのでしょうか。 日本国憲法の解釈の歪曲ももう限界に来ています。 「世の中は建前と本音とで上手に渡り歩かなければ生きてはいけませんよ。 学校と社会とは違うのだから・・・。」とでも言うしかないのでしょうか。 せめてお四国参りの巡礼者としては戦争反対の意思表示を声を大にして訴えたいと思います。

何とも情けない忘れ物(弥谷寺での掛け軸騒動) 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 3月 8日(土)09時18分06秒

今回の話は第七十一番弥谷寺(三野町)に行った時の事です。 弥谷寺は穏やかな香川県に似つかわしくない?非常に霊山という雰囲気が濃い、 徒歩で30分ほどの急な山道を登るお寺です。 道の周辺は昼間でもうっそうとした木々に日陰が遮られ、 岩肌に彫られた仏像や、地蔵様などが数多く点在し、 気持ちも凛とさせられる所です。 確か八月のお盆時期だったと思います。 その時の巡礼では、納経時に掛け軸用の朱印を其々のお寺で貰い受けていました。 この掛け軸というのが厄介で(ばちが当たりますね) そのお寺の押印すべき朱印位置に掛け軸の箇所を広げて差し出さなければならず、 朱印の上に墨でかかれたお寺のサイン?もこれがまた中々渇かず じっと広げたまま天火干しをするという有様です。 (納経所にはドライヤーも置いてはありますが、これはあまり掛け軸の素材〜絹・綿〜にとっては宜しくないとの事でしたので) この弥谷寺で、結願まで後少しという事で気持ちが緩んでいた事もあったのでしょうが、 納経所にいって始めて掛け軸を車に置いたまま、 持って上がって来なかった事に気が付いたのです。 真夏のくそ暑い(失礼)時期に30分もかけて汗だくになりながらやっとたどり着いたのに又、 下まで取りに逆戻りです。 掛け軸を持って又必死の形相で納経所までついたときの表情といったら 妻に言わせればまさに鬼のような真っ赤な顔をして湯気を立てていたとの事、 今でも床の間の掛け軸を見るたびに思い出されます。くれぐれも駐車所からお寺までの距離のあるお寺にはご注意を・・・。

意外と厄介な昼食タイム 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 2月16日(日)16時46分32秒

遍路に出発する前はせっかくツアー?にでるのだからどこか美味しい所で昼食でも・・・ などと思っていたりするのですが、どうも昼時間前後になると寺周辺に適当な食事場所が見つからない時が良くあります。 何せその日の宿に予定時間に着かなければならないという焦りもありますからね。 道沿いに食堂などが見つかればまだましなのですが、 そんなお店もなくついつい食事をしそびれてしまいます。 そんなことを何回か経験すると遍路の知恵として 午前中、寺の前の遍路相手の店などでよくお饅頭やおはぎなどを買ったりして置きます。 そいつをお昼、食べ損ねた時など車の中でぱくつくわけです。 腹は減ったし食べ物はなしでは本当に情けない気持ちになって来ますからね。 饅頭一つがすごいご馳走に見えたりもして来ますよ。 そうそう夏などは保冷バックに冷やしたお茶を4〜5本入れておきます。 私は夫婦二人で遍路をしているもので 毎回自動販売機で購入するとなると結構な費用になりますからね。 また途中でビールなどをその日の宿用としてスーパーなどで購入した時など 保冷バックに入れておけばこれまた便利でしょう!(遍路中に不謹慎な・・・・)

大好きな遍路コース(薬王寺〜最御崎寺・金剛福寺〜延光寺) 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 2月 1日(土)15時48分56秒  

四国遍路とは不思議なもので、一度廻って《それで満足、はい終わり!》  とは中々ならないみたいですよ。 八拾八箇所結願して家に帰ってホッとするのもつかの間身体が妙にうずうずして来るのです。 かく言う私目もその繰り返しで今5順目の途中です。  さて人にもよるのでしょうが、お奨めのコース?(まるで観光ツアーみたいですね。) をちょっと紹介しましょう。 二十三番薬王寺〜二十四番最御崎寺・・・薬王寺を過ぎたあたりから室戸岬までのスケールの大きな風景は圧巻です。 三十八番金剛福寺〜三十九番延光寺までの足摺〜大月〜宿毛経由の海岸線、 この景色も室戸とは違った海岸線の表情を見せてくれます。 早朝とか夕方に良く通るのですがその時間帯と言うのは又格別素晴らしいですよ。  春夏秋冬、晴れの日、嵐の日、色々経験しましたが景色はそのたびに表情を変えて、 本当に飽きる事は在りません。 四国に住んでいて良かったと思います。 真冬でも南国独特の眩しい位の陽射しや、 風に運ばれる潮の香りに包まれての数時間のドライブ(私は無精者な者で車遍路ですハイ) はあっと言うほど短く感じてしまいます。 やっぱり高知の海と言うのは格別なのでしょうね。 またまたそちらに向かって車を走らせたくなって来ました。

遍路同士の連帯感 投稿者:H・NAGAO  

投稿日: 1月18日(土)09時03分06秒

始めて遍路に廻った時の事です。 周りの遍路さんが皆すごい経験者に見えて、 お経をあげる声もついつい自信なさげな小さな声になってしまいがちでした。 巡礼も半分を過ぎる頃になると少しは落ち着いて周りを観察する余裕も出来て来ると 意外と殆んどの遍路さんは皆ビギナーで、 それが良いとか悪いとかではなく、妙な安心感が生まれました。 先輩諸氏からは色々励まされ、初めての巡礼者にはお互い情報交換をしたり、 宿坊などで一緒になった人とは色んな世間話などをしたりと、 世代とか職業とか生まれ育った土地とかは全く関係ない人間関係が作れました。 10回以上廻っている大先輩でも何の屈託も無く、 えらぶるでもない人柄に感動したりもしました。 こんな人との接し方は職場、学校、地域社会では日常経験出来得ない体験だと思いますよ。 人間、身体に付いた色々な柵を取り払ってしまえば、 こんなにも自然に人と付き合えるものなのです。 最後に遍路体験とは宗教的な体験と言うよりも、 自分と言う素晴らしい可能性を持った個人をもう一度再発見させられる旅なんでしょうね。

ちょっと真面目に、宗教とは何? 

投稿者:H・NAGAO  投稿日: 1月 4日(土)08時47分04秒

明けましておめでとうございます。 昨年末30日に八十八番大窪寺まで何とか結願しました。 今年は今月末ぐらいから5回目の巡礼になると思います。(納め札が緑色になるのですよ。) 新年早々ちょっと真面目なお話しを・・・。 自分自身が真面目な信仰をもって巡礼をしているとは、とても恥ずかしくて言えないのですが、 宗教について考えれば考えるほど解らなくなってしまいます。  生きとして生きる物の幸福を願って生まれたであろう宗教ですが、 その歴史的な足跡は果たしてどうだったでしょうか。  キリスト教も、イスラム教も旧約聖書から生まれました。 頑固に旧約の世界を信じてキリストをメシア(救世主)と認めないユダヤ教徒。 旧約聖書は信仰するにしても、キリストもただ単なる預言者としか見ないイスラム教徒。 キリストをメシアとして信仰するキリスト教徒。 バチカン(カソリック)のやり様を堕落と見て生まれたプロテスタント。 仏教にしても釈迦がバラモン教(ヒンズーの前身)の中で修行をして生まれてきたものですよね。 現在地元インドでは仏教はヒンズー教に席巻されています。 特に密教に見られるような諸々の仏様はバラモンの多神信仰の影響を受けているようです。  そんな各々の宗教が各々の神または仏を絶対的存在と主張し異教徒を非難します。 ある宗教は偶像崇拝を禁止しており、文化遺産の仏様などを破壊したりもしています。  ヨーロッパでは第1回(1096年)〜第8回(1270年) の十時軍とイスラムによる3世紀にも渡る宗教戦争が吹き荒れ、 大航海時代にはバチカンの命令の元、 数々の無法とも思える宗教的な侵略、虐殺行為を中南米などで行っています。 その他科学者や一般人への宗教裁判などによる 魔女狩りなどの宗教的暗黒時代をも作り上げました。  宗教は確かに信者に対して安らぎや幸福を与えてきました。 その反面排他的な教義がゆえに多くの殺戮や地獄のごとき苦しみも生み出しました。   ただただ生きている事(生かされている事)、 自然の中で自然の一部に同化して旅をして巡礼できる事の充実感、 接待での人の優しさ、 そんな心根の中には何処にも先に述べたような宗教的な偏狭鎖は在りません。  まあ何だかんだ言いましたが結局その事が言いたかっただけなのであります。 遍路を続ける漠然とした理由がそこいら辺に在るんだと思います。

2002

意外と厄介な街中の巡礼コース(今治周辺) 投稿者:H・NAGAO  

投稿日:12月21日(土)16時21分47秒

松山五十三番円明寺を過ぎると小1時間のドライブの後、今治の五十四番延命寺に入ります。 この後の五十七番栄福寺までの街中のお寺が意外と厄介なのです。 街中というのは道が碁盤の目のようにキチンと走っているのですが、 それが、かえって目印を見つけにくくしているのです。 五十五番南光坊界隈では道に迷って, お寺を中心にグルグル道に迷っているお遍路さんが沢山います。 そうそうお寺で道に迷った時の必殺テクニックは巡礼バスか、 巡礼タクシーの後をつけるというのが一番です。 まず安心して連れて行ってくれますよ。 (ただし昼食時には要注意!一緒にレストランに連れて行かれます。) 前回の遍路の時には県外のお遍路さんが 五十三番から五十九番国分寺までずっと私達の車の後をついて来て 別れ際に感謝された事を思い出します。 以前遍路をしていた時、今治界隈で迷ったそうで、 四国ナンバーの車なので多分道を良く知っているだろうと思いついてきたのだそうです。 まあ頼りない道先案内人でしたけれど何度目かの道だったので間違える事無く、 無事連れて行くことが出来ましたけれどね・・・。 皆さんも、よーく前もって調べてから挑戦してください。

色々な巡礼がありますよ 投稿者:H・NAGAO

投稿日:12月 7日(土)16時58分53秒

今回は行く先々で見かけたいろいろの巡礼さんの納経風景を紹介しましょう。  以前話したようにお遍路さんは本堂、大師堂、でお経を納経します。 その時お経だけではなく色々なものも奉納しています。 一般的なのは「御詠歌」ですね。 御詠歌とは簡単に言うと仏様を崇めて歌う仏讃歌です。 宗派によって、または流派によっても節(旋律)が違ったりもします。 鈴などでリズムを取り歌うのですが、節まわしの難しい中々奥深いものです。   尺八の演奏もありましたね。 御夫婦で遍路をされていた方ですが 夕方の風景に二人の姿が溶け込みとても美しかった事を記憶しています。    三味線、これは何ともお寺にミスマッチと思われるかもしれませんが 周囲ののギャラリー(遍路さん)は大喜びでした。   皆さんTVなどでご存知の方も多いのでは、オカリナ奏者の本谷美加子さん。 2001年の12月23日(AM8・00頃)だったと思います。 愛媛県御荘町の第四十番観自在寺で見かけました。 真っ白い上下の白装束で、頭には日本手ぬぐいを巻きスタッフの方と話をされていました。 TVの番組とは言え歩いて88箇所を一年八ヶ月かけて今年結願したとの事、 きっと何かこれからの演奏活動においての糧になったことでしょう。   直接見かけたことは在りませんが、もう故人となられた川島英五さん。彼もオートバイでギターを背負い巡礼されたとの事。彼の生き様そのものですよね。    巡礼もこのような角度から見ていけば、何て懐が深く、 杓子定規な教義を押し付けるでもなく、 個人の心根を大事にしている行為なんだろうと改めて感心します。 自分の心の不調和を調整してくれるのが遍路の旅なのかもしれません。 パソコンで言うとアップデートによるウィンドウズの更新作業みたいなものですよね。           ・・・ちょっと違うかも・・・。

難所ランキング(車、歩き、雪) 投稿者:H・NAGAO

投稿日:11月23日(土)09時33分37秒

遍路コースにはいわゆる遍路泣かせという難所が数多くあります。 「歩き」の場合はまず十一番藤井寺から十二番焼山寺の間の43Km。 それまでの平野の中の十ヶ寺からドカーンと山道に突入します。 後ざっとあげれば、二十番鶴林寺〜二十一番太龍寺、 二十三番薬王寺〜二十四番最御崎寺(75Km) 三十七番岩本寺〜三十八番金剛福寺(94Km) 景色は最高ですが、何せ距離が長い・・・。 小松町の六十番横峰寺、ここも石鎚山系の林道(車で通行するのに森林組合の管理費として1800円も取られるほどの山道です。)で中々厳しい所です。  次は「車」でも結構苦労しますよ。 先に紹介した焼山寺、二十七番神峯寺、三十五番清瀧寺、今治の五十八番仙遊寺など、道が狭い上にガードレールも無い所も多い。 くれぐれも脱輪、接触に注意です。  意外と予想以上にてこずるのがこれから(12月〜3月)の冬の雪です。 山の天気は変わりやすく、平野は大丈夫でも山の上は別世界と言う所も結構あります。 焼山寺、宇和町の四十三番明石寺、横峰寺、四十四番大宝寺、四十五番岩屋寺、などは要注意です。 とくに「車」の場合は笑い事では済まされません。 現にこの2年間連続で私目が顔を引きつらせながら(苦しい時の仏頼み?で光明真言などをを唱えながら)のスリップ遍路を実証済みですから。  特別偏の難所とでも言いましょうか。 岩屋寺、七十一番弥谷寺、夏はきついです。 「車」で行っても30分ほどの山道を歩かされます。 汗びっしょりになります。  さてさてそれでは健闘を祈ります。     南無大師遍照金剛!

遍路のパターン(歩き、車、自転車、団体バス) 投稿者:H・NAGAO

投稿日:11月10日(日)23時06分28秒

ISAさん、49番まで行かれたのですね。 次は今治がメインになりますけれど 街中のお寺は目標が捜し難く意外とわかりにくいのでご注意を・・・。 さて巡礼には色々なやり方がありますよね。 何と言ってもトラディッショナルなのが「歩き」です。 これは結構やっている人にしてみればこだわりがあるみたいですよ。 聞くところ遍路にはランクがありまして、 1番は何と言っても「歩き」その次が「自転車」そして「車」となります。 車も「団体バス」と「自家用車」では「自家用車」派の人は一緒にして欲しくないみたいですよ。 ま色々な考え方もあろうかと思いますが、 私はそんなことは如何でもよい事のように思います。 「歩き」にしても一番予算的に贅沢な遍路と言う事になりますよね。 食費、宿泊費と考えていきますとそこいらの海外旅行よりも高いものにつきますよ。 「団体バス」にしても遍路の入門偏と考えるなら先達さん(ツアーの案内者・指導者)次第ですが リーズナブルで中々良く出来たものだと思います。 2度目からは自分のペースをつかんで遍路をすれば良いのではないのでしょうか。 様は自分自身どのように遍路を経験し、その経験を感じるかと言う事だと思います。 堅苦しく考えるのは禁物です。

納札(おさめふだ)のお話 投稿者:H・NAGAO

投稿日:10月26日(土)10時18分42秒

先週18〜20日に第三十七番岩本寺(窪川町)から第五十九番国分寺(今治市)まで22箇寺を廻って来ました。  雨に降られて散々でしたが、温泉サウナ、二食付きで4000円台と言う格安の新しい宿泊所も発見出来たりと収穫もありましたよ。(詳しく知りたい人ははメールでお答えします。)  さて本題に入ります。  普通お寺に巡礼した時、本堂、大師堂でお経をあげますよね。 その時に堂の前にある箱の中に入れるのが納め札です。 札には日付・住所・氏名・願い事・を記入するのですがこの札は6種類に分かれており、 各々色で分けられています。 @白札(巡礼回数1~4回)A緑札(5〜7回)B赤札(8~24回) C銀札(25~29回)D金札(50~99回)E錦札(100回以上) とまあこんな具合です。  いったい何のためにお札が有るのかといいますと、 基本的には最初に言った通り納経したという証拠の証の為のお札なのですが、 その他にも御接待を受けたり、 知り合ったお遍路さん同士の名刺代わりに交換するという事も在ります。 その昔お札は木や金属で作られていてお札をお堂に打ち付けていたみたいです。 その名残とて、今でも巡礼をする事を「打つ」と言ったりもしますよ。  私も巡礼中に、巡礼者から錦札、金札を頂いた事が在りますが、額に入れてお守り代わりにしています。  ところで私自身の札の色はまだ白色でありまして、 今回の巡礼が終わるとやっと緑色に変わります。  いったい如何したら100回以上も廻る事が出来るのでしょうかアンビリーバブルですねえ。

門前の小僧何とやら

投稿者:H・NAGAO  投稿日:10月12日(土)00時42分46秒

そもそも私の実家の宗派は法華でありまして、トンと般若心経とは無関係な環境で育ちました。 八拾八箇所巡礼を始めた当初も単に手を合わすだけでいいか・・・ などと思っていたのですが、最初の巡礼をおえる頃には作法どおり 「合掌礼拝」に始まり「開経偈」「懺悔文」「三帰・三竟」 「十善戒」「発菩提心」「三摩耶戒「般若心経」「御本尊真言」 「光明真言」「御宝号」「回向文」と 本堂、大師堂の前では一応読経出来る様になっていました。 結構いいかげんな信仰心なのですが、きっかけはそんなもので宜しいのではとも思います。 心根の方は巡礼を通して、不思議な事に色々な事が見えてくるのも事実です。 よそ様の家に言った時にはそのお家の作法で挨拶をする ぐらいに考えて丁度良いのではないのでしょうか。 具体的な作法の順序などの決まりも伝統的にあることはあるのですが、 最寄のネットなどのサイトにも紹介されています。 それではこの辺で 合掌

霊山寺のマスコット人形 

投稿者:H・NAGAO   投稿日: 9月 4日(水)20時17分48秒

Dr・NAGAOのロック講座も1周年を迎え、 取り合えず終了(勝手に終わらせています) と言う事で八拾八箇所遍路のコーナーに乗り換えました。 よろしくお願いします。 早速話に移りますが、 「早朝、霊山寺の前を車で走っていたら不気味なお遍路の子供を見た・・・。 あれは幽霊ではなかろうか?」と私の友人が脅えた声で言った事が在ります。 確かにまだ明けやらぬ時間、 寺の山門前に子供の巡礼を見かけたらビックリするでしょうね。 でもそれは何の事は無い、山門の前に飾ってある巡礼姿の子供マネキンです。 結構お遍路さん達は一緒に記念写真を撮ったりしていますよ。 まあ私の好みとしては重厚な山門の前にして、 あんまり趣味の良いマスコットだとは思いませんけれどね。 霊山寺に立ち寄った折には気をつけてごらんあれ・・・。

 

 

Gibson☆彡Master 様

2003

おきなわより 南風をお届けに^/^ 

投稿者:Gibson☆彡Master  投稿日: 6月23日(月)16時56分17秒

・EFBisaさん   こんにちは ステキな音楽に包まれて いままで のんびりさせていただいておりました^/^  ( ”♪自然の旅人”)   多分 毎日寄らせていただきます。^/^   静かにしてますから よろしくですね^^;あうっ。 ===={ P”S }======================= みなさま 新参者ですがよろしくおねがいいたします。  癒しの時間と空間に こころから 感謝ですね。  *:・゚’☆,。・:*:・゚’☆,。・:*:・゚’☆,。・

 

 

北白川 右京様

2003

H・NAGAO さまへU 投稿者:北白川 右京  

投稿日: 6月 4日(水)21時50分43秒

私の生まれた市に第39番札所延光寺があります。 台風びっくりされたかと思います。 私が小さい頃、台風により屋根が飛ばされ、朝起きてみると空が見えていた。と云う事件がありました。(^^;; ヒヤアセ 自衛隊は来るわ、救援物資は来るわ(カップヤキソバだったけど)大騒ぎでありました。 ご無事とのこと、なによりです。 どこかで出会うことを期待しております。 私は、14日に85〜88を打つ予定であります(自転車で(笑)) 今後とも宜しくお願いいたします。 m(_ _)m

 

 

makoto様

2003

八栗寺〜大窪寺まで 投稿者:makoto  

投稿日: 6月 7日(土)00時22分15秒 北白川右京様、H・NAGAO様、

はじめまして。 EFBisa様、その後お変りございませんでしょうか。 大阪在住の、makotoと申します。 八栗寺から大窪寺までは、すべて自転車で走行可能な道だったと記憶しています。 ただし、八栗寺の坂道は、勾配が急過ぎて、自転車を漕いで登るのはまず不可能だと思います・・・ また、大窪寺から10番切幡寺までの道は、ずーっと緩やかに下っていますので、自転車で滑り降りたらとても気持ちいいと思います。 あ、それから、屋島寺から八栗寺までの道中に「山田屋」といううどん屋さんがありまして、ここのぶっかけうどんが、めちゃくちゃおいしい!! 一人だけの入店でも、店員さんはとても丁寧に応対してくれて、人気店にありがちな、傲慢な応対は一切ありませんでした。とても気持ちのいいお店でした。 かなり人気のお店のようで、30分以上待たされることがありますが、待つだけの価値は十分にあるお店でした。

まいど 投稿者:makoto  

投稿日: 1月 5日(日)19時22分48秒

おひさしぶりです。東さん(ここではisaさんと呼ぶのかな)。 実は、4年前から区切りの歩きで遍路をしてまして、 先日の元旦、午後4時、88番大窪寺にて無事結願することができました。 最終日は女体山越えで大粒のヒョウに遭い、 危うく崖から落っこちそうになったりもしましたが、 大窪寺に到着する頃には、 結願にふさわしい、きれいな夕焼けを見ることができました。 めでたし、めでたし。 それにしても、 思えば、僕が遍路に出ようと発心したのは、 以前、僕が高松に旅行したとき、isaさんに大窪寺に連れて行ってもらう途中、 歩きのお遍路さんの後ろ姿を見たときなんですよね・・・。 あの時のお遍路さんと同じ場所を、自分が同じ格好で歩いている、 何だかとても不思議な気分でした。 八十八ヶ所の音楽 期待しています。 ではまた・・・。

 

 

媛様

2003

それで琵琶だったのでしたか? 

投稿者:媛  投稿日:12月 2日(火)04時56分20秒

名前の通り媛・・・愛媛から香川に行きその日偶然だったけど、それも一瞬聴きでしたが久しぶりに感動しました。こちらこそ感謝しております。私にはそういった才能とかはないですけれどいいものはいいと言える気持ちは持っていると思っております。琵琶演奏本当によかったですよ。お体に気をつけて頑張ってください。

はじめまして 投稿者:媛  

投稿日:11月29日(土)23時51分27秒

11月23日の日曜日EFB BANDを見かけました。 くつろいでた所と見受けました。なにか楽しそうに会話されてると思ったら音楽が聞こえて 上手く言えないんですけどね琵琶語りで平家物語でも語ってるって感じでしたね。 あもちろん私自身琵琶語りの平家物語なんて聞いた事ありませんが。 ふと見るとEFB BANDのアクセスの白い紙がありましたので持って帰りました。 縁があれば今度はゆっくり聞いてみたいです。貴方方の音楽(ソウル)を・・・。

 

 

クリ様

2003

どうでしょう? 

投稿者:クリ  投稿日:11月13日(木)10時09分55秒

初めて書き込みします。 一人でお遍路に行こうと思うのですが、四国の冬はどのくらい寒いのでしょうか? テントじゃ無理ですかね? それか、安宿情報などがあれば教えてもらいたいのですが。 よろしくお願いします。

 

 

NOA

2004

霊山寺の風 

投稿者:Noa  投稿日: 2月29日(日)13時13分56秒

先日、2番札所から霊山寺の間を車で走る機会がありました。その日は春の訪れを感じさせられる生暖かな風が強く吹いておりとても心地良く、そのまま霊山寺に立ち寄りました。 穏やかな陽射しの中あまり人もいない境内でほんのひとときですが心地よい気持ちになれました。霊場にはこんな癒しの部分もあると思います。ぼくなりの遍路旅ということで今やっと薬王寺が終わったところですがこれからもぼくなりの遍路を感じたままに音楽に表現できればと考えています。春になればEFBは八十八カ所ライブを始めることになりますがいろいろと感じたことを歌おうと思います。またいろんな方々と出会えるのを楽しみにしています。

2003

琵琶へのチャレンジ 

投稿者:NOA  投稿日:12月 6日(土)12時49分25秒

EFBバンドのNOAです。本当にたまたま屋島寺で演奏した時、琵琶のアドバイスを頂いてそれから 高松市内の和楽器屋さんを廻って、それから骨董市に行き、そこにあった一面の琵琶を出していたのが偶然にも高松市内の骨董屋さんで...とまず手に入らないと思っていたこの琵琶を手に入れたことは何か縁がすごくあったような気がしています。私はEFBバンドで歌とベースを担当していますがこれからはどんどん琵琶を取り入れて行くように考えております。少しでも私の弾く琵琶に何かを感じて下さればと思いこれからも魂を込めて演奏したいと考えます。 媛さまありがとうございました。本当に嬉しく思っております。

 

 

EFBisa

2003

媛さまへ 投稿者:EFB isa 

投稿日:12月 3日(水)22時05分23秒

そう言っていただきますと本当に嬉しく思います。 媛さまもきっと音楽が大好きなんですよ! 地元は愛媛ですかありがとうございます。 愛媛のお寺にもストリートライブのお願いに行こうと思っています。 まだ先の話ですが決まりましたらぜひ聞きにきて下さい。 その時にはまた声をかけて下さいね!

媛さまへ 投稿者:EFB isa

投稿日:11月30日(日)18時26分17秒

書き込みありがとうございます。 ぜひまた聞きにいらして下さい。 屋島寺で演奏した時 屋島山上のガイドさんからアドバイスを受けまして 今回が初めての琵琶との演奏でした。 まだまだこれからですがドンドンチャレンジして行こうと思います。 八十八ヶ所を回っていると歴史・自然・人生を感じ創作意欲が湧いてきます。 これからも良い音楽を作るよう頑張ります。

だれか教えて? 投稿者:EFBisa  

投稿日: 6月 7日(土)08時48分09秒

ケーブルカーの駅、横の道から八栗寺に上る途中に急カーブがありますよねそこに倒れそうな大きな岩?石がありますその真上に五剣山の崩れた部分があるのですがあれって崩れたとき落ちてきた岩?・・・それから八栗って弘法大師が8つ栗を植えて八栗寺と言う名前になったと・・・今もその関係の木てあるの?

みなさまいらっしゃい!   投稿者:EFBisa  

投稿日: 6月 7日(土)08時19分09秒

北白川 右京さまへ 八栗寺はケーブルカーの駅のすぐ横にある道を上っていったら大丈夫ですよ! ところで美味しいお店の追加です。 八栗寺から11号線を志度寺に向かっていくと道の左側に「つるみや」というお好み焼き屋さんがあります大変具が多く美味しいです。 ぜひよって見て下さい。

H・NAGAOさまへ 良いお遍路友達ができてよかったですね! ところでそのうちうどん八十八ヶ所のページも作りたいです。 なんかテレビで見たのですがうどんの元祖も弘法大師さま関係で伝わったと言っていました。 この5年行っていないのですが綾上町の「やまごえ」のうどん屋さんは良かったですね。 そのころ一杯60円なのに僕はここ以上うまいうどん屋をさがすのはなかなかないと思いました。 うわさで聞いたのですが以前、広末涼子さんがうどんをこねるCMがありましたよね? あのうどんのこねかたを指導したのが「やまごえ」のご主人さまと聞きました。 それからそこの近くにたこ焼きや?があるのですがそこの「たこばん」はかなりうまいです。 「たこばん」と言えば香川県の仁尾町にある「たこばん」焼き屋さんは全国的に有名ですね! とり上げて行くと色々思いつくのでうまい店のページでも作りましょうか? 同じ香川県人として香川を通るお遍路さんに地元の人しか知らないお店の特集しましょう! 情報がありましたら教えてください。

makotoさまへ 先日は「掬水へんろ館」 紹介してくれてありがとうございました。 山田のうどん八栗寺に行くときたしかにおすすめですね。 マコちゃんとながおさんのおかげで良いアイデアが思いつきました。 こんど「やまごえ」のうどん屋さん連れて行きます。 また四国に来たとき我が家によってね!

H・NAGAO さまへ 投稿者:EFBisa  

投稿日: 6月 2日(月)22時28分37秒

お遍路お疲れさまでした。 細い山道が多く天候の条件が悪いと危険ですね。 どうかお気お付けください。

先日テレビで歩き遍路の幸月さんの番組を見ました。 僕はどこかで見たことがあるような気がして・・・僕がお遍路中の時か・・・?高松から志度に行く毎日の会社の通勤途中かな・・・また僕の家の近くにある旧11号線沿いのバイク屋さんが何度か店の前を通ったと話していました。 ぜひまたチャンスがありましたら声をおかけしたいです。 ところで最近アクセスが増えました。 おそらく「掬水へんろ館 」が相互リンクして下さったおかげだと思います。 本当にありがたいです。

 

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2002.09/07

08/06